第23話 あの日の夕暮れ

 ◇ 


 夢を、そう夢を見ていたのだと思う。


 八神は自分が置かれている状況を、やや俯瞰ふかん気味に自覚していた。


 幼い頃の小学生の時分、この格好は、そうだ、小5で林間学校が終わり、母親が迎えに来てくれるはずだったのに連絡入れても学校に現れなかった。


 きっと仕事で緊急の呼び出しを受けたのだろう。


 看護師だった母は、たびたび呼び出されることがあった。


 よりによってと、八神はひどく落ち込み愚痴りながら家路を歩いた記憶がある。


 友達との楽しかった思い出とか、ナイトウォークラリーでは何体かの霊が悪さをしていて困ったのをなんとかやりすごした話。


 夜はみんなで枕投げをしたり、好きな子の話で盛り上がったり。


 そういうことを母親に話したくてうずうずしていた八神は、若干拗ねながらも、まあ看護師だからしかたがないよね、と自分に言い聞かせていた。


 今でもはっきりと覚えている。あの日は夕陽が綺麗で、自宅までの道路を紅く照らしてくれていた。

 それは自分が思っていた以上に赤く、赤く、家路を染め上げていたことを。


 不思議だった。


 家には車があった。お母さんがいる?


 もしかしたら具合でも悪いのかな?


 そういえば、お姉ちゃんは病弱だったから具合が悪くて看病しているのかも。

 だとしたら携帯に出られないほどにお姉ちゃんは具合が悪いのだろうか?


 喘息が最近悪化してたから、ひどく心配になってくる。


 「あれ?」


 玄関の鍵が、開いたまま。


 ガチャリと開けると電気がついてないため、薄暗い廊下がとても長く感じた。


 「ただいまぁ」

 小さい声でそう言ったものの、中からは物音一つしてこない。


 (いくな、それ以上行くな! 引き返してくれ!)


 必死に叫ぼうとしても、自意識がどこにいるかもわからず、自分は何も考えず、リビングへと繋がるドアノブへ手をかけようとしていた。


 (やめろおおおおおおおおおお!)


 八神がドアノブへ伸ばした手が止まった。


 靴下が何かに濡れていたからだ。


 「?」


 黒い何かがじわりと靴下に染みこみ、思わず「なんだこれ」と声をあげる。

 

 そして八神は気付いた。

 なんでこんなに金臭いのだろう。


 頭痛がするほどに、金臭い。


 林間学校で疲れているから、こんなに頭が痛いのかな。


 (やめてくれええええええ!)


 目の前がぐるぐると回転し、悲鳴と絶叫、そして体に何か衝撃があったように思う。


 倒れて頭を打った八神は、そこで意識を失う、はずだった。


 まだ夢が続くのか。


 小5だった俺は倒れている。

 あれを見てしまったことがショックで……


 だが、俺はなんで夢の中なんだ?


 これは何だ?


 ガンっと体に衝撃が走る。

 

 腹部に走った猛烈な痛みが全身を駆け巡るようだった。

 もはやどこが痛いかすら分からず、意識が消失しかけている。


 「なんだ、気絶してんのかよ。まあ、いっか」


 その声を、俺は生涯忘れはしないだろう。


 荒れ狂うような怒りの感情が夢の中であろうと視界を紅く埋めつくす。


 噴火にも似た激しい激情。

 

 気づくと、俺は、叫んでいた。

 

 「戸河理ぃいいいいいいいいいい!」

 

 ◇


 寝起きの気分は最悪だった。

 最近見なくなっていたあの悪夢。


 思い出したくもないあの事件。


 今回の女子高生連続誘拐殺人事件の背後に奴の気配を感じていた、いやあまりにも残虐な事件のためにいてほしいと思い込んでいたかもしれない。


 だからこんな夢を見てしまったんだと自分に言い聞かせながらシャワーを浴びる。


 クリーニングから届いていたスーツとシャツに着替えを済ませると、朝食も取らずに部屋を出る。


 寮から駐車場までの間にある馴染みのパン屋で好みのバジルパニーニを買い、そのまま車の中で頬張りながらコーヒーで流し込む。


 タブレットでメールやその他SNSでのチェックを一通り終えると、そのまま職場へ向かう。


 守衛に挨拶をし霊事課のオフィスに到着。いつものようにルーティーンな朝の挨拶をしながら、洗面所で顔を洗って歯磨きを済ませる。


 ふと鏡を見ると、疲れた顔が映った。

 (くそ、あの夢のせいだ。あの夢を見るといつも消耗がひどい)


 気合を入れ直し、今まで集まった情報の精度をさらに高めるべく方法を思案していた時だった。

 「おい八神、あの情報はまじなんだろうな?」


 不機嫌そうに声をかけてきたのは、桐原という元西中野署の刑事課出身の男だった。


 歳は33。目つきの悪いやや居丈高なタイプのため、八神としては苦手なタイプだった。


「俺たちの情報に真偽を求めても、エビデンスを出せないことがほとんどだろ」

「うるせえ、お前の感覚でまじかどうか訊いてんだよ」


「まじでなけりゃここまで悩んでないさ」

「ならいい……というかさ、もしかしたら俺たち途中で外されるかもしれねえぞ」


「は? ここまで引っ張りこんでおいてか?」

「上前を撥ねたいんだろうさ。鬼のためこんだお宝を奪った桃太郎みたいによ」


 桐原は口も態度も悪い。霊能力はあまり強くはないが、見える。少しだけ話せるタイプだ。

 コンビを組んでいる浅野は年上なのに穏やかでいつも桐原のフォローばかりしている印象だ。


 「八神くん塗装工と白いバンという情報にたどり着けただけでもいたしたものだよ。既に辞めた霊視係の連中はかすりもしなかったんだから」


 浅野が労ってくれているが、霊視係という民間協力の霊能者たちは悉く今回の事件の序盤で強い穢れの影響を受けてしまいリタイアしてしまっていた。


 犠牲者の霊にたどり着いた者はおらず、遺体や遺体発見現場から放たれる濃密な穢れにやられてしまっていた。


 未だに二人が入院中であり、霊事課にとって大きな損失でもあった。


 そのため八神が少しでも霊の残滓とも言える情報からここまで繋げたことを、桐原は感心しているのだということは理解できた。


 「これからが本番ですがね」

「しらみつぶしにできる程度の情報に絞られてきてるから、後は頑張り次第ってとこかな」


「浅野さん、俺等今日はどこでしたっけ?」

「なんだ桐原君もう忘れちゃったの? 捜査一課の高橋さんと一緒にジドリの手伝いだよ」

「うげぇ……」


 ジドリの辛さは理解しているが、その積み重ねはとても大事である。


 「八神はどこなんだ?」

「今日は遺体遺棄現場を数か所回ろうかと思っている。科捜研の分析結果待ちってとこだ」

「どこも似たようなもんか」

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