第7話

 ◇


 もじもじ……もじもじ


 アルファロメオ・ジュリエッタは、所轄からの支援要請で南池袋付近のマンションに向かっていた。

 首都高高架下から数100m離れた場所にその古びた5階建てマンションはあった。


 隣は古びた築40年は経過していそうなコーポ荒川という二階建てのアパートがあったが、八神は淀んだ空気に気分が悪くなっている。


 「なんか薄暗い場所ですね」

「そうか、本条でもそう思うってことは長居すべき場所じゃないな」

「え? 私は霊感なんてまったくないですよ 零感ですって」


 「霊感があるなし、っていうのは個人の認識・自覚によるところが大きい。結論から言えば霊感がない人間なんて存在しないはずだ」

「え? えええ!? わ、私も見えるようになっちゃうかもしれないですかああ!?」


「可能性はゼロじゃない。霊感は何も『見える』だけの感覚じゃない。嗅覚だったり聴覚だったりすることもある。味覚というケースもなかにはあるそうだ」


「意外と、奥が深いんですね」

「魂に由来する事柄だからな」


「た、魂……ってそうだ、私たちってどうしてここに来たんですか?」


「所轄から上がってきたのは、このマンション付近で不審者がたびたび目撃されているそうだ」

「あっパトロールですか。研修で町内パトロールしたことありますよ」

 えっへんとでも言いたげな、胸を張った姿が小学生のドヤ顔に思えて、思わず八神は笑いそうになってしまう。

「その素晴らしい経験を活かせなくて残念ですよ警部」


「もう、そういう言い方嫌いです」


 本条陽菜子はこういった持ち上げられ方をするのを嫌がる、というのは八神にとってもうれしい情報だった。職務上の立場で威張り散らす尊大な奴だったら、初手で無視して書類作業に没頭していたほうがましだった。


 「すまんな、今回の要請は不審者の調査、並びに発見時には事情聴取ってとこだ」


「ぶ、ぶん投げてきましたね」

「まあ豊島区管内は特にあの事件の影響で過重労働が続いているからな、こっちもフォローしてやるべきだろう」


「あっそうか! じゃあがんばりましょう! 逮捕じゃなくていいなら、気も楽ですね。なによりお化け関係じゃなさそうなのでだいぶ気が楽」


「なんというか、本条は前向きだな」

「ポジティブが私の長所らしいです」

「いいことじゃないか、俺もポジティブになりてえよ」


 近くのコインパーキングから目的のマンションの前に戻った二人。


 「なんかここだけ湿度高くないです? 4月中旬ってこんなジメジメしてました?」

「この湿度は異様だ。まあ俺たちにお鉢が回ってくるってことは、あっち系の可能性が高いってことだ。目撃情報の中には見える人間と見えない人間がいたってものもある」


「や、やっぱりそっち系だった! ああ、怖いよ。なんで私こんな怖い思いしてるのよ」

「まあそうだな、将来的に霊事課の予算がもっと増えますようにってそのお手伝いのためだな」

「うわぁ 世知辛い」


 二人は通行がフリー状態の古びたマンション2階の廊下へと上がった。

 ここで不審者が何度も目撃されており、背の高い男性がずっと立っている。隣のアパートを見ている、などの情報があった。


 「具体的な被害はないんですね」

「だからこその不審者情報なんだろう。ちなみに目撃情報は昼夜問わずで、目撃者は夜の仕事なので昼間は寝ているから起こすな、ということらしい」


 ひびの入ったコンクリートの壁を眺めつつ、本条が妙なことを言い出した。


 「なんか臭いませんか? なんだろうこの嫌な臭い」

「たしかに生ごみのような臭いがわずかにするが、ゴミ捨て場は近くにあったか」


 マンションのゴミ捨て場はこの位置からは離れているため、臭気がここまで流れてくるというもはあまり考えにくい。

「近くにゴミ屋敷化した部屋でもあるんだろう、というか空気が良くない」


 「先輩、あそこのアパート、気になりませんか?」

「目撃情報はこのマンションに集中しているらしいが、気になるなら行ってみよう」

「え? いいんですか?」


「俺たちは霊事課だ。他の部署ならいい加減にしろと言われるかもしれないが、ここでは直感・気になるといった情報は無視しちゃいけない」


「ああ、そうなんだ。ある意味新鮮です」


 ニコニコ顔の本条と共に向かいのアパートに向かいうことにしたが、八神にはあることが確信に変わった瞬間だった。


 (やはりだ。本条の周囲だけ浄化されている? あのポジティブさが原因なんだろうか? 持って生まれた陽の気が成せるものなのか、すごいな。

 一時的に篠田美帆が憎悪の頸木から抜け出せたのは、もしかしたら……)


 コーポ荒川は昭和の空気があふれんばかりの古びたアパートだった。

 既に入居者は数えるほどしかいないようで、二階に数名 一階からは気配はない。


 陽菜子が迷わず錆びだらけの階段を登っていくが、その背中が八神にはお日様色に見えた気がした。

 

 「くさい」

「なんだこの臭気は……様子から見るに202号室のようだが」


 陽菜子は202号室の前でじっと立ち尽くしていた。

 八神はその間、要請書を見返してみたものの202号室に関する記載は見当たらない。


 その時だった。

 向いのマンションに妙な影のようなものが揺らめいている。

 自縛霊の類いか。


 八神は不審者の情報がこれかもしれないとあたりをつけ、影の元へと走り出す。

 距離は近いものの、ぐるっと回り込んでから階段を登らないといけないためにもどかしさがこみ上げる。


 消えてしまわないか。

 

 八神がたどり着いたとき、その影のようなものは中年のサラリーマンの姿をとっていた。


 朧げに揺らぎながら、仕立ての良さそうなスーツ、ブランド品のネクタイが目に留まる。

 だが、頭部がひどく損傷し顎が歪み千切れかけた舌がだらりと垂れ下がっている。


 そんな男が外を眺めていた。


 ここで八神の思考が覚醒する。


 (あのスーツはオーダーメイドの高級品で20万ほどはするものだろう。

 ネクタイはブランド品、あれはエルメスあたりか、4,5万ってところか。


 腕時計は……セイコーの高級モデルで50万前後。


 となれば一流企業のサラリーマンか経営者、年収は1000万は軽く超えるだろう。


 そんな高給取りがどうしてこんなボロマンションに用がある? 女でも囲っていた?)


 これらを踏まえて改めて観察してみれば、その亡霊はじっと外を見つめて手を伸ばしている。


 あれは……!? 本条のいる方向?


 もしかしたらあの陽の気に惹かれて救いを求めに現れた可能性が考えられた。

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