濡れた靴②

 最寄り駅に到着後、私はスマートフォンを開いて駅から目的地までのルートを再確認した。

 

 半年前に建ったばかりの、まだ新しさが目立つ社屋。

 通信販売をメインに20代から30代の女性に向けたオリジナル商品の開発を行うこの会社は、ここ最近『注目の企業』として雑誌などで取り上げられている。当然ながら就活生からの人気も高かった。

 

 今日行われるのはグループディスカッションだ。

 到着後、私が割り振られたのは男性2人、女性3人の5人グループだった。


「今から皆さんには『幸せの定義とは何か?』ということについてグループディスカッションに取り組んでいただきます。それぞれのテーブルに弊社の社員がひとり、担当としてつきますが、こちらから口を挟むことはありません。時間は20分です。最後にグループごとにどのような結論が出たのか、発表してください」


 幸せの定義? 

 そんなもの人によって違うでしょうに。


「それでは始めて下さい」


 司会らしき男性がストップウォッチを押す。

 私たちは瞬時に顔を見合わせて、誰が口火を切るのかを探り合った。


「とりあえず簡単に自己紹介しましょうか」


 前髪をふわりと横に流した女がにっこり笑って促した。存在感1、獲得。

 時計周りに挨拶を兼ねて名前と大学名を述べていく。


「話し合いを始める前に、役割を決めたいんだけど、いいかな」


 いかにも体育会出身といった雰囲気の男が切り出した。こいつも存在感1、獲得だ。司会、書記、タイムキーパーを決めたところで、2分が経過している。


「今で2分経ってる。皆で意見を出し合ったりするのに10分、出た意見をまとめるのに3、4分、発表の準備に5分ぐらい欲しいから、ちょっと巻きでやっていこ」


 茶色い縁の眼鏡をかけたタイムキーパーの女がさくさくと時間配分を決める。存在感1、獲得。


「まずはどういう前提で話を進めていくのか決めよう」


 ペールイエローのネクタイを締めた男が提案した。こいつも存在感1、獲得。


「そうだね」

「ちなみに僕は……」


 積極的に会話が繋がっていく様子を、私はただただ見ていた。


 何で?


 あんたら、普段絶対にこんなこと考えてないでしょ。馬鹿みたいによくそんなにペラペラペラペラと口から思ってもないことが言えるよね。こんなテーマが出されたらこんな風に話を進めようとか、どこかのサイトに載ってた攻略ポイントを覚えてるだけの癖に、自分の頭で考えてるとは思えないんだけど。それとも私の知らないところであんたら知り合いだったりして。そりゃそうよね、何社も手当たり次第に受けてたら顔見知りになることだってありそうだし。私はあんたらと違って本当に興味のある会社しか受けないんだから、経験値低いのは仕方ないじゃない。大体何なのよ、いきなりテーマはコレですなんて提示されて「はい、何分以内に全員で話をまとめて下さい」とか、たかだか20年ちょっとしか生きてない人間にそんな高度なこと出来る訳ないでしょうが。受験とか試験とか散々ひとりで勉強させておいて、いざとなったら「皆でひとつの課題に向き合って答えを出しましょう」なんて、どうすればいいのよ。そんなの誰も教えてくれなかったじゃない。今更やり方を変えろとかそんな理不尽な話ある?


「――さんは、どう思う?」


 司会を担う体育会に名前を呼ばれ、我に返る。

 前髪、メガネ、ペールイエローも私を見た。


 こいつは落ち確だけど、話を振らないのも立場上マズいから振るだけ振っとくか。


 司会の目が、態度が、この場の空気がそう言っている。

 口の中が妙に乾く。顔が熱い。

 何か言わないと。


「あの」


 さっきまで脳内でとぐろを巻いていた黒い気持ちが、じわじわと焦りに飲み込まれていく。


「そもそも何が幸せかなんて、人によって違うんで」


 こんなディスカッション、意味などないんじゃないでしょうか。


 グループの輪が静まる。

 話し合いなど無駄だと言ったも同然の私は、誰とも目を合わせることが出来なかった。


 体感にして那由多、実際に過ぎたのは5秒ほどだっただろう。眼鏡が「確かに幸せの定義なんて人によって違うし、周りの誰かに決められるようなことではないよね」と頷いた。それに続くようにしてペールイエローが異論を唱える。


「でも、幸せの定義がバラバラってことは『どういった状態を最低限の幸せとするのか』という定義付けがない訳で、そうなると例えば法律を作る時なんかは話を進めるのが難しいと思うんだ」

「なるほど。この点については他の皆はどう思う?」

「私は――」


 また話が転がり始め、私はようやく自分が息をしていることに気付いた。もう嫌だ。帰りたい。

 20分経過を知らせるストップウォッチの音が部屋中に鳴り響く。発表では自分が何を言ったのか覚えていない。「担当、この箇所ね」と言われたところを読み上げただけだ。


 挨拶をして部屋を出る。

 受付を抜けて外へ出たら、まだ雨は降り続いていた。


 体育会、前髪、眼鏡、ペールイエローの4人は傘を開きながら「あの意見面白かった」「あんな発想、すぐに出ねぇよ。すげぇな」「担当さん、ちょいちょい頷いてくれるからやりやすかったよね」「社員さんの雰囲気良かった」などとすっかり仲良しモードだ。


 就活にそんな馴れ合いはいらない。


 傘を差し、ひとりで歩いていたらぺールイエローから「途中まで一緒に行こう」と声を掛けられた。就活の現状やら、どの業界に行きたいやらを一方的に話し続けているのを聞きながら、私は「そう」と「へぇ」をひたすら繰り返した。

 別れ際、ペールイエローは笑いながら言った。


「煮詰まってたところに言ってくれたあの意見、助かったよ。君、すぐ内定貰えそうな気がするな。お互い頑張ろうね」


 腹が立つ。

 何なの。

 私のことなど何も知らない癖に、勝手なことを言うな。

 出来ないことを他人のせいにして、相手を貶めることでしか自分を保てないような、こんな人間をどこの企業が採用するというのか。


 踏み出す足が、水溜まりの水を跳ね上げる。

 濡れた靴も、ストッキングも、何もかもが気持ち悪くて恰好悪い。

 ぎゅっと傘の柄を握り締める。

 地下鉄のホームに向かう階段を降りながら、このまま私は深い場所へひたすら潜り続けるような気がして、身震いした。

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