【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
突然のコメントで失礼します。タイトルと内容に惹かれ、読ませて頂きました。
「登場人物の言葉の不正確さは、そんな現実を加味した表現」
と言う部分に共感と、自身が言葉に出来なかった事を的確に書かれており、腑に落ちたと言う感想を抱きました。
確かに全てを滑らかに語れば現実性が薄くなり、かと言って、あまり語らずと言う部分も難しく…
書き手の工夫が試される場面だと思い、非常に参考になりました!
作者からの返信
訪問とコメントありがとうございます。
おそらく言葉には、本来伝わりずらい性質があるのでしょう。
日常では会話の際に前後関係や参照事例は説明しないし。
その欠落部分を文字にした際に補った結果として
文章はだいたい嘘くさい言い方になる。
そんな印象につながっているのかもしれません。
重ねて、この度はありがとうございました。
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
拝読させていただきました。
物語を書くときはどうしてもセリフを作りにいってしまうので、言い間違いのようなものは、意図的に発生させてしまいますね。わざと間違えて笑いを取ったりとかがいい例でしょうか。
語尾の統一とか、ら抜きなどもどっちで行こうかと一応考えますかね。
言動が一致しなかったりは特に一人称では揺らぎになるので重要だよなあとか、考えながら読みました。面白かったです。
作者からの返信
訪問とコメントありがとうございます。
ここに来る方は皆さんまじめで、考えて創作をされている方ばかりで頭が下がりっぱなしです。
思うに。物語りでは
〝こうしてやろう〟という意図が話に透けたら終わりなのかもしれませんね。
計算でもキャラが勝手に喋っているんでもいいのですが、登場人物の話す言葉に作者の技術の拙さが表われたら、その途端にキャラが下手な人形劇の人形みたいに思えて来るのですよね。
物語りを作るのは難しいです。本当に。
重ねて、この度はありがとうございました。
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
物語に奉仕するためにいる登場人物←ドキッとするお言葉……
作者からの返信
訪問とコメントありがとうございます。
〝物語に奉仕するためにいる登場人物〟は物語を評する文に散見される
ご都合主義を表わす言い回しなのですが、そういう役割を与えないで
作話することは、おおよそ不可能なんじゃないかと思います。
あと事柄の見方が逆かもですよね。
〝物語に奉仕するためにいる登場人物〟が居るんじゃなくて
〝登場人物が行動した結果が物語〟なのだからそうも見えるという話で。
評論する際に、捉え方や言い方を意識的に歪めている場合もありますよね。
その作品を〝貶したい〟意図が最初にあり、後付けでその理由を組んでいるみたいな。
ややこしいです、論評は。
重ねて、この度はありがとうございました。
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
難しいとこっすねー
例えば自分みたいな吃音症の人間を登場人物にする場合とか、そういう障害が重要な要素でもない限りなんかうざい、無論自分みたいな障害持ちが見ても障害持ちの描写は読み難くてアレですから^p^
吃音持ちなキャラを見る事自体少ないですけどね、げんしけんの久我山位かな(シュタゲのダルも近いけど)
日常会話って本当、いい意味での「無駄さ」に溢れてるもんですよね
其れを自然な感じで表現していこうとする試みはいいと思うます
作者からの返信
訪問とコメントありがとうございます。
伝わることと、伝えることの違いでしょうか。
〝伝える〟ことを目的とした言葉の伝達には意図があるから、技術があり、技術である以上は上限が決まっている。
だから、当然できないことはあると受け入れる。
とうぜん文の雰囲気や余剰はその際に制限されると覚悟する。
その上で、できることを拡張する。倦まず続ける。
しかないかもしれませんね。
面倒ですよね。書く事は。
重ねてこの度は、ありがとうございました。
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
拙作ご訪問ありがとうございます。
一読させていただいて、まったくそのとおりだと共感しました。
とくに「私は物語にはムダなことを表すこと、それには意味があると考えています」というところです。
しかも、そのムダと思われていることが、けっきょく何かを表現していることもよくあると私は思っています。
作者からの返信
訪問とコメント、ありがとうございます。
清瀬さんのコメントを読んで、私も考えさせられました。
曖昧に頭の隅にあった〝考え〟も、文章にすると明解になります。
ただ、その考えの筋道を整える際に、削られる考えも出てきます。
その捨てる方の〝考え〟にも面白い要素はあるわけで。
なにかを作る事とは、常に無駄な箇所とはなにか考えて、向き合う行いなのかもしれません。
重ねて、この度は諸々ありがとうございました。
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
論理が終始一貫していて上手い!と感じます。
現実はあくまで現実でありますが、物語は情感である。
物語を現実として表現すると情感を損なう。
数式を思わせる美しさですね。
作者からの返信
訪問と、コメントありがとうございます。
またコメントで過分なお言葉を頂き、恐縮いたします。
月詠さんの怜悧な言葉遣いでお気遣いのある文章を綴られると、ありがたくも身の置き場のない感じもします。
最近は自分の考えを述べて、その内容が他の人に伝わったときに、とても嬉しく思えたりします。
文意は普通、なかなか他者に伝わらないと実感しますから。
ともあれ重ねて、この度はありがとうございました。
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
物語にはムダが必要、との一言に深く共感しました。
ムダ、だけれどもそれはその物語にとっては必然的なものでしかないのです。
正しい言葉で綴られる作品も、あえて正しくない言葉を織り込んだ作品も、期せずして不安定になってしまった作品も、それぞれ味があるものですよね。
木山さん、ありがとうございました。
作者からの返信
先ずは、コメントありがとうございます。
未来屋さんが把握した拙作の内容は正確です。
正にそういう話をしておりました。
蛇足ながら、補完すると───
量子力学では、粒子の位置と運動量を同時に正確に計測することはできないそうです。
これは、ハイゼンベルグの「不確定性原理」と呼ばれている理論です。
私は物語の構造も、これに擬えられるのではないかと考えていたりします。
正確さと余情は同時に表せないのかもしれない。
ただし、正確さも余情も人により、その範囲は大きく変わるため、立証はできない。
こういう結局は、何の意味もない考え。
ムダな考え達を、グルグル回しているのもまた、文章を作る面白味かもしれませんね。
重ねて、この度はありがとうございました。
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
〝い抜き言葉〟や〝ら抜き言葉〟を記したり、記さなかったりもします。→分かります。文法上の正しさよりも、キャラに言わせる言葉なのだから、「い」や「ら」を抜かなきゃ、こいつ丁寧すぎるやろとなりますよね。
いわゆる〝物語に奉仕するためにいる登場人物〟が苦手なのだと思います。→ストーリーを展開させるためにはキャラが動かねばならないが、作者のご都合主義が見えないようにすることは、私も気を付けてばと思っています。
どれだけ物語をリアルに近づけさせるか、他愛のない会話を紛れ込ませることもありますよね。それを冗長と言われるとそれまでですが、私も必要であると考えます。
遅くなりましたが、「救済皆無」にレビューを頂き、ありがとうございました😊他の作品にもお邪魔させてください。
作者からの返信
まずは評価とコメントありがとうございます。
創作をされている方に同意してもらえると、我が意を得たりとなります。
読み手の方から見たら、それは些細なことで。
適当に読み飛ばしたりする部分で。
むしろ、それでも良しとしなければならなくて。
絶対に文意の百パーセントは伝わらないし。
むしろ誤解があっても成り立つくらいの堅牢な構成をしてないとダメなわけで。
考えるほどに、文を作るのは難しいですよね。
そこが面白くもありますけど。
今後とも、よろしくお願いします。
また私の方もノエルアリさんの所に伺って、少しづつになると思いますが作品を拝読させていただきます。
編集済
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
ご参加ありがとうございます。
募集ジャンルはエッセイのみでして、可能であれば変更をお願いします。
追伸:ありがとうございました。
作者からの返信
失礼しました。
変更いたしました。
よろしくお願いします。
追伸 : 恐縮です。よろしくお願いします。
編集済
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。への応援コメント
とても考えさせられる話ですね。
実際の会話は矛盾を含むし、意味のないものも多い。
一方、物語の中では、読者を意識せざるを得ないため、読者に向けて説明することも多くなります。
誰が喋ったかをはっきりさせるために、口調、主語、語尾などに特徴を付けることも多いです。そうなると、実際と解離することになります。
リアリズムをどこまで追求するかの問題になってしまいそうです。
とても役に立つご指摘でした。ありがとうございます。
作者からの返信
訪問とコメントありがとうございます。
逆に全部虚構という語り口もありますよね。
昔の冒険活劇。探偵物などにあった
俗に〝講談口調〟〝読み物口調〟というものです。
文中に
「さあ、賢明なる読者諸兄は、もうおわかりだろう!」
などと語り部が直接に読み手に語り掛ける形式で
演劇で言う〝第四の壁〟飛び越しパターンのヤツです。
あれだと些細な作り事を気にする方がばかばかしくなるのですが、そんな形式の小説を令和に書く人もないですよね。読みにくいし。
重ねて、この度はありがとうございました。