第4話

「……つい気になって来ちまったぜ」


 その日の深夜、青嵐は現場を訪れた。周辺には黄色いテープが貼られており、此処が警察達の管轄だという主張がされている。


 蹴破って中へ侵入してもよかったが、もしも誰かに見られれば後始末が面倒だと彼は考えを改めた。


 その結果、現場の真上から視ることを選んだ。


 遠目から見れば、まるで見えない硝子板の上にでも立っているかのようだった。


(やっぱりな……精霊の気配が残っている。この感じ、風の精霊か? だが、穢れを受けたせいで内側から破壊されている……下手人が妖魔なのは間違いないが、その辺の妖魔とは格が違う)


 精霊魔術師とは文字通り精霊を使役する術師である。


 だが、精霊には一個人としての感情も理性もない。物質を構成する一部であり、ただそこに存在しているだけ。


 そして、妖魔は精霊と真逆の存在。白と黒、明と暗、光と闇以上に相入れない。


 故に生き残るのはより意志の強い方である。精霊単体ではどれだけ群れたところで羽虫同然だが、そこに精霊を使役する適性を持つ人間が介入することで初めて精霊は力を発揮する。


 つまり、妖魔にとって精霊魔術師は目の上のたん瘤であり、天敵のような存在なのだ。


(精霊がここまで破壊されているってことは、精霊魔術師の方が先に始末されたんだな)


 青嵐の霊視力が現場に刻まれた邪気を捉える。テレビ越しでも脅威に感じていたものを実際に目の当たりにし、背中に氷嚢を押しつけられたような感覚を覚えた。


(精霊魔術師が妖魔に負けるなんてことは滅多にない。現代の妖魔の数を現代の精霊魔術師の使役する精霊の数が圧倒的に上回っているからだ)

 

 精霊魔術師であれば誰でも知っている常識を思い浮かべ、再び現場を見下ろす。


 その光景はあまりにも異様だった。


 見覚えのあるフォルム。精霊魔術師でなければ見ることすら叶わない小さな影。


 一切の光がなかった。まるで黒のペンキの中へと沈められ、真っ黒に染められたような闇色の群勢が地を這っていた。


「あの影、まさか妖魔じゃなくて闇に堕ちた精霊なのか?」


 青嵐は口元を引き攣らせ、渇いた笑い声を上げる。


 全て納得だった。これは妖魔がただ精霊魔術師を殺しただけではない。


 殺した精霊魔術師から何らかの形で精霊を剥奪し、邪気によって妖魔へと堕としたのだ。


 しかし、彼は腑に落ちない。


(だとしたら何故、殺された精霊魔術師はさっさと逃げなかったんだ? 明らかにヤバい気配を放つ妖魔を前にして、逃げずに戦ったってのか? ……いや、戦闘の痕跡がねぇから戦う前に殺されたな。そうなると、やっぱり逃げなかった理由が分からねぇ)


 思考が間隙を生んだ。それはほんの一瞬にも満たない隙だったが、襲撃者にとっては十分過ぎた。


(マジか、こいつ……この俺が後ろを取られるなんて冗談じゃねぇぞ)

「チッ……! 背後から襲ったくるたァ、卑怯な野郎だ」


 青嵐は後ろを取られた動揺を理性で押し殺し、振り向きざまに右腕を振り抜く。


 刀印が結ばれ、術の発動が成立する。分子運動をも断ち切る不可視の刃が招かれざる襲撃者へと無音で襲いかかった。


 だが、相殺された。襲撃者の姿は宵闇に紛れているせいで朧げだが、今し方の術には見覚えがあった。


「……精霊魔術か」


 青嵐の呟きを理解しているのか、文字通りの人影は歪な光を顔らしき部位の辺りで灯し、三日月の形を作る。嗤っているつもりらしい。


(だが、見たことねぇ術だ。地水火風のどれでもねぇ……あるとすれば影か? 精霊を闇に堕とす術も、奴の纏う影が関係しているのか?)


 考えは纏まらなかったが、結論はすんなりと出た。


 ここで始末する。誰のためでもない、自分のために。こんな危険な奴がのさばっていれば、どれだけの術師が犠牲となるか。


 そうなれば他の術師が直面する筈だった面倒事に自分が遭遇する可能性も高まるだろう。


(タダ働きは御免だね)


 言い訳じみた結論だったが、青嵐の行動指針は決まった。


ッ」


 眼前の敵を確実に殺すために術のギアを彼は一つ底上げする。僅かに顎を上げることで先程までとは比べ物にならない莫大な量の風の精霊の動きを統制。丹田に力を入れ、体内の気を練り上げた。


 そして、頭上で発生した嵐にも匹敵する風圧を限界まで研ぎ澄ませる。極限の一太刀を作り上げ、鋭さを極めた風刃を人影へ浴びせた。


 流石に相殺できず、影が肩らしき部位の辺りから千切れ飛ぶ。出血はなく、痛みに悶える様子もない。


 妖魔でさえ痛覚はあるというのに、うんともすんとも言わずそこに佇んでいる。ただ自身へ向けられる敵意が増したのを青嵐は肌で感じ取っていた。


 暫くの間、有刺鉄線で締め上げられるような緊張感が場を支配していたものの、影が前触れもなく消滅したことで解放される。


「完全に気配が途絶えたな……駄目だ、追えねぇ。逃げられたか……」


 青嵐は苛立ち混じりに舌打ちを夜空に響かせた。


 精霊を穢す妖魔。影を纏う精霊。人影。全てが未知数のまま。このまま再び戦うことになれば、何が起きても不思議ではない。


「……あいつの口の軽さが気掛かりだが、まァー他に相談できる相手もいないしな」


 彼の脳裏に浮かぶのは真紅の長髪を靡かせる佳人。


 国魔連所属であり、組織のエースでもある彼女ならば何か分かるかもしれない。


 青嵐は一先ず退散することにした。これ以上ここに留まっていたところで、何の進展も望めないだろう。


(影法師とでも呼んでやるよ────次は殺す)


 殺意を胸の内に燻らせながら青嵐は姿を消した。

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