第14話 捜査一課へ
◇
「どうした 寝不足か?」
「昨日ちょっとランクマ……じゃなくてつい動画配信見ちゃいまして」
「意外だな、キャリア組ってそういうのに関心がないような印象だが」
「キャリア組って、ちょっと入り方が違うだけでちゃんと女の子なんですよ」
「なるほどな」
アルファロメオが警視庁のある皇居周辺に近づくにつれ、八神は今回の事件が放つ異様な底暗さに体温が下がっていくのを感じる。
凍てつく氷原のような冷たく暗い空気が肌に突き刺さるような、不快な感覚。
この感覚によく似た経験が思い起こされる。
あの日の出来事。
忘れたくても忘れられないあの日。
八神恭史郎の運命を大きく変えてしまった、惨劇。
思わずハンドルを握る手に力が入る。
「本条、今回の事件では辛いと思ったり無理だと思ったらすぐに教えてくれ」
「え?」
「今後の警察官としての人生が閉ざされてしまう可能性すらある凶悪な事件だ。自身の精神を守ることを最優先にするのも一つの選択だ」
「わ、私はそんな弱い存在じゃありません」
弱い存在、という表現に八神は違和感を感じた。
「弱いとか強いとかそういうレベルの問題じゃないんだ。人の想像するレベルを超える邪悪というものは、確実に存在する」
「じゃ、邪悪!?」
ファンタジー世界の作品ぐらいでしか聞かない単語が、まさか八神の口から発せられると思っていなかった陽菜子はじっとりと冷や汗が流れていくのを感じていた。
「ああ、そう呼ぶ以外の表現が見つからない人の所業がある。人知れず警察官たちは心を抉られ、精神を疲弊させていく。そうして家族関係が徐々に壊れ破綻し、人生までも崩れていく。そんな負のスパイラルに飲み込まれる人を大勢見てきた」
「わ、私はそういうの平気ですから、遠慮とかしないでくださいね」
八神は返答しなかった。
いつもは陽気でニコニコしている本条陽菜子は、弱い存在であるとされることに拒否感を見せてきた。
それが彼女を理解する上で重要なファクターになりうるのだろう、八神はそう思ったが自分の心を守るために身構える必要がある。
霊視による影響は、心身への負担が非常に大きいためだ。
「遠慮はしないが、俺の指示には従え。頼むから、俺より階級上だからとかそういったことで反論しないでくれ、今回はやばいんだ」
「せ、先輩がそれほどまでに言うなら……、なんかエアコン効きすぎじゃないです? 少し寒いです」
見えない陽菜子でさえ、不穏な空気を感じ始めている。
八神は既に知っていた。
あまりにも凄惨な事件なため、関係者が既に数名退職し何人かは精神に変調をきたして入院までしている。
実は霊事課の霊視係に所属する民間嘱託職員である霊能者が一人、意識を失い未だに目が覚めていない。
他の霊能者は霊視を拒否し、契約途中で無理やり退職を申し出てきている。
( だからなのか?
課長が俺にあのコンバットマスターを携帯するように指示したのは)
使わないことを願うが、実は心の支えとしては非常に頼もしい存在には違いない。
通いなれた捜査一課へのルート。
地下駐車場からエレベーターに乗り降りた先の廊下には、タバコを今でも嗜む刑事たちが多いためかヤニの残り香が漂っていた。
捜査一課長の部屋をノックしようとしたとき、陽菜子が首をかしげながら八神に問いかける。「あの先輩、捜査一課にいたことあるんですよね?」
「数年だが所属していたことがある」
「うわあすごい!」
「それを言うならお前のほうが断然すごいさ」
「私は何もなしてないから、全然すごくないです。試験突破しただけの小娘ですよ」
「……それ誰かに言われたのか?」
「そんな怒らないでくださいよ、言われてません。ただ客観的に見たらそう思われても仕方がないなって。だから、全力で捜査に望みたいんです」
「気負うなよ」
意を決してノックをすると、そこには見慣れた顔が出迎えてくれたのだった。
「よう八神、その顔つきなら腐ったりはしてないようだな」
「腐るほどの身はありませんよ」
「あいかわらず減らず口だ、変わってないってことでまあ一安心だ」
「小此木課長、八神恭史郎警部補、本条陽菜子警部 捜査一課支援のためお世話になります」
続いて敬礼する陽菜子を見て、小此木課長は食い入るように見つめている。
現場叩き上げから捜査一課長にまでなった優秀な人物である。
拳銃携帯許可を乱発することから上層部に嫌われているが、部下を危険から守るためと言って一切譲らない。
そのためか、捜査一課の刑事や所轄署の刑事からもあの人ならと慕われている。
「本条警部、えっとだな、別に女性蔑視とか差別とかそういうのうるさい世の中だからさ、あんまり言いたくないし、問題発言だったとしても見逃してもらいたいんだが……」
「曲解したりしないので、大丈夫です」
陽菜子が微笑むと、すっと小此木の緊張が解ける。
いつもの陽菜子からあふれる優しい陽の気が殺風景な課長室へ広がっていく。
「じゃあ、その普通の事件だったら怨恨やら強盗殺人とかなら、まあ止めはしない。むしろ経験積んでもらって将来的に現場へ還元してもらう何かを得てほしいと思う。これは本心だ。だがなぁ、今回ばかりは正直止めようか迷っている」
陽菜子が望んでいるのは、現場での経験だ。忖度のない普通の、通常業務としての経験の蓄積。
だが、それができなくなるかもしれない。恐らくキャリア組という立場が枷になるのだろう。
「八神、お前のとこに上田さんと新人のコンビいるだろ?」
「はい、中野が長期療養になってましたがまさか」
「ああ、あのベテランの上田さんでさえ精神的に疲弊してしまったんで強制的に休暇を取らせたぐらいだ。えっとお前ら霊能者だと余計に影響受けやすいんだろ? まあ八神はどうなってもいいが、本条さんは」
「おい」
「私は霊能的な力はまったくないので、大丈夫です」
「え? ないの?」
「はい」
「なんだそうだったのか、でもきついぞ。あらゆる死体を見てきた俺でさえ最近は焼肉弁当が食えない」
「か、覚悟はしています」
「そうか、だったら何かあれば責任は八神に押し付けちまおう」
「まったく、どこの課長も保身だらけだ」
「それぐらい気楽にやってくれや、んでこれが資料」
ダンボールに押し込まれた複数の分厚いバインダーに閉じられた、紙ベースの資料だった。
違和感を感じたのをさすがに小此木は感じ取って、不敵な笑みを浮かべている。
「俺の権限でお前らには最新の情報が閲覧できるようになっているが、現場で反発あったらすぐに言え。縄張り争いしてる場合じゃねえんだよ今回は。頭下げて法務局やらマトリにまで協力してもらってんだ」
「さすがです小此木さん」
八神の素直な感想だった。
くだらない縄張り争いのために次の犠牲者が出てしまっては本末転倒だ。
「マトリって何ですか?」
「ああ、本条は隠語をあまり知らないんだったな。マトリは麻薬取締局のことで、管轄は厚生労働省。危ない現場へ突入するからオートマチック拳銃が配備され練度も高い」
「そっちのことなのね」
「第三取り調べ室が空いてるからそこで資料を読み込んで捜査方針を決めてくれ。お前ら二人には自由な捜査権を渡しておく」
「本条、警察は総力を上げてるってことだ。今回は想像以上にやばいぞ覚悟決めろ」
「は、はい!」
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