第15話 Amputee
◇
切断鬼 Amputee
いつしか捜査員たちが口にし始めた俗称がこの犯人のコードネームとして、隠語として扱われるようになっていた。
以前から情報を集めていた八神はまだ手口については把握していたため、ある程度の心構えはできていた。
それでもなお、その衝撃は精神を抉るには十分すぎた。
犠牲者は数日前に発見された遺体が含まれれば、7人。
全て東京、埼玉、千葉、神奈川などの首都圏に住む女子高生が犠牲者だった。
犯行手口や遺体の状況について項目を陽菜子が読み始めたのがすぐに分かるほどに、彼女の動揺は赤子でも分かるだろう。
思わずファイルから目を外し、必死に呼吸を整えている。
大丈夫か? とは声をかけなかった。
自分で決めなければいけない、そう思ったからだ。
陽菜子は再び読み始める。
そして手が止まる。遺体写真が次のページにあるからだ。
最初の犠牲者は
都内在住でアイドル事務所のオーディションに合格し、日々レッスンに取り組む少女。
2か月後のデビューを控えたある日、彼女は遺体で発見された。
顔面の皮膚を剝がされた状態で。
衣服の乱れはなく、レイプの痕跡もなし。
荒川河川敷のサッカーゴールに括り付けられているところを散歩中の男性が発見。
遺体の近くには手鏡が落ちており、高木飛鳥の指紋も付着していた。
眼球は傷ついていなかったことから、顔の皮膚を剥がされた姿を強制的に見せられていた可能性が浮かび上がる。
尚、死因は声帯摘出とそれに伴う頸動脈損傷による失血死。
ここまでの記述と遺体写真を見て、陽菜子が取調室に置いてあったゴミ箱へ向けて嘔吐していた。
あらかじめ用意していた水とフリスクタイプの清涼菓子、そしてタオルを机に置いた八神。
「はぁはぁはぁ……、す、すいません」
「いいんだ。この反応を嘔吐してしまったことを恥じるな。これが正常な反応だ、お前が日の光の下で真っ当に生きている証なんだ」
窓を開けて換気しながら八神は、大丈夫か? とは口にしない。
「に、人間じゃない。人がこんなことできるんですか!? アイドルになりたかった子の、大切にしていた自分のアピールポイント、顔と声を奪い取ってそれを見せる、そんなの悪魔がいるとしか思えません!」
「人はどこまでも邪悪になれる……」
◇
5件目までの犯行状況と被害者の情報を整理し終えたときにはもう、陽菜子はげっそりと憔悴しきっていた。
むしろ、ここまで正面から向き合ったと八神は褒めてあげたいほどだ。
「本条、今から向かうところがある」
「あの、同情とか配慮とかそういうの、いりませんから! 私大丈夫です!」
「思いあがるな」
「えっ!?」
「自己の精神状態を客観的に把握できないひよっこが生言ってんじゃねえ、捜査のために必要な仕事だ」
八神の剣幕に渋々従う陽菜子だったが、既に連絡していたのであろう部署に向かう。
警視庁サイバー犯罪対策課。
正確を期すなら部署はセキュリティーが非常に厳しいため、近くの小会議室に担当者が来てくれていた。
「どうもサイバー犯罪対策課の増田です」
人が良さそうでぽっちゃり気味なサラリーマンにしか見えないような、穏やかな20代後半の男性が招き入れてくれた。
「お忙しい中お時間取らせてしまいすいません」
「いえいえ、私たちも気になって上申していたところだったんです。あまりにも反応が薄いのでどうしようかと思っていたところでした」
増田は陽菜子の容姿に一瞬見惚れていたようだが、すぐに我に返って慌てて持ち出してくれたであろう紙ベース資料を差し出してくれた。
「すいません、データベースから直接閲覧してもらうほうがお二人には便利かもしれないんですけど、端末やデータの持ち出しが本当に厳しくて逆に紙ベースは緩いという」
「アナログはアナログで別の価値がありますからね、お手数かけました」
威圧的な関係者もそれなりにいるらしく、増田は八神と陽菜子の人柄がまともに思えたのか安心して説明を始めてくれる。
「最初の二件で監視カメラ情報がほぼないことに気づいたのですが、偶然だと思っていたんです。まあそういうケースはあるにはありますからね」
ここで増田が警視庁と印字された封筒から取り出した文書の内容に、思わず陽菜子が声をあげた。
「嘘!? 7件すべてに監視カメラ情報がないんですか!? ドラレコ映像もですか?」
増田はあえて、といった様子で説明を始めた。
「既にご理解のこととは思いますが、監視カメラ映像とドラレコ映像はその撮影目的がそもそも異なります。定点位置を観測する監視カメラと、移動車両の走行記録としてのドラレコ。監視カメラはチェックする体制がある程度、習慣化されており異変があった場合には通報が入る可能性があります」
ここで増田は持ってきたコーヒーボトルに口をつけると、八神と陽菜子がメモを取る姿を見て機嫌を良くした。
「問題はドラレコです。広くこの時間帯にエリアを通行した車両のドラレコを探していますと言っても、情報提供はごく僅かです。ほとんどの人は該当動画を探しているという情報すら知ることなく、日々の走行でドラレコデータが上書きされて消えてしまうのです」
「言われてみると、ドラレコって事故時の情報分析には有用ですけど、事件の目撃情報とかいうことになるとわざわざ見返す人がどれだけいるのかってことになるんですね」
「おっしゃる通り。
動画関連のハードウエアに堪能な男性や、走行中の映像を動画配信サイトに上げているような人たちなら撮影済み動画のチェックは日常的かもしれません。ですが、ほとんどの利用者、特に女性などは撮影した動画を確認する方法すら知らない人が多数を占めるでしょう」
たしかにと陽菜子は納得する。
積極的に関心を持ってチェックし、動画の情報提供を意欲的にする人がどれだけいるのか。
盲点というより意識が低かったと陽菜子は反省した。
「でも増田さんはそれでも違和感を感じたんですね」
八神の一言に増田の表情が強張った。
それは自分たちの怠慢などを突かれたということではなく、得体のしれないことに対する恐怖といった感情が滲んでいる。
「どう言ったらいいんでしょうね、すいませんこういうことを口にすると閑職に回されてしまうから本当は言いたくないんですが」
増田はかなり口ごもっている。
「大丈夫ですよ増田さん、私たちの部署の名前は――情報支援室――この意味わかりますよね?」
八神の言葉が胸にずんっと響く。思いを込めた言葉ってこんなにも胸を揺るがすものなのかと陽菜子は思った。
「え、あっそうか。じゃあオフレコってことでいいですか?」
「もちろんです」
「えっと、遺体発見現場付近の監視カメラ映像は、ほとんどがブラックアウトして映像が映っていませんでした。少なくともわざわざ所轄が監視カメラの設置場所まで確認し、その後管理会社などとやりとりした上で判明した事例がおよそ……30件」
「30件!?」
陽菜子は思わず立ち上がって大声をあげてしまった。
「30件の監視カメラが遺体遺棄時間前後と思われる同時刻に全て故障か―― 元データが残っているケースはどれくらいありましたか?」
「遺体発見現場周辺の監視カメラや、たまたま振動が生じた影響で録画が開始されたドラレコが約30台で、解析可能なレベルで残存している動画データは、ありません」
「ないってどういうことなの」
「撮影されたであろう時間が記録されているのみで、動画データはクラッシュというより削除に近い状態で破損しています。30件全部が」
陽菜子の全身に怖気が走った。思わずぶるっと身震いし、芯々から湧きだしてくる恐怖に似た違和感に体温が数度下がったような感覚さえしてきた。
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