第12話 霊事課のある日常
「先輩、今日はラーメンが食べたいです」
「勝手に食ってこいよ」
「ひどい」
「何がだよ」
「がんばってる後輩に奢ってやるとか、御馳走してやるとか、恵んでやるとか、そういったことがあってもいいと思うんですよね」
「それ全部同じ意味に聞こえるのは気のせいか?」
「じゃあ私、こないだ連れてってもらった 栄花飯店 でいいです」
「……随分と気を使わなくなったもんだ。のびのびと育って俺はうれしいよ」
霊事課では通常業務の他に、警察官としての基礎訓練の他に退魔法や除霊・結界などの基礎的な実務研修が行われている。
これは八神も例外ではなく、一ヵ月に一回、多くて数回の研修が義務付けられていた。
今日も午前中に契約している寺で護摩行の修行があったばかりだ。
それもあって陽菜子はお腹が減ったとさきほどから訴えて続けていた。
だが……
「たしかに 栄花飯店なら、ジャンボ餃子と佐野ラーメン食いたいな。豚骨ラーメンもいいが、佐野ラーメンのさっぱりとしたスープは無性に食いたくなるときがある」
修行で体力と気力を使ったせいか、八神までそういう気になってきた。
「俺は男女平等主義者なので、支払いは各自でするように」
「なっ! こ、今月のお給料、あと僅かなのに!」
「お前はキャリアなんだから俺よりもらってんだろ」
「たいして変わりませんよ」
「俺は行ってくるか、高菜チャーハン追加するかな」
「鬼! 悪魔! それは言っちゃいけないです!」
よだれを垂らしそうな勢いで抗議してくる陽菜子は、なんだかんだで栄花飯店までついてきていた。
「ああ、いい匂い……」
「……」
ここで八神のオフにしていたスイッチが強制的にオンになった。
このスイッチとは、霊感のことである。
四六時中見えてしまうと精神的に参ってしまったり、運転に支障をきたすことがあるため意図的に見える見えないのオンオフを使い分けて生活をしていた。
だが、状況によっては――強制的にスイッチがオンになってしまうことがある。
栄花飯店からよくない気配が漂ってきていたのだ。
一瞬別の店にしようとも思ったが、こういうときは大抵呼ばれた、と解釈したくなるような出来事に遭遇する。
店内は昼時だというのに客が二組いるだけ、二週間前に来たときは大盛況だったのにどうしたことだろう。
「あら、八神ちゃんじゃない」
「ああ、おばちゃん、こんにちは」
栄花飯店のおばちゃんは、若い時はモデルをしていたと自称しているだけあって50代というが若くて愛想が良い。そのためおばちゃん目当てで来る常連も多いらしいのだが、今日は……
明るく振舞ってはいるが、目の下にクマができておりひどく疲れて
壁際の席につくと、陽菜子はメニューを食い入るように見つめてぶつぶつ言っている。
「先輩、私は ジャンボ餃子5個とチャーシューメン大盛に、高菜チャーハンで!」
「いつもながら良く食うな」
陽菜子は女性にしてはかなりの大食いだった。
「あら新人さんね、いいわね良く食べる女はもてるわよ」
「やった! えへへ」
「佐野ラーメン並みと、高菜半チャーハン、ジャンボ餃子3個で」
「いつものね、ハイハイ……」
陽菜子はスマホを見ながら、早く食べたいあれも追加しようかとぶつぶつ言っているが、八神には気になって仕方がないことがある。
おばちゃんの肩に覆いかぶさる半分腐った男の姿があったからだ。
醜悪な形相でおばちゃんに対し聞くに堪えない言葉を呟いている。
『 死ね、苦しめ、このババア! 俺を出禁にした罰だ呪い殺してやる! 刺し殺す! 叩き殺す! 死ね死ね死ね! 』
終始そのような呪いの言葉が聴こえてくるものだから、八神もつい顔をしかめてしまう。
厨房から運んでくれた佐野ラーメンはいつも通りのおいしさだ。
陽菜子はチャーシューでいっぱいになったラーメンを見て、きゃーとうれしい悲鳴をあげている。
「あら、おいしそうに食べるのね」
「おいしいです、最高です!」
陽菜子は大食いのくせに、マナーは完璧でお箸の使い方も正しい。
「やっぱここのラーメンとジャンボ餃子、最高だ」
栄花のジャンボ餃子は、通常の三倍はあろうかという大きさであるが、味はその分大味ということはなくうま味と肉汁がたまらない肉厚な皮とパリっと焼かれた相性も抜群。
栄花に来た客の9割りが頼むであろう人気商品だ。
「ああー食った食った~」
陽菜子が満足そうにお腹をパンパンと叩いている。
「陽菜子ちゃんていうのね、またいつでも来てね」
「いつでも来ます! もっとも先輩が奢ってくれたらもっと来られるのにな」
「厚かましいぞ。というかおばちゃん、なんか疲れてるように見えるけど大丈夫?」
おばちゃんは、ふっと肩を落とし無理していたのか一気にその表情に疲れがにじみ出てきた。
「あら、顔に出てたからしらごめんね。なんだか最近悪夢ばかり見て眠れなくて、ずっと肩こりもひどくね」
そこで八神は思いついた。
「おい本条、おばちゃんの肩を揉んでやれ。そしたら今日は俺が出しておいてやる」
「え? そんなことしなくても揉みますよ~、私よくおじいちゃんの肩揉んでたからうまいんですよ」
「あら、そんないいのよって、本当にうまいのね。ああ気持ちいい」
おばちゃんはとろけるような顔で、陽菜子の肩揉みを受けている。
そして八神には……
『 い、いてええ、くそがああああ、ううう、や、やめろおお…… あつい、ぐるじいいい 』
先ほどまでおばちゃんを覆いつくすまでに黒く広がっていた醜悪な腐りかけの男の霊は、まるで空気を抜かれた風船のようにしゅーっと縮んでいく。
そして…… 甲高い悲鳴を上げながら、ちょうど客が来店し入口が開いた瞬間外へ飛び出していってしまう。
「ああ、ありがとね陽菜子ちゃん。本当に上手って、あら? なんだかすごく体が楽になったわ、すごい!」
「えへへ! どやっ!」
「よくやった本条。おばちゃんもあんまり無理しないでくださいよ」
「ありがとねえ八神ちゃん、陽菜子ちゃん」
肩を回しながら、すっかり血色のよくなったおばちゃんは、いつも通りに元気に「いらっしゃいませ~!」の掛け声を店内に響かせ始めた。
「先輩ごちそうさまでした!」
「……まあ今回はいいとしよう。だが次はねえぞ」
「ああおいしかった」
「……本条、俺は数件連絡を入れる場所があるから、先に戻っておいてくれ」
八神がスマホを取り出すと、はいは~い と言いながら、鼻歌を歌いご機嫌で戻っていく。
「さて……」
八神は栄花飯店脇の路地に入ると、ゴミ捨て場の近くでうずくまる小さな腐りかけの男の霊を睨みつけた。
漏れ出てくるその男の過去。
大手企業の課長だったらしいその男。
何人も何人も、パワハラとモラハラ、セクハラで追い詰め、精神的に疲弊させ、自殺に追い込んだ者は数名。
罪悪感を感じることなく、負けた奴が悪いと酒の席で自殺者を馬鹿にして酒の肴にするクズっぷり。
若い女性社員に性的関係を強要し、妊娠発覚後は不正をでっちあげて退職に追い込む。
こうして多くの若者たちの人生を踏みにじってきたこいつは、酒の飲みすぎで肝臓がんで死亡。
常に他責で傲岸不遜で他人の痛みを理解しようともしなかったこいつの人生に、八神は吐き気すら覚える。
今でさえ、周囲を他責する呪いの言葉を履き続け、人々に負の感情を与え貶め死に導く存在、まさに悪霊であった。
『 いだいいい、ゴミがああああ、じねええええ、あいつらのせいでええええええ! 』
八神は左手に意識を集中する。
そしてその力で、腐りかけの男の首を一気に締め上げた。
『ぐ、ぐるじいいい、だずげでえええ ぐええええ 』
カエルがひしゃげたような悲鳴を漏らすも、八神の破邪の力が悪霊と化した腐りかけを消滅させていく。
小さく、薄く、そして僅かな悲鳴すら発せられない手の平ほどの存在になりかけた黒い塊を、八神は一気に握りつぶす。
「……消えちまえゴミが」
あの悪霊は消えたのか? 白鷺美冬が教えてくれたことを思い出す。
”
多分浄滅という扱いになるんだと思う。
これって浄化されて上に上がるって意味じゃないのよ。
自我がないほどに小さく小さい力のない存在にしてしまうってイメージが一番近いかも。
人間が人間の魂を消滅させることはできないから、無害化して無力化し、再び転生するのにだれだけの時間を要するかわからないほど無力な存在にしてしまうってことじゃないかと思うの
”
八神は内ポケットから除菌ティッシュを取り出すと、丁寧に左手をぬぐう。
少なくとも、俺のお気に入りの店を守れたことは良しとしよう。
そうだ、それぐらいでいいんだ。
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