第45話 大和田家

 「あなたが遭遇した怪異を語るとき、どうしてそんなにうれしそうなんですか?」


 隣に座る島田が、感じたことがないであろう恐怖でさっと距離をとり救いを求めるように課長を見ている。


 「う、うれしそう? そんな、私は辛くて辛くてしょうがないのに!?」


 八神は確信した。大和田の笑みは、精神的に追い詰められた人が示す引き攣ったものではなく大事な家族の話をするような穏やかな微笑みであったと。


 「課長、303を要請します」

「了解した」


 課長はスマホを取り出すと、霊事課へ連絡し指示を出す。

 さすがに判断が早い。

 八神は本条陽菜子がまだ残業していることを思い出し、連絡を入れる。

 「本条か、そっちに303の命令が出たはずだが把握できてるか?」


『303ってたしか緊急保護案件とかでしたっけ? 今課長の指示を受けた人たちが

 準備の手配をしているようです』

「そんなようなもんだ、霊事課で動けそうな奴いるか?」


『スピーカーにします』


「聞いての通り、303だ。動ける奴いるか?」

『八神! 小林と津村だ。今課長から指示が来たんで霊事課のハイエースを準備中だ』


「助かります。この後該当者が帰宅後すぐに家族を連れて出てくるので、セーフハウスへ移送します。自宅住所は後程転送予定」


『セーフハウスってそこまでか?』


 廊下で話ながらも、大げさで済ませてはいけないこの感覚を言葉で説明するのは難しい。


「俺の予想ではもう数日の猶予もないですね」


『分かった! 美冬ちゃんのフォローも必要なんじゃないのか?』

「そっちには俺から、ってもう連絡が来たようです。じゃあセーフハウスのほうの手続きもお願いします」


「まかせとけ」


 八神は大和田にこれから緊急で保護する必要があること、帰宅後すぐに家族全員で家を出ることを説明した。


 「あ、明日じゃだめなのか? 私にも仕事があるんだ」

「宿泊の準備なんかをしている時間はありません、ご家族がそろったすぐに家を出てください。迎えのハイエースをよこしますので」


「し、島田、ちょっと大げさすぎやしないか? なあ」


「大和田、悪いことは言わない。彼らはプロフェッショナルだ。厳密には機密ではないのであまり口外することでもないと黙ってはいたんだが、、この八神君はあの柴山雅人を追い詰め拉致されていた少女を救出した刑事だ」


「あ、あの!?」


「急いだほうがいいでしょう。今はタクシーなどを使ってもらって自宅に帰るとしたら、帰宅は何時ごろになりますか?」


「道路事情もあるが、21時には帰れているはずだ」

「では21時30にはご自宅前に迎えに行きます、道路事情による前後は了承ください」

「君も来てくれるのか?」

「はい、貴重品とか着替えとか明日の仕事の書類とか、子供たちの宿題なんてことは二の次三の次でお願いします」

「わ、分かった」


 八神が柴山逮捕に関わっていたと知ったとたん、手の平を返すまではいかないものの大和田の態度は好転した。


 勤続年数の違いはあれど、本条陽菜子とのあまりの違いに彼女がかなり異質な存在なのではと思うようになってきていた。


 ◇


 実は心霊関連のトラブルは、命の危機に関わるまで事態が悪化したときにようやく表に霊障が出てくるケースは多い。

 そうなったときには時既に遅いケースがあるため、基本的に霊事に関しては緊急対応がいつでもありうるというのが霊事警察の基本的な行動方針なのだ。


 心霊スポットに行ってから怪現象に悩んでいると霊能者に相談すると、すぐに来るようになどという逸話は良く聞くことだろう。


 大和田家に到着するも、なぜか後発したはずの小林と津村のハイエースが先着していた。

 時刻は既に21時50分。


 「何してんです小林さん」

「ああ八神か、いやなあぁちょっと面倒なことになってる」


「ウーバーとかぶっちゃったとかですか?」

 暢気な陽菜子の言動に少し安堵したのか、元機動隊の小林は目の前の洒落た一戸建てを指さした。

 「迎えに行ってチャイムを押したんだが、なかなか出てこなくてな。5分ぐらいしたら、インターホン越しにやっぱりここでそのまま暮らすって切られたよ。何度もノックしたりもしたんだが、近所迷惑で通報されてもあれなんでお前の到着を待ってたんだ」


 元交通課の津村は何かとひょうきんでいつも冗談ばかり言っている男ではあるのだが、今回ばかりは首をかしげていた。

「なあ八神、そんな突然気が変わるとかあるか?」

「事態は深刻ですね、強制的に身柄を保護する方向にしましょう」

「おう、賛成だ」

「そうしましょうか」


 男たち3人の様子を見て、陽菜子は不思議そうに後をついていく。


 そして……


 「これは」

 八神は思わずインターホンと玄関のドアノブを見て言葉を失った。

 少なくとも、小林、津村、八神の3人、つまり霊能力を有する3名には見えていた。


 人の手のようなものが触れさせないとでも言わんばかりに複数絡み合っている様子が。

 しかも良いものであるはずがなく、腐った手や、指が千切れた手など、目をそむけたくなるようなものが絡み合う。


 「小林さんどうやってインターホン押したんです?」

 「いやその、あそこの傘でな、ちょんと」

 

 「あのさっきからいったい何してるんですか? じゃあ私入っちゃいますよ」


 後ろからにょっと現れた陽菜子は、何度かインターホンを押して返事がないと分かると、そのままドアノブに手を回してしまった。


「本条ちょっと待て!? は?」


 陽菜子が触れようとしたインターホンやドアノブに絡みついていた手は、まるで防波堤で群れるフナ虫のようにさっと散り散りに消え去っていく。


 ガチャリ


「なんだ開いてるじゃないですか、ごめんくださいーい。警察が迎えにきましたよ~」


 しばらくあっけにとられた3人は、慌てて陽菜子の後を追う。

 まるで陽菜子がいた、通った空間だけ浄化され悪いものが近寄れないかのような状況になってしまっていることに、小林たちは驚き固まってしまっていた。


 お祓いや真言の類を行使していないのに、なぜこのようなことができるのか。

 八神はなんとなく、本条ならと思い直し彼女の後を追って大和田家のリビングへと足を踏み入れる。


 真っ暗な廊下の奥から漏れ出る薄明りの気配。

 

 まるで夜中に誰かが明かりもつけずに冷蔵庫を開けているような、暗さに浮かぶ異質な光。


 その奥から、とっとっと

 小柄な人影が陽菜子の前に現れる。


「お、お姉さん?」


 8才ぐらいのツインテールをした女の子は、思わず陽菜子に抱き着いた。

 陽菜子はすっと腰をかがめて女の子を抱きとめる。

「大丈夫? みんなをお迎えに来たよ」


 何かにじっと耐えるような女の子、大和田真由は震えつつも絞りだすような声で陽菜子に懇願した。

 「みんなを助けて……」


 「うん、先輩! ご家族は奥のようです」


 八神は数秒その様子を食い入るように見つめていた。


 闇夜に浮かぶ蝋燭のように、陽菜子がくっきりと優しい光を放って子供を抱きしめている。


 その闇夜の周囲には人ならざる者たちが、手や目、崩れた顔を苦痛に歪めながら這い出そうとしているものの、陽菜子の放つ陽の気に怯え近づずにいた。


「本条はそのままその子を抱いてそこで立っていてくれ!」


「え? は、はい」

 

 陽菜子は八神の指示に違和感を感じたものの、この人の指示は間違っていたことがないと思い直し真由を抱いて立ち上がる。


 「大丈夫だからね、怖そうに見えるけど優しいおじさんたちが助けてくれるからね」


 おじさんじゃない と小林たちは突っ込む余裕すらなく八神の指示を聞いた。


 「小林さんは長男、津村さんは奥さん、俺は大和田課長を連れて家から脱出する。本条はその位置で待機」


「はい」


 陽菜子は両手の中でぶるぶると震えながら、家族が心配で様子を見ているこの子を守ってあげたいと強く思う。


 その思いに対し陽菜子から発する気が、より暖かさを増していく。


 「す、すごいな」


 長男をおんぶした小林が思わず呟いた。


 闇夜に輝く篝火の如く、それは煌々と漆黒の闇を切り裂くように燃え盛っているように見えている。


 廊下や天井、ドアの隙間などから近づいてきていた悪い気配は近寄ることさえできないようだ。

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