第35話 穢れに抗う者たち
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ビルに横づけされていた白いハイエース。
陽菜子の夢で稲荷伸の神使が教えてくれた白い箱のようなのりもの、それが近くにあることで確信に変わった。
応援が思った以上に遅れることに業を煮やし始めた八神だったが、今は焦る陽菜子を宥めつつ監視任務を徹底することに神経を集中している。
時間的には10分も経過していないのだが、八神の体感では数時間経過しているような気分になっている。
その時だった。
ハイエースが駐車してある雑居ビルの路地から、すーっと人影が現れたのだ。
見覚えのあるブレザータイプの制服を着た少女のように八神には認識された。
「!?」
その姿には強烈に訴えてくる違和感がある。
顔面の皮膚が剥がされ、喉からも出血が続いている状態で滑るように八神に視線を合わせてきた。
陽菜子はまったく気づく様子もなく、周囲をキョロキョロと落ち着かない様子だ。
その少女に対し、八神は見つめ返す。霊と視線を合わせることのリスクを承知しながら、むき出しになった眼球が赤い涙を零している。
そして、中に対して指を指した。
「高木飛鳥さん……」
その少女はひどくゆっくり、こくりと頷いた。
そして、さらに指を指す。思った以上に指が下がっていることに気づいた八神は問いかける。
「地下に君の一部があるんだね」
高木飛鳥は頷きかけて、ぶんぶんっとかぶりを振った。
「犯人がいるんだね」
こくり。
何かを訴えているが、左の手の平を突き出しながら右の指で一本ずつリズミカルに触っていく。
何かしら意味のある、それだけしか理解できずにいたとき左手が熱くなる。
白く優しい霧が高木飛鳥を包むと、ひゅーひゅーと鳴っていた喉元が塞がり、ある言葉を絞りだすように囁いたのだ。
『 つかまってる 子 たすけて 』
力を使ったのだろう、すっと消え去った高木飛鳥の霊。
「十分にありえることだな、ならば応援を待っている余裕はない。本条!」
八神はトランクに収納してあった防弾チョッキを取り出し陽菜子へ装備させる、そして自身も着こむと強化プラスチック製の盾を手渡した。
「先輩どうしたんですか?」
「さっき高木飛鳥さんの霊が現れて教えてくれた。ここに捕まっている女子高生がいる、ならば応援を待っている余裕はないからお前はここで待機して応援を伝えてくれ」
「……拒否します。霊事課の捜査官は必ず二人で行動するように言われています」
陽菜子の表情は頑なに拒否している、とは八神には見えなかった。
出世欲でもなく、好奇心でもない。
毅然と現実に向き合おうとする、意志の強い瞳が八神の心を動かす。
以前のようなこだわりや義務感はなく、真っすぐに見つめながら陽菜子は頷いた。
キャリア組だからだという配慮などいらない、してほしくない。
そう顔に書いてある。
「分かった」
八神は後部トランクに施錠されたケースから、コンバットマスター用の予備弾倉を2本腰ベルトに指すと緊張しながらも覚悟を決めた陽菜子とと共にビルへと小走りに向かった。
通信用のイヤホンをそれぞれ装備し、増田と通信テストを素早くすませサポートを依頼したところでノイズがひどくなっていく。
防弾チョッキが蒸し暑さをさらに不快なものにさせるが、今はそんなことなど二の次と思える覚悟が二人にはあった。
閉店していた店舗の陰からすっとハイエースに近づくが人影はない。後部のハッチが開いており陽菜子が盾を構えながら周囲を警戒している間、八神は中に積み込まれていたクーラーボックスをあけた。
陽菜子の押し殺したような小さな悲鳴が発せられた。
そこにはパッキングされた眼球や、声帯。そして十本ほどの細い指……
それらのパーツがドライアイスと共に押し込まれている。
「確定したな。ここが犯人の本拠地、ヤサだよ」
「は、はい」
そのまま八神は先行しながら、地下へ降りる階段を探すためビルの搬入口から中へ入ろうとしたときだった。
唐突に無警戒の様子で中年の作業員がダンボールを抱えながらハイエースに近づいてくる。
身を隠す余裕がなかったため、八神はあえて身を乗り出し警察手帳を提示した。
「警察ですが少しお話をうかがっても?」
「……」
作業員は八神を無視しダンボールをハイエースへ放り込む。
すると八神など意に返さず戻っていこうとするので、再び声をかける八神。
突然振り返りながら作業員はどこに隠し持っていたのであろう、手にしたハンマーで殴りかかってきたのだ。
陽菜子は反応することすらできず立ち尽くしたままであったが、八神は半身ですっと避けると足を引っかけて転ばせその流れの中でハンマーを持った手の関節を決めそのまま容赦なくへし折ったのだ。
「ぐっごっ」
たいした悲鳴もあげず、作業員は八神を吹き飛ばそうとする力で立ち上がり関節を折られた右腕を振り回し襲い掛かってきたのだ。
陽菜子にはこの作業員の視線が虚ろで、よだれを垂らしながら八神に迫っているように見える。
そして八神には――かつて人の形であったでろう顔の浮かび上がる黒いヘドロのようなものが上半身に覆いかぶさっているようにしか見えない。
八神は左手を構えると強引にそのヘドロを男から引きはがした。
こうなるともう、男は糸を切られたマリオネットのように崩れ落ちる。
「い、今のは」
「悪質なのに憑りつかれている。深く繋がっていたからこいつも犯罪者か反社崩れだろう」
袖をまくりあげると、タトゥーが出てくる。
「で、でもようやく犯人を逮捕できましたね」
「そうだな……」
八神には違和感が生まれていた。あの時見た男の影は若く容姿の整った男だった。
だがこの男は中年で、見た目にもガラが悪そうな反社に近しい輩というのは一目瞭然。
(俺の霊能力のせいか)
「増田さん、増田さん!?」
右耳に入れたイヤホンマイクから反応がなく、かすかなノイズ音が聴こえてくるのみ。
「増田さんに連絡がつかないな、ただの通信障害とは思えないが」
その時、急な不思議な感覚の後、ここで八神は霊的なパスが何かと繋がって気がした。
すると、イヤホンから増田の叫びが聞こえてきたのだ。
『八神さん! 犯人は、複数です! 複数犯!』
その直後であった。
積みあがった段ボールを押し崩し現れた大男が、バールを振り回しながら八神に襲い掛かってきたのだ。
手錠を取り出そうとしていた八神の反応が僅かに遅れた。
油断したつもりはなかった。
一瞬の隙を、奴らは狡猾に心の隙間を狙ってくる。
八神は自身の判断に舌打ちしそうになったが、その瞬間ゴッ! という重く鈍い音が搬入口に響いた。
「八神さん」
陽菜子が構えた盾であのバールを受け止めていた。
根元のほうで受けたため、陽菜子の力でもかろうじて対応できていた。
「ぐばあああああ」
よだれをまき散らしながら襲い掛かる大男の目は焦点があっていない。
本条陽菜子は、臆することなく強化プラスチック製の透明な盾で必死に受け止めている。
八神は左手に込めた破邪の力で、大男に憑りついている汚らわしい悪霊を強引に引きはがす。
通常であれば精神に重大なダメージを負うため、このようなことはしない、してはいけないとされているが八神に躊躇はない。
触れた時に流れ込んできた悪意から、こいつは既に数人殺しているような奴なのは間違いない。
悪霊を引きはがされた大男は、口から泡を吐いてダンボールの山にもたれるように崩れ落ちた。
「助かった本条」
「えっへん! 伊達にインパクト返し練習してないんだよ、犯人め!」
とは言いつつも、陽菜子の膝が震えている。殺意のこもった攻撃を受けたのだ。
それは仕方がない。
ふぅと呼吸を整えながら、八神と本条は悪意の先にその潜伏先へと足を踏み入れる。
足元から全身を凍り付かせようとする冷気にも似た穢れ迫ってくるも、不思議とそこまでの影響は少ない。
八神は後ろで荒い呼吸をしながらついてくる本条に感謝する。
本条の放つ陽の気が、前向きで助けたいと願う気持ちが穢れを防いでくれているのだと。
そして―― サンキューな美冬。
八神には瞬間的なビジョンが見えていた。
霊事課では増田や佐々木が必死に呼びかけ続ける中、白鷺美冬が祝詞を唱えながら八神たちを覆いつくそうとする穢れ、悪意、邪念、瘴気、そういったものを撃ち祓うべく祈ってくれていたことを。
その思いが穢れを貫いた瞬間を八神は感じた。
お稲荷様の加護、陽菜子の夢、増田の頑張り、そして白鷺美冬の祈り。
どれかが欠けても、あの襲撃を防げなっかっただろうと八神は背筋が寒くなると同時に胸中にこみ上げる感謝の念。
ならば俺たちがやらなきゃならない! 救い出してみせる!
陽菜子も似たような感情を感じていたためか、二人の周囲から穢れが押しのけられていくような不思議な状況が発せしている。
これが大量の警官であったとしたら、恐らく半数が意識を消失していてもおかしくはないであろう濃度の穢れ。
半数が意識を失い、半数は錯乱していたかもしれないほどの。
全てが何かの図り事のような、いや運命の流れがここに結実させたような錯覚にも似た高揚感を八神は感じる。
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