第8話


 スマホで本条に連絡するとすぐに出てくれる。

 「本条、そこからこっちのマンションを見て何が見える?」

『あっ先輩~』

 暢気に手を振っている。そういうのじゃない。


 それでも男の亡霊は反応しない。

 「本条、ちょっとこっちに戻ってきてくれ」

『はい、すぐ戻ります』


 素直な性格なのは救いだなと八神は思った。

 キャリア研修であまりの性格の悪さや社会経験の少なさに、逆に精神をやられる教育役は実は多い。

 根本的に価値観がずれているケースもある。


 だが本条陽菜子は、新人警察官のように素直で純真な一面がある。


 「どうしたんですか?」

 走ってきたであろうに息を乱していないのは、日ごろから鍛錬を怠っていない証拠だろう。

 スリムな体形ながらちゃんと鍛えている証拠だ。


 「あの壁、ちょうど縦に亀裂があるあたりに何か感じないか?」

「亀裂? はて? なんでしょう? はっ! ま、まさか! そ、そこにお化けがいるんですかああ!」

 

 ずさっと後ろに飛び下がりつつ、冷や汗を垂らしている。

 なるほど、想定通りの反応だ。

 霊を見つけてしまった場合の対処法として、気づかれないようにするというのはある意味鉄板である。

 気づかれないように寝たふりをするとか、通り過ぎる、などで見える人はやり過ごすことが多い。


 だが逆に陽菜子のように大騒ぎをすると、見つけてもらえると分かった霊は寄ってくることが多い。

 八神はあえて陽菜子に寄っていくようにしむけた、とも言えた。


 「いるぞ」

「ちょ、ちょっと待ってください! こ、こわいです! おしっこちびりそうですよおおお!」


 半泣きになって八神の腕にしがみついてくるが、肝心の中年サラリーマンの霊は無反応。

 「いや違う、アパートを指さしている? 訴えたいことがあの部屋なのか?」


 陽菜子はあいかわらずギャーギャーと騒いでいたが、あの男はあの部屋を指さしながらゆっくりと損傷した頭部をこちらに向けてきた。

 

 右目の眼球は損傷で垂れ下がっているため、陽菜子が見えていないことをうらやましく思う八神だったが、その男の亡霊は残った左目で何かを訴えつつとうとう口を開いた。


『……あおお……か、けえええ、おいおえええ、あああうううう……』


 あまりにも明瞭度が低いため、集中していても聴き取ることが困難だった。

 白鷺美冬ら他のメンバーであっても、内容を理解するのは難しいだろうと八神は判断する。


 「あの部屋が気になるのか?」

 『 ああああ! おあああおいおえ……あうえええあえええ』


 必死な様子だけが伝わってくる。

 

 八神は改めてそのサラリーマンの霊を観察することにした。

 右手の骨は折れており、左膝から下はあらぬ方向に曲がってぐしゃぐしゃになっている。


 「交通事故か、気になるのはそのネクタイだが……」

 

 八神がわめく陽菜子をいったん引き離しながらスマホで例のネクタイに関して調べてみる。


 念の強さから、あのネクタイに彼が思い入れがあるのが伝わってくる。

 もらいもの、プレゼントなのだろう。


 すると酷似したデザインのネクタイがすぐに見つかった。


 エルメスの新作で、発売が1月。

 ということは発売されてからまだ3か月ほどしか経過していない。


 この霊は恐らく地縛霊であり、この近所で死亡した可能性が高い。

 八神はすぐに霊事課へ連絡をすると、受付と情報調査担当の佐々木亜里香が陽気な声で応答する。

 「調べてほしいことがある、メモの用意はいいか?」

『八神さん、あいかわらずですね。今日も綺麗だとかお土産は何がいいかとかそういうやりとりはさみましょうよ』


 「住所は 南池袋 〇〇〇13ー23 付近で今年の1月から直近までにあった交通事故の記録を調べてほしい。おそらく死亡事故、もしくは重体後に死亡したケースも含めて。可能性が高いのは中年男性」


 『そこまで分かってるんなら後で送っておきますよ。それにしても後ろうるさいですね、陽菜子ちゃんですか? あんまりいじめちゃだめですよ』


 「いじめてはいない、怖がりすぎなんだよこいつは」


 「こ、こわい怖い! さっきの電話なんなんですか、見えちゃって分かっちゃったんですか!? こわっ!やばっ!」


 「はぁ。とりあえず一度ここから離れるぞ。近所迷惑でこっちが通報されちまう」

 ◇


 陽菜子が逃げるようにコインパーキングまで戻ってきたので、八神も付き合うことにした。 

「こ、ここにはいません、よね!?」 ね?」


「いないから安心しろ」


(まあ通りすがりの老人の霊が数体道路を歩いているが、黙っておこう)


 「はぁ、よかった。もう八神先輩といると心臓が持ちませんってば」

「だが、不審者の目撃情報はあの中年男性の霊で間違いないだろう」

「れ、霊……やっぱりそうなるんですね。あの、あのですね先輩」


「気になることがあれば言ってみろ。他の部署と違って霊事課では直感は重要なファクターだからな」

「私みたいな 零感でもですか?」

「前にも言っただろう。見えない場合には、そういった別の感覚が鋭敏になっている可能性は十分にありえる」


 「だったら、あの、コーポ荒川の202号室が気になります」

「本条はあのアパートが随分気になっているようだな」


「なんというか、部屋の前にはゴミが積み上げられてて、腐った段ボールが折り重なっていたり不潔ですけど、なぜかあの部屋が気になって仕方がないんです。なんでだろうこんな風に意味もなく焦燥感を感じるなんて初めてで、私ってなんか影響されちゃってる恥ずかしい子ですかね? ごめんなさい」


「恥ずかしくはない。よく意見を伝えてくれた。佐々木にあのアパートもリサーチしてもらうことにするか」


「ありがとうございます!」


 その後、なぜか猛烈にお腹が減ったという陽菜子にラーメンを奢ってやった八神は、再度周辺の聞き込みをしてから帰路についた。


 ◇ 


 東京都内 星月神社 


 白鷺美冬は、もうかれこれ2時間以上社務所で八神恭史郎を待ち続けていた。

 行ったり来たり、何度もスマホを確認してやきもきするこの時間が苛立たしくも、何かたまらなくうれしかったりする気持ちに自分でも驚いている美冬だった。


 4度目になる鏡での前髪チェックの後。


 時刻は20時。

 

 社務所のチャイムがややくたびれたピンポーンを鳴らす。

 走りたくなる衝動を抑えつつ、白鷺美冬はゆっくりと社務所の引き戸を開ける。

 「よう」

「遅いのよ馬鹿。さっさと入って、お父さんも準備してくれているから」


 「悪いな」

「こういう時はありがとうって言うのよ、刑事さん」

「ありがとうございます巫女様」


 八神は艶やかな黒髪を揺らしながら歩く美冬の後ろに続いた。


 神社内は清浄な空気に包まれ、心が落ち着いていく。

 

 「八神君、いらっしゃい」

「いつもお手を煩わせてすいません」

「いやいや うちの主祭神様からの指示でもあるからね、君が嫌と言ってもやらせてもらうよ」


「御面倒かけます」


 八神はジャケットを脱ぐと、結界で覆われた椅子へと腰を下ろす。


 「左手を見せて」

 八神の左手を握る美冬。力強く、そして溢れ出る力に思わず圧倒された。

 そして、こみ上げる己の思いを飲み込んだ。


 この人と手をつないで……おでかけしたい。


 「ああは言ったけどね、穢れの気配なんてまったくないのよ。むしろ力が強すぎて八神の魂が心がダメージを負っていないかを確認しておかないといけないの」


 「俺の左手はどうして霊を掴めるんだろうな。そして浄滅というか祓えてしまう」

「それは……、分かったら教えてあげるから、おとなしくお父さんの祝詞を受けて心を穏やかにしなさい」


「これって本当に必要なことなんだよな?」

「必要だからお父さんがわざわざこんな時間に祝詞を上げてくれるのよ?」

「そうだった。えっと、よろしくお願いします」


 父の祝詞はあいかわらず素晴らしいと、美冬は身びいきを差っ引いても素晴らしい神職であることを誇りに思う。

 

 天の奏上のような安らかな気持ちにさせてくる力は、いつか自分もたどり着きたいと思わせてくれる領域だ。


 父は主祭神との絆が深く、力を借り受けながらも精進を怠らない人物だ。

 だからこそ、近隣住民からの信頼も厚く様々な相談にも乗っている。


 美冬はどちらかと言えば、お祓いや除霊、さらには結界術などが得意であり主祭神の勧めもあって霊事課の民間登用枠として勤務している。


 そして八神と出会った。

 不愛想で皮肉屋、そして若干中二気質な面がいじりがいのある優秀な刑事。


 彼の実力を知ったら、きっと本条陽菜子は驚くに違いない……驚いてほしいし、八神が評価される場面をみたい。

 

 そういう思いを押し殺しながら、美冬は日々の業務をこなしている。


 だからこそ、主祭神からそのようなお告げがあったと訊いた時、小躍りしそうなほどにうれしかった。


 父の祝詞が終わると、八神はいつも穏やかでかわいい笑顔を見せる。


 それが母性本能をくすぐるのだが、八神の力強く腫れぼったい二重とややタレ目がちな目つきが美冬を悩ませる。

 

 「お母さんが夕飯作ってるから食べていきなさいよね」

「いやさすがにお世話になりすぎだ」

「だと思うなら、せっかく作ってくれた料理を無駄にしないでくれる?」


「それもそうだな。御馳走になります」

「うんうん、お腹が減ったから一緒に食べようじゃないか。今日はお母さんのカレーだからうまいぞお」


 「あのカレーはやばいな、店で出したら絶対行列ができるレベルだ」

「八神にしてはまともな評論じゃないの」


 美冬は思う。

 こんな時間がずっと続いてほしい。

 (早く気づけ、ばーか)

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