【BL】突然の花嫁宣告を受け溺愛されました

やらぎはら響

第1話

「え?」


 暁尚里は自分でも呆れるようなまぬけな声を喉から出した。


「今言ったとおり、店を閉めることにしたんだ」


 白髪まじりの黒髪を撫でつけている気のいいおじさんという風体の黒崎が、すまなさそうに眉を下げている。

それを尚里は呆然と見やり、何とか動揺を抑えて言葉を発した。


「えっと……体でも悪くしたんですか?」

「いや、違う」


 思わずよぎった想像を否定されて、尚里はいくぶんほっとした。

 けれど、ならば何故と平均的な身長の自分より拳ひとつぶん背の高いこのカフェのマスターを見上げる。


「俺が海外まわるのが好きな事は知ってるな?」


 こくりと尚里は頷いた。

 黒崎は海外を旅行するのが趣味で、このカフェの中にも各国で買って来たものが所狭しと並んでいる。

 カフェを始める前は一人で、あちらへフラフラこちらへフラフラと全世界を回っていたらしい。


「年齢的にも無茶できるうちにもう一度、世界を回りたくてな」


 黒崎の年齢は四十九歳だ。

 確かに体力的なことを考えたら世界を放浪するのには、黒崎がラストチャンスと考えてもおかしくはない。


「悪いな」

「いいえ」


 眉を下げる黒崎に、尚里はそばかすの浮いた地味な顔立ちに微笑を浮かべた。


「新しくカフェをやりたいって夫婦に貸すことにしたんだがな、そこでバイトとして働けないか打診したんだが」


 駄目だったのだろう。

 このこじんまりとした店で黒崎と尚里が二人で回してちょうどいいのだ。

 夫婦で営むなら、バイトは必要ないだろう。

 わざわざ自分の身の振りを考えてくれたことを嬉しく思い、尚里はことさら明るく声を跳ねさせた。


「またバイト新しく探すから大丈夫ですよ」

「すまん」


 うなだれる黒崎に、尚里は話題を逸らすためにそれでと言葉を紡いだ。


「アルバナハルに行くんですか?」

「行きたいんだけどなあ……あそこは自然保護に力を入れてるせいで観光業に力を入れてないから入国が難しいんだよな」


 うーんと髭のある顎を撫でながら黒崎が唸る。


「マナの使い手も多いんでしたっけ?」

「そうそう」


 肯定の言葉に尚里は、マナかあと呟いた。

 マナというのはこの地球上にある超能力のことだ。

 自然の力を恩恵として、水や風などを操ると言われている。

 現代日本では自然なんてほとんどないので、あまりマナの使い手はいないらしい。

 当然ながら尚里もそんな力を操る人間は会ったことも見たこともなく、眉唾ものだった。

 太平洋の海に浮かぶ小さくはない島国、アルバナハル王国。

自然豊かで、地球でもっともマナの使い手が多いと言われているらしい。

それだけで尚里にとってはおとぎ話のような世界だった。


「一生に一度は行ってみたいんだよなあ」


 アルバナハルは黒崎の憧れの国だ。

 この店内にも雑誌やネットから印刷したアルバナハルの写真や記事が、他の国の写真を圧倒するほどの数で飾られている。


「地下資源も豊富なのにAI分野や医療まで発達してて、義手なんかの開発も凄いんだよ!」


 興奮気味に語る黒崎に、くすりと尚里は苦笑を零した。

 アルバナハル好きの黒崎によるこの話は、実は耳にタコが出来るほどだったりする。


「自然が豊かで綺麗だから、それを壊さないように入国制限をしてる、でしょ」

「そうそう!小国でも無視は出来ないっていうな。国王のいる国家元首の完全君主制なんだけどな、唯一今の最高軍事司令官は国王と同等の地位らしいぞ」


 それは珍しいと尚里は関心した。

 普通は国王と同等の人間なんていないだろうに。


「しかもその司令官なんだけど、そいつは花嫁探しをしてるらしくてな。我先にってなってる人間は多いんだよ」


 これがまたいい男でなーとスマホをスイスイと黒崎が操る。

 ほらと見せられた画面には、黒い軍服に身を包んだ銀髪の男が写っている。

 あいにく不明瞭な画質の写真だったので、顔は整ってるらしいことしかわからないが。

黒崎はとても楽しそうだった。

 こんなにアルバナハルが好きなのかと思わず関心してしまうけれど、黒崎は途端にしゅんと肩を落とした。


「まあ、そういうわけだから、本当に悪い」

「いえ、アルバナハルにも行けるといいですね」


 にっこりと黒崎が気にしないように笑って見せる。

 黒崎がまだ何か言いたそうだったけれど閉店時間を過ぎていたので、尚里は看板下げてきますとそそくさと入口のドアから出て行った。

 あとにはチリンとベルの音だけが小さく鳴った音だけが響いた。

 夜七時。

 閉店作業を終わらせて自宅に帰りながら尚里は、はあと溜息を吐いた。

 思わぬバイト先の消失に、気分は重くなるばかりだ。

 尚里は今現在、二十歳だ。

 高校卒業と同時に実家と断絶した。

 父親の元嫁の連れ子という尚里は、再婚した家庭の誰とも血がつながっていない。

 母親は五歳の時に出ていき、父親が六歳で再婚した。

 当然家の中では邪魔者扱いで、頼りにしたり甘えたりということは出来なかった。

 そのせいか友人とも一線を引いてしまい、高校にいたっては少しでも遅く帰るためにバイトを毎日していた。

 そのバイト先が黒崎のカフェだった。

 事情を話した黒崎が破格の時給で雇ってくれて、そのまま今に至る。


「あー……どうしよ」


 くせ毛を通り越して美容院代を渋ってボサボサの髪を、溜息と共に指先でかく。

 そうして人通りの少ない路地裏に入ると、そこにはひっそりと尚里のねぐらが見えてくる。

 築七十年の木造オンボロアパート。

 今にも崩れそうな壁面。

 途中で折れている排水パイプ。

 窓にはヒビが入っておりガムテープで止められている。

 台風でもくれば、一瞬で倒壊しそうなアパートだ。

 少なくとも今までは奇跡的に生き残っているけれど。

 一応風呂とトイレは付いている。

 都心で破格の値段で見つけた、尚里のあまりにつつましやかすぎる城だった。

 まあ、済めば都だ。

 といっても尚里のほかに人はいないのだけれど。

 見えてきた自宅の扉に、鍵をポケットから取り出して近づくと、その古ぼけた扉のノブに黒い紙袋が掛けられていた。

 おそるおそる中を覗いてみると、そこには。


「うわぁ……」


 どぎついパッションピンクのプラスチック製品がこれみよがしに入れられていた。

 性玩具。

 所詮ディルドというやつだ。

 ただでさえ沈んでいた気持ちが、さらに急降下していく。

 尚里は乱暴に紙袋をドアノブからひったくるとそのままゴミ捨て場に直行して、荒々しくそこに投げ捨てた。


「まったく!」


 実は半月以上前から続いているこういった行為に、家に帰るたびに尚里は嫌な気持ちを味わっていた。

 時におにぎりだったりだったり時にこんな玩具だったりとバラエティー豊かな贈り物が週に二回は届くのだ。

 こんなやせっぼっちのそばかす顔に何故こうも粘着しているのかと、甚だ疑問だ。

 乱暴に玄関を開けて部屋に入ると、豆電球をつける。

 電気代の節約のために、基本的に尚里は豆電球で生活していた。

 今日は持って帰ってきた店の残り物があるが、さきほどの玩具のせいですっかり食欲はなくなっていた。

 ちなみに普段はもやしと豆腐にお世話になっている。

 水道代節約のために五分でシャワーを終えると、ぺったんこの布団へと滑り込む。

 夜はすぐに寝ることで電気代をさらに節約だ。

 目を閉じて数時間たった頃。

 キイ、パタン。

 キイ、パタン。

 物音が聞こえて尚里は目を覚ました。

 リサイクルショップで手に入れた目覚まし時計を見れば午後十一時。

 この辺りはこのアパート以外は空き家や空き地だし、住民も尚里だけ。

 そして音の大きさからして尚里の部屋の前だろう。

 布団から起き上がり、玄関の方を目を凝らして見た。

 すると。

 キイ、パタン。

 古い扉についている郵便受けが開けられては閉まる音だと気づいた。

 扉の内側には郵便の受け取り口があるだけで、受け皿などはないので、部屋の中を覗けるはずだ。

 それに気づくと、ゾワゾワと気持ちが悪くなる。

 布団を頭までかぶって音を遮断しようとしたけれど、その音は明け方まで鳴り止まず尚里はまともに眠れなかった。

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