第5話

 ◇


 所轄署において事後対応の手続きと書類などの処理が終わったときにはもう、夕方にさしかかっていた。


 その間、何もできないままにただ言われるがままに書類や報告書に署名していた。

 

 ほぼすべてを八神がやってくれたのだが、もちろんそのことに感謝はしている陽菜子ではある。

 だが、八神は恐らく「見えていた」ことをひた隠しにして、偶然気になった人物がいたので聞き込みがてら話したらという流れになっており、所轄も運がよかったねぇと受け入れている様子。


 しかも、所轄署の捜査員が聞き込みで発見したということになってしまっている。

 あれはどう考えても八神の手柄であり、あの短時間で適格なプロファイリングをしたからこそ犯人の特徴を絞り込めたのだろうことは事実だ。


 帰りの車の中、陽菜子はあえて聞いてみた。

「あの、なんで手柄を所轄に渡しちゃったんですか?」

「手柄? 何のことだ?」

「え? えっと犯人を絞り込んで逮捕したことです。どう考えても八神先輩の手柄ですよね?」


 ちょうど赤信号で停車したとき、八神は不思議そうに陽菜子を見た。


 「な、何か?」

 「手柄か、だったら憎しみや怒りに負けず俺たちに協力してくれた篠田美帆こそ、俺は称えたい」


 「きょ、協力って、あの先輩もしかして、そういう発言してると現場から外されちゃうって聞きますけど、大丈夫なんですか!? 私、報告しちゃうかもしれませんよ?」


 「報告? ああ、好きにしろ。本条が思うこと、考えたことをそのまま上司に報告したらいい。むしろそれを俺が止めるのはまずいだろ?」


 「うっ、その、はぁ……」


 否定しないのだ。

 陽菜子にはこの八神という男がまるで読めない。

 確実に言えるのは、今まで出会った刑事の中で間違いなく最も優秀である。

 不可思議な言動をこの際無視してみても、プロファイリング技術や観察力対応力、胆力などずば抜けている。

 

 だから陽菜子は悶々としたまま、情報支援室へと戻った。

 八神はそのままデスクのPCで報告書をすらすらと書き始めており、陽菜子は業務日誌をつけようと思ったところで、やはりある可能性を考慮し課長室のドアをノックし入室した。


 裏切りかもしれない。

 でも、もしかしたら、八神先輩が精神疾患を患っているならば早く治療し療養してもらうべきだとの思いが勝った。


 勝ってしまった。


 「課長、実は今日の業務にてご報告しなければならない事項があります」


「ふむ。本条警部から報告があるのであれば訊かないわけにはいかないでしょうな」


 課長は表情一つ変えることなく、右手でどうぞと示したのだ。


 陽菜子は言葉を選びながら報告をつづけた。


 八神は非常に優秀な刑事であること、だからこそ見えない存在をいるかのような独り言やふるまいが広く知られてしまう前に、適切に医師の診断を受け必要であれば治療・療養すべきえであると訴えた。


 「……それで報告内容は以上かな?」

「は、はい。ぜひ、ご検討をお願いします。私の少ない経験上ではありますが、八神先輩ほど優秀な刑事を知りません」


 「まあ口は悪くて反抗的で皮肉屋ではあるが、まあ優秀な一面があることは認めよう。だがね、その提案は却下だ。その必要はない」


「え? ど、どういうことですか? 幻覚や幻聴が日常的に生じている状況では、今後致命的な判断ミスを起こしかねません」


 「あれ? もしかしたらと思ったんだが、君聞いてないの?」

 課長は、何やら気まずそうな顔で頭を掻き始めた。


 「聞いてないってどういうことでしょう?」


 「本条君、ついてきなさい」


 課長に続いてドアを開けると、そこは情報支援室に所属する私服の警察官たちがデスクワークや打合せ、さらには……!?


 巫女服の人が何人かにお祓いのように御幣(神主さんが持っているお祓いの時に使うような棒のこと)を振っている。


 「ん? え? なにあれ」

 「本条君」

 「は、はい」


 「君が配属されたのは情報支援室ではない」


「はい?」


 「言葉が悪かったね、情報支援室とは世を忍ぶ仮の姿、まあ面倒事を避けるための通称といったところだ。


 この部署の本当の名は。


 刑事局 霊事課 ああ、こういう字ね」

 

 課長はご丁寧にメモ紙に書いてあった 霊事課 という名称を陽菜子へ差し出した。


 「れ、れいじ 課!?」


 「そうそう。警視庁や警察庁上層部は把握しているが、昨今の霊障がらみの事件や霊的側面から難事件や重要事件にアプローチする部署として設立されたのが、この霊事課だ。


 彼らは我々のことを、こう呼ぶことが多い。

 霊事警察 と」


 「霊事警察……」

 

 「ほら、ドラマにもなったあれ、あれ、そう、警視庁警備局のさ 外事情報部ってあるでしょ あそこも外事警察って呼ばれてるじゃない、あんなノリ」


 「……ってことは!? こ、この部署の皆さんって、もしかして見える人なんですか!?」


「うん」


 「え、あ、あっ……」


 立ち眩みを覚え座り込んだ陽菜子は、再び立ち上がるのに10分以上を要した。


 ・

 ・

 ・


 「先輩すいません、私報告しちゃいました。裏切るつもりはなかったんです」


 「気にするな、お前はお前の職務を果たそうとしただけだ。ただ、うちの霊事課が特殊だったというだけの話だ」


 デスクでへたりこむ陽菜子は、八神からもらった缶コーヒーを飲みながらうなだれている。


 「えっと、その先輩って、み、見えるんですよね? その、お、おばけ」


「お化けってまあ、見えるというの表現が正しいのかは分からんがな」

「え? 見えるもんじゃないんですか?」


 陽菜子は起き上がると、何か知的好奇心を刺激されたのか目に活力が戻っている。


「脳で知覚というか、認識するという表現が一番正しいように思う。結果的に視覚イメージが先行することが多いので脳全体で知覚した対象情報を、脳が情報を補完しているのだと俺は考えている」


「?」


「分からなくていい。感覚は人それぞだし、いわゆる霊感がない人間はいないと思う。得意な認識方法とその強弱が異なるだけだ。だから、本条にも霊感があるということだ」


「ひっ! わ、私見えるようになっちゃうんですか!? こ、こわいです!」


「すぐにどうこうはない、焦るな」

「というか、やっぱり霊っているんですよね?」

「ああ、お前の隣には篠田美帆がいて頬っぺた突っついてるぞ」


「ほ、頬っぺた……こ、ここに……ぎゃあああああああ!」


 慌てて八神の腰にしがみつく陽菜子。

 パンッ!

 「痛いだろ、って白鷺か」

「新人脅かすんじゃないわよ、大丈夫陽菜子ちゃん?」


「うう、こ、こわいですぅ」

 

 既に半泣き状態の陽菜子は、巫女服姿の女性に助けを求めたがすぐにべつの感情に支配されていた。

 艶やかな黒髪のロングと、クールビューティーな美貌。

 女優さんみたいだと、思わず見惚れてしまっていた。

 

 「大丈夫よ、あなたはとっても強いものに守られてるから憑りつかれるなんてことは心配してなくていいわよ」

「ほ、本当ですか!? ってまだ、信用するわけには、いえ私が見てるのは白昼夢っデイドリーム! てことも!」


「もう夜だぞ」

「人がせっかく現実逃避しようとネタさがしてるのに! なんでいちいち突っ込んでそれをぶちこわすんですか! 大体ね、今日の捜査だって犯人を挑発してみたり、勝手に突っ走るし、もうちょっとね……もうちょっと、はぁ、疲れた」


 「憑かれはしなかったが、疲れたようだぞ白鷺」


 パンッ! 持っていた雑誌で再び八神の頭を叩くと、白鷺は呆れ気味に陽菜子を休ませるためソファーへと連れていく。

「まったくあんたっていっつもデリカシーがないんだから、このノンデリ中二病」


「ひどい言われようだ」

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