第37話 八神


 その日の午後、予定していたローラーが人員不足で中止となりジドリに回ろうとしても後輩たちから煙たがられ捜査一課で書類とデータの見直しをしていた鮫島。


 健康に良いというお茶が入った水筒から湯呑に注ぐと、やや癖の強いその味に顔をしかめていた。


 「なんだかんだで八神の野郎がいなきゃ俺たち何もできてねえじゃねえかよ」

部下であり気の弱そうな眼鏡の長嶋が、相槌で返す。


 「ここまで証拠がないってやっぱり異常です」

「そりゃそうだろうよ。天下の警視庁がここまで手掛かり得られないって、ありえねえ」

 

 トゥルルトゥルル


 「はい捜査一課 長嶋です―― え? さ、鮫島さん!」


 慌てて受話器を受け取る鮫島。

 「鮫島だ、どうした?」


 『サイバー犯罪対策課の増田です! 各所に応援を頼んでるですが、手掛かり見つけました! 今八神さんが向かってます、犯人の潜伏先が分かったんです!』


 「でかした! 場所はどこだ!? ああ、わかった! 手の空いてる連中引き攣れて駆けつけてやる! 八神早まるなよ!」


 「行くぞ長嶋!」

「は、はい!」


 走りながら鮫島は各所に連絡するも、該当管轄の所轄署ぐらいしか人員を出すことができず決められた対応しかできない警察の悪い癖が出た形になっていた。


 さらに、都をまたぐ形になっているため腰の重い埼玉県警との調整で拳銃携帯許可の件でもめているという。


 「どいつもこいつも!」


 幸いにも、捜査一課の刑事たちには小此木課長の指示で拳銃の携帯許可が発令されている。


 鮫島の車に乗りこんだ二人は、捜査一課の刑事たちにすぐに向かうように怒鳴りつけながら運転している。


 「散らばりすぎてやがる! 八神のプロファイリングに反発して南西のローラーに人を割きすぎたせいだ! くそが! だが捕まえる捕まえてやる! 気合入れろ長嶋ぁ!」


「だ、大丈夫です! 僕だって捜査一課の刑事です」


 幸いにも道がすいていたため、鮫島たちは想定よりも早く現場に到着していた。


 だが現場にはパトカーが2台ほどあるのみ、規制線もなくただ警官たちが状況を掴めず立ち話をしているように見えている。


「お前ら何してる!」

 鮫島が警察手帳を出したため、警官たちは敬礼しながら状況を伝える。

「上からここで不審者情報が入ったって言われたので来てみたのですが、それ以降の指示は待機だと言われてしまい」


「てめえら何も聞いてないのか!?」

「はい、不審者情報のため現場に来ましたが待機命令のため動けずにいます」

「おい、不審者は不審者でもな、ここにはあの女子高生連続誘拐殺人事件の犯人が潜伏している情報が入った。ってあのアルファロメオに人は?」


「いえ、運転手は見当たりません」

「あの野郎、中に入りやがったな!」


その時だった。数発の発砲音がビルの中から聴こえてくる。

「な、なんですか今のは」

警官たちが警戒し始めたが、鮫島には理解できていた。

「馬鹿やろう中から銃声がしてんだよ! 盾、盾もってこい! 突入するぞ!」


「で、でも待機命令がありますし、犯人が武装していれば我々だけでは」

「うるせえええ! 仲間が命がけで戦ってんだよ! 盾持って突入するぞ! 責任は警視庁捜査一課 この鮫島誠が取る! ついてこいてめえら!」


 鮫島の強引ともいえる突入に付き合わされることになった警官たちは、渋々強化プラスチック製の盾を持ち搬入口へと向かう。


 「あのこれって我々では対応できない事案なのでは?」


 若い埼玉県警の警察官がたじろぎながら鮫島に訴える。

「これがヤクザの抗争絡みなら俺だってお前らをこんな危ない場所に連れてきやしねえ。ここに潜伏してるのは、あの女子高生連続誘拐殺人事件のシリアルキラーだ。逃がせばまた被害者がでちまう! 悔しいだろお前らだってよ!」


「は、はい。それはもう」

若い警官4人は皆悔しそうに俯いた。


「だから逃げ道塞ぐんだよ! 俺等でな!」

「了解です!」


 自分たちの役目、目的が明確になったことが彼らの熱意に火を付けたようだ。


 「っておい、拘束されてる奴が二人? まさか! 複数犯だってのか!? おい伏せろ!」


 パン! パンパンッ!



 「八神さん手当を」

 夏目凛の申し出を断った八神は陽菜子共に脱出路を探すべく、屋上の状況を探っていた。


 「だめだ、非常階段は錆びついていてとてもじゃないが降りられない」

「マリオみたいにぴょんぴょんできたらいいのに」

「この場にいない配管工のことは忘れろ。となると救助待ちだが 増田さんとの通信はまだ繋がらないか」


 八神たちは屋上にある配管や大型室外機側の手すりを確認するも、脱出用の梯子なども発見することができずにいた。

 その時、屋上のドアを叩いていた音が止み、むやみやたらに銃でドアを撃ち始めている。


 「夏目さん、離れて俺たちの後ろに」

「は、はい」


「大丈夫だよ、きっとこのおじさんが守ってくれるから」

「おい、俺はまだ30歳だ。おじさんじゃねえ」

「30はおじさんだよね凛ちゃん?」

「え? えっと、八神さんはわ、わ……」


「あははは!」

「笑ってる場合じゃねえよ」



 「ああ、笑ってる場合じゃないね」

「!?」


 「え?」

 夏目凛の背後に人影があった。その手には鋭利なサバイバルナイフが握られ、凛の首元に突きつけられていた。


 「銃を捨ててもらおうか」


 先回りして隠れていた可能性を失念していたことに八神は己のうかつさに怒鳴りたくなった。

 この若い男からの違和感。あの時見たビジョン通りの男ではある。

 だが。


 「お前、中身違うな」

「分かってるなら早く捨てろよ、八神」


 確信に変わった瞬間だった。

 「戸河里」

 そう呟いてからコンバットマスターを床に置く。

 「やっぱり分かってんじゃねえか。俺が殺し損ねたガキがいっちょ前に刑事になってやがんの」


 戸河里の特徴的な甲高い声で八神を挑発している。

「おいそこの女、盾もったアマだよ」

「なんでしょう」


 陽菜子の声は怒気に満ち、挑戦的な声色を放っている。

「威勢の良い女だな、そこの銃を拾ってこいつを撃て」


「え?」


「じゃねえとこの女を殺すぞ。せっかく命がけで助けたのになぁ、殺すのは忍びないよなぁ」


 陽菜子は戦慄していた。

 人はここまで邪悪になれるのだと。

 邪悪そのものの存在。


 見た目は清潔感のあるイケメン風ではあるが、中身が黒い、漆黒だと感じられる。


 「本条、いいから撃て。これは命令だ」

 

 陽菜子はコンバットマスターを拾うと、一瞬あの犯人を撃ち殺してやろうという殺意が芽生えていたが、それを打ち消そうとするかのように八神が声をあげる。


「ちゃんと心臓を狙えよ、狙わねえとこのお嬢ちゃんの鼻を削いじゃおうっかな~」


 「くっいいか本条、俺を撃て」

 八神は自身の心臓を指さし、そして腰のホルスターあたりを軽く手で払った。

「!……でも!」

「早くしねえと、このガキを解体すっぞ。最初はそのかわいくて大きな目をくりぬいてあげようかなぁ」

 

 「ひぃ」

 凛は必死に耐えていた。

 泣き出しそうになるのを、心が折れそうになるのを。


 「や、やりなさいよ! あんたなんて怖くないんだから! 知ってるのよ、お前の名前は柴山だって!」


「ぎゃはははは! おいおい八神よぉ、こんなガキに覚悟させちまってお前もどうしようもねえ男だな。どうすんだ? 撃たないのか? 撃たなくてもいいんだぜ、こいつの両目を抉りだしてから、次は泣き叫ぶ舌を切り取ってみよう」


 「ぐっううっ」


 凛の精神が限界に近づいている。必死に耐えてくれてはいるが、普通の女子高生が体験するには過酷すぎる刺激だ。

「本条、撃て」

 八神が再度指し示したのは、心臓だった。


 次の瞬間、陽菜子は引き金を引いていた。


 屋上に響く銃声。

 そのまま八神は胸を押さえたまま、ゆっくりと倒れていく。


 「八神先輩!」「八神さん!」

 「おっと動くなよ! その銃で次はお前自身を撃ちな!」

 

「ひ、卑怯者!」


 「ああ卑怯者だぜ。何をいまさら、あの希代のシリアルキラー戸河里様に対して卑怯者だなんて語彙力がないのかな? もっと盛大に罵ってくれよ」


 どうだと言わんばかりに戸河里と名乗った犯人は、人質となっている夏目凛の首筋に鋭利なナイフを突きつけている。

 その容赦のなさは、既に何本か赤い筋が出来てしまっているほどであり、手元が狂って殺してしまう可能性など考慮に入れていないだろうことが容易に推察できてしまう。


 「早くしろよぉ! 警察が人質見捨てていいのかなぁ? ぎゃはははは!」


 高笑いしながらも凛の首筋に当てられたナイフが頸動脈を傷つけないか、陽菜子は気が気ではない。


 「分かったわ。でも私が撃ったらその子を解放して!」


 (なんていう人たちなの!? わたしなんかのために! 悔しい!)


 その思いが再び凛に生きる希望を活力を奮い立たせたのかもしれない。溢れ出る陽の気、覇気と呼べたのだろうか。


 戸河里こと柴山を覆っていた黒い穢れが押し流されている。


 その時だった。あの7人の少女たちが必死に戸河里の腕に組みつき、ナイフから凛を守ろうとしてくれていたのだ。

 その瞬間、凛の中で燻っていた全ての怒りに着火でもしたような猛烈な怒気が爆発した。


 「うああああああああああああ!」

 「うるせええ! ってなあ!? なんだてめえらあああ!」


 大声をあげて暴れる凛にナイフで切りつけようとするも、その右腕が動かないことに戸河里は理由を見て激怒した。その時、凛が暴れたのが重なり倒れこむように逃れることに成功する。


 「死んでる奴らが邪魔すんじゃねえよ! てめえらはあの教室で捕らわれてるはずだろが!」


 「本条、本条、撃て」


 ここで陽菜子は、はっ!となった。

 手にしたのは拳銃。

 そう、八神を撃ったあの拳銃 コンバットマスター。


 陽菜子は残りの弾全てを戸河里に向けて撃ち尽くした。


 銃がスライドし固定され、動かないトリガーを何度もカチカチしている自分の動きにようやく我に返る。

 「ぐがああああ! いでええええええええ!」


  ばたりと倒れる戸河里に対し、陽菜子が必死に手錠をかける。


 「女子高生連続誘拐殺人容疑で逮捕します!」


 「時間 19時24分」


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