第33話 凛

 ◇ 


 夏目凛なつめりん が定時制高校の授業を終えてから、山手線に乗って大塚で降り都電荒川線のホームまでの僅かな距離を歩いていたときから胸騒ぎはあった。


 今日は嫌な気配を感じており、定時制高校で同じクラスの反社崩れの奴が誰彼構わず噛みついているため皆が迷惑していたことがそれにあたると思っていた。

 

 凛にはなんとなく分かっていた。

 (多分あいつは怯えてるんだ。異様な気配に)


 いつもならヤンキー崩れの先輩たちの家に遊びに行って、ゲームとかタバコ飲酒をして気を紛らわせようと一瞬頭を過った。

 

 男にレイプされた経験のある先輩たちだったから、男を家に上げないという点で凛にとっても安心して居心地が良かった。


 だが、最近になって刺激を求めて心霊スポットに行きたがるため凛は距離を置こうと思った矢先のこと。


 凛はいわゆる見えるタイプだ。霊の声が聴こえ会話も多少はでき、においも感じ、時折記憶の一部まで流れ込んでくるから厄介だ。


 よく動画サイトやテレビで自称霊能者たちが言うスイッチのオンオフというものが、凛にはまったくできなかった。


 そのため中学校ではひどい目にあった。

 元処刑場だったその中学ではいたるところに死霊がいて、さらにそれらが死霊を呼んで学校中に霊がひしめきあっているような状況だった。


 見えなくても霊媒体質の生徒たちがこぞって体調を崩し、転校したり長期欠席したりと問題の多い学校だった。


 凛は初日からほぼ敷地にすら入れなかった。固まって動けないのだ。


 時間が立ちすぎて融合し、ドロドロに溶けあった人の塊のようなものが見えそうな凛に向かって転がってくる。


 痛い、痛い、辛い、苦しいと訴えながら。


 あまりにもひどい空気で嘔吐し、動けず、両親には心の弱い出来損ないと切り捨てられた日でもある。


 ただ凛は勉強が好きなほうではあった。

 理系が特に好みで数学は教科書を読むだけでもすらすらと中3の範囲までは理解できるほどであり、理科なども教科書を読むのがおもしろかった。


 だから学校に通えないことが辛い。

 通えない自分が憎い。

 なんで見える体質なんだと自分を呪ったりもした。


 こんな能力でも少しだけ役に立つことがある。

 やばい道、やばい方角、やばい気配を察知して距離をとることができる。


 だが、今日はそれが役に立たない。 

 というよりも、どんなに距離をとっても離れた感覚にならないのだ。


 空から俯瞰ふかん的に見降ろされているような、どこまで行っても離れることができない不安と恐れ。


 もう少しで自宅だ。家族仲は最悪だけど、あそこに逃げ込めれば。


 そう思った瞬間にはもう、目の前が暗闇に包まれていた。


 暗く、暗く、深く、そして全身を包むなめくじのようなぬめりを持つ不快極まる感覚。


 ・

 ・

 ・


 意識を目覚めさせたのは不自然な姿勢よりも、不快な臭気よりも、自身のだるさが一線を超えたからだったのだと凛は自覚した。


 声が出せないほどのだるさ。

 (わたしには分かる。これはきっと霊障とかそういう類のもの)


 重い瞼を開けて驚いたのは、何か会社の事務室のような場所だった。壁に設置されたパイプ群の一つに自分が拘束されていることに気づくのは、後数十秒を要した。

 

 (なにが、起きてるの?)


 ジャラジャラと自分を拘束している手錠がパイプと接触する金属音が、殺風景な事務室に響き渡る。

 「捕まってるの、わたし?」


 なんで? なぜ? 思い当たる節はあまりない。定時制高校を退学した奴らとは、ほとんど接触がなかったしナンパしてきた奴らもすぐに薬で捕まってしまい後腐れはないに等しい。


 言い寄ってきた男たちは意外に多かったが薬、ギャンブル好きの人間が死ぬほど嫌いだったためにそういう人種になびくことは一切なかった。


 逆に引き締まった肉体のスーツ姿のイケメン、中年とか、しっかりした男性に惹かれてしまう傾向をようやく自覚してきたぐらいなもの。


 そこではっとなった。

 衣服の乱れはなく、どうやら強姦されたような形跡もない。

 「よかった」


 何が良かったのだろうと凛は少し自虐的に笑った。

 その時だった。目の前に足が見える。ローファーを履いた女性の足。

 見上げたところで悲鳴を上げそうになった。


 頭部を、頭蓋骨を眉上から切り取られ、脳がむき出しになった少女が悲しそうに何かを訴えていた。

 「あっ」

 そこで気づいた。

 彼女は死んでいる。

 何を訴えたいのかが分からない。そしてこの部屋がやけにシンナー臭いことに気づく。


 何かの塗料や溶剤、そういったものの空き缶が部屋の隅に積み上げられているせいだろうということがようやく理解できた。


 そしてさらに、足元にもぞっと動く何かが見える。


 「!」

 言葉にならなかった。


 手足のない、少女、女子高生が涙ながらに訴えている。

 『 にげて、はやく にげて もう少しであいつがくる わたしみたいになってほしくないの 』


 手足のない少女の魂の叫びに同意し頷く存在が7人。

 様々な部位が切断され、あるいは全身の皮膚が剥がされている子までいる。


 こみ上げる吐き気を凛は必死に抑え込んだ。

 こんなになってまで、私を助けようとしてくれている。

 「あっ!」


 凛の全身から冷や汗が噴き出した。

 全身の水分が抜けきってしまうのではないかと思うほどに。

 知っている顔があった。

 

 テレビで何度か見た被害者の少女たち、あれはたしか……


 名前がいくつか記憶から浮かび上がってくる。

 「藤村杏華さんですか?」

 こくりと頷いたのは頭部が半分になった少女。

 悲しそうに涙を流している。

 記憶している限りの被害者の名前を凛は呼び続けた。


 皆悔しそうに涙を流しているが、そんな彼女たちが私を助けようとしてくれている。

 

 幼少期から、見えるというだけで寄りかかり迷惑をかけてくる自分勝手な霊に困り果てていた凛。

 中には道を教えてくれたり、死へ導く霊から守ってくれた優しい霊もいた。


 そういう経験をしてきた凛だからこそ、この状況を受け止めそして感謝し、心を奮い立たせる。

 「私にできることは少ないけど、絶対に抜け出して犯人の情報を警察に届けるから。警察に全力で協力するから」


 きっと同じように言葉が通じず、見ることができなかった子たちだったのだろう。

 思いを受け止めてくれる彼女たちが凛に駆け寄ってくる。


「ありがとう。じゃあどうすれば脱出できると思う?」

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