三十七日目

「なんだよ!」

「なんだよじゃねーよ! お見舞いだろ!? お見舞い!」

「そんな約束してねーだろ!」

「したわ! 聞いてなかったのか?」

「聞いてなかった!」

「いや、素直かよ!」

 校門の前で映画オタクに捕まって、少し口喧嘩のようになった。

 生まれて初めての口喧嘩だったかもしれない。人に絡まれることが少ない俺が、言いたいことをあんな大声で叫ぶこと自体、普通だったらありえなかっただろう。

 その勢いのまま、俺は彼に引きずられるようにして、桜の家へと向かった。

 彼はどうやら桜の家を知っていたらしく、どうやって知ったのかを聞くと、

「『勉強を教えるために来て欲しいって桜が言ってました』って適当に嘘ついたら、先生が快く教えてくれたんだよ!」

と答えた。そんな簡単に生徒の個人情報を教えるはずは無いので、本当はもっと上手い取り引きをしたのかもしれないな、なんて思ったりもしたが、実際は分からない。

 彼は俺にとって、本当に未知数のニンゲンだった。

 昨日書いたように、彼があんだけ真面目な普通の人間それらのような顔ができるなんて、想像もしてなかったのだ。もしも他にも隠していることがあるなら、映画好きなのは本当かもしれないが、それ以外は全て嘘の可能性が出てきた。

 いや、映画好きなのも、そういう「設定」かもしれない。

 ぼちぼち彼は引きずるのをやめて、目の前の家を見上げていた。どうやら、桜の家に着いたようだった。

「ヒロトが鳴らせよ」

 そう言われて、俺は渋々インターホンの前まで歩いていき、そして押した。

 押してから待っている間、ちらりと後ろを見たら――

「ザザッ……はーい、今行きまーす」

 もうそこには、彼の姿は無かった。




 彼女の家は、匂い自体があまりしなかった。

 無臭だった。

「……ごめん」

 彼女からはいつも、洗濯したての服のようないい匂いがするのに、どうやってこの無臭を保っているのだろうか。

「勝手に怒って、こ、混乱させちゃったよね」

 そもそも、俺の服は汗のせいか、そんなにいい匂いがしなかったり、いい匂いがすぐに消えてしまうことが多い。

「……ねえ、聞いてる?」

 やはり、単純に洗剤の量を多くしているだけなのだろうか? でも、汗と混ざって変な匂いに――

「いだだだだだ」

「聞けっ!」

 俺は彼女に、ほほを引っ張られて、そこでようやく、意識が現実へと戻ってきた。

 桜の家のインターホンを押すと、桜の母親らしき女性が現れて、中に案内された。二階から桜が驚いた顔で降りてきて、リビングのテーブルで向かい合って座ることになった。

 そして現在――

「えっなに? どうした」

「…………はぁ」

 この前ほどでは無いが、彼女がまた、機嫌を損ねていた。

「あのさ、たまに、なんかこう、『心ここに在らず』みたいな感じで居るの、なんなの?」

「えっ?」

 思い当たる節が、ひとつも無かった。まるで、やっていない罪を着せられたような気持ちになった。

「まあいいや。そんなことより、ゆうかのこと」

 俺は固唾を飲んで、彼女のことをじっと見据えた。

「なんで、急に避けるようになったの? ゆうかのこと」

 なんと答えればいいか分からなかった。

 なんだか、どう答えても不自然になってしまうような気がして、何も言えなくなった。

「えーと、いやー、なんというか…………」

「嫌いなの? ゆうかのこと」

「いや」

 そんなことは別に無いのだ。

 違う。どうすれば。なんと言えば……

「その、実は、ゆ、ゆうかが俺に告白してきてー」

「えっ!」

 頭をフル回転させて、ようやく出てきた嘘が、なんとも気持ち悪いものだった。

「ほっ、ホントに!? 自分が『桜と付き合え〜』って言ったのに?」

 こんな感じに誤解を招くぐらいだったら、正直に話すべきだったのだろうか。

「うん。でも、俺はフッたから、ちょっと気まずかったんだよ」

「あー、そーゆーことだったのね! なーんだ、早く言ってよー」

 そう言って彼女は、アハハ、と笑った。

 リビングにその声が響くと、俺も釣られるように口角を上げた。

「はははは」

 人生で初めて、嘘をついた瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る