【第9話】追憶、かつての「友」よ
川底に沈んだ岩。巻かれていたしめ縄は水により劣化し、最早これが何か分からない状態にまでなっていた。これは、かの友のご神体だ。役に立たなかった神に怒り、人々が川底に投げ捨てた、かの友の宿り場。
「こりゃ、彫るのも一苦労じゃのぉ。しかも、龍体か」
一人の部屋、雅はそうぼやきながら、長い髪を簪でまとめる。
――大君。それは、臥流殿のご神体で?
そんな彼に、その眷族である蛇が問いかけた。
「うむ。我が彫刻するのもこれで最後じゃ。じゃが、よりによって最後の素材がこんなにも硬い岩で、龍なのじゃよ」
わざとらしく困ったような表情で言うが、蛇は一切をスルーして事務的に切り返す。
――大君が始めた事。どうぞご完遂なさってください。
「おぉ、無慈悲じゃの。手伝うの一言くらい言ってくれてもよかろうに」
――手伝える事はありませんので。それでは、ご健闘を。
「全く。冷たい眷属よ」
雅は膝に頬杖を突きながら、岩を前に考える。かの友をどう掘った物かと。
「ま、いつも通りやるかの」
道具に手を伸ばし、未だ記憶に新しい友の姿を岩に刻んだ。
思い出したのは、遠い昔。まだ友が一人も果てておらず、皆健在であった頃。その場には鹿と烏、狼や狐に猫、そして龍と蛇がいた。
「がははっ、聞いてくれ友よ! 今朝、余の住処の近くに鹿がうろついておってな、狩ってきたんだ! と、言う事でどうだ? 鹿肉鍋としよう!」
「おいおい、お前さんも鹿の姿を持っているだろう? 罪悪感というものはないのかね?」
「おっと、烏さんよ。そりゃ違うぜ? 余は鹿の姿を持つ神、これはただの鹿だ。お前さんだって、この前焼き鳥を食っていただろ?」
「あれは鶏の肉で出来ている、烏ではない。よって小生が食べても問題ないのだよ」
鹿と烏はそんな事を言い合い、そんな彼等に白狼は呆れたため息をつく。
「全く。鹿は野蛮で良くない。狩った獲物をそのまま宴に持ってくる奴がおるか、精肉してから来い。妾は貴様のそういう所が気に食わぬのだ。狐、精肉してやれ。得意であろ?」
「それはおめぇが狩ったモンを自分で肉にしねぇからだろうがよぉ。大体、狼なら狩ったモン直で食いやがれってんだ」
「ふん。野鼠を食らうのは野蛮者だけで結構、妾は御免だ」
「あら、間接的にわたしくし共猫の事も罵ってらして? そもそも、男勝りの勝利の女神こそ野蛮だと思いますわよ?」
「友よ。戯れもいいが、度は越すなよ。折角の酒だ、楽しく呑もう」
狐と狼の睨み合いに割って入った猫。そんな彼等に微苦笑を浮かべ、龍は宥めるように隣の狼に酒を注ぐ。
皆、仲が悪い訳ではない。これも一種の腐れ縁という奴だ。もしこの縁が悪い物であれば、この狐は速攻で切っていただろう。
蛇は皆の戯れにコロコロと笑い、隣にいる狐を見やる。
「そうじゃのぉ。折角じゃ、仲良く行こうではないか。のぉ来縁よ」
「何で俺を名指しするんだよ、雅……はぁー、分かった分かった。おめえ等、酒の席でいがみ合いは為しだ。言いたい事は色々あるだろうが、今は無しとしよう」
「うむ、そうじゃの。乾杯じゃ」
蛇が杯を掲げると、六つの「乾杯」と同じ言葉を繰り返す声と、七つの杯が重なり合う。
友が集まり、同じ酒を呑む。交わした杯は多くあり、最初に鹿が潰れ、本相に戻った姿で呑気に寝言を漏らす。烏がそんな鹿を笑うが、彼も間もなく酒に負けて人の姿を保っていられなくなり、酔った猫にそのまま鍋に投げ入れられそうになるまではテンプレート。それでも鍋を撤回しないのは、絶対に酔わない龍が必ず止めると言うのと、狼が鍋料理好きで「宴の席から鍋を外す事は許さぬぞ」と譲らないからだ。
七つは人々の想いが生みだした神のようなもの。
平和への望みが生みだした「調和の担い手」繕角ぜんかくは鹿の姿を持ち、戦に勝ち残った強者の滾りが生んだ「勝者の化身」千火せんかは狼の姿をしている。生に苦しむ者の未来が分かればという思いに応え生まれた「予知の黒羽」矢咫やたは烏の姿、川を恐れる人々の縋る気持ちで生まれた「川流れの守護者」臥流は龍だ。そして、裕福に生きたい、幸福に恵まれたいと願う者の心から生まれた「幸金の主」雅は蛇であり、良き縁を望む者の願いから生じた「縁の統治者」来縁は狐、豊作を願う心から生じた「豊作の恵」珠たまは猫だった。
皆、想いから生じた存在。信心により生かされる、そんな生命だ。明確な寿命がないだけで、それらの命は案外人の子の物より呆気ないのかもしれない。
「わたくし、がんばりましたの。だけど、皆いっぱい食べちゃうから。追い付かなかった。人が増え過ぎなのですわ……だれど、その中の誰も、わたくしなど信じておりませんの」
「悲しいわ……だけど、わたくしがいなくとも大丈夫になったのなら、それに越した事はないのかしら……雅殿。わが友よ。子等に何かあったら、頼みますわよ」
「なぁ、雅。小生は、もう予言が出来ぬのだ。皆、自分で考え、努力するという事を忘れてしまった。したらどうだ、見てくれないかねこの力、微量もいい所であろう?」
「甘やかし過ぎたのかもしれない。だがもう、甘やかしてやる事も出来ないのである。嘆かわしいと思わんかね……なぁ友よ。小生は、どうしたら良かったのだろうな」
「何故だっ! 何故平和を妬む者がおるのだ! 平和を求めるのであれば、自らそれに向かい奮えばいいだろう! 余の信徒を襲う必要が何処にあった!?」
「友よ。今の余は、滑稽に見えるか? 調和ばかり保った結果、皆を殺した余は、愚者なのだろうか……何、答えなくていい。言ってみただけだ。ありがとう。世話になったな、雅」
「友よ、雅よ。吾輩は、吾輩は……っ! なぁ友よ! 全て、吾輩のせいなのか? 水が全てを呑んだ。これは、吾輩のせいなのか……? 吾輩は、皆を護りたかったのに……」
「皆、吾輩を罵った。いつからだ? そうだ。あの子が溺れてしまった時からだ……あぁ。悲しい。恨めしい……吾輩は、皆を愛していたのに……こんな風に、終わるのだな」
「敗者の死に際を見に来るとは、蛇は相変わらず悪趣味なのだな。だが、多くは言わん。弱者の弁解など、ただ聞き苦しいだけだわ」
「雅。妾の小童は、消えていないであろうな? 無いとは思うが、妾の後を追わせるなよ。ここは、泣き虫に務まる席ではないわ。……あれだけ言ったのだ。無いとは思うがな」
皆が果てた。想いが離れ、信心が潰え、皆呆気なく消えて行った。
「静かだな。久しぶりに呑もうと言うからなんだと思ったが、二人だけで呑んだって面白きゃねぇだろ」
現れた狐は、九本の尻尾を揺らし、用意された円座に胡坐をかく。その前に座る蛇は、既に空になりそうな杯を揺らし、コロコロと笑った。
「一人で呑むよりマシじゃろうて。ほれ、来縁よ。注ぐがよい」
「若干俺より年上だからって酌させんじゃねぇよ、クソ蛇」
狐は舌打ちをしながら、雅の手にある杯に酒を入れた。
「と言いつつやってくれる汝、結構好きじゃぞ」
「好きとか言うな気色悪い」
「ほほほ、そうじゃのぉ……。のぉ、来縁。汝は、あとどれくらい生きられる」
雅は注がれた酒を覗き、問いかけた。
人々は、国を挙げて争っていた。何かの大義を目指してか、開けた海の外に名を認めさせる為か、国が人を費やし戦に立ち向かっている。しかし、結果は目に見えている。勝利の女神が潰えたそれが何を意味するか、彼等はもう察していた。
「さぁな。そりゃ人間次第だ」
「そうかそうか。であれば、一つお願いがある」
雅は顔を上げ、狐を見やった。
縁を紡ぎ守る為の存在を、最後に残った、大切な友を――
「ほれ、我は友等の姿を掘っておるじゃろ? 汝の分は先にやっといてやるのでの、我の分は汝がやるとよい。木の彫刻は、さして難しくないからの」
蛇は目を細め、酒を呷る。その言葉を耳に狐は訝しげに顔を顰め、そうして一笑した。
「はっ、んなのは御免だね」
「精々長生きしやがれ、クソジジイが」
毒を吐いた彼に、蛇は目を丸くした。しかし、そんな友が何だか面白くて、懐かしくも感じて……蛇は、コロコロと笑ってみせた。
「たった五十の差じゃろうて。我が爺なら、汝も爺じゃ」
町に巨大な戦火が落とされ、多くが命なき物と化したのは、それから間もなくの事だった。
自身の巫女は、強い加護のお陰か、その形を綺麗に残したまま命だけを無くしていた。もう二度と目覚めぬうら若き乙女を抱きしめ、蛇は涙を流す。
「のぉ、おちさ。あの時汝が、応と答えておれば……汝が、我が妻となっておれば、汝だけは、死なずに済んだのじゃろうか……」
「同じ事か。我ももう、死ぬやもしれぬ。全部、なくなってしまったのじゃ」
「死にたくない。死にたくはないのぉ……」
小さく呟いた彼の足元で、彼の眷族が口を開く。
――であれば、生きればよいだけの事。大君。
――我のこの身があるのは、大君が生きている故。貴方がまだ、生きたいと願う故……であれば、生きれば良い事。
それはただ事実を述べた。瓦礫に吹き抜ける風を聞き、「雅」は頷く。
「そうじゃの。汝の言う通りじゃ」
まだ生きていたい。彼の身を保つのは、彼自身のそんな想いだ。
「うむ、出来た」
雅は出来上がった石彫刻を置き、満足気に頷く。
神体を見つけられず出来ていなかったこれが、ここでようやっと完遂された。
――流石です、大君。
「ああ、そうじゃろうそうじゃろう? 存分に褒めるが良いぞ」
――これ以上は調子に乗りそうなので、止しておきます。
蛇はきっぱりとそう言い切り、雅はそんな彼女に「冷たいのぉ」と笑ったのだった。
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