第41話 八神家の異変

 ◇


 八神が復帰後、約一ヵ月は情報支援室をマスコミから隠すために表立った行動ができずに、所轄からの相談業務や退魔研修などの業務が主だった。


 八神と陽菜子が相談業務で所轄署に顔を出し、資料を読み込みながら霊的ビジョンを含めたプロファイリングで情報支援を済ませた傷害事件の処理が終わって一息ついていた時のこと。


 「八神先輩! スマホ鳴ってますよ」


 いつの間にか隣にいた本条が肩をちょんちょんとつっついた。

「つい考え事をしてたよ……!? 母さんから」


 『きょうちゃん! たすけて! またあれが出たの!』


 「落ち着いて俺が渡した護符を持って待ってて! 今から行く!」


 駆けだしたとたん、急に立ち止まった八神は本条に告げる。

「本条すまないがプライベートで問題が起きた、悪いが電車とバスで帰宅してもらえないか? 後でその分は支払うから」


 「気にせず急いでください! ランニングがてら帰りますので」

「本条すまない」


 八神でもあれほどまでに焦ることがあるのだと、意外というよりもどこかうれしい気持ちが沸き上がってくる陽菜子だった。


  

 ◆


 夕暮れ時、茜色に染まるリビングの端で震える人影が二つ。


 中1頃の少女とその母親らしき二人が抱き合って必死に耐えている。


 「だ、大丈夫だからね、恭ちゃんに電話したから」

 

 「お、おにい! たすけて! おにいい!」


 ガタン ガチャリ


 唐突にドアが開く音がリビングを震わせた。

 電気は突然消え、かろうじて夕暮れの赤さが部屋を染め上げているものの、数分もすればここは暗闇が支配する空間になってしまう。


 二人にとって暗闇が浸蝕していくその時間が、恐怖を加速させていく。

 既に30分以上こうして母娘で耐えていたが、限界に近づいている。

 「お、おにぃ、こわいよお おにいおにい!」

 「早く来て恭ちゃん! うう、どうかどうかパパ、さくらだけでも守ってクダサ……」


 ヒタヒタ……


 戸建て住宅の一階リビングには何かが歩く音が波紋のように周囲に染みわたっていく。


 二人は、既に金縛りにあっていた。

 目だけが動かせる状態で、ただひたすらに近寄ってくる足音に怯えるしかない。

 

 ヒタヒタ…… また数歩、二人へ近づいてきた。


 ハァ……ゼハァ……


 荒く、喘鳴にも似た呼吸音が耳元で聞こえた気がした。

 

 (いっそ気絶できたら楽なのかもしないけど、さくらを守らなきゃ!)


 その思いがかろうじて意識を繋ぎとめていた……

 

 視界の上方から、何かがぬーっと姿を現す。


 焼けただれたような皮膚がべろりと垂れ下がる赤黒い顔、頭部らしきものが覗き込んできたのだ。


 バァ……ヒュー…… ゼェハァ……


 その顔に目はなかった。

 黒い穴となった眼窩の黒さがひどく精神をぐらつかせる。


 赤く長い舌が、じゅるりとこぼれおちるように目の前に垂れ下がった。


 恐ろしすぎてもう、感覚がマヒしかけていた。

 上から骨ばった手で顔を掴まれた母親、そして奴はその爛れた顔で笑みを浮かべたのだ。


 『 カオ チョウダイ…… ギュヒヒヒヒ…… ニチャァ…… 』


 恐怖が上限を超え、意識が飛びかけた時。

 

 焼けただれた顔がふっと視界から消えた。


 「母さん! さくら!」


 気づくと金縛りが解けている。


 力強い何かに抱きかかえられ、二人は立ち上がる。


「無事か!?」


「お、お、おにいいいいいいい! 遅いんだよばかあああああああ!」


 さくらは、おにいと呼ばれた八神恭史郎の胸のあたりをぽかぽかと叩きながら泣いている。


 「きょ、恭ちゃん!」


 部屋の隅から赤黒い影がすっと逃げていくのを見た八神は、湧き上がる怒りを必死に抑えながら追いかける。


 そこは、水場。バスルームだった。


 焼けただれた男の霊ではあったが、ひどく怯えており悲鳴と罵声を浴びせてきた。


 『 キィイイイイイイ! ボゲェェェ! ゴミガアアアアアア!』


 「ゴミはてめえだ! 俺の家族を傷付けようとしたな! 絶対に許さねえ!」


 その気迫のすさまじさに、周囲のシャンプーや洗剤の入った台がカタカタと鳴り始めていく。


 『ギャヒイイイイ!』


 霊的存在だからだろう、八神の発する怒りにの前に完全に怯え切っていた。


 内ポケットから取り出したのは退魔班が支給している退魔用護符であった。

 左手の力を使うか一瞬迷い、選んだのは護符。

 美冬から、まだ本調子じゃないので無理しないように言われいてたことが脳裏をよぎったからだ。


 「ナウマクサンマンダ バザラダンカン!」


 悪霊よ、滅せよ!


 不動明王の降魔の炎で焼きつくされる悪霊の姿をイメージしながら、護符を奴へと叩きつける。


 『ギャアアアアアアアアあああ! アヅイイイイイイ! タズゲデエエエエエエエ!』


 八神はただ、降魔の炎で浄滅されていく悪霊をじっと見つめ続けた。


 俺の家族を、守るべき家族を、また、また奪おうというのか!


 ユルサナイ、絶対に許さない!


 数分ほど、八神は悪霊の姿が消え、清浄な空間を取り戻したバスルームで立ち尽くしていた。

 そこには風呂の蓋の上に散らばっている灰となった護符。


 あまりに固く握りすぎた拳の痛みで我に返ると、奥から母親の八神詩織と、妹のさくらが、恐怖と戦いながらも八神を心配で見ている姿を見て、ふっと力が抜ける。


 「ごめん、心配かけた。もうやっつけたから大丈夫だ」


 「おにいいいいいいいいい!」


 妹のさくらが抱き着いてきた。と思ったらぽかぽかと頭を叩かれる。

 

 正面から抱っこしてきたさくらだが、そのまま八神の頭を叩いている。痛くはない、じゃれているし照れ隠しのつもりなのだろう。


 「おにいいいいいい! おそおおおおおおおおおい!」


 「ごめんなさくら」

 

 微かに震えるながらぎゅっと抱き着くその背中をやさしく抱きしめた。

 さくらの体温が、生きている、無事でいてくれたという精神的フィードバックを与えてくれたのだろう。


 ほっと安堵の感情が全身を包む。

 「怪我はない?」

「うん」

「母さんは大丈夫?」

「私は大丈夫よ、それよりも恭ちゃんは大丈夫なの? どこか怪我はしてないの? 病み上がりなんだから気を付けてね」


 「俺は大丈夫だよ、はぁ 二人が無事で本当によかった」


 その一言に、母親の詩織は何かを察したのだろう。

 駆け寄って恭史郎とさくらを力強く抱きしめる。


 「パパが守ってくれたのかもしれないわね」

「きっとそうです」


 ・

 ・

 ・


 さくらは先ほどまで怯えていたとは思えないほどに、リビングで一緒にゲームをしようと甘えてくる。

 「じゃあ1戦したら宿題ちゃんとやるんだよ」

「だめえ! おにいとの久々の対戦なんだから」


 「ほらほら二人とも、もうすぐご飯よ」

「はーい!」


 母の詩織が作るハンバーグは絶品だった。


 オーブンで焼き上げるのだが、中からはトロトロのチーズが溢れてくる。

 ハンバーグが好きな八神は外でもよく食べるものの、詩織のハンバーグに匹敵する店はまだないほどだ。


 「ほんっと最高だな」

「ママのハンバーグは世界一ってまじで思うよ」


「パパも大好きだったから、今日のお礼に仏壇に供えておかないとね」

「食べ終わったら、みんなでお線香をあげようか」

「そうだね、パパは寂しがりだったしね」


 仏壇にはいくつかの写真が飾ってる。

 10歳ごろの恭史郎と、若い詩織、そして二人をがっつりと抱き寄せる長身で筋肉質の豪快な印象を持たれるのが八神琢磨。

 

 詩織の夫であり、八神が尊敬し人生の恩人と敬う人物だ。

 親戚中をたらい回しにあっていた恭史郎を引き取ってくれた大恩人。


 仏壇の隣には遺影と八神琢磨の名が記された弁護士免許が飾ってある。

 

 若くしてガンでこの世を去ってしまった八神家の父親。


 その時だった。八神の霊的感覚が何か、違和感を察した 

 (教えてくれている?)


 「さくら、何か変わったモノ、奇妙な模様とか、そういうモノ、もらったり買ったりしたか?」


 「ああ、またおにいの超能力? 霊能力? そんなのないって……」

 

 「ちょっと部屋を見せてくれ」

「別におにいならいいけどさ、さくらも一緒にいくからね」


 詩織が食後のコーヒーを入れてくれている間、八神はさくらの自室へと向かう。


 さくらは中1でありながら、ティーン向けの読者モデルもしている、美少女と断言していいほどの容姿をしている。


 ツインテールを揺らしながら、さくらは呟いた。

「おにいは今日、泊まっていきなよ。部屋もそのままなんだし、怖いからさ、一緒に寝よ?」

「まったく甘えん坊だなぁ」


 と言いながらも、八神はこのさくらがかわいくて仕方がない。


 以前に同級生に告白されたと知らせてきたときは、早退して駆けつけたほどにはシスコンである。


 「おっ? ちゃんと片付いてるじゃないか」

「だっておにいがうるさいんだもん」


 さっと見渡してみて、八神は脳に刻まれた視覚記憶をもう一度脳内で整理して見直す癖を発動してみた。


 何度か見渡すと、違和感のある個所にぱっと焦点があったりする。


 「!?」


 勉強机の隣に置かれた大きめの封筒が目についた。

「これは?」


「ああ、これはさくらが載ってる雑誌を編集部が送ってくれたやつだ。たしかプレスリリース向けに多めに刷ったぽい? とかなんとか」


 手にとった瞬間、これはまずいものだということが本能、直感で理解できた。


 「さくら、キッチンから大きいお鍋とライターを持ってきて」


 「え? う、うん」


 さくらが階段を駆け下りていく中、八神は雑誌を開いて問題のページを探り当てた。


「こいつは」


 ” 恋愛おまじない特集 ”


 見たことないような文様のお札が切り取線までつけて印刷してある。


 その一つが、霊的な何かを引き寄せてしまうものだということが八神でさえ理解できた。


 急いで封筒に雑誌を入れると、内ポケットから清めの塩を取り出し封筒の雑誌に振りかける。


 封筒を手にしたまま八神は玄関の外へ出ると、ちょうどお鍋とライターを持ってきたさくらと母親の詩織からそれを受け取った。


 「二人とも離れてこれを持ってて」


 霊事警察の職員に渡される護身用の護符を二人に持たせると、大鍋に封筒に入った雑誌を放り込みチャッカマンで火をつけた。

 

 燃やすのに時間がかかるかと思いきや、ある瞬間から大鍋を超える火柱をあげて燃え出した。


 「ひっ!」とさくらが小さい悲鳴を上げるが、しばらくすると雑誌は燃え尽きていく。


 鍋には形を残さず崩れ落ちた灰の山が出来上がっていた。


 「ふぅ、明日になったら俺がこの灰を川に流せば全て解決だ」


「おにい、ねえ、なんだったの?」


「雑誌に掲載されていた恋愛のおまじないに、かなりやばい代物が載っていた。明日にでも知り合いに連絡して出版社にあれを掲載しないように連絡を入れてもらうつもりだ。このままじゃ死人が出かねない」


「まじで?」

「まじだ」




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