第六話 天使の歌声
マイケルは鍵盤を見つめたまま、凍りついように動かない。
アンジェラは白い息を口元から溢し、何言かを呟いて、目をとじた。
すう、大きく息を吸う。
ぱち、目を開けた。
「
消えそうなくらいの小さな声。
不純物ゼロの透き通るクリアボイス。
ぴくり、マイケルが反応する。
「
少しだけ勇気を振り絞り、声が芽を開く。
遠く、遠く、そして薄く響き渡るクリスタルボイス。
マイケルは驚いた。
彼女の歌声は、マイケルの三半規管を介さずに、直接脳を振るわせる。
「
彼女の唇から音がぽとり、こぼれ落ちて、広場に大きな波紋を作る。
冷たく澄んだ空気の中に、彼女の鈴音のような声色が浸透する。
伴奏は無い。
アンジェラの生の声、アカペラだ。
「
ブレスに混じるため息。
高空へ突き抜ける歌声は、白雪となって降り注ぐ。
──街往く人の足が止まる。
マイケルは無意識に鍵盤に指が触れて、ポロン♪ 弦を叩く。
アンジェラはマイケルに微笑む。
「
伴奏が入り、音に深さと奥行きが生まれ開花する。
アカペラでは得られない音色が、小さな広場を彩る。
喧騒が消える。まるで、街が彼女の歌声に耳を傾けているように。
「
街の足音が自然に広場へ。
初めは一人。そしてまた一人。
ぽつりぽつりと増え始める人の影。
雪の粒は大きくなり、ふわり、黒い譜面台に。
「
アンジェラは広場に一歩踏み出し、両手を大きく広げた。
一瞬の沈黙。
アンジェラはにこり、笑う。
「
眠る子供を慈しむ様な優しい声は、その場にいる人の心に消えて。
ふわふわとしたゆらぎだけが残る。
最後。
アンジェラは静かにしてね、とお願いでもするかの様に、唇に人差し指を当て。
微笑んだ。
静寂。
雪だけがしんしんと音を立て続けている中。
パチパチパチ……。
拍手がひとつ。
パチパチパチパチパチパチパチ……。
ふたつみっつと増えてゆき。
ワアアアアアアアアアア!!
歓声に変わった。
アンジェラは深くお辞儀をすると、もう一度歓声が上がり、アンコールの声も聞こえ始める。
アンジェラはちらり、マイケルを見た。マイケルが力強く頷くと、アンジェラは身体をサッと翻して、両手を使って観衆の視線をマイケルへと誘導した。
アンジェラは孤児院の出だ。孤児院では毎年のように教会でクリスマスソングを歌わされていたので、歌うことには抵抗が無い。大合唱の中にソロパートもあって、アンジェラはそのパートを担当していたこともあり、独りでアカペラで歌うことには慣れていた。
マイケルは緊張とも高揚ともとれぬ胸の高鳴りに、未だ震える両手で、パチン、頬を叩いた。
観衆の注目が彼の初めの一音に集められた。
つっ、とマイケルの頬に汗が伝う。
マイケルは、目をとじて心を沈めている──。
──わけではない。
彼は緊張と高揚の中、ピアノを弾きたいと言う欲望を剥き出しにしていた。
バクバクと高鳴る心臓は、16ビートを叩きつけている。
目はギラギラと眩しく光り、ぺろり、乾いた唇を湿らせると、ニッと歯を見せて笑った。
「アンジェラ、聴け! そして視ろ! これが夢だ!」
子供のように目を輝かせた
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