第17話 クアンティコ
◇
翌日、霊事課では陽菜子の出勤を皆で待ち構えるといった事態が生じていた。
「お、おはよう陽菜子ちゃん、なんだか調子がよさそうね」
演技ができない白鷺が微妙な挨拶をしているが、陽菜子はそのポニーテールを揺らしながら元気な挨拶をかましている。
「昨日は熟睡しちゃったので、もう体調がいいんですよ。やっぱり霊能者さんってそういうの分かっちゃうんですね」
「そうなんだ、夢も見ずにって感じ?」
「まさにそうなんですよ。快眠快眠」
落胆の空気が霊事課に漂い始める。
「陽菜子ちゃんって本当に霊感が開いてないのね」
「人それぞれだから仕方がないだろう。夢なら俺のところに出てきてくれれば、詳細まで訊いてみるのに」
「あんたのところになんか、怖くて出られないと思うわよ」
どうやら、稲荷神社でのやりとりから霊感のない陽菜子のところの夢枕に立って助言を与えてもらえると期待していた霊事課ではっあったが、陽菜子の快眠宣言により朝の集まりは解散となった。
「先輩今日はどう動きますか?」
「本条はどう動きたい?」
「え? 私は霊能的な捜査はできませんから、正攻法で行くしかないので資料を読み込んでみるしか今のところできそうにないです」
「分かった。俺も資料をさらに深堀りしてみたいから、また捜査一課に顔を出そう」
「了解です!」
あれだけの情報をこれからさらに読み込むというのに、陽菜子は元気だった。カラ元気さがなくなり、真正面からぶつかろうとする気概には尊敬の念すら覚える。
今日も資料の読み込みとデータ閲覧のために、なんと捜査一課長の小此木がサイバー犯罪対策課のぽっちゃり増田を担当としてつけてくれることになった。
事態はそれだけ逼迫しているということなのだろう。
ワイドショーでは警察に対する怒りがコメントにも現れており、何の手掛かりも得られていないという情報が報道されると、犯人以上のヘイトを買っているのではないかと思うほどであった。
中には警察官の家族というだけでいじめられたり、暴言を浴びせらえるような事態も生じている。
実際のところ、女子が通う高校はリモート授業に切り替えている所も増えており部活帰りを狙われかねないため中止が相次いだ。
さらには親が送迎に時間を取られるため、早退欠勤も多くなり社会的にも多くの負担が増えている状況になってきている。
警視庁や警察上層部の焦りは相当なものであり、警察官僚出身のいわゆる警察族議員たちが毎日のように警察庁へやってきては叱咤激励という名の文句をまくしたてていく。
そのため警視庁周辺にはマスコミがたむろっていた。
「大変だったでしょう」
増田が労りの言葉をかけてくれるが、それは増田にとってもかけられるべき言葉なはずだ。
「うちは本部が別の場所でばれてないからいいけど、増田さんは気が休まる時間がないんじゃないですか?」
「まあうちはネット空間が本部みたいなもんなんで、あはは」
「外出しなくてもいいようにいろいろ持ってきたんで、お菓子食べながら資料見ましょう」
陽菜子は昨日とは打って変わって前向きで、テーブルの上に女子高生が好きそうなお菓子をばらばらと並べ始めた。
「勤務中だって言いたいところだが、辛い資料だから精神衛生の管理が重要だということにして、増田さんも気にせずつまみながら進めましょう」
「さすが八神さんだ、話がわかる~」
陽菜子がちらり見たが、ポッキーを口に加えながら昨日の続きを読み始めた。
増田はこちらが気になった情報を即座にデータベースや詳細情報を貸し出されたタブレットに送ってくれる。
八神はもしかしたら稲荷神からの助言が手掛かりとなりうるかもしれないと、期待はしていたが神々の感覚と人の感覚は異なるもの。
一週間ぐらい様子を見るべきだろうと、現時点でやるべきことをやろうと決意する。
八神が進めているのは、プロファイリングだった。
警察内部の隠語で囁かれている犯人の俗称、切断鬼 Amputee
分析してみると、全ての被害者が切断されているわけではなかった。
一件目は、アイドルの卵が 顔の皮膚と剥ぎ、声帯を摘出。
二件目は、高校生のピアノコンクールで優勝経験もあるピアニスト。
指を全て切断され、中耳内の耳小骨を抜き取られていた。
三件目は、高校女子サッカーでインターハイ出場経験もある生徒。
両足が切断された状態で発見される。
一件目が3か月前。二件目は一か月半前。 三件目は一月前。
徐々に犯行頻度が狭まっている。
これは自身で犯行ペースをコントロールできないほどに、サディズム的欲望が加速している証拠でもある。
だが、その後の犯行も、手口は緻密さ、狡猾さはそのままに維持されている。
むしろ、その手口は外科医の手際に近いほどの外科的処置で、切断後も数日は生き続けたと思われる。
犯人の目的は、才能に恵まれ未来ある少女たちの夢と希望を奪い絶望させることを至上の喜びとするサディズムの権化とも言える存在。
そんな奴、アメリカにだっているかどうかのレベルで……!?
「いや、ちょっと待て」
突然立ち上がった八神に陽菜子と増田が驚きびくっと体を震わせる。
「先輩どうしたんですか? 分かったことがあれば私たちにも情報を共有してください。直感が大事だって教えてくれたの、八神先輩ですよ!?」
この陽菜子の言葉が鍵となって、暴流のような情報の洪水が八神の思考を揺るがした。
あれもそうだ、これはああやって結びついて、そして考えうる可能性、矛盾点は。
「二人に訊きたい。日本犯罪史上、最も残忍なシリアルキラーと言えば誰だ?」
突拍子もない質問に思わず増田が反応する。
「えっと、思いつくのは 【 津山三十人殺し 】 です。都井睦雄による大量殺人事件だと記憶してますが」
「私は……座間の9遺体事件……が真っ先に思い浮かびましたけど、あれもこれもってもしかして!?」
「残念ながら都井睦雄はシリアルキラーではなく、大量殺人者という区分になる。一般的に言われているシリアルキラーの定義は―― ほぼFBIによるものだがな。
・ 1人、極めて稀ではあるが複数人による犯行
・ 2人以上の殺人被害者がいること
・ 殺人事件が別のものであり、別の時間で生じている
・ 犯行が一定の間隔を空けて行われる。これが大量殺人と連続殺人を区別する根拠となる。
そのため座間に関してはシリアルキラーと定義できるだろう」
「さすがクアンティコ帰りですね! 実は僕憧れていたんです八神さんに!」
「そんな大層なもんじゃないよ。それより本条陽菜子のほうが全然すごいぞ」
「も、もちろん本条さんはすごいです! キャリアなのに偉ぶってなくて、知識欲がすごくて気遣いもできて」
「そんな褒めないでくださいよぉ、えへへ。ってなんですかクアンティコって!?」
「え? 本条さん、クアンティコ知らないんですか?」
「アメリカの地名ですよねたしか? 旅行いいなぁ」
思わず増田が驚愕の表情を見せるも、一瞬見せたドヤ顔に彼のオタク魂を垣間見た気がした。
「本条さん、クアンティコとは、FBIアカデミーのある都市になります。FBIエージェントの訓練養成機関のことです」
「じゃあ八神先輩はFBI見学したんですか? いいなぁ私も行ってみたい」
「いえいえ、八神さんの場合は見学じゃありません。公費による研修留学ですよ」
「研修留学!? えええ! まじっすか!」
「まじです」
「うわぁ! 八神先輩って、皮肉屋の中二病だけじゃなかったんですね! すっごいい!」
「おい、いろいろと余計だが、上の命令で仕方なくだよ」
「向こうからスカウト来たらしいじゃないですか、うちで働いてくれって」
「お世辞だよ社交辞令的な言い回しなんだろう。あっちはそういうのが意外と多くて面倒くさいからな」
ここで陽菜子が新しいお菓子、カントリーマアムの袋をそれぞれに配り始めた。
なんというか大阪のおばちゃんみたいなノリだ。
「はぁ、とりあえずだな話を続けていいか?」
「はい!」
「お、お願いします」
すーっと一呼吸置いてから、八神はある事件名を口にした。
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