【第3話】狐と蛇と、少女と

 千郷がマサの正体を知った次の日から、マサが学校に来なくなった。担任からは風邪だと聞かせれているが、千郷はその言葉を信用しなかった。何せ、あんな事があった後なのだから。

 クラスの人気者が突然立て続けに休めば、男女問わず心配そうにしだし、彼に好意のある女子は特にお見舞いに行きたがっていたが、誰もその住所を知らないよう。先生も簡単には住所は教えてくれず、「皆が心配してるって事はあとで電話で伝えておくね」とだけ言っていた。

 漫画であれば誰かがプリントを届けたりするのが定積なモノだが、それも先生が仕事の一環として受け持っているようで、誰もマサと会う機会がないまま、一週間が経った。

 昼休みになる頃には、教室はマサの話で持ち切りだ。

「マサの奴、もしかしてインフルかぁ?」

「可能性あるー、もう一週間来てねぇもん。あーあ、つまんねぇーの!」

「マサくん、早くよくならないかな……学校生活に花がなくなったのマジでつらい」

「わかるそれー。推しがいないのキツイぃ……もう伊織くんでいいや! 伊織くーん!」

 会話の後、ポニーテールの女子が駆け寄って来る。

「妥協して俺みたいに言うな」

 何も伊織も子供相手に本気で怒ったりはしないが、呆れはしていた。それを隠さずに顔に出されるが、肝の座った女子はそんな事で臆しない。

「えー、だって伊織くんは二推しだもん」

「んだよ推しって……」

 知らない言葉に呆れ顔も更に酷くなる。伊織は静かに席から立ち上がると、千郷の手を引いて廊下に出る。

「ちょ、何よ?」

「皆してマサがどうこう、うるさくてたまらない。誰が好き好んでアイツの二つ名何回も耳にしなきゃなんねぇんだよ」

 なんとも不服そうで、ガシガシと頭を掻く。その後、何を考えたのか千郷を目に映し、一言を発する。

「お前、付き合え」

「ぅえ?」

 思わず漏れた間抜けな声。頭に過った通りの意味ではないのは、何となく察していたのだが。

 放課後、ランドセルを家に置いた後、千郷は伊織に付き合った。大人姿の彼と共に立っていたのは、昨日行ったばかりのマサの家の前……の、はずだ。

 なぜ断定ではないかと言うと、そこは崩れかけのホログラムのように乱れていたからだ。

「思った通り……ったく、世話の焼ける老人だ」

「え、ど、どういう事? マサくん、大丈夫なの?」

 千郷があわあわしながら尋ねる。神様やらそこらの事が解らなくてもだ、この事態がよくない事は見れば分かる。だからこそ、心配だった。

「大丈夫かどうかは、本人の心持ち次第だ」

 まさか、この前の事がショックで……彼女はそう考えたが、事は彼女が考えたよりも深刻であった。

「雅は、俺がガキん頃から九割死んでるようなモンなんだよ」

 告げられた言葉に、千郷は静かに息を飲んだ。

 伊織は小さく笑い飛ばし、姿を保てていない玄関を蹴り開ける。

「おい死にかけ隠居クソジジイ! まだ生きてんならとっとと出てこい!」

――せめて「死にかけ御隠居」にしてほしい。いお坊よ。

 そんな罵倒にも似た叫びが響くと、にょろにょろと一匹の蛇が這いずって来る。

「おい、今の俺が坊に見えるってか」

――無論、坊はいつまでも坊である。

――千郷嬢も、よく来た。大君は奥の間に。会ってやってほしい。大分、歩くことになるだろうが。

 蛇が鎌首をやった先。その廊下は、昨日よりも大分長く感じる。いや、比喩でも何でもなく見るからに長かった。

「こ、これなんキロあるの……?」

「なんキロでもいい。とっとと行くぞ」

 向かっていく彼を目に映し、蛇は己に案ずるなと言い聞かせる。今は、主の見上げた生への執着を信じるしかないのだ。

「ちょっと、伊織。説明しなさいよ」

「何を説明する必要がある?」

「私はなんも分からないわよ! どうして死にかけなのよ。この前は普通に元気そうだったじゃない」

 マサとしても、雅としてもそうだ。少なくとも、死にかけの老人を思わせるような様態ではなかったじゃないか。

 千郷がそう思うのも当然だ。伊織は歩きながら、彼女の問いに答える。

「……神には、生きる為の三大要素がある」

「二つは『神体』と『社』、要するに神としての宿り場と家だ。肉体とは別に神性を宿した何かが神体、それを護り置くのが社。まぁ最悪、社はなくとも神体さえありゃ何とかならんわけでは無いっがな」

「じゃあ、最後の一つは?」

「簡単な話。神には、『信徒』が必要だ」

 これを人間に例えるのであれば、衣食住に近いだろうか。衣が神体、食が信徒、住が社だとする。これ等は生きる為に必要な要素とも言えるだろう、服がなければ寒くてたまらないし肌も守れないし、食べなければ死ぬ。住むところがなければ健やかな生活違はほぼ不可能だろう。納得できる話だ。

 さて、今ここでその話を聞かされると言う事は……千郷も何となく察しがつき、顔を青くする。伊織はその予想を確信に変えるように、こくりと頷いた。

「雅には、何一つ残っていない」

 何もなくなった焼け野原にただ立ち尽くす「神様」の姿が、千郷の目の奥で浮かんだ。ただ一人、残った神様は誰かを呼ぶが、返事をしたのは渇いた風が瓦礫を吹き抜け、焼け落ちた草木の枯れた音だけ。唯一届いた声は、遠くから微かに聞こえる異人の何を言っているのか一切分からない話し声だった。

 誰もいない。皆、死んでしまった。とても悲しくて、辛い景色だった。

「千郷!」

 伊織に呼ばれ、ハッと顔を上げる。直ぐ前に彼の顔があり、肩に置かれた手を見る限り揺さぶっていたのだろう。

「伊織……今、なんか見えた」

「分かってる。気を付けろ。お前は、感じやすい質なんだろうよ」

 伊織の言い回しはよく分からなかったが、確かに千郷は「感じた」。今見た光景は、確かに雅の見たモノであると確信出来たのだ。思い出すと、同調するように心の内が悲しくなった。これは所謂、感受性というモノだ。

「神には、よくある事だ」

 その一瞬、伊織の手が頭の上にあった。撫でる程でもなく、ポンと少しの間手が置かれていたのだ。

 何とはなしに、気まずい時間が流れた。二人共一言も発さずに廊下を歩いていたが、その沈黙を伊織が破った。

「ま、なんだ。ここで雅に死なれるのは、目覚めが悪いんだ」

 先に歩いている彼の表情は見えなかったが、その言葉は「クソ蛇」と罵る時とは全く別の、まるで父を想う子のような声色だった、そう思えたのは、千郷の勘違いではないのだろう。

 同じような道を歩いていれば感覚が無くなって来るのと同じように、しばらく歩き続けたお陰で分からなくなっていた。左右に連なる襖が開いていれば少しは違ったのだろうが、生憎全て閉められている。

 時間で言えば大よそ三十分は歩いただろうが、状況もあってか、千郷の身体には既に疲労感があった。

「も、もう結構歩いたんじゃない。まだ付かないの……」

 言葉にも疲れがハッキリと見えている。今だ何ともなさそうな伊織が不意に立ち止まったせいで、その背に思いっきりぶつかってしまった。

「強行突破だ。千郷、下がってろ」

「え、う、うん」

 何をするつもりだと思いながらも、言われた通りに数歩後ろに下がる。すると伊織は、大きく息を吸って、口の中でブツブツと何かを唱える。聞き取ろうと耳を澄ませるが、何やら現代の日本語ではなさそうな言葉で分かりそうもなく、最後の言葉を言い切ったその瞬間、長かった廊下の末端が直ぐ目の前に現れる。

「入るぞクソ蛇!」

 そうするや否や、戸を蹴り開けた。なんとも野蛮な事だろうか、良かったことに倒れた襖の先には誰もいなかったが、その少し前に大蛇がとぐろをまいていた。おそらく雅であろうその蛇は、目を見開いてただでさえ細長い瞳孔が更に小さくなっている。

「これは、驚いたのぉ。いつの間に、我の神域を破れる程にまでなっていたのじゃな」

 蛇の口から人の言葉が発せられる。しゅるしゅると長い舌が伸び、蛇はニ三度身を揺らし何かをしようとしたが、諦めたのかもう一度とぐろをまいた。

「なめるな。老いぼれ老人の作った神域くらい簡単に壊せる」

「そうかそうか。若者の成長は早いものじゃの。伊織よ。つい最近までちまっこい子狐であった汝が、既に我を超えておる……であればやはり、我はお役御免じゃの」

 蛇の姿をした雅は、言えばこれが彼の本来の姿なのだろう。細めた目を瞑り、そのまま眠ってしまいそうだった。

「んだよ、千郷にフラれて消沈したかぁ? この数十年間、根性だけで生きて来た頑固老人が、随分としおらしいじゃねぇか」

「ほほほ……言ったろ、ほんの戯れじゃ。汝がそれ程気にかけるおなごがかような者か、気にならぬ訳がなかろう」

「じゃが、確かに残念ではあるの。千郷よ。汝を見ていると、昔を思い出す。大昔にな、我の巫女に汝のようなおなごがおった。あの時代には珍しく、男の後ろに隠れぬ、むしろ男の腕を引いて自分が前に出るような、気丈な娘じゃった」

 言葉がゆっくりと紡がれ、尻尾の先が慈しむように千郷の頬を撫でる。その眼は優しく、人々を我が子のように想い、見守っている神様のようで。千郷の心に、悲しいような懐かしいような、何とも言えない感情が浮き立つ。

「マサくん、死んじゃうの……?」

 問えば、彼の尻尾の先がピクっと揺れる。

「我は元より死んでいたような身、あるべき所に行くだけじゃよ」

 蛇の鎌首を上げ、伊織を見やる。人の肉体を模ったその姿は、現代人で言えば立派に働く青年と等しく、少なくとも、親の手が無ければ生きられない程ではないだろう。実父を想って涙を流す事も無ければ、お留守番が寂しくて食事が喉を通らなくなるような事もない。一緒に寝てやる必要もないのだ。であれば、仮初の親は必要ないだろう。

「伊織は充分に成長した。それでこそ、我を『クソ蛇』だとか『隠居ジジイ』呼ばわりする程生意気にの。来縁から託された願いも果たされ、我が生きる意味もなくなった。そうじゃろう?」

 雅が口にしたそれは問いかけの形をしていたが、それが質問でない事など簡単に分かる。

 伊織は何も言わずにいたが、彼のその言葉を聞いて再び口を開く。

「そんなら、一回でも俺をちゃんと一人前扱いしてから死ねってんだ。そんな事言っといて、お前にとっちゃ俺は今でもそこら走り回ってる野狐なんだろ。お前の腹ん内は分ってんだよ。どうせお前は、俺の尻尾が九本になったとこでまだガキだとか言うんだ」

 その眼は、不満気に雅を見ていた。

 確かに彼は大人になった。しかし、立派な神になったかどうかは話が別。言い分の穴を突かれた雅は、思わず笑い声を漏らす。

「やはり、あ奴の子じゃの。全てを失った我に、まだ『生きろ』と言いたいのか。揃いも揃って、体のいい都合を押し付けよって。汝が一人前の神になるまで生きておったら、あと千年は眠れぬわ」

「……仕方あるまい。もう少しだけ、生きてやるかの」

 蛇はゆっくりと体を起こし、姿を人に近しい肉体に変える。完全に姿が変わった時、雅は畳に胡坐で座っていた。寝ぐせで自由奔放に遊んだ髪、ついでに言えば、着ている寝巻ははだけている。正しく寝起きだが、顔が良いだけあってだらしなく感じない。むしろ……色気がある。

 まだ子どもの千郷には、少々刺激的だったかもしれない。彼女が顔を赤くして目を泳がせると、すかさずそれに気が付いた雅はおっと声おもらし、口角を上げる。

「初々しいの、千郷よ。やはり、我が娶ってしまおうか」

「この……っ、目に毒だクソ蛇!」

 伊織があげた大声は一つ壁の向こうで待機していた蛇の身体に響き、蛇はうるさいといわんばかりに自身の身体に顔を埋めた。


 次の日、久しぶりに登校してきたマサには、ただでさえ人気者なのに加えて今日はさらに人が集っていた。

「マサくぅーん、風邪大丈夫だったの? 随分長かったけど」

「そうだぞ! インフルなんじゃねぇかって思ってたんだぞ」

「あはは。ごめんね、心配かけて。皆に移しちゃ不味いから、少し様子を見てたんだ。だけど、もう大丈夫だよ」

 爽やかな笑みを携え、皆の言葉に答える。マサは相変わらずの爽やかイケメンで、女子達のハートを射抜いていたのだ。

 しかしこの男、男女問わずイチャイチャされて満更でもなさそうだ。

 伊織は立ち上がり、そんなマサの頭を何冊もまとめたノートで軽く叩く。

「お前が休んでいた分のノートだ。その分には付箋貼っといてやった、映しておけ」

 その言葉を聞くや否や、マサはポカンと目を開いたが、その表情が窺えたのはほんの一瞬だった。

「まさか、伊織くんがやってくれているとはね」

「勘違いするな。先生に頼まれたからやっただけだ」

 彼の言う事は嘘ではない。彼のノートの取り方が綺麗な事は、先生も既に気が付いているのだ。しかし、そのツンとした表情は、逆にそれが照れ隠しであるように思わせていた。

「うん。ありがとう、伊織」

 微笑んだ彼を横目に伊織は息を吐く。老人の癖に爽やかイケメンぶりやがって、全く、若作りも良い所だと。

「これに懲りたら、二度と面倒は起こすんじゃねぇぞ。若作りしたジジイの介護なんぞまっぴら御免だね」

「ははっ、そうだね。僕も少し考えなおしたよ。大人になったように見えるだけのガキを置いては逝けないからね」

 伊織が毒を吐けば、マサは笑う。二人の間の独特な空気はそこらに集まっていたクラスメイトにも伝わり、「アイツ等の関係不思議だよな」と囁かれると同時に、多感な小学生の噂話のタネとなったのだが、それはまた少し後の話。

 そんな彼等を自席で眺め、千郷は安心したように一息を突き、

(ほんと、世話のやける奴等)

 なんて、どこから目線か分からない言葉を呟いたのだ。



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