第15話
ある月曜日の夕方。お客は萌夏一人。店員は俺と巴の2人なので店員2人でニート生活を満喫中の萌夏をもてなす構図だ。
萌夏はカウンター席を陣取り、ずっと高速でカタカタとパソコンのキーボードを叩いており、無音の店内には萌夏の控えめな打鍵音が響いている。
真顔でリンゴのマークのついたパソコンで何か作業をしている姿はかなり様になっている。
ずっとキーボードを叩いているので気になってしまい、テーブル席に行って掃除をしながら萌夏の画面をチラ見する。
そこに写っていたのは流れてくる寿司に書かれた文字を打ち込むタイピングゲームだった。
もう一度、カウンターを回り込み萌夏を正面から見る。真剣な表情でカタカタとキーボードで高速入力をしていて、すごく仕事ができる人に見える。ただタイピングゲームをしているだけなのに。
「萌夏さん、すごい集中力ですね」
ヘッドホンをしていることをいいことに巴が俺の隣に来て話しかけてきた。
「ただタイピングゲームしてるだけだからな。寿司のやつ」
「そうなんですか!?」
巴が萌夏の方を見て大袈裟に驚くので、萌夏に気づかれてしまった。
ヘッドホンを外し、ジト目で俺の方を見てくる。
「匠己さん、何?」
「なんで俺だけなんだよ」
「や、巴ちゃんは悪くないから」
「決めつけるのが早くないか!?」
萌夏に絡まれたところで巴が助け舟を出そうと横から割って入る。
「萌夏さん、ずっとキーボードをカタカタやってるからすごい仕事ができる人に見えたんですよ」
「でしょ?」
萌夏がドヤ顔で俺達を見てくる。
そうそう。萌夏はこんな風にヨイショしとけばいいんだよ、と言う気持ちで頷く。
「って話を匠己さんにしたら『ただゲームしてるだけだぞ』って言われて」
巴が笑いながら俺の梯子を外した。
「全部言っちゃったな!?」
萌夏が笑いながらターゲットをまた俺に定めたように視線を向けてきた。
「匠己さん、お客様のパソコンを覗き見したんだ?」
「べっ……別に誰でも彼でも覗くわけじゃねぇよ……」
「私は特別な人ってこと?」
萌夏がニヤニヤしながら尋ねてくる。
「そっ、そういう意味じゃなくて!」
「匠己さん、私のことが気になっちゃってるんだ?」
「別に……」
ないこともない、といつもより更に言いづらいのは隣に巴がいるからだろう。
「あ、匠己さん。大事な話があるんです」
巴が横から話しかけてくる。これは二艘目の助け舟だろう。
萌夏も俺をイジるための猫じゃらしのような態度を引っ込めた。
「どうしたんだ?」
「実は、バイトをしばらくお休みしたくて」
「あぁ、うん。大丈夫だよ。テストか?」
「いえ。文化祭です。準備とか色々あって」
「あー、そういう時期だもんな。出し物の準備があるのか」
「はい。実はバンド演奏で出るんですよ」
俺と萌夏から同時に「おぉ〜」と声が上がる。
「コピーバンド?」
萌夏が即座に食いつく。
「はい! ヨネの曲をバンドでやるんです!」
「おっ……すごいじゃん。けどあの人は曲調的にバンドって感じじゃなくない?」
「ネットにバンドアレンジの楽譜が落ちてたので、それで。どうせなら大好きな曲でやりたくて」
作者本人の前で言うには中々にハードルが高いことを言っている気がするが、巴は事情を知らないため萌夏は顔色一つ変えずに微笑む。
「へぇ……そうなんだ。頑張ってね。ちなみにいつやるの?」
「再来週の週末です。日曜」
「外部の人も入れる?」
「入れますよ。えっ、もしかして見に来てくれるんですか?」
「ん。行くよ。匠己さんと」
「まぁ俺も行きたいけど、店があるんだよな」
「臨時休業にすればいいじゃん。この店が閉まってても困る人はそんなにいないよ」
「俺は困るんだよ!? 貴重な収入源だからな!?」
「や、私も困るよ。貴重なリハビリ拠点だから」
タイピングゲームをやってるくせに、と言うのはさすがに言い過ぎな気がして視線だけに留める。
「あはは……けど動画も撮る予定なので本当に無理しないでくださいね」
「たっ、匠己さん」
萌夏が慌てた様子で俺を呼んでくる。
「なっ、なんだ?」
「巴ちゃんのライブ動画さ、『素人JKが制服姿で絶叫。複数人プレイ!』ってタイトルで動画を出したら広告収入で1日分の売上くらい余裕で賄えそうじゃない?」
何を言ってるんだこの人は。巴は意味が分からないと言った感じで首を傾げている。その清純さを失わないでくれ、と願わずにはいられない。
「萌夏ちゃん」
「何?」
「二度とこの店でJKって単語を使わないでくれ」
「ハリポタの作者の話もできないってこと? それは無理だろ、jk」
このJKは常識的に考えて、のネットスラングのことだろう。
「萌夏ちゃん、そんなのまで知ってるとか本当は何歳なんだよ……」
「ま、インターネットオタクなもので」
萌夏は恥ずかしそうにそう言って俯いた。
◆
閉店時間を過ぎた頃、萌夏はまだ帰らずに俺と二人で残っていた。臨時休業を告知する貼り紙と、当日用の貼り紙の2枚を用意するためだ。
何故か萌夏も手伝うと言い出して、閉店後の店内のテーブル席に二人で座り紙にペンを走らせる。
「夜にこんな作業してるのって文化祭みがあるね」
「前から気になってたんだけど、その『み』ってなんなんだろうな」
「わ、文法にうるさいおじさんだ。『み』は『み』だよ。うれしみ、わかりみ、文化祭み、たくみ」
「最後のはいいだろ!? ま、ちょっと気になっただけ。で、文化祭か……懐かしいな」
「ま、私は隅っこで言われたことをやってるだけだったけど」
「行ってるだけえらいだろ」
「だよね」
萌夏がニッと笑う。
「ってかさ、匠己さん。店のSNSアカウントくらい作ったほうがいいんじゃないの? 休みの日まで来なくて貼り紙を見れなくて、たまたま休みの日だけ来た人は当日に入口の前で項垂れるわけでしょ」
作業中、不意に萌夏がそんな提案をしてきた。
「そんな人いないよ」
「いないとは限らない。だって匠己さんのことが好きな人がいないとも限らないわけで」
「脈絡がないな」
「どれだけ少なくても物好きはいるってこと」
「ふぅん……」
萌夏と目を合わせると照れてしまいそうなので下を向いたまま返事をする。
「っていうか俺も萌夏ちゃんも臨時休業したくない側なのに、閉める準備をしてるのはなんか変な感じだな」
「確かに。けどさ、味チェンだよ、味チェン」
「味チェン?」
「そ。匠己さんさ、このお店でナポリタンを出したとして、それにお客さんが持ってきたソースをかけだしたらどう思う?」
「とりあえず気になるな。美味しくなかったのか、単にその人の好みの問題なのか」
「そ。やっぱり作り手としては気になっちゃうじゃん? お客さんの反応とかさ」
「さすが敏腕マネージャー」
「や、ただの経理担当ですから」
「相変わらずたらい回しにされてるんだな」
「そうなんだよね」
顔を上げると萌夏と目が合う。
「匠己さん、物好きはいるよ」
「物好きねぇ……」
「私のタイプはモテない喫茶店のマスター。物好きでしょ?」
「あごひげは無し?」
萌夏は「無し」と言って笑う。
「匠己さんのタイプは?」
萌夏が微笑みながら尋ねてくる。
「べっ……別に……ないけど……」
「うわぁ、ありそうな顔してる〜」
「ねっ、ねぇよ! 笑顔が可愛いとか、華奢とか、捻くれてるもか――あっ……か、噛んだだけ! 噛んだだけだから!」
「捻くれてる萌夏、ね」
萌夏が言葉を噛みしめるように口元だけでニヤけながら目をつむる。
「別に……そういう物好きもいるんだろうなって仮定の話だよ」
「笑顔が可愛いモカ、華奢モカ、捻くれてるモカ」
ニヤニヤしながら萌夏が言う。
「全部復唱しなくていいから」
「語尾がモカになっちゃったモカ〜」
「めちゃくちゃイジってくるな!?」
「あ、ネットに転がってる名前だけで判定する何の根拠もなさそうな相性診断してみよっと。多分こういう時間に居残ってる高校生陽キャがやってるようなやつ。気になる人の名前でやってみよ〜」
「急にどうした!?」
萌夏は「捻くれ萌夏だよ」と言ってスマートフォンで何かを検索し始める。
逆さまなので何が書かれているのかはわからないし、タイピングゲームの件があるのでそもそもあまり視線を送らないようにする。
「見ないの? 匠己さんって覗き見得意じゃん」
「すっげぇ嫌味だな」
「捻くれてるモカだから」
萌夏はそう言ってスマートフォンを180度回転させて俺に画面を見せてくる。
「『桐間匠×青山萌夏』、相性99%か」
「ね、これすごくない?」
何の根拠もない結果のくせに萌夏はとても嬉しそうだ。
「すごいけど俺の漢字が違うぞ。この字に『己』ってつけて匠己なんだよ」
萌夏は「タクミミじゃん」と言いながら修正をする。
結果を見た萌夏は「あっ……」と言って即座に俺に見せてきた。
『桐間匠己×青山萌夏 相性50%』
「改名しようかな……」
「そうだね。やっぱ『み』が一個多いよ。匠己み」
萌夏は予備の紙に『桐間匠己』と書いてニッコリと笑っていたのだった。
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