第2話 

 陽菜子が軽いショックを受けながら更衣室を出てくると、あの八神という男性が待ち構えていた。


 「えっと、本条さん? だっけ、俺は八神だ。これから機捜番で現場に行かなければならないが、内務規定で単独行動はできないから一緒に行ってくれると助かる」


 (あれ? 意外と普通の話し方できるんだ? もしかしてさっきのは新人イジリ!? なあんだ)


 「は、はい! よろしくお願いします!」


 「じゃあ、車で行くから、地下駐車場」

 「お供します」


 「おとも……?」


 八神と本条が地下駐車場へエレベーターで降り、向かった先にあったのはアルファロメオ・ジュリエッタという車種だった。


 「これが覆面パトカーなんですか? 外車なんだ、すごい」

「いいや、そんな予算うちにはない。だからこれは俺の車、じゃあ乗って」

「は、はい……」


 (正面の顔が、なんだかブタさんのお鼻みたくてかわいい)

 八神が選びそうにない車種に思えたので、結構面白みのある人なのかもと期待したのは浅はかだったと後に考えを改めることになる。

 

 助手席に乗ってすぐ手渡されたのはタブレットPCだった。

 

 「事件の情報で分かっていることだ。現場につく前に目を通しておいてくれ」

「は、はい」


 今までの流れでは、経験上車内で軽い自己紹介やキャリア組への賛辞や試験の難しさ、出身大学などについて持ち上げてくることが多かった。


 陽菜子は自分のことを語ると相手によっては自慢に聞こえてしまうリスクを恐れ、なるべく謙虚に話すつもりではいたが、それでも時折向けられる嫉妬の目線は苦手だった。


 だが、八神にはそういったものはない。

 仕事人間。


 これが陽菜子の第一印象。

 ちらり彼の横がを見てみると、思わず声をあげそうになった。


 涼しげな眼元はややタレ目がちで愛嬌があり、その体形とあいまってモデルでも務まりそうなイケメンではある。


 タブレットPCに用意された情報は、中野区のゴミ集積所で収集業者の男性職員が死体を発見してしまった。


 被害者は女性。身元確認中。


 いずれ情報が更新されてくるそうだが、現在はまだこれだけである。


 「情報が少ないって顔をしてそうだな」


 ハンドルを握りながら八神がそう口にした。

 まるで心を読まれているかのようで、一瞬どきっとしたがよくよく考えると想像のつく内容だろうと安堵する。


 「あの事件の影響でな、捜査一課や二課まで総動員してる影響で通常の殺人事件に回す人員に余裕がないらしい」


 「ああ、なるほど……」


 あの事件。

 陽菜子は一応警察内部にいるためにある程度の情報は把握していたが、日本犯罪史に残るであろうシリアルキラーによる連続殺人事件が現在進行中なのだ。


 「情報支援室はあの事件には携わっていないんですか?」

 「何名か派遣されているが、情報が錯綜していたりマスコミに伏せなければいけない情報の選別が多くて捜査どころではないらしい。えっと、一応守秘義務あるからな」


 「はいもちろんです」


 意外だなと陽菜子は思った。落ち着いた声とやや気だるそうな成分が数パーセント混ざっている八神のコミュニケーション要素から察するに、こういった助言というかフォローをするようにはあまえり見えなかった。


 「そろそろだが、本条」


「はい?」


「ああ、これはあれか。遺体は無理して対面しなくていい。今回は特にな」


「えっと、一応研修で犯罪犠牲者のご遺体に対面したこともありますし、講義は受けています」


「止めたぞ俺は」


 規制線の前にいた警官に誘導してもらい、アルファロメオ・ジュリエッタを停車させると八神はそそくさと降車していく。

 手持ちの鞄を肩から下げると、陽菜子に対し目でついてこいと圧をかける。


 (急に機嫌が悪くなった? なぜだろう、なんで今回は遺体と対面してはだめなの? 私だって経験は積みたいのに)


 規制線の警官に警察手帳を見せて中に入る。少し刑事ドラマみたいで、精神が高揚するのを陽菜子は感じる。


 八神といえば、淡々と警官から事情を聞きメモをしていく様子がさすがに手慣れている。

 そうか、情報支援室というのは現場と密接に関わる部署なのかと陽菜子は経験を積めることを素直に喜んだ。


 「遺体発見時刻は 8時6分。ゴミ袋がいつもより多いと思っていると、袋の隙間から足がのぞいていたということだ。ちなみに収集作業員のアリバイは完璧だ」


 「遺体発見時の様子を作業員の方から聞きますか?」

「いや、ショックでそれどころじゃないらしい。俺は遺体の状況を確認してくるが」


 俺は止めたぞ、とでも言いたげな目線が突き刺さる。


「だ、大丈夫です」

「そうか、まあ無理はするな」


 (現場経験が少ないことを見透かされているようで、なんか悔しい)

 ブルーシートをめくり中に入ると、鑑識が遺体の写真撮影を終えて出てくるところであったが、皆顔色がよくない。


 陽菜子とすれ違いで出て行った若い刑事が、耐えきれなくなったのか嘔吐している音が響いてくる。

 きっと経験がないのだろうと陽菜子は気の毒になった。


 「どうも、情報支援室の八神です」

 八神が鑑識に一礼し、挨拶をしたので陽菜子もそれにならう。

「まったくさ、あのシリアルキラーの事件に関わらなくてよかったと安心してたらこのざまだよ。って大丈夫なのかいそこのお嬢さんは」


「止めたんですが、本人が大丈夫だと言ってきかないんですよ」


「そうかそうか、じゃあ……ガイシャは 篠田美帆しのだみほ  28歳 職業は会社員、いわゆるOLだな。外資系の金融会社に勤務。

 残業で退社したのは午後22時過ぎ。会社からのルートでは東西線を利用している。


 死亡推定時刻から、帰宅途中に襲われたものと思われる」


 ここで鑑識担当が、遺体にかけられていたブルーシートをめくる。


 数秒後、陽菜子は外へと駆け出していた。


 派手に聞こえる嘔吐の音と、嗚咽にも似た苦悶の声。


 誰もが気の毒にと若い女性警官を憐れんでいる。


 そして陽菜子は、猛烈な怒りと自己嫌悪の渦中にいた。


 (あんなことが、人にできるっていうの!? なぜ? どうして!? そしてどこかタカをくくっていた私、本当に最低!

 被害者がいたのに! つらかっただろうに、苦しかっただろうに!


 経験を積みたい!? 私はなんて傲慢なんだ!)


 陽菜子は自分でも気づかぬうちに悔し涙を流していた。


 そこに、すっと差し出されたのは一本のペットボトルだった。


 結露がついた冷えたミネラルウォーターのボトルがそこにある。


 「水だ。それとここに入ってるもので整えろ」

 八神だった。


 彼はこうなることを見越して、これらを用意してくれていたのだろうか。


 ペットボトルの水で何回も口をゆすぎ、コンビニの袋に入っていたタオル地のハンカチで口をぬぐう。

 さらに、中にはタブレットタイプの清涼菓子、いわゆるフリスクタイプのお菓子ケースが入っていた。


 気が利きすぎでしょ! と思わず突っ込みたくなるほどに、八神の配慮にはただただ頭が上がらなかった。


 10分ほどで精神と体調が回復し、近くで待っている八神の元へ向かい頭を下げた。


 「すいませんでした。アドバイスに従っておくべきでした」


 「いや、たいしたもんだ。よくこの短時間で持ち直した」

「いえ、お恥ずかしいかぎりです」


 「何が恥ずかしいと思った?」

 「自分自身の甘さと……ご遺体に対し手を合わせることすらできなかったことです」


 「……」

 ポンと肩を叩いた八神は、もう一度遺体のあるブルーシートの壁の向こうへ陽菜子を誘った。


 再びこみあげてくる吐き気を無理やり抑え込みながら、せめて手を合わせるだけはしようと誓う。


 遺体には再びシートがかけられていたが、八神は陽菜子と共に手を合わせながらに視線を投げる。


 しゃがみながら、陽菜子は手を合わせる。

 (お辛かったことでしょう。せめて犯人逮捕に向けて、私なりに全力を尽くしたいと思います)


 「そうだ、そういうことだからさ。ああ、なるほど。残業続きで疲れていたから眠るようにして歩いて帰っていたのか」


 (八神先輩?)


 八神は遺体とは違う方向を向いて、誰かと話しているようにしか見えない。


 「少しだけでも何かないか……いきなり頭に、前? 後ろ? 後ろだな、後頭部に衝撃と痛みそこで……つらいことを思い出させてしまってごめんな」


「せんぱい?」

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