第10話

 尚里はうぅと情けなく呻いていた。

 外の開放的なプールに囲まれた、屋根のある一角。

 寝台の上に尚里は仰向けに寝て、アーリンに顔へ鎮静効果のあるクリームをパックされていた。

 ヒリヒリと赤くなっていた肌がクリームの冷たさで気持ちよく冷やされる。


「いかがですか尚里様」

「気持ちいい……気持ちいいんだけど、俺男なのに……」


 現在男なのに顔のエステ真っ只中ということが、尚里は何だか恥ずかしい。

 それもこれもアーリンの心配を無視して日焼け止めを塗らなかったら、顔が赤くなってしまったのだ。

 自分の肌は黒くならずに赤くなるのだと、知りたくもなかった情報を知ってしまった。

 クリームをコットンでふき取られ、やっと終わったと思っていると。


「さあ、次は体です」

「え!終わりじゃないの?」


 思わぬ言葉に素っ頓狂な声が出た。

 慌てて起き上がると、アーリンが寝台の横に置いてある籐の使われたテーブルからローションらしきものを手に取っている。


「顔ほどではなくとも腕や足も赤くなっていますからね。鎮静させてあげないと」


 どうやらこのエステタイムはまだまだ続くらしい。

 うつ伏せになってくださいと言われ、裸だった上半身にかけられていたタオルが取られる。

 もうどうにでもなれと思っていると。


「今日はパーティーもありますからね」

「パーティー?」


 セレブな単語が飛び出したなと首を傾げる。

 背中に冷やりとした液体が塗られてマッサージを始めたアーリンが。


「ぜひ出席なさいませ、イシリスも喜ばれますよ」


 ふうんと気のない返事を返しながら背中の施術が終わり、次はデコルテと言われてしまってまだ続くのかと起き上がったときだ。


「尚里、戻りました」


 プールサイドをルキアージュが歩いてきた。

 尚里を連れてくる予定がなかったので、休暇は終わってしまいルキアージュは帰国後すぐに仕事にとりかからなければいけなかったらしい。

 昨日は無理矢理作った休みだったのだろう。

 今朝は朝早くから仕事に行くことを謝られてしまった。

 もっともルキアージュが出かけてからずっと、アーリンによって施術をされているので尚里こそ暇ではなかったのだが。

 アーリンによって肩にタオルがかけられた。


「おかえり」

「はい、ただいま。それにしても」


 ルキアージュがくすりと悪戯気に笑い、尚里の頬を指の背で一撫でした。

 それにドキリと反応してしまう。


「な、なに」

「いえ、刺激的な姿ですね」


 艶やかな眼差しでそんなことを言われてしまう。


「な、なに言って」

「赤味は引いたようですね」


 どもる尚里を気にすることなく、サラサラと今度は乾いた手の平が頬を撫でる。

 耳に指先が触れた瞬間。


「んっ」


 思わず声が出てしまった。

 まさかそんな声が出るとは思わず、んぐぅっと喉を鳴らして呻く。

 けれど不埒な指先は、そのまま首筋へと流れ鎖骨をかすめた。


「ん、ちょっ」


 思わず体を引くと、パサリとタオルが背中へ滑り落ち上半身が露わになった。

 ルキアージュが目を細めてどこか熱っぽい眼差しを向けてくる。


「み、見るなよ」


 なんだかその眼差しに恥ずかしくなって、顎を引いてぼそぼそと言うと。


「ふふ、刺激的すぎて目の毒なので退散します」

「何言ってるんだ」


 ルキアージュの軽口に、尚里は女の子じゃないんだぞと内心思ってしまう。

 けれどうっすらと耳が熱くなった気がして、それを気のせいだと無理矢理考えないようにしたら。


「では、またあとで」


 流れるようなしぐさで右手を取られて手の甲に口づけされた。


「わっ」


 柔らかいその感触に、今度こそ顔に血が巡った。

 くすくすと柔らかく笑いながら、元来た道を戻るルキアージュ。


「裸見られて恥ずかしいとか、ないだろ……」


 男同士なのにとがっくりうなだれてしまう。


「平常心!」


 ピタピタと頬を手の平で叩いて落ち付こうとすると。


「仲睦まじくて羨ましいです」


アーリンに屈託なく笑われた。

 別に仲がいいわけじゃと言いかけたけれど、さあ再開しましょうと言われてしまい、再びまな板の上の鯉のごとく寝台に横になる。


「俺はただの旅行者なんだから……」


 ぽつりと口のなかで呟く。

 自分の言葉に、きゅっと胸が締まった気がした。

 でもそんなのは気のせいだと思い直し、尚里はアーリンに促されるまま目を閉じた。

 結局あの後も一時間近くアーリンによって体を磨かれた。

 花びらを浮かべたジャグジーに入ったり、足のむくみを取るためにもまれたりと、トータル四時間近くだ。

 終わった頃には体はピカピカ心はヘロヘロという状態でアーリンから解放された。

室内に戻り、お茶を用意しますねと言われたのでサンルームへ行くと、ルキアージュがテーブルについて書類のようなものを見ていた。

思わず立ち止まると、ルキアージュがこちらに気付きテーブルに書類を置くと立ち上がる。


「仕事?」


 邪魔ならと言いかけて、いいえと近づいてきた長身が首をゆるく振る。


「アーリンが飲み物用意してくれるって」

「そうですか」


 ひとつ頷いた長身がふいにかがんで顔を寄せてきた。

 まさかキスされるのではとぎゅっと目を閉じる。

 けれど何の感触もしないので、おそるおそる目を開けるとルキアージュが目前で笑っていた。


「ふふ、いい匂いですね」

 そのまま顔を離したことで、香りを嗅いだだけだと気づき一気に恥ずかしくなる。

「どうしました?」

「キ……いや、なんでもない」


 キスされると思ったなんて自意識過剰にもほどがあると考え直し、尚里は言葉を飲み込んでごまかした。

 そして話題を慌てて探し、先ほどのアーリンの言葉を思い出す。


「パーティーあるんだって?凄いな」


 しかしパーティーという単語にルキアージュが眉根を寄せた。


「女をあてがおうとしてくるので鬱陶しいだけです」

「え……」


 思いもかけない言葉に尚里は一瞬頭が真っ白になった。

 ルキアージュが自分をまっすぐ見ているから忘れそうだけれど、そういえば彼はこの国で王と同じ地位にいるのだ。

 女なんてよりどりみどりだという事実に、今さらながらに気付いた。

 それに、彼は結婚をしていた記憶があると言っていた。

 女性を選ぶのが当たり前だ。

 子供だって。

 なんだか胸にもやもやと鬱屈したものが回り始めて、尚里は思わず胸を押さえた。

 別に、過去のことだ。

 そう思っても気分は晴れなくて、思わず視線を落とす。


「尚里、どうしました?」

「いや、なんでもない」


 ふるりと首をふると、ルキアージュが探るように顔を覗き込んでくる。

 それに苦笑してみせると。


「よければパーティーへ一緒にと思ったのですが、具合が悪いなら……」

「俺も?」

「ええ、よければ。花嫁が来訪していることは周知の事実ですから。でも休んでいた方が」


 ルキアージュの言葉に。


「行く」


 反射的に尚里は返事をしていた。

 パーティーに行けば女をあてがわれるという言葉に、なんとも言えない気持ちになり嫌だなと思った時には返事をしていたのだ。

 尚里の反応に一瞬きょとりとしたルキアージュだったけれど。


「では一緒に行きましょう」


 柔らかく笑った。

 アーリンにパーティーへ出ることを告げると、再びエステが始まってしまった。

 今度は髪やら爪やらを手入れするらしい。

 ついでにボサボサの髪も散髪された。

 まさかそんな準備が必要なのかと驚いたけれど、アーリンがとても張り切っていたのでもう諦めてまかせることにした。

 夜になり、尚里は白いヒビリヤを着せられた。

 鏡で見ると、ヒビリヤは似合っていないのではないかと思ったが、ルキアージュとアーリンが手放しで褒めたので、一応おかしくはないだろうと思いたい。

 いらないと言ったけれど、いいえ絶対に似合いますと耳や腕輪もつけられた。

 動くたびにシャラシャラと涼やかな音が鳴って、何だか落ち着かない。

 対するルキアージュもヒビリヤを身に着けている。

 長身のしなやかな体付きがよくわかって、男っぷりが上がるというものだ。

 正直憎らしい。

 彼も同様に耳や腕に装飾をつけているけれど、肩で切り揃えられた白銀の髪だけでもいいのではというほど華やかになっている。

 尚里と違って目立たないものを身に着けているというのにだ。


「尚里、トゥルクロイドを」


 準備が整ったところで、ルキアージュが尚里に手を差し出した。

 ルキアージュが身に着けるのだろうと思った尚里は、胸元から鎖を引っ張り出す。

 すると青い石が光に反射してキラリと煌めいた。


「はい」


 首から取ると、鎖ごとルキアージュの手に乗せる。

 受け取ったルキアージュが鎖から指輪を抜き取った。


「鎖は私が預かっておきますね。尚里、手を」

「え……いや、まさか」


 当たってほしくない予感にサッと尚里の顔から血の気が引いた。

 そんな尚里の反応は無視して左手を取られると、するりと薬指に指輪が嵌められた。

 まるで吸い付くようにピッタリなサイズだ。


「ルキが嵌めた方がいいよ」

「いいえ、これは尚里の物ですから」


 怖い事を言わないでほしい。

 結局フルメルスタが迎えにくるまで、尚里は自分が指輪を嵌めることを反対したけれど勝利はしなかった。

 案内されたホールは扉が開かれた瞬間、なんというか非現実的だった。

 複雑な形から輝きを放つシャンデリア。

 右側の方には楽団が滑らかな音階を耳に心地よく奏で、左を見れば長いテーブルに色とりどりの料理が並べられている。

 室内は花と緻密な模様の描かれた天井や壁に囲まれていて、どこを見てもキラキラしている。

 場違いなんじゃとひるんだ尚里だったけれど、きゅっと左手をルキアージュに握られて少しほっとした。

 この体温に、何だかだんだん違和感を感じなくなっている気がしてしまう。

 ホールに一歩足を踏み入れると、ザッと二対の目達が尚里を貫いた。

 あれが、とか、まさかなどという声が聞こえてもくる。

 ひえ、と口の中で悲鳴を上げてしまうと、握られていた手に力が込められた。

 そのまま手を持ち上げられ、手の甲に唇を寄せられる。

 その瞬間にざわわと周囲が一気に騒がしくなった。

 けれどそれよりも、尚里は堂々と人前でも好意を隠さないルキアージュにドキリと胸が高鳴った。


(ドキッてなんだよ)


 一瞬自分でも驚く反応に、考えを払おうと内心で首を振る。


(人前だからだ、きっとそうだ)


 けれど周りはざわざわと先ほどの比ではないくらいにざわついている。

 何でだろうとと思っていると、ピルケットがにこやかに笑って近づいてきた。


「尚里様、いらしていただきありがとうございます。イシリス、生誕おめでとうございます」


 深々と頭を下げたピルケットに、慌てて尚里も頭を下げようとしたけれど聞き捨てならない言葉が聞こえた。


「生誕……?」

「? ええ、今日はイシリスの誕生日を祝うパーティーなのですが……」


 ピルケットが不思議そうに目をまばたくけれど、そんなことは気にしている場合ではなかった。


「誕生日なのか?」

「まあ、そうですね」

「言えよ!」


 大きな声はまずいと思いひそめたけれど、それでも強い口調になってしまった。


「気にしたことがなかったので」


 尚里の反応に、ルキアージュがわずかに眉を下げる。

 しかし尚里にとっては一大事だ。

 これだけさんざん世話になっているのだ。

 誕生日が来訪と重なっていたのなら、日本で何かプレゼントを買ったのに。

 といってもささやかな物しか無理だけれど。

 教えてもらえなかったことに、なんとなく面白くなさを感じてしまう。


「イシリス、生誕の贈り物を用意しました」


 新たな声にそちらを向くと、初めて王城に来た時に一瞬だけ顔を見た短髪に顎髭の男がいた。

 誰だろうと思ったけれど、完全にルキアージュにしか目線が行っていないので、歓迎はされていないのだろうなと当たりをつける。


「まずは私の花嫁に名を名乗るのが先だろう」


男のににやにやとした顔が一瞬、ルキアージュの冷たい声に引きつった。

 そしてどこか悔しそうな表情を瞳に乗せて、ようやく目線が尚里に向けられる。


「第一王子のブラコスタ・アルバナハルです」

 第一王子という言葉にアクセントをつけた物言いだ。

「暁尚里です」


 ぺこりと頭を下げるけれど、ブラコスタは下げる気配はない。

 ルキアージュの視線に気付いて、慌てて小さく頭を下げてきた。


「それで、イシリスには生誕のプレゼントを用意したのですが……ああ、花嫁様のプレゼントが一番最初の方がいいでしょうな」


 急に水を向けられて、尚里はぎくりと背中に緊張を走らせた。


「花嫁様はプレゼントは何を?よほど素晴らしいものをプレゼントするのでしょう?」


 尚里はブラコスタの言葉に口ごもった。

 プレゼントなんて用意していないどころか、たった今誕生日だと知ったのだから。


「あの、誕生日、知らなくて……」

「おや、花嫁ともあろうお方が!」


 ことさら大きな声をブラコスタが出すと、小さくくすくすと笑う声がそこかしこから聞こえてくる。

 カッと恥ずかしさで頬に朱が走った。

 笑いものにされている自分をルキアージュに見られるのが嫌で、ホールを出ようと一歩後ずさる。

 すると、ルキアージュが柔らかく微笑んだ。


「プレゼントならいただきましたよ、尚里」


 身に覚えのない言葉に尚里が目を丸くする。

 プレゼントなんて何も、と言いかけるとルキアージュが尚里に跪いて左手を取った。

「あなたに会えたことが何より一生の宝になりました」


 トゥルクロイドの指輪にキスをされたあと、ルキアージュが左手の甲を額に押し当てる。

 するとあのイシリスが!と悲鳴のような声が上がった。

 この行為は忠誠と服従のポーズだ。

 しかもマナを持つ者は額にマナが宿ると考えられており、触れられるのを嫌がるらしい。


「ば、ばか、こんなところで」


 あわあわと観衆の眼差しに耐えられなくなった尚里に気付いて、もう一度今度は手の甲に唇を押し当てるとルキアージュは立ち上がった。

 たわんでいた眼差しをさっと冷めたものに変えてブラコスタを睥睨する。


「それで?贈り物とは」


 ぐっとブラコスタが声を詰まらせた。

 しかし気を取り直したように、パンパンと手を叩く。

 すると、ぞろぞろと二十人ほどの女達がブラコスタの横で膝をついた。

 だれもかれもが華やかな色合いの衣装を着て、装飾品で着飾っている。

 化粧を施された顔はみんな整っていた。

 全員が若い娘なことに、思わず尚里は自分の左手にある指輪へ右手を重ねた。

 まるでそれを守るように。

 そのことに気付き、馬鹿な事考えるなと自分を叱咤する。

 ただ、それでも手は左手から離せなかったけれど。


「これは?」


 絶対零度の声がルキアージュの唇から放たれた。

 しかしブラコスタは気にした風もなく、にやにやと笑っている。


「私が用意した妻になる花嫁候補達です。一晩過ごせばとりあえず花嫁としての資格ありとみなされますので、好きな娘をお召ください」

「花嫁候補?おかしなことを言う。私の花嫁は尚里だ。こんなくだらないものが贈り物だと?」

「いやあ、あなたのためですよ」


 ねばついた声に、ルキアージュがひとつまばたいた。


「花嫁は花嫁としての力が何もない。まして、男では子供ものぞめないときたものです。イシリスの力が途絶えるのは嘆かわしい事」

「私は血族に関係なく生まれている」


 切り捨てるルキアージュに、いやいやとブラコスタは肩をすくめて見せた。


「結婚した記憶があるのですから子供のすばらしさはわかっているでしょう?ぜひこの娘たちをお召しください。トゥルクロイドを渡すのは時期尚早かと思います」


 結婚。

 子供。

 そんな単語が出てくるたびに、尚里の胸がきしんでいる気がする。


「妻子を持ったことは確かにあるが義務で持ったにすぎない。尚里を見つけた以上、する義務もない」


 ぴしゃりとルキアージュが言い切る。

 ピリリとした空気に、しかし男は尚里を見やって目をにたつかせた。

 そして合図をするように視線を女達へ向けると、五人程がルキアージュの前に進み出る。

 嫌な予感がして尚里はちらとルキアージュを盗み見た。

 けれど冷めた眼差しは変わっていない。

 五人が頭を垂れる。

 顔を上げた時、真ん中にいたのは腰までのまっすぐな髪に長い睫毛の綺麗な女だった。

 滑らかな褐色の肌の上を赤い髪がサラサラと流れている。


「ニニーカも急に花嫁候補から外されたのでは納得できませんよ。何度かお召しになっているのですし、お気に入りなのでしょう?」

「またご寵愛くださいませ、イシリス」


 ブラコスタのねばついた声とニニーカと言われた二十代半ばの女の声に、ひゅっと尚里の喉が鳴った。


(花嫁候補なんていたんだ)


 思い至らなかった自分がおめでたく感じるくらい、ニニーカは外見も年頃もルキアージュにピッタリだった。


(それに寵愛って……)


 体を重ねたことがあるということだろう。

 尚里は指輪に重ねた右手に力を込めた。

 まるですがるように。


「ニニーカは私も目をかけていて」

「だまれ」


 パンッとシャンデリアの大きなクリスタル飾りが音を立てて壊れた。

 まるで狙ったようにブラコスタたちに降り注ぐのを、慌ててそれまで黙っていたピルケットが風を起こして人のいないスペースへと吹き飛ばした。

 彼もマナを使えるらしい。

 真っ青になっていたブラコスタがキッとルキアージュを睨みつける。

 けれどそんなことを気にしている余裕は今の尚里にはなかった。

 ルキアージュのために集められた女たちの中にはニニーカ以外にも体を重ねたり、花嫁候補だったりした人がいるのかもしれない。

 そう思うと、胸が気持ち悪くなって息を詰めてしまっていた。


「尚里様、顔色が悪い。休まれますか?」


 気遣わし気にピルケットが尚里の方へ近寄り声をかけた。

 さらにひそりと囁かれる。


「大丈夫、イシリスはあなただけですよ。服従と忠誠を示したでしょう」


 元気づけるような言葉に、尚里が礼を言おうと口を開きかけたが。


「第二王子ごときがしゃしゃりでるな!」


 ブラコスタが大声で恫喝した。

 びくりと尚里の肩がそのあまりの剣幕に跳ね上がる。


「わめくな。すみません尚里の体調に気付かなくて。部屋に戻りましょう」


 指輪にすがっていた右手をやんわりと取られ、尚里はルキアージュにエスコートされるままにホールを出た。

 尚里にあてがわれている部屋へとルキアージュに送られているあいだ、薬はいるかだとか気持ち悪くはないかとか、とても気にかけられた。

 部屋の前へと着いても、傍にいていいかと尋ねられる。

 俯いている尚里に、心配そうにルキアージュが背中を柔くさすってくれた。

 それに押し出されるように、尚里はおずおずと口を開いた


「結婚して子どもがいたんなら、あのブラコスタって人の言う通り、男同士なんて不毛だってわかるだろ」


 言った後でズキリと胸が痛んだ。

 俯いているのでルキアージュの表情はわからない。

 背中をさする手が止まったことに、言わなきゃよかったと唇を噛んだ。

 どうも今日一日、情緒が不安定な気がして仕方がない。

 もう帰国した方がいいんじゃという考えがよぎった。

 ふいに両頬を温かなものに包まれ顔を上げさせられる。

 触れているのはルキアージュの手の平だった。

 少し低い体温に、何故か心臓が跳ねる。


「記憶にあるだけです。女と尚里をなんて、比べるべくもない」


 はっきりと断言された。

 それでも尚里のもやもやは晴れず。


「もう休む」


 ルキアージュから目線を外す。


「わかりました。ゆっくり休んで」


 頬から手が離れていく。

 その体温が離れていくと、どこか物足りなさを感じてしまう。

無理矢理その考えを尚里は振り切って部屋の扉を開いて中へと身を滑らせた。

部屋に戻るなり風呂をすませ、メインルームの窓際にあるソファーで、尚里はぼんやりしていた。

護衛についてくれているリーヤが、隅に控えたまま心配そうにしているのがわかる。

飲み物を取りに行ったアーリンも気遣わし気にしていた。

まあそうだろう。

 パーティーに行って三十分もしないうちに帰ってきたのだから。


「戻りました、尚里様」


 ノックとともにアーリンが室内へと入ってきた。

 その手には果物の浮かんでいる果実水と、食べやすい大きさに切られた数種類のフルーツの乗ったトレーが持たれている。


「お腹は空いていませんか?」


 テーブルに果実水の入ったタンブラーやフルーツの皿を並べるアーリンが柔らかく笑う。


「ありがとう、実はちょっと空いてる」

「いいえ、イシリスからの手配ですよ。パーティーでは何も口にしていないからと」

「ルキが……」


 どうしてこんなに心を砕いてくれるんだろうか。

 尚里を選んだ理由も教えてくれた。

 花嫁だからではなく、暁尚里だからだと。


「尚里様?」


 フルーツを見つめたまま固まってしまった尚里に、アーリンが眉を下げて名前を呼んでくる。

 それをぼんやり聞き流して、ブラコスタの言葉を脳内で反芻してしまう。


「ルキは……結婚して子どもを作るべきだって言われてるんだな」

「尚里様、それは」

「いや!男同士だしね、不毛だよな!」


 わざとらしく明るく言えば。


「そんなことありません!」

「そんなことありません!」


 アーリンだけでなくリーヤの声も室内に広がった。

 声が揃うなんて双子らしいな、なんて頭の隅で思う。


「でも、さ……」


 へらりと笑おうとして、唇が笑みの形にならなかった。

 上手く笑えず、慌てて口元を手で隠す。


「尚里様、イシリスは」

「ごめん、今の忘れて」


 ルキアージュの名前に反射的に尚里は遮った。

 今、ルキアージュのことを考えたくない。

 自分から言いだしたことだけれども。

 そんな尚里を見て、アーリンが眉を下げたままリーヤを見る。

 リーヤがこくりと頷くと、アーリンはきゅっと唇を引き結んだ。


「尚里様、僕はフルメルスタ様と交際しています」

「……は?」

「フルメルスタ様と恋人同士です」

「えええ!」


 いきなりの爆弾発言に、バカみたいにポカンとしたあと大声を上げてしまった。

 あの堅物そうなフルメルスタとアーリンが。

 年の差だとかも結構あるだろうに。

 驚きに目をパチパチとさせていると。


「傍にいるだけで安らぎます。ドキドキします、あったかい気持ちになります。僕の気持ちを不毛だと思いますか」

「まさか!」


 どこか穏やかな眼差しをするアーリンの言葉は、本当に相手を好きな事が伝わってくる。

 反射的に口に出していたけれど、男同士で不毛だなんて思わなかった。


「俺も、思いません」


 リーヤも穏やかな眼差しで口を開いた。


「最初は年の差とかで反対したけど、幸せそうにする顔見たらいいかなって」

「そっか……」

「イシリスもそんな顔をしています」


 リーヤの言葉に、え、と尚里は声にならない吐息を漏らした。

 今のアーリンのように幸せそうな満たされているような顔を、ルキアージュはしているだろうか。


「そう……かな」

「そうです」

「そうですよ」


 再びハモッた双子だ。


「確かにイシリスは僕なんかとは立場が違います。結婚すべきとか子供とか言う人はいるでしょう」

「うん……」

「でもイシリスを笑わせてさしあげられるのも、くつろいだ表情をさせてさしあげられるのも、尚里様だけです」


 ソファーの横に膝をついてまっすぐに見上げてくるアーリンの眼差しには、嘘もお世辞も浮かんではいない。


「ルキは俺といるときいつも笑ってる……」

「当然です」


 うんと双子が大きく頷く。


「……くつろげてる、かな」

「はい」

「勿論です」


 自信満々に答える二人に、ようやく尚里は小さく笑みを浮かべた。


「ありがとう」

「勿体ないお言葉です」


 アーリンが満足そうに笑うと。


「さあ、お食べください」


 テーブルの上の皿を尚里に示した。

 鬱屈した気持ちがほんの少し腫れた尚里は、こくりと頷いて熟している果実に手を伸ばしたのだった。

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