ケラソの家のタゥ
素凰
ケラソの家のタゥ
「アスロ! 走れ!」
木漏れ日の降り注ぐ森の中、一緒に走っていたアスロに激を飛ばす。気付けば草笛が吹き鳴らされる。キーヤだ。タゥは瞬時に指示に従い、北東に駆け出した。
緑の深いタグマの森で、ケラソの一族はウスルスを狩って生活している。
ウスルスは黒褐色の体毛に、強靭な角に潰れた鼻、鋭い牙を持つ大型の草食獣である。その旺盛な食欲で作物を食い荒らしてしまう為、山の麓に住むケラソの一族及び狩人の一派は、その類い希なる運動神経を余さず使い、ウスルスを身体を張って仕留め続けているが、減る陰りもない。
ウスルスは害獣として名を馳せる一方、肉が大変美味であるという観点から、共存共栄が望まれていた。
北東の罠に追い込み、罠にかかったところで、頸動脈を絶つ。血抜きを施し、木に吊したところで、アスロが追い付いてきた。キーヤも木から木を飛び移り、するすると降りてくる。
「ハァハァ……、タゥ、仕留めたんだね」
「アスロも追い込み役、お疲れさん。先行役のキーヤも、お疲れさん!」
「タゥ、見事な追い込みだったぞ。アスロは、ちょっと遅かったな」
「お、俺、走るの遅いから、め、迷惑ばっかりかけて、ごめん」
アスロは長身で、骨太の体型をしており、人より少々大きい分、少々鈍くさい。
髪は後ろに一つに纏めた三つ編みで、朱色の糸で括っている。黒褐色の髪に緑色の瞳という見た目も、ごつごつと骨ばった顔もケラソの一族にとって何ら珍しいところはなかったが、彼はなんとケラソの家の長男であり、次期族長と目されている人物なのだ。正直言って、頼りない事この上なかったが、タゥはアスロを嫌いではなかった。
アスロも俺達も、着ている装束は上下に分かれた袖無しの一般的な様相で、上衣にはケラソ族の紋様が渦巻き模様で描かれており、布地は朱色に染め抜かれていた。
「タゥ、配分はいつも通りでいいか?」
そう尋ねてくるキーヤはふたつ上の17歳で、ヤパロの家の長兄であり、タゥとアスロを含めた三人隊列のリーダーだ。キーヤは茶色の髪を左右に三つ編みにしており、思慮深い群青色の瞳を光らせ、ほどよい棒に血抜きの終わったウスルスの前足と後ろ足を縛り付けた。討ち取った獲物はこうやって森の入り口の解体小屋まで運ぶのである。
「うん、了解。俺は、背中の肉があればいいからさ」
「じゃあ、右の角と牙も持って行け。アスロは、下半身全部と毛皮でいいな?」
「う、うん。せめて帰りは、お、俺が運ぶよ」
「ああ。じゃあとどめを刺したタゥは一足先に戻っていて貰えまいか? 出迎えの娘達も、胸を撫で下ろすだろう」
「了解。じゃあ、先に行ってるなーっ」
タゥは、元気一杯に返事をすると、左右の腰に剣を揺らしながら、森の中を駆け抜けた。タゥは本来二刀流であるが、今日は一本の刀で事足りた。ウスルス狩りは危険を伴う仕事だが、タゥは15歳の若年ながら、確かな達成感を胸に伸び伸びと仕事を果たしていた。
森の入り口は、森の恵みを収穫する事を許されているので、娘達の姿もちらほらと見受けられる。そんな中、タゥの帰還を笑顔で迎えてくれたのは、ヤジュの家の双子であった。人気のある男には、娘の出迎えがつきものなのである。
「タゥ、お帰りなさい! 今日もお疲れ様! 無事の帰りを、ずーっと待ってたよーっ!」
元気一杯に輝く笑顔でそう語りかけてきたのは、ヤジュの家の長姉、リマだ。その屈託のない性格と、同い年という境遇もあって、そこそこ仲の良い相手だ。
茶色の髪を左に編み込んでいるのがリマ、右に編み込んでいるのが妹のリズである。くりっとした大きめの瞳は2人とも赤色で、違っているのは体型くらいだ。着ているのは上下に分かれたケラソの一般的な装束で、袖無しの胸当てには渦巻き模様の紋様が描かれており、朱色に染め抜かれている。リマは豊満な身体をしており、ちょっと小柄だ。リズはすっきりとした身体をしており、少し背丈が大きめである。
「出迎え、ありがとう。今日も無事に仕事を果たす事が出来たよ」
「お姉ちゃんは毎日、本当にずーっと待ってるから、怪我しないように帰って来てよね!」
「リズも、激励ありがとう。仕事中でも、2人のことを忘れたことはないよ」
「へへーっ、お姉ちゃん、良かったねぇ」
「もう、タゥは仕事で疲れてるんだから、余計な事言わないの!」
「嬉しいくせにー」
リマは真っ赤になって手元を手繰り寄せると、その瑞々しい生気に溢れた身体をぎゅうっと縮こませて、一輪の白い花を差し出した。同じように、ニコニコ笑いながらリズも同じく白い花を差し出してくる。
「明日は誕生の日でしょう? ケラソの本家でお祝い会が開かれるって聞いてさ。あたし達も顔を出すけど、族長の前じゃ緊張しちゃうから。祝いの花だけ、今日渡しとくよ」
「ありがとう。大事にするよ。それと、明日も足労かけて、すまないな。とても嬉しく思っている」
そう言って、タゥは明るい青色の瞳を煌めかせた。誕生の日は族長の一家と、族長の弟であるタゥの父だけが参じる予定だったが、見合いの予定を立てる為、希望者は参加して良い事になったのだ。
「タゥももう一人前になって良い年でしょ? タゥが16歳になったら、どうせ見合い三昧なんだろうしさ! でも、たくさん希望者がいるからって、あたしのことを忘れないでよ?」
「もちろんだよ。見合いを決めるのは父であるサランだが、順番が巡ってくるのを楽しみにしている」
「うん! あたしも楽しみにしてるからねー!」
そう言って、リマとリズは手を振りながら去っていった。元気いっぱいで、瑞々しい生命力に溢れた幼なじみ達を愛らしいと思う。
ケラソの一族で美人の定義とは、すなわち健康でたくさん子供を産める事である。タゥもその定義に外れる事なく健康的な美しさを愛おしく思う質であったので、これから見合いの時期を迎えるにあたり、たくさんの健康的な美女達との出会いを思うと、胸が騒いでならなかった。
キーヤとアスロと合流して、分け前を分担し、帰路につく。
タゥは、父であるサランと一緒に暮らしていたが、成人と見なされる15歳から家を分け、一人暮らしを始めていた。
家を建てるのは大変な苦労だったが、父たるサランも手伝ってくれたので、事なきを得たように思う。タゥは光のこぼれる前髪をかきあげながら、家に入った。
タゥの髪は見事な金髪であり、賞賛を受ける事も少なくなかったが、タゥ自身は好いていなかった。そのため、朱色の糸で三つ編みをたくさん作り、細かく編み込んでいる。どうせならば父のような黒褐色の髪に生まれつきたかったものだ。
まずは誕生の祝いに貰った白い花を花瓶に入れて、水を注ぐ。その後改めて井戸から水を汲み、夕飯の作成だ。
野菜箱からイプンとリュマ、ルッケを取り出す。台所に立ってそれぞれ皮を剥くと、包丁でざく切りにしていく。ルッケを多めに入れるのは、タゥの好みだ。ルッケは揚げ物にしても美味しいし、ついつい多めに買ってきてしまう。
鍋に水と野菜を入れ、本日の成果である背中の肉も、適度な大きさに切った後、多めに入れる。かまどに火を入れ、鍋を煮立たせる。それから半刻程は、灰汁取りに専念する。その間に、切っておいた背中の肉を串刺しにして、かまどの火で炙り焼きにする。
ウスルスはどこを食べても美味しいが、適度に脂が散っていて、焼いても煮ても脂身がとろりとして絶品である背中の肉をタゥは好んでいた。
トントン、と戸板が叩かれたのは、灰汁取りが終わってバンジの実で味付けを行った直後の事であった。鍋はもうひと煮立ちさせれば完成で、串焼きも焼き上がっていた。パンは三日ごとに焼いているので、今日は作り置きのパンを用意する。
「ルネ-の家のマリアです! タゥは元気に帰ってきましたか?」
戸板を開けながら、タゥはこっそりと髪を整え、息を整えた。マリアも同い年の幼なじみではあったが、生命力が人一倍力強く、タゥにとっては誰よりも可愛らしく思える程だったのである。狩りの後の出迎えが出来なかった時には、こうして家まで来てくれる事もたびたびあったのだ。
戸板を開けると、薄闇に包まれたマリアが立っていた。もう半刻もしないうちに日没だろう。大事な晩餐の前に会いに来てくれた愛おしき幼なじみに、タゥは優しく笑いかけた。
「こんばんは、マリア。何か困った事はないか?」
「今日も元気そうで安心したよ、タゥ。困った事なんてありゃしないよ! あたしは家を分けたわけじゃないしね! うーん、バンジの実のいい香り! 今日の晩餐も美味しそうだねー!」
マリアもケラソ族の一般的な装束を着込んでおり、上下に分かれた朱色の様相がまたとなく似合っていて、タゥの胸を高鳴らせた。マリアは背丈もそこそこ高く、豊満な体つきをしている。髪は黒褐色で、その力強い瞳は水色に輝いていた。
「今日の晩餐も上手く作れたと思う。これも家を分けたばかりの頃にマリアに教わったのが良かったんだろう。家が近所で、助かった」
「何言ってんの! ご近所さんなんだし、助け合うのは当たり前でしょ。それでさ、次の揚げ物の日なんだけど、明後日でどう?」
「ああ、いいぞ。明日は俺の誕生の祝いがあるんだが、マリアは来てくれるか?」
「会ったり前でしょ。タゥは16歳になったら見合いを始めるんでしょ? 今の時点でもたくさんの家の娘っ子が見合いの候補として立候補してるみたいだって、情報通のキリクが言ってたからね!」
見合いとは、婚礼の相手を探す為に行われる二者面談のことである。ケラソ族では15歳から婚礼の儀をあげることが出来る。そして嫁を得て一人前と呼ばれ、ラプカと呼ばれる岩蜥蜴を得る事が出来るようになる。特にラプカは、ケラソ族の一年に一度のお祭りで駆け比べを行う為、重要視されている。
「俺も父さんに全容を聞いていないのに、キリクは流石だな。本当にそんなにたくさんの娘達と見合いが出来たら、いい思い出になるだろうな」
「うんうん! 初めてのお見合いが人数は一番多いらしいよね! あたしも勿論立候補してるからさ、楽しいお見合いにしようよ!」
「ああ、今から凄く楽しみだよ。ありがとう」
マリアは納得した様子で、手を振りながら帰っていった。その後に改めて食事の用意をして、晩餐の席についた。バンジの実で味付けをした鍋も美味であったし、塩味の串刺し肉も、やはり脂身がとろりとしていて、絶品であった。その後は身体を清めた後、就寝である。
明日は、16歳の誕生の日である。本来は父であるサランの家で行われるはずだったが、本家で行われることになったのは、族長の意志が反映されていると聞かされている。つまり、族長に目をかけられているのだ。そんな風に聞かされて、明日の祝いが楽しみで仕方なかった。
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