第3話 狙われたフィルバート

翌日、約束通りレナルドは証拠の書類を持ってアナスタシアを尋ねた。


それはボグワナ伯爵達の犯罪の証拠であったが、全てをフィルバートに擦り付ける為に改ざんされていた。それが彼らの計画である。自分達の身に捜査の手が伸びていることに勘付いた伯爵は、別の犯人を仕立て上げることにした。その犯人役に選ばれたのが、レナルドが目の敵にしているフィルバートであった。彼を失脚させ、アナスタシアと婚約する。一石二鳥の計画だった。


もちろん、フィルバート達は改ざんされた書類だと承知している。その証拠を元に、犯罪を暴くのがフィルバート側の計画なのだから。そうとは知らず、レナルドは自ら破滅の道を一歩一歩と着実に進んでいた。


アナスタシアは書類を受け取ると、適当に理由をつけてレナルドを追い払う。彼女としては証拠を手に入れた以上、もうレナルドと関わりたくなかった。罪を犯したレナルドを、心の中で軽蔑していたのだ。


レナルドの書類を手に、アナスタシアは国王の居る部屋へと向かう。その途中、ポツリと呟いた。


「フィルは、どうしているかしら?」


それに答えたのは、前方を歩く護衛騎士だった。幼い頃からアナスタシアに仕えている彼は、名をロイと言う。所謂、気心の知れた仲というやつである。


「あぁ、そう言えば……今朝、毒を盛られたとか」

「えぇ?! どういうこと?! フィルは無事なの?!」


事情を聞こうと物凄い剣幕で迫るアナスタシアを回避すべく、ロイは目の前の扉を開けた。中には、国王の姿が。それを視界に捉えたアナスタシアの標的は、ロイから国王へと移動した。


「お父様! どういうことですの?! フィルが毒を盛られたとは本当ですの?! フィルは、フィルは無事ですの?!」


最初の勢いのまま、ツカツカと国王の元へ歩を進めたアナスシアだったが、最後の方は弱々しく泣きそうになる。控えていた側使えがサッと用意した椅子に、アナスタシアは力なく座り込んだ。


国王は“何故、アナスタシアに告げたのか”と恨めしそうな目をロイに向ける。その視線に、ロイは知らぬ振りを決めた。誰もロイが漏らしたとは言っていない。だが、彼の口が滑りやすい事を知っている国王には、お見通しであった。


「フィルバートは無事だ」

「本当? 本当ですの?」

「あぁ、こういう事もあろうかと解毒剤も用意しておいたからな」

「こういう事もあろうかと? ということは、お父様はフィルが毒を盛られると予想なさっていたのですか!!」


咎めるようなアナスタシアの声色に、国王は狼狽える。実は、国王はアナスタシアに弱かった。そして末っ子である彼女に、とんでもなく甘かった。可愛くて、可愛くて仕方がないというやつである。


「いやいや、わしではないぞ? フィルバートがな、彼が見越してだな」


自分は悪くないと国王が主張している。本来なら国の長として如何なものかと思われるが、相手は国王が愛してやまない愛娘。国王という立場から只の父親になる姿に、周りの人間は呆れながらも温かい目を向けた。


「フィルが? そんな……そんなこと一言も」

「お前を心配させない為だろう。フィルバートの気遣いというものだ。アナはフィルバートの事となると心配症になるからな。まぁ、安心しなさい。これも計画の」

「わたくし、フィルに会いに行って来ますわ!」

「これこれ、待たんか」


国王の話を最後まで聞かず、フィルバートに抗議しようとアナスタシアは立ち上がる。それを国王が止めようとした時、慌てた様子で騎士が駆け込んできた。


「ご報告申し上げます。今しがた貴族牢に侵入者があり、フィルバート様が襲われたとのことです」

「何ですって?!」


騎士の報告に、国王もロイも“あちゃ~”と頭を抱えた。


(ちゃんと場を見て、話さんか!)


国王に視線で語られた騎士はアナスタシアの存在に気付き、”やってしまった”という表情を浮かべた後、”申し訳ありません”と頭を下げた。


当然、アナスタシアは血相を変えた。カツカツとヒールを鳴らし、報告した騎士に詰め寄る。


「どういうことです? フィルは無事なの? 侵入者って、警備はどうなっていますの? フィルは、フィルは? 怪我は?」

「アナスタシア様。フィルバート様は、ご無事です」


彼女の剣幕に押され、慌てて騎士は告げる。その言葉に、アナスタシアは胸を撫でおろした。


「アナ。これも計画のうちなのだよ」

「計画? お父様、どういうことなのですか?」


今度は国王の方へツカツカと。広い室内を行ったり来たりで、アナスタシアは僅かに息を切らしている。


「フィルバートの人柄の良さは知られている。また、彼を慕う者も多い。そんなフィルバートが犯罪に手を染めて投獄されているとなれば、無実だ冤罪だと訴えが出ることは明白。例えボグワナ伯爵が用意した証拠があろうとも、覆される可能性はゼロではない。そう考えれば彼らが次に何をするか、分かるだろう?」

「フィルを亡き者にしようと?」

「そういう事だ」

「分かっていたのでしたらフィルを貴族牢などに入れず、いえ、入れたとしても警備をもっと厳重にするべきでしょう、お父様!」

「いや、あえて手薄にして仕掛けてくる者を捕えようと」

「フィルを囮にするつもりだったのですか!!」

「いやいや、これはフィルバートの案だ。わしではない、わしではないぞ」


アナスタシアに嫌われたくない国王は必死に弁明した。しかし、アナスタシアの勢いは増していく。


「フィルに何かあったら、どうするのですか?! いえ、もう起きているのですよ!! 毒を盛られて、襲撃にも遭って……例えフィルの案だったとしても、それを承認したのはお父様ですよね。お父様なんて、大きら」


『大嫌い』という国王が最も恐れていた言葉が紡がれそうになり、周囲は固唾を呑んで見守った。最後の「い」が発せらる瞬間、部屋にノックの音が響く。国王は話を逸らす好機とみた。


「入れ」

「失礼致します。陛下、たった今……あれ、アナ? ここにいたのかい?」

「フィル!」


フィルバートの登場に、その場は安堵の空気に包まれた。彼が現れたのなら、アナスタシアをどうにかしてくれるだろうと。


最愛の人の声に振り返ったアナスタシアは駆け出すと躊躇うことなく、その胸に飛び込んだ。


「フィル! 大丈夫?! 怪我はない? 毒は? 大丈夫?」


抱き止められて一呼吸した後、アナスタシアはガバッと顔を上げる。そしてフィルバートの身体をペタペタと触って無事を確かめた。


「僕は大丈夫だよ」

「本当? 襲撃されたって聞いたよ?」

「うん。だから全員を返り討ちにして捕らえた。アナ、僕は第二騎士団の団長だよ? あんな不埒な輩に負けるわけがないだろう?」


そう、フィルバートは王室直属の第二騎士団の団長である。彼を倒せる人間など限られているのでアナスタシアの心配は、やや的外れなのだが。それでも彼女の心配は止まらない。


「分かっているけど……でも、貴族牢に剣は持ち込めないでしょう?」

「警棒を持たせてもらったから問題なかったよ。それに例え武器がなかったとしても、そこら辺にある物で応戦するから大丈夫。それともアナは、剣がない僕は弱いと思っているのかな?」

「そんなことないけど」


アナスタシアは、むくれる様に少し口を尖らせた。


「でもでも、毒を盛られたって聞いた」


不貞腐れるような口調のアナスタシアを宥めるようにフィルバートは頭を撫でる。


「うん。でも少し口にして毒だって分かったから、すぐ対処したよ。アナも知っているでしょう? 僕は多少の毒も平気だって」

「知っているけど……」


フィルバートは侯爵家の人間として、ある程度の毒に慣れるよう訓練されていた。その為、少量の毒は解毒剤がなくとも問題はないのだが。それでもアナスタシアは不安で堪らない。


「それでも! 何故、そんな危険を冒すようなことをしたの?」

「あぁ、それはね。看守の中に忠義心が足りていない者がいるようだったから、ついでに炙り出しておこうと思って」


ニコリと微笑むフィルバート。看守の中に金で動く人間がいると聞き、今回の一件と合わせて捕縛しようというフィルバートの一石二鳥作戦であった。


「理由は分かった。分かったけど! それでフィルに何かあったら、どうするの? フィルに、もしもの事があったら……フィルが死んだら私は……私も、死んでやるんだから!」


張り上げられた最後の言葉に、国王はサァーッと顔を青くした。一同はピタリと動きを止める。そしてフィルバートの出方をうかがった。


「アナ。そこまで君に想われているのは嬉しいけど、僕はアナに死んで欲しくないな」

「それなら、フィルが死ななきゃいいのよ」

「そうだね、善処する」

「善処じゃダメ。絶対って約束してくれなきゃダメ」

「分かった、約束する。騎士の誇りに懸けて、君と僕の命は絶対に守ると誓うよ」


やれやれといった様子のフィルバートだが、その笑みはとても深い。自分を心配して怒るアナスタシアが可愛くて仕方がないのだ。


国王の以外の周りの人々は砂を吐くような思いで、若干の居た堪れなさを感じた。どこか他でやってくれと。


「だからアナ、僕を許してくれる?」

「……許す」

「ありがとう、アナ。ところで、何か大事な用事があったみたいだけど」


フィルバートの視線の先を追ったアナスタシアは、自分の数歩後ろを見た。そこには、レナルドから受け取った書類が散乱している。フィルバートを目にして駆け出した時に、放り出していたのだ。


察したロイがササッと拾い集めて国王へと渡した。


「うむ、すぐに精査しよう」

「それでは、僕はアナを部屋まで送りますね」


フィルバートは襲撃についての報告を同行していた騎士に任せ、アナスタシアと共に部屋を後にする。


そしてアナスタシアの部屋に戻ったが、何時間経っても二人が外に出てくることはなかった。貴族牢に戻ろうとするフィルバートをアナスタシアが留め置いたからである。二人が存分にイチャイチャしたのは言うまでもない。


夜が深くなる頃、アナスタシアを寝かしつけたフィルバートは部屋を後にした。


(さすがに、まだ夜を共にしたりはしないよ。まだね)


ニッコリと口角を上げるフィルバート。その表情に気付く者はいなかった。

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