第46話 大和田家からの脱出

 闇夜に輝く篝火かがりびの如く、それは煌々と漆黒の闇を切り裂くように燃え盛っているように見えている。


 廊下や天井、ドアの隙間などから近づいてきていた悪い気配は近寄ることさえできないようだ。


 だが、その時だった。


 ドンッ! ドンッ!


 二階の床を鈍器で叩くような轟音が響き渡る。


 「本条が先導して家から脱出だ」


「はい!」


 陽菜子が真由を抱っこしながら玄関に走る。


 開いていたままのドアがバタン! と閉まるも、「よいしょっと」 陽菜子は躊躇なく玄関ドアを強引に開いた。


 黒い霧が阻もうとドアの付近に集まるが、またもや陽菜子の力によって霧散していく。


 そして大和田は、椅子から立ち上がり皆の家からの脱出に気づいて「ああああああああああああ!」と叫びだしている。


 両腕をばたばたと振り回し、近くにあったカレンダーが吹き飛んだ。


 尋常な力ではない。抑制を失って振り回される腕に当たれば、八神はガードできても大和田課長の骨折は免れないだろう。

 その姿は、あの柴山の支配下にあった作業員たちの狂暴ぶりを想起させるには十分すぎる異変だった。 


 ここで八神はするりと後方に回ると、大和田課長の首に手を回しチョークスリーパーのように首を締めあげた。


 「がああああああああがああああ!」


 数秒、抵抗するかのごとと腕を振り回していたが、八神は家具類から遠ざけ怪我をしないような位置で彼を締め落とすことに成功した。


 そのまま息をつく暇もなく彼を肩に背負い玄関へと向かう。


 そこには本条陽菜子が、灯台のように道しるべとなって玄関を開けたままにしてくれている。


 ドンドンドンドン! まるで鼓動のような足音が階段を駆け下りてくる。


 小走りに玄関を走り抜け、陽菜子が手を放すと同時にバタン! とドアが閉まった。


 八神は大和田課長が着ていたスーツのポケットから、ガチャガチャと金属をしていたのを把握していたので、鍵を取り出すとそのまま施錠し敷地から道路へと飛び出した。


 すぐに小林がハイエースのエンジンをかけ皆を誘導する。


 津村がぼーっとする奥さんをお姫様抱っこしたまま乗り込み、陽菜子は震える長男もまた抱きしめながら真由と一緒に隣に座らせた。


 そして大和田課長を小林と二人がかりでハイエースに押し込みなんとか目標を達成できそうだと思ったときだった。


 最初は何かが車に当たったような感覚だった。


 パン、パパン、バン、バンバンバン!


 ハイエースが人の手のようなもので叩かれまくっていた。


 とうとう恐怖に耐えきれず真由が泣き出し、釣られて兄も泣き出した。


 奥さんはまだぼーっとしていたが、小林は運転席に戻って車を発進させようとしてもたついている。


「早くここから距離を取りましょう小林さん」


「だ、だめだ! 車輪がロックしちまってるみたいだ!」


「八神、これはやばいぞ、逃がさないっていう明確な意志を感じる」


 ちょうどタイミング良く意識を取り戻した母親が悲鳴を上げ、妹の真由が抱き着く。

 虚ろながら事態を把握していたらしい母親は、真由と長男を必死に抱きしめうずくまっていた。


 「小林さん! 俺が外へ出て対応するんで例のあれを頼みます」


 八神がドアへ手をかけると同時に車体の全体に水音が響き渡る。


 勢い良く放出される水がどうやら車体の天井から流れているらしく、ハイエースを叩いていた音が止まり、泥のついた手形が洗い流されていく。


 「出る!」


 ドアを開けてばっと飛び出し、締めようとしたときだった。


 あろうことか陽菜子が「えいやっ!」と飛び出してきたのだ。


 「おい!」

「だってパートナーがいないと違反になっちゃうじゃないですか」


 「俺の後ろで待機しておけ」

「はいな!」


 元気の良さに思わず心に余裕が生まれていく。

 本当にお日様みたいな娘だ。


 八神はハイエースから放出される簡易的な浄化作用のある霊水の放出が終わったのを確認した。

 まだ泥がこびりついている箇所はあるが、霊的にもほぼ近づけなくなっているようだ。


 だが、八神がハイエース後方から後部のタイヤを見たとき、それは驚愕に変わった。


 無数の手が2本のタイヤを押さえつけ、車輪が浮き上がりロック状態にあったのだ。


 「ここまで物理現象に介入してくるとは、どれだけの穢れと因縁がこの家にあるんだ」


 ここは大和田家の道路に面したオープンタイプの駐車場であり、敷地から逃すまいとする確固たる意志を感じてしまう。


 「なんかタイヤが浮いてます? この駐車場歪んでるのかな?」


 陽菜子が暢気なことを言ってはいるが、八神は覚悟を決める。


 左手を突き出すと、念を込め、練り上げる。


 まだ本調子じゃないので、軽々に使うなと白鷺美冬から念を押されていたがここは使いどころだと覚悟を決める。


 己の中に破邪の意識を集中させ、穢れ無きアギトで邪悪なものを噛み砕くイメージ。

 これが長年の研鑽で身に着けた、八神のお祓いの方法だった。

 だが、人に向けると力が強すぎるため安易に使えないのが欠点ではあったが、こういう状況においては無類の強さを誇る。


 見えない牙で噛み砕かれるかのように、手は黒い霧、泥となって地面に吸い込まれるように消えていく。


 その時、周囲には断末魔の悲鳴と絶叫がこだましている。これは近所迷惑で通報がくるかもしれない。


 タイヤがロックしたので、復帰作業中に騒音になってしまったということにしておこう。

 そう言い訳を思いつき、八神は行けと手振りではハイエースの発進を促した。


 キュルルル と若干タイヤを滑らせながら、ハイエースは勢いよく出発した。

 

 「ふぅ、あの悲鳴の対応で所轄署に連絡しておいたほうがいいかもな」


「悲鳴? そんなの聴こえました?」

「……お前は聴こえなかったのか?」

「車を叩く音は聴こえましたけど、悲鳴なんてあったかな?」


 霊能がない人間からするとこういうことのなのだろう。

 このとき八神は初めて、霊能がない人間が霊事課に加わることの有効性について意識できたとも言える。


 「とりあえず車に乗って報告をしておこう」


 愛車のアルファロメオに乗り込んだ八神は、霊事課に今でもいるであろう人物に連絡を取った。

「増田さんやっぱりいましたか」

『データベースの運用が軌道に乗ってきましたからね、佐々木さんと一緒に運用面でのフィードバックとかもらってるとこなんです』


 増田はサイバー犯罪対策課から正式に引き抜かれ、本人もたっての希望で霊事課へと転属となっていた。

 彼はいわゆる椅子の人への憧れが強く、各班のサポートと支援、そして様々な事件や古地図、転居や転入などの行政記録をAIを通してデータベースの作成を担っている。


 「送っておいた住所なんですが、何かいわくや因縁、住居が建つ前の情報、事件事故などはどうでしたか?」


『ここはずっと住宅地で戦時中は空襲を受けた地域になるので、死傷者がいなかったかと言われるとあると思われます。他には過去、斬首場、処刑場、墓地、その他の因縁のある土地との記載は見つかりませんでした』


 「近隣の寺、墓地との対角線上に位置していたりとかはどうでしょう?」

『はい、地図上では対角線上からはずれていますね』


 「河川や沼地跡、もしくは暗渠あんきょ(地下を流れる川や水路)はどうでしょう?」


 『現状確認できませんが、念のため水道局のデータを確認してみます』


「現状、暗渠や因縁や土地の問題もない、ということか」


「因縁とかあるとどうなっちゃうんですか?」


「悪いものを呼び寄せる、入り込みやすくなる。さらに悪いものがたまる、という風に負のスパイラルが生まれてしまうことになる」


「なるほど! 誰かがゴミを捨てると、また他の誰かがそこにゴミを捨てる的なあれに似てますね」

「まさにそうだ。だが今回は何か違和感がある」

『データベース化されていない紙ベースの情報も、日本にはたくさんありますからね、というより世界で一番あるんじゃないかな? なのでまた調べてみます』


「増田さん助かりました」

『……まーちゃん、終わったらご飯いこよ、お腹減っちゃった。えっと、佐々木さん!? あ、ああえっと、お疲れ様です八神さん! 本条さん』


「……ええのう若いもんは」

「お前だって若いだろう」


 今まで霊事課のシステム面を担っていた佐々木は、仕事が奪われて機嫌を損ねるかと思いきや増田の技量に感心し、今では一緒になってシステム構築で議論を繰り広げている。


 見た目がギャル系の佐々木と、オタクのぽっちゃり増田は犬猿の仲になりかねないと心配していた人もいたようだが、ふたを開けて見ればなんとストロベリーな展開で浅野などは機嫌が悪い。

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