アスティの町

 タゥの朝は早い。日の出と共に起きて、昨日の晩餐の後片付けだ。少しひんやりと感じられる井戸水で皿を洗いながら、タグマの森をぼんやりと眺めた。


 この地は温暖な気候で、10月に雨期がある他は、突発的なスコールがあるだけで、基本的には毎日晴れだ。

 遠い国には大変寒い気候の国があるとも聞くが、タグマの森に生き、タグマの森に没すると決めているタゥにとっては関係のない事だった。


 しっかりと洗濯を済ませ、立ち上がったタゥは日時計を確認した。午前の8の刻まであと少しだ。

 洗濯物を干した後、タゥは家に戻り、革のリュックにゴロゴロとウスルスの牙と角を入れた。合計8本になるので、アスティの街まで売りに行くのだ。


 リュックを背負い、干し肉を準備したら出発だ。ラプカを持っていないので、移動手段は徒歩である。干し肉をかじりながら、森に切り開かれた道を、てくてくと歩いた。


 一刻程経つと、石畳の道にでる。まだ時間が早いので人出は少ないが、市場は賑わっている様子である。

 賑わいから逃れるように北西にすすむと、赤い屋根の二階建ての道具屋が見えてくる。一階が出窓になっていて、店の中に入らずとも取引が出来る仕掛けだ。

 タゥが道具屋に近付くと、髪の長い男が満面の笑みを作った。


「やぁ、タゥ! 毎度ご贔屓にどうも! アカネの実のジュースはどうだい?」


「やあ、ジャック。ジュースは鉄粒3つだな? それ以上だったら買わないぜ」


「なに言ってるんだい、うちが値段を変えた試しはないだろう。ほら、量もたっぷりだろう? 毎度あり。飲んでる間に、査定しちゃうからちょっと待ってな」


 ジャックは中肉中背で、藍色の髪を背中に伸ばしている。着ている服は本人いわくお洒落な格好で、袖無しの服に襟が付いていて、黄色や青色の糸で刺繍がされている。

 左肩に革紐で木の実のアクセサリーが飾り付けられているのは、実はタゥも一緒で、おそろいだ。これは若い男に人気のアクセサリーだと聞いていて、ケラソ族でも同じようなアクセサリーを着けている狩人は多い。


 ジャックはゴトンゴトンとタゥのリュックから角と牙を出し、査定していく。一本がそれなりの重量の為重そうだが、手付きに不安は見られなかった。


「よーし、8本で銀貨2枚と銅貨70枚だな。確認してくれ」


「ああ、丁度だ。今日も良い取引をありがとうな」


「俺とタゥの仲だろう? 野暮な事は言いっこなしだぜ! それと、今日はタゥの誕生の日だろう? 荷物になるから花は用意しちゃいないが、今夜は宴だろう? 目一杯楽しむといいさ」


「ありが……」


「祝い事かい? そしたら是非うちを紹介しとくれよ」


 ふわりと近付いてきたのは、丸いつば付きの帽子を被った、紫色の髪の女だった。鳥の羽を加工した派手派手しい上衣を身にまとい、会わせ目から覗く胸の谷間が色っぽい。しかし強い香水の香りが不快で、タゥは密かに身じろぎをした。


「ナターシャに用はねえよ。さっさと帰ってくれ」


「おやァ、つれない事を言うんだねェ、ジャックが一緒でもこっちはかまやしないよォ」


 なおも言い募ってくるナターシャに、ジャックは手をひらひらと振って追い払った。ナターシャは不満そうな表情をしていたが、タゥに流し目でウィンクしてから、ようやく立ち去っていった。


「気の強そうな友人だな」


「友人っつーか……いつものアレだよ。ご機嫌伺いって言うか……。俺が男前と喋っているから、粉かけたんだろ」


「ジャックがそんな風に言うって事は、ジェニーやキャシーと同じような感じか?」


「ご名答。あいつは娼婦だよ。タゥは娼婦を買わないって聞いてるけど、買う時は、俺に相談してくれよな。初心者じゃ有り金巻き上げられちまうからさ」


「わかってる。町での事はジャックに頼るに限るよ。そう言えば、今日はソニアの姿が見えないな」


「ソニアならそっちの端っこで店広げてたぜ。何かアクセサリーでも入り用か? おーい、ソニア! タゥが呼んでるぜー」


 そうして呼ばれて出てきたのは、背の低い少女だった。淡い金色の髪を左右に垂らして、つるんとした体型をぶかぶかのズボンで隠している。


「どうも。銀細工を探してるのかい?」


「ああ。実は近々見合いをする予定があるんだが、返礼の品を銀細工にしたらどうかと思ってな」


「他のケラソ族で返礼の品っていうのは聞かないねぇ。嫁に銀細工を送りたいっていうのは良く聞くけどさ。キリクがタゥは本当にたくさんの娘達と見合いをするみたいだって言ってたよ。返礼の品をもし用意するなら全員同じ物が良いだろうね」


「全員同じアクセサリーで、10人分だと、どれくらいになる?」


 ソニアはじゃらりとネックレスを持ってきて、台座に並べた。


「これぐらいの質で、銀貨1枚だよ」


「へぇ、綺麗なもんだな。これなら記念につけても売ってもよさそうだ」


 横から見ていたジャックがそうはやし立てると、タゥは満足そうに微笑んだ。


「じゃあ、こんな感じで父に相談してみる。本当はラプカを入手するまでは、貯金にいそしむべきなのだろうが、出来れば返礼の品を用意したいと思っている。ソニア、また相談させてくれ」


「うん、わかった。タゥの見合いがうまくいくよう、私も祈っているからね。それと、誕生の日、おめでとう。じゃあね」


 そう言ってソニアは地面に布を広げた販売スペースに戻った。客商売にしては愛想がないが、商品には絶対の信頼を持つソニアなので、買うならソニアの店と決めていた。


「お待たせ、ジャック。最近困った事とかないか?」


「あ……うん。なんかソニア、ツンケンしてたな。仕入れに向かった親父さんの帰りが遅いから、心配なんだろうな」


「なるほど。先月帰ってないんなら、もうふた月にもなるのか。そりゃあ心配だよな」


「あぁ、それとケラソ族の若い男がウチじゃなくて流れの商売人に角と牙を売ってるみたいなんだ。高く売れるならいいかもしれないが、損をすることの方が多いはずだからな。きっちりウチの道具屋に売りに来るように言ってくれよ」


「わかった。忠告ありがとう」


「じゃあ、またな! キリクにも宜しくな!」


 ジャックと別れ、ラプカの並み居る市場へと足を伸ばす。そこで野菜と卵とパルの実の粉を買い込み、リュックへと詰め込んだ。

 帰路につき、森に切り開かれた道を、てくてくと歩いていく。ここを南にまっすぐ南下していくと、ケラソ族とは違う部族が生息していると聞いている。

 タゥはケラソ族の西に位置する場所に住居を構えており、ほとんど近所しか行ったことがない。

これもラプカを得てからのお楽しみとして、父からは伝え聞いていた。


 やがて家に到着し、アカネの実の酒で喉を潤していると、戸板がドンドンと叩かれた。


「トジンの家のキリクだ! タゥ、帰っているか?」


「ああ、戻っている。いま戸板を開けよう」


「かたじけない。……おおタゥ、今日は一段と男前だな! おぬしが町に向かうのを見かけたもんで、帰ってくるのを待っていたのだ」


「それでわざわざラプカに乗ってやってきたのか。どうぞ入ってくれ」


「お邪魔するぞ。察するに、昼飯はこれからなんだな。中天まで一刻はあるが、早めに切り上げる故、どうかよしなにな!」


「ああ、こちらこそ。ジャックもキリクに宜しくと言っていたよ」


 タゥは上座に座り、キリクはその向かい側に腰を下ろした。振る舞いはアカネの実の酒である。パンベの樽にアカネの実を三日ほど漬けておくと酒になるのだ。


「それで、今日はどうだった?」


「ジャックに注意されたのは、角と牙の売り先についてだ。どうやら若い狩人が流れの商売人に角と牙を買いたたかれたらしい。いつもの道具屋に売ってくれって言ってたよ」


 キリクはケラソ族では珍しく小柄なほうで、狩りでは弓を扱う方が得意であるらしい。明るい茶色の髪に焦げ茶色の瞳で、一つに括った三つ編みを垂らしている。

 年は20歳で、嫁取りも終えており、一児の父である。しかしラプカを得て、初めにしたことは駆け比べの練習ではなく、情報収集と情報交換であり、最終的には族長も彼を頼りにするほどであるとか。

 何が彼を駆り立てるのか、それはキリクにしかわからない。

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