第19話 声
八神の体調はすぐには戻らなかった。
担当職員が気を利かせて休憩室のソファを使わせてくれるので、八神はそこで10分ほど目を閉じて体調を整えることにした。
増田と陽菜子は八神がどのような目にあったのか想像もできないが、相当なダメージを負っていることにひどく怯えている。
「すまない、もう大丈夫だ」
「先輩、無理せず今日は帰ったほうが」
「そうですよ、いざというときに動けないほうが問題ですよ」
八神はここで苦笑する。
(正論だな。自分が増田たちの立場でも同じことを言うだろう)
「分かった。午前中使っていた小会議室へ戻ろう。そこで伝えておきたいことがある」
「了解です!」
とは言いつつも、八神は数時間ほど凄まじい頭痛に苦しむことになる。
藤村杏華が受けた痛みがどれだけ惨かったのか。
そんな状態でも、八神は分かったことを告げる。
「今から話すことは、藤村杏華さんの思念を少しだけ引き寄せられたことで分かった。非科学的であろうし、調べる根拠に乏しいかもしれない。だが何かしらのヒントになる可能性を捨てわけにもいかないだろう」
「サイバー犯罪課でも調査に協力していますが、実際のところ調べつくしてもう手の付けようがない、もしくは無限に等しい情報を漁るという状態になってます」
「先輩、疑ったりしませんから私にも教えてください」
「俺が聞き取れたというか、受け取れた思いを言語化すると、『 くさい 父親の部屋 のような くさい たすけてほしい 』 という内容だ」
「それって加齢臭がひどい部屋ってことですよね!」
増田がドヤ顔で拳をぐっとかかげる。
「加齢臭か、年頃の娘なら加齢臭を嫌がるのも分かるな。そうなると、介護施設や病院が考えられるのか」
「いやあ自覚がないもんですからね加齢臭は、最近僕も自分の枕の匂いが気になりますから」
「そういうものか……俺も気を付けないと」
その頃陽菜子と言えば、首をかしげながら たけのこの里 と きのこの山 を交互に口へ運んでいた。
「くさい、でパパのにおいか。でもそこまでひどい体臭をしてるのかな? 肉体労働で汗をかきやすい職種ってことも考えられるけど。それってがんばって働いてくれてる証みたいなもんだと思うんだけどな、私は尊敬しますよ」
「本条さん、そうなると工事現場や汗をかきやすい環境での労働が多い工場とかも感がられますよね」
「すまんな。俺の能力じゃここまでを受け取るのが精一杯だった。あの娘の魂はいまどこに縛られているんだろう。殺害現場なのだとは思うが、こんなことが続くなんてまさか意図して縛っているのか」
それからしばらくは、3人で『におい』に関しての情報を調査していたが、行き詰まりなんとなく資料をめくっていた時だった。
すやすやとかわいい寝息が聴こえてくる。
本条陽菜子がよだれを垂らしながら、机の上で眠りこけている。
注意すべきなのかもしれないが、ここは寝かせておくことにしよう。
増田も何かうっとりと、見つめているので放っておく。
◇
陽菜子は自分が幼い頃を思い出していた。
ピンクのワンピースが本来の色を思い出せなくなるほどに、汗や垢で汚れ煤けていた。
右手に持ったぬいぐるみは、ウサギであったのか猫であったのかさえ分からないほどに伸びきって千切れかけている。
それでも陽菜子には、このぬいぐるみがたった一人の友達であり傍にいてくれる存在。
暗く淀んだ目をしながら、目の前で連れていかれる同じ施設の子供たちの後ろ姿をただ見送った。
見送ることしかできなかったし、見送るという言葉を知ったのも随分と経ってからのような気がする。
大人たちが子供に分からないように話しているが、結構子供はその内容を覚えている。値踏みするような嫌な視線とこいつは有能、面がいい、無能、いまはぱっとしなくても将来的に美人になるような売値が高いなど。
全部わかっていた。
そして、4歳だった陽菜子は、ある品のよさそうな老夫婦の元へ突如送られた。
あの頃を思い出している自分をどこか俯瞰気味に見ている陽菜子。
夢を見ているという自覚があり、どんな意味があるのだろう。
今いる場所は、あの日の公園のブランコ。
キィキィと軋んだブランコが揺れる音がずっと胸を締め付けてくる。
あの日に戻ることだけは嫌だ。
「!?」
いつの間にか、ブランコの前に人の姿があった。
人!?
小柄な10才ほどに見える男の子が、神職の装束に狐のお面かぶった姿でじっとこっちを見てくるのだ。
(こ、声が出ない!? もしかして金縛り? ゆ、夢の中で? こ、こわいめっちゃこわい! きっと八神先輩のせいでこういう目にあってるんだ!)
『 社の賽銭を盗んだ人がいたの。
多くの神使はお怒りになったけど、あそこの箱とその持ち主が盗人がいると教えてくれました。
それから、隣の建物の主とあの箱を私たちが気にかけていたのです。
だから、あの日の夜はあまりの穢れに神使ですら傷ついてしまいました。
白くて四角いお餅のような乗り物から、大きなカバンを持った男が歩いてきたのです。
あれの放つ穢れはこの社に迫ろうとしていましたが、我らの神の神気が守ってくださったのです。
なので、あの箱は守られております。
稲荷神の加護を受けておりますので、お調べになるがよろしいでしょう。
あとね、おいなりさん おいしかった。ありがとうお姉ちゃん 』
( 夢かもしれないけど、私はこの内容を話しても気味悪がられたり馬鹿にしない人たちに囲まれてるんだ。 だから! 一言一句覚えて、帰る! ねむい、意識が! )
ゆっくりとまどろみの中に溶けていく陽菜子。
意識が眠りの海に溶けるその瞬間まで、あの狐のお面をつけた男の子の語った言の葉を頭に刻み付けるのだった。
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