【第6話】転校生は「お兄ちゃん」
そんな事があった次の日、伊織は何事もなかったかのように登校してきて、小学生のフリをして授業に混ざる。千郷はそんな彼と他愛もない話をしながら、限りなく普通に近しい生活をしている。
ヤンチャ共はいつも通り噛みついてくる千郷の反応が楽しいようで絡んでくるし、正美が転校してからと言うモノ、彼女の周りにいた女子達は気まずく思っているのか千郷に対してハッキリとしない態度だが、まぁそれは良いとしよう。
すぐ両隣の席に座っているのが、女子達が推しとも言い出すほどのイケメンであり尚且つ実は神様である事を除けば、なんら変哲もない小学校生活だ。伊織も妙に図星をついた噂を知ってから、あまりにもらしくない行動は起こさないようになったし。
(問題は、作文がうまく行ったかどうかだけど)
朝の会。頬杖を突きながら、千郷は横目で彼を見やる。作文の発表は丁度一週間後だが、伊織はどうにか出来たのだろうか。そりゃ、長年のわだかまりが直ぐに解消されるとは千郷も思っていない。が、少しでも複雑な想いがなくなっていれば良いなと思う。
そんな時、担任は笑顔で告げた。
「皆さん、驚かないで聞いてくださいね。実は……このクラスに、また転校生がやってきました」
驚かない方が、無理があった。
転校生がやってくると言うのは学校内でもレアイベントの部類だ。今年はただでさえ伊織くんがおり、そして尚且つ正美が突然転校して行っている。学校内レアイベントが短期間に重なっているのと言うのに、ここにきてまた新たなクラスメイトかと。
ざわつく教室内。担任もこうなる事は予測していた為か、「皆さん静かにー」と平然と注意をし、その転校生とやらを呼び招く。
そうして新たな仲間が教室に入ってきたとき、そのざわつきは更に湧き上がった。それは、主にいつもの面食い女子達が。
「双子……? しかも、イケメン……!」
「やだぁ、このクラスすっごい当たりクラスっ!」
千郷の近くに座っている女子二人がキャッキャとしている。それはそうだ、何せ転校生は、双子のイケメンときたモノだ。二卵性なのか瓜二つという訳では全くなく、雰囲気はほぼ真逆とも言える。だが確かに、兄弟だろうなぁと思える顔立ちはしているのだ。
千郷は、思わず隣の席にいるイケメンくんを見やる。
(あぁ……兄弟ね、こりゃ)
伊織は、分かりやすくもげっと言った表情を浮かべていて、試しにマサを見てみれば、こちらはほんの少しだが微苦笑を浮かべていた。
「皆の衆、おはようっ! 俺は紗織、女っぽい名前で期待させたかもしれないが、見ての通り男だぜっ。そんでもって俺達、そこの端の席にいる伊織くんのお兄ちゃんだ。本当は同時に転入する予定だったんだが、色々あってなぁ、俺達だけ少し遅れたんだ。んまぁそこんトコよろしくぅ!」
「わ……ごほんっ。おれは、大河である。話すことは無い、注釈は全て長兄が言った。おれからは以上だ」
色々な意味で驚くクラスメイト達。そりゃまあ、普通双子や三つ子はクラスを分けられるものだ。
視線は必然と伊織にも集まる。まぁ、この状況だ。当たり前だろうが。
ワナワナと震える伊織。二人の自己紹介が終わった後、ガタンと音を立てて立ち上がる。
「兄貴……後で話がある、校舎裏でもどこでもいいから来やがれっ」
伊織が大きな声で言いつけると、小学生の姿をした紗織はケラケラと笑い、大河はふんと鼻を鳴らす。
こうして、クラス内に神様が四人もいるという事態が起こった訳だ。
(なんだか、騒がしさ五割増ししそう)
千郷はそう思いながら、そんな彼等を眺めていた。
放課後、宣言通り校舎裏には、三つ子と言う設定になった兄弟の三人と、ついでに千郷とマサが集まっていた。
「教えろ兄貴、何のつもりだ」
「はは、んな凄むなって弟よ。伊織がこの学校で小学生やってるって聞いてな、お兄ちゃん気になっちゃってさっ! ちょーっと色々小細工とかしてさ、俺も小学生の紗織くんとして潜入ー! って訳よ。な、大河!」
「この迂闊な長兄は何をしでかすか分からない。放っておけるか」
「ま、要するにお兄ちゃんが心配だから付いてきてくれたってワケ!」
「戯け! 誰が貴様の心配などするかっ!」
「ひゃー、これが俗に言うツンデレってやつぅ? お兄ちゃん最近よくアニメってのを見ているからな、良く知ってるぞぉ。ほら、『長兄』だなんてカワイくない呼び方しないでよぉ、紗織お兄ちゃんって呼んでくれてもいいんだぜ?」
この兄、分かっててワザと煽っている。表情が全てを物語っている、これは、千郷をからかうヤンチャ共と同じ心境に違いない。
「誰が呼ぶか! 妙な解釈はやめろ!」
「ツンデレでもツンドラでもどうでもいいわっ!」
いつまでも続きそうな兄弟劇場を一喝で締めくくり、伊織は切実に訴える。
「もう来ちまったモンはどうにもならんからいい。だが、絶対、間違っても変な行動は起こすな! ただでさえ人外なんじゃないか説とか出てるんだよ、これ以上噂を加速させるな」
「けど、実際そうだからなぁ? なぁ大河」
「バレた所で支障はないはずだ」
なぜここでは意見が一致しているのだろうか。なんだか少し伊織が不憫に思えてきたから、千郷は「まぁまぁ」と口を挟む。
「ここは、そういうモノだと思って。あまりにも小学生から外れた振る舞いはよしておきなさいよ?」
「そうだね。あと君達、僕がこの姿をしている時は、マサって呼んでね。小学生がどういうモノかは、また後で教えてあげるから」
マサがこの場にいる理由は、それを伝える為だったのだろう。朝の会から今までの時間、何度大河に「雅殿」と呼ばれかけた事か。幸い、マサの設定上の名字が「宮兼」である為、みやの二文字の時点で「名前で呼んでほしいな」と比較的自然なく遮れたのだが。
「分かった。あなた達が言うのなら気を付けよう」
表情は一切変えず、スンとした顔のまま頷く。素直に聞き入れる大河はどことなく飼い主に忠実なわんこのようにも見えたが、彼は狼だ。
そんな彼に、紗織は口をとがらせる。
「お前、お兄ちゃんの言う事は聞かないくせに」
「貴様の言う事は聞くに値しない」
露骨に顔に出しているのは、紗織相手だからかもしれない。
仲がいいのか悪いのか分からない兄達に、伊織はジト目を向け、一つ告げておく。
「なんでもいいが、千郷に手は出すなよ」
「無論。人の娘に恋愛的興味は持たない、気にせず虫を払っているといい」
「安心しろ伊織! お兄ちゃんはお前を応援してるんだからなっ」
紗織に肩をバシンバシンと叩かれ、伊織は肩を摩る。良い音が出ていただけあって、普通に痛かったようだ。
しかし、伊織にとっては兄達が千郷に手出しをしないと言うのであれば後はもうほとんどどうでも良かった。
「じゃあ好きにしろ」
そう言い捨てると、千郷の手を引いて校舎裏から去っていった。「行くぞ」という言葉に千郷は「はいはい」と慣れたように返し、恐らく教室に戻って行ってるのだろう。昼休みが終わるまでもう少しだ。
「うんうん。仲良さそうで何より。さ、君達もクラスに戻ろうか」
「分かった」
「おう! ついてくぜ~」
マサに呼ばれ、二人は彼と一緒に教室まで向かった。
この時、廊下ですれ違った下級生の男子から「両隣先に倒さないといけないタイプのボスだ」「同時に倒さないと復活するやつね!」という会話が聞こえたが、マサは聞かなかったフリをした。
「……待て。今の男児、我を長兄とニコイチ扱いしていなかったか」
が、大河にそのスキルがあるかと言えばそういう訳ではない。少し歩いた先でそこが突っかかったようで、ふと足を止めた。
「きのせーじゃね?」
「うん、多分気のせいだよ。早く戻ろっか?」
噛みつきに行かれると困るから、気のせいであるという事にした。
一方、先に戻っていた千郷と伊織は、机の上に次の算数で使う教科書一式を用意して開始を待っていた。
「伊織、お兄ちゃん達とどうなの?」
「鬱陶しい」
「あぁ、そうなのね」
即答も即答に苦笑いする。どうやら、彼の兄達は父の最期の言いつけを守ろうと頑張っているようで、今まで関わる事すら少なかった末弟にここぞとばかりに構いに行ってるようだ。他の兄弟とは多少なりとも喧嘩をしたことがある中、末弟とは喋った事すらないという奴が大半なのだから、そりゃそうなるかと。
伊織自身、鬱陶しいとは言っているが心底嫌な訳ではなさそうだ。勿論、思う所はあるのだろうが。しかしこの感じであれば、舞った甲斐もあったっていうモノだ。
兄の話をしたと同時に、当の兄達を連れてマサが教室に戻って来る。否や、一人のヤンチャが笑った。
「なんかマサ、お前あれみたいだな! 両隣先に倒さないといけないタイプのボス!」
「あ、それなんか分かる! あれだろ? 両隣も同時に殺さないと復活するやつ! 確かにお前ら、ニコイチって感じだもんな!」
その時、大河から発せられたオーラで、ヤンチャ共含むクラスの全員が察した。
(こいつ……明らか地雷踏みに行ったな)
大河を見れば、彼は色々と堪えて震えている。流石のバカも、言ってはいけない事を言った事は気が付く。
「あ、ごめん。そんな嫌だった、今の……?」
「……今、貴様が発言したのがこの場であった事を感謝しろ」
憤りは理性で押さえつけられたで、千郷もマサもホッとしていた。このヤンチャ、場所次第ではそれなりの目に合っていただろう。
「うんうん。手出さなかっただけ偉いよ、大河」
「おれは、そこまで短気ではないぞ」
そこで褒められるのは不服なようで、腕を組んで顔を顰めていた。とはいえ手まで出そうになっていたのだ、説得力はない。
だがこの場において何よりも不憫なのは、ニコイチ呼ばわりされる事をここまで拒絶された紗織だろう。
「そこまで嫌がられるとなぁ。お兄ちゃん、流石に悲しいぞ」
これに関してはおふざけではなく本音だったのだろう。控えめなしょんぼり顔で大河を見ていた。
「ふんっ、知るか」
「知ってぇ!」
「断る」
ほぼ正反対の兄弟の会話は、本人間ではどうか別として傍から見ればコントのようなものだ。
大河は紗織を放って先に席に戻る。そんな弟の背を目に、彼は「全く、可愛くない弟だなぁ」とぼやいた。
一方伊織だが、
「本当に、止めてほしい……」
切実にいたたまれなさそうに、机に伏していた。
その日の放課後、マサは早速二人に対し、人の子に紛れる為にはどういったっ振る舞いをするのか、人言い「小学生講座」を行った。
議題に沿って、その場にいる者は皆同じく子どもの姿だ。一見すれば友達が放課後に集まって遊んでいるように見えるだろう。
口調やら話す内容やらの事を説明した後に、マサは家族に付いての話に移った。
「大前提として覚えておいてほしいのが、人の子と君達神の子だと、同じ『家族』でもかなり環境が違うんだ。昔でこそ同じような所もあったけど、今は多くにおいて一人の男に一人の女が付き添って、その間に多くても三人くらいの子どもが出来る。まぁここ最近は片親だったり色々あるみたいだけどね。基本的にはこういう構図だと思っていい」
「君達とか特に、全く違うだろ? だから、家族についての話はボロが出やすいだろう。極力避けた方が良いのと、話を振られたらはぐらかせるようにしておいてね」
「しつもーん! もしなんか訊かれたらどう答えたらいいんだ?」
「そうだね。君達の場合設定上の親が明確にいるから、その人達を思い浮かべて話すのもいいかもね。ただし、君達は縁の神の性質を持っているから、少し注意してね。下手に家族認定して本当に結ばれてしまったら大変だ」
「特に気を付けてほしいのが、母親についての話になった時だね。君達、母親がそれぞれ違うから、反応が全く違うモノになってくるはずだし……」
現に、今マサが言った「母親」と言うワードに対して見せた兄弟の反応は全く違った。伊織は特別何か思えるモノはないようで、いつも通りの一見不機嫌そうな顔のままで、紗織は懐かしい思い出が浮かんで頬を緩めている。そして大河は、見るからに落ち込んだ。
大方、同じ母という存在を思い浮かべた時の反応には見えないだろう。子どもによってどう思っているのかが違うのは当然ではあるのだが。
「伊織。神社の娘は、お前の巫だろう。どんな奴か教えろ」
大河は頭を付いたまま尋ねる。
「どんな奴かって聞かれてもなぁ……俺も直接話した事は数回しかねぇ、どんな奴かは知らん」
「おいおい、自分の巫くらいどんな奴か把握しておかないとダメだぜ? けどなぁ、どうしたもんかね。少なくとも認識すり合わせておかんと、いざという時困りそうだぜ」
兄弟は考えた。どうしても生じる違いをどう合わせたものかと。
「……あ! そうだぁ。お兄ちゃん、良い事思いついちゃった!」
「親子ごっこすりゃぁいい話じゃん。伊織、お告げ出来るんだろ?」
紗織は満面の笑みで伊織の肩を叩く。伊織は彼が何を言わんとしているかを直ぐに察する事が出来て、一つため息をついて「分かった」と半場怠そうに答えたのだった。
(親子っごっこって、つまり……まぁ、そういう事ね)
それが最適なのだろう、実際触れ合ってみなければ分からない所だ。
(だけど、なんだろう。すっごい心配)
イケメン三つ子は、ごく普通にそこに存在しているだけでも目立ちそうだ。
横目でマサを見れば、彼も同じような事を考えていそうだ。目が合うと同時に、彼は首を傾げて苦笑を浮かべた。
次の日伊織に訊いてみた所、彼は如何にも神様らしくお告げをしたようだ。
「親子の真似事をする。そのつもりでいろ」
と、神様からのお告げとしてはイメージ出来ない内容を寝ている夫婦に告げたそう。
そんな事を言われて、あの穏やかな夫婦がどんな反応を見せたのか。千郷は微妙に気になって仕方がなかったが、知る由はない。
そして今日の放課後、まずは早速会って話してみるという事になったそうだ。
「二人には人間で言う家族のように、本当の息子相手だと思って接しろと言ってある」
「はは! そりゃ楽しみだなぁ」
帰り道、兄弟三人で一緒に家に帰る。
設定上帰る場所は同じとなっているが、実際は三人とも違う。三人で並んで歩くような事をわざわざするつもりはなかったが、人間で言う家族を体感する為だ。
千郷は、そんな三人の少し後ろに歩いていた。後ろからでも紗織が目に見えてワクワクしているのが伝わってくるが、その反面大河は不機嫌とも見れる表情が更に険悪に見えた。いや、これはどちらかと言うと、表情がというより「雰囲気が」か。
(こういう所は、伊織と同じなのね)
あの家系図が大変な事になりそうな一族だ、家族に対してひと悶着あるのは伊織だけではないだろう。大河にとって何かあるのも、想像は易い。
「何もないと良いけどなぁ……」
隣でマサが悩ましそうに呟いていた。
諸々知っているのであろうマサが、何かを案じている。その状況だけで、千郷は少し不安になったが。
千郷はただ、平穏無事に事が済むよう、誰に対してか分からない祈りを捧げた。
そうして歩いている後、いつもは千郷の家の前まで見送ってくる伊織だが、今日に関してはマサに何もするなと念を押した上で真っ直ぐと神社の方面に向かった。鳥居のすぐマサ正面の道に面して建っている少々古風ともとれる一軒家が、彼等の設定上の親である夫婦が住んでいる家だ。これから三人は、この小学生の姿のままこの家の息子としてこの家に帰る。
やる事は簡単だが、どうにも緊張する。そんな弟二人に気付いて、先陣を切ったのは紗織だった。
「たっだいまー! 母ちゃんおやつー!」
と、早速それっぽい事をそれっぽく言い放てるそれは、ある種の才能だろう。
「お帰りなさい。先に手洗いなさい、あとおやつはありません」
務めている時とは違うエプロン姿の女性。彼女が母親と設定されている、上結幸恵ゆきえだ。幸恵もまたそれらしく、本来仕えている相手を息子と同じように接しようと頑張っていた。
父親設定の明宏あきひろはまだ向こうの神社で仕事をしているだろう、まだ家にはいない。
「今日の夕飯はサバの味噌煮にしたけど、よかった?」
「うん! 俺それ好きー!」
紗織が答えると、弟にお前らも答えろと言わんばかりに背を押してくる。
「あ、あぁ。俺もサバは好きな方だ」
「なんでも構わない。頂こう」
到底小六の息子の返答とは思えない答えに、紗織は「下手くそかっ!」と勢いよく突っ込みを入れる。
「ふん、貴様みたいにふざけられるか。大体、彼女を母君と仰ぐのであれば敬意を払うべきであろう」
「んだからそれは現代の人間のやり方じゃねぇんだって! 今時母親の事『母上』って呼ぶ奴まぁいねぇぜ!」
「そんな事知る訳なかろうが!」
「はぁいはい、喧嘩しないのー」
今にも紗織を掴みかかろうとする大河を止めに入った幸恵。兄弟喧嘩を仲裁する母親と言う絵は如何にもそれらしく感じる。
後先が思いやられる。伊織はその一心だった。まだ良かったのが、幸恵が乗り気で母親をやってくれている事だろうか。
(まぁ、あんな返答するくらいだからなぁ……)
伊織はつい昨晩の事を思い出す。ほとんどやった事のないお告げをした時、神を自身の息子として扱う事に戸惑う旦那を他所に嬉しそうに「むしろやりたいです!」と答えたのだ。
母親という概念はよく分からず、また息子がどのように母に接するモノかも全く知らない。伊織が知っているそれらしい関係は、今自分が呼び捨てしている養父との事だけだ。神社には多くの家族も来るから表面は分かるが、それだけなのだ。
(ま、幸恵は「親」ってもんを知ってんだ。普通に接してりゃ大方どんなもんかは掴めるか)
なんて、大河を宥める彼女を目に考えていた。
夜になると、一仕事を終えた明宏が帰ってくる。そうして、家に当然のようにいる三人を目に緊張した面持ちになったが、咳払い一つでなんとか気を切り替え、「ただいま」と口にする。
「あー……あ、そうだ! 学校。学校はどうだった? 何かあったか?」
「そう、だな。えっと、何かあったっけなぁ……」
「……」
「……」
気まずい。本当に、気まずかった。そりゃそうだろう、幸恵の対応力が凄いだけで普通はこうなるものだ。こういう時に限って、幸恵も紗織も口を挟まず気まずそうな彼等を観察しているのだ。
明宏は助けを求めるように妻に視線をやったが、ニコリと微笑まれた。要するに自分でどうにかしろと言いたいのだろう。
「そうだ! 三人、今週末、休み取るからさ。その、なんだ。遊園地とかでも行くか?」
休日子供を連れて遊びに行く。それは彼の思う父親らしさを、なんとか引きずり出したモノだった。
そんあ事があったから、今彼等は遊園地にいる。
数日間分の朝と夕を疑似親子として過ごしていればある程度は板についてくるもので、しっかりとそれらしいかはさて置き、会話がぎこちなくなる事はなくなった日曜の昼下がり、見事に晴れてくれた空の下で館内パンフレットを眺める家族がいた。
「ジェットコースター! ジェットコースターは外せねぇだろ! なぁ父さん! ジェットコースターは絶対だぞ!」
「分かった分かった、ジェットコースターは乗ろうな。それで、伊織と大河は? なんかある?」
「俺は何でもいいが……お化け屋敷は興味があるな」
「お、そりゃいいな! 行こうぜお化け屋敷! 『恐怖の館』ってタイトルが特に如何にもって感じでいいなぁ。な! 大河」
「くだらない。おれは付き合わないぞ」
「ほぉー……なぁんだ大河。怖いのかぁ? いやー可愛い所もあるんですねぇ! 大丈夫、お兄ちゃんが付いてるからなっ」
「なっ……ち、違うぞ何を勘違いしているのだ貴様は! 人の子の作った恐怖など怖くもないわ!」
「うるせぇ、目立つだろうが!」
とまぁ、兄弟はいつも通りだ。実際彼等は目立っていたが、仲良しな家族だなぁくらいにしか思われていないだろう。
さて、そんな周囲の客の中に、これまた小学生が二人。ジュースを片手に飲みながら、そんな家族を遠巻きに見ているのは――
「早速人の子とか言っちゃってるし……大丈夫かしら」
「うん。大丈夫かなぁ……」
とても、とても心配そうに尾行している、千郷とマサだった。
事の発端は、週末遊園地に行く事になったと聞いた時だった。これも設定上でも家族の認識をすり合わせる一環だと伊織は言っていたが、千郷はそれを聞いた時からどうも不安で仕方なかった。何でかと言われれば明確な説明は出来ないが。
しかし、そう思ったのは彼女だけではない。マサ及び、雅だってそうだった。
だからこうして、二人で遊園地に来ているのだ。こちらに関しては傍から見れば小学生カップルがデートしているように見えるだろう。
「マサくんはやっぱり、この前話していた縁がうんぬんの事を気にしてるの?」
「まぁ、大体そんなところだねぇ……まぁ、あの子ももう大人だし、そこらの踏ん切りはつくはずだけど、そうとも言い切れない所で……」
どうやら、彼の心配の先は千郷と違い明確にあるようだ。その視線の先には、幸恵に「喧嘩はやめなさい」と撫でながら柔らかく諭されている大河がいる。そうされて彼は、大人しく彼女の言う事を聞きていた。その様子は、やはり千郷の目にはどうも子犬に見えてしまう。パタパタと振られる尻尾が見えてしまうような雰囲気で、かなり懐いているように思える。
「まぁ、気にした所でどうにも防げない事だ。とりあえず、見守りながら遊園地を楽しもうか」
マサの提案に、千郷は同意の意味で頷いた。
しかし、彼等の様子はどんなに見ても遊園地を楽しむ普通の家族だ。
紗織と大河は事あるごとに喧嘩をする、と言うより、紗織の煽りに大河が逐一それに噛みついていると言うべきか。伊織はそんな彼等に呆れながら、たまにうるさいとキレる。親はそんな子等を宥めつつ、まとめてあげて……特段珍しくはない、探せばそこらにあるだろう一家の光景だ。千郷は、可愛らしく塗装されたベンチに座りながら、それを見ていた。
(なんだかんだ、上手くやれているみたいね。良かった……)
彼等も、少なくとも人間で言う家族間がどのような雰囲気かは掴めているはずだ。数日間幸恵一人で設定上の母の認識を合わせておけば、いざという時困る事はないだろう。そう、それでこそ、今課題で出ている家族の作文課題があった時とか。とはいえ、家族についての作文を書く機会などもう滅多にないだろうが。
千郷は安心していた。人間に紛れるならある程度人間がどういうのか知ってもらわないと、人間である身からしても困る。毎回彼等がクラスメイトと会話をしている時にハラハラするのはごめんだ。
(あれ、だけど。場合によっては、伊織作文書き直さなきゃじゃ……)
気が付いて顔を上げると、風船を片手に立っていたマサが言う。
「大丈夫だよ。伊織、まだ作文書いてないから」
「……明日発表なのに?」
「うん」
これは、今日即興で仕上げるつもりなのか、それとも明日はサボるつもりでいるのか。どちらにせよ提出はしないといけないのだが、どうするつもりなのだろうかと。全く別の意味での心配が出てきた。
「だけど、この感じなら大丈夫そうだね。うん、僕も少し心配し過ぎたみたい」
マサは一先ずは杞憂であったと判断し、もういいだろうと切り上げる事にした。そうして視界の端に映るアトラクションを一目にしてから、千郷に顔を向ける。
「ねぇ千郷。あそこ、入ってみない?」
彼が示したそこはおどろおどろしい風貌の洋館、血文字のようなフォントで恐怖の館と書かれた看板がおかれた、如何にもなお化け屋敷だった。
ただそこにあるだけだと言うのに、一目見ただけでゾワッとくる。加えて聞こえる誰かの悲鳴と子どもの泣き声が、更に雰囲気を増させている。
しかしだ、マサくんと遊園地デートなんてつい数か月前の自分が夢にまで見た事。遊園地デートと言えば、お化け屋敷は必須だろう?
「わ、分かった! 行こう!」
千郷は勇気を出した。それと同時に向こうでは、
「あんのクソ蛇……」
とっくのとうに尾行に気が付いていた伊織が、ついに手を出した蛇にちょっとした殺意を覚えていた。
伊織の察しの通り、マサが千郷をお化け屋敷に誘ったのは、率直に言えば下心しかない訳で。強がりな女の子がしおらしく怯えている姿、見たがる男は少なくはないはずだ。
マサからすれば、お化け屋敷にいるお化けは所詮見知った人の子であり、どんなに脅かされても子供騙しもいい所。しかし、千郷はそんなのでも素直に怖がって、今自分が腕にしがみついている相手はわざと美術館でも鑑賞でもするようにゆっくり歩いている事にも気付かずにいた。
暗い部屋の中、周りが良く見えない状況のせいで千郷は更に怯えだす。
「マサっ、マサくん! いるよねマサくん!?」
「いるよー。ははっ、千郷は案外怖がりなんだねぇ」
その時、どこからか聞こえた赤ちゃんの泣き声に、千郷はヒイッと声を上げる。
「な、なんでもいいから早く! 早く先にいこ!」
「んー。もうちょっと楽しまない?」
「やぁ! もうムリっ、ダメ! ギブだからぁ!」
(やはり、子が救いを懇願する様は愛らしいのぉ……)
なんて、彼の考えている事は傍からすればドン引かれそうな事だが、そんなのは恐怖で震える千郷が分かる訳がない。
流石にこれ以上は可哀想かと思い、マサは「はいはい」と微笑んで早めた足で先に進んでやる。ぐるっと一周してくる形式の為、入り口の方に戻ってきた事になる。
「こわかったぁ……」
「そう? 僕は楽しかったよ?」
ご満悦に笑うマサ。そうして出口付近で待ち構えていたのは、顔を顰めた伊織だった。
「そりゃそうだろうな、悪趣味蛇」
「ははっ、伊織だってキュンってくるはずさ。だけど残念だね、多分千郷はもう二度とお化け屋敷には付き合ってくれないだろう」
「自分から男に抱き着きに行ったの、初めてでしょ? 千郷」
未だ恐怖の余韻が抜けていない千郷は、改めてそれを言われかあっと顔を赤くした。その反応が最早答えなのだ。
「ッチ……」
伊織の本気の舌打ちが聞こえた。これは、色々とまずそうだ。そう感じた千郷は、仕方は無しと伊織にハグをする。
突然そんな事をされた伊織は、不意を打たれたようにぽかんとしていた。
「もうっ、これでいいでしょ? そんな事でケンカしないの。大体、怖かったんだから仕方ないじゃない!」
「次行くわよマサくん! おばけ屋敷に付き合ってあげたんだから、今度は私に付き合いなさいよ!」
千郷は相手の反応を見ないようにしながら先をずかずかと歩き、マサは「はいはい」と微笑みながら彼女の後を追う。しかし伊織は先程のハグにまだ頭が追い付かず、その場で固まっていた。
「あらあら……ふふっ」
「伊織様、結構初心なんだなぁ……意外だ」
夫婦のそんな反応が聞こえ、ようやっと正常に戻った伊織。顔を上げると、ニマニマしている兄の表情が真っ先に目に入り、舌打ちをしたついでに一発殴った。
と、そんな事はあったが無事事無くを得てその日は終わった。千郷は恥ずかしさを払拭しようと自棄になったかのように遊園地を楽しみ、クレープとチュロスとポップコーンを頬張った。お陰で体重が+五されたような気分だ。そんな所で伊織が「俺も同行するぞ」とほぼ命令形で言いつけ、その後は友達家族と遊びに行っているような感じになったのだ。
それはもう、楽しかった。正美がまだ同じクラスにいたら、嫌がらせが悪化していた事だろう。千郷が一緒に遊んだのは、それぞれ違うタイプのイケメン達だ。これは俗にいう逆ハーレム。そう、乙女ゲームかのような状態だったのだ。
(あれ、私っていつの間にゲームの主人公になった?)
と、目の前で戯れる四人のイケメンを見て、そう思う程には。
そうなると、自分は結果誰かを選ばなければいけない訳だが――
(いやいやっ、何考えてるのよ! 全員友達よ友達。それでいいじゃない)
乙女ゲームにだってそういうルートがあるだろう? 多分。
それでいい。とりあえず今は、友達でいいんだと。そう思う。しかし千郷は、それなりに恋をする乙女だ。つい一・二か月前くらいまで、マサくんという存在に片思いをしていたのだから。
(ま、まぁ。今考える事じゃないでしょ! うん。そうよ、何にせよ今じゃない)
千郷はポップコーンを噛み、自己解決で頷いたのだった。
〇
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