第14話

 流行りのJPopが流れる土曜日の夜、店内にいるのは俺と巴と萌夏と鶴梨の4人。


「巴ちゃん、先に上がって良いよ。お疲れさま」


 締め作業は一人で出来るため巴を解放する。


「はい。お疲れさまでした! 萌夏さん、鶴梨さんお先に失礼しますね」


 巴は閉店時間ギリギリまで居座るつもりの2人に笑顔で挨拶をしてバックヤードに向かう。


「まさかここからこの二人が2時間水だけで粘ることになるとは、この時の桐間匠己は想像すらしていなかったのである」


 萌夏が不吉なナレーションをつける。


「おい、せめて何か頼めよ」


「じゃ、アイスコーヒーのおかわりとナポリタン。あ、麺大盛りできる?」


 チラッと時計を見るとギリギリラストオーダー一分前。断る理由がない。


「でっ……できるぞ……」


「匠己さん、顔が引き攣ってるよ。お客様からのオーダーだよ?」


「はっ……はいぃ。喜んでぇ」


 萌夏がニヤニヤしながら煽ってくるので、笑顔で返事をしながらも自分のこめかみがピクピクと動くのが分かった。


「うふふ。萌夏さんってば、そんなに桐間さんと一緒にいたいんですか?」


「べっ……別にそういうわけじゃ……お腹が空いただけで……」


 鶴梨に突っ込まれた萌夏が照れながら答える。


「そういうのは俺の役目なんだけどな」


「わ、自覚しだしたツンデレは良くないよ。無自覚ツンデレが良いのに」


「面倒なやつ……」


「ナポリタンの話?」


 萌夏がすっとぼけて聞いてくる。


「そこらのスパゲッティより絡まってる人がいるんだよな、中身が」


「鶴梨さん、これって誹謗中傷? 開示請求したら通るかな?」


 萌夏が隣に座っている鶴梨に笑いながら尋ねる。


「通るんじゃないですか? 通ったところで分かるのは桐間さんの名前と連絡先と住所くらいでしょうけどね」


「そういえば連絡先知らないや」


「おや? つまり住所はご存知なんですか?」


「えっ!? あー……あはっ……あははは……」


 萌夏が笑いながら顔を伏せて誤魔化した。


 鶴梨の前では誰もが墓穴を掘ることになるんだろうから余計なことは言わないのが正解かもしれない。


 鶴梨は腕と胸をカウンターにのせ、「そういえば桐間さん」と前のめりになって尋ねてきた。


「なんですか?」


「私の食事の件ってどうなりました?」


「食事……? 何か頼まれてましたっけ?」


 俺は慌ててオーダー票の確認を始める。鶴梨は笑いながら「そっちじゃないです」と言って両手でハンバーガーを掴んで食べるジェスチャーをした。


「なんでハンバーガー?」


「特に意味はありません」


 萌夏の質問に鶴梨は「うふふ」と笑いながら答え、今度はスプーンで何かをすくい、口に入れて「あふあふ」と言い始めた。


「スープですか?」


「違いますよぉ」


「んー……小籠包?」


「萌夏さん、正解です」


 鶴梨は笑顔で拍手をすると、今度はナイフとフォークで肉を切り分けるジェスチャーを始めた。


「ちょ……もういいですから。で、何の食事の件ですか?」


「昨日お誘いした、お食事の件ですよ。もっとお話がしたいなぁと思って」


 ジェスチャーゲームで和んでいた店内の雰囲気、もとい萌夏の目つきが急に鋭くなる。


「えっ、あっ……あー……あー……お、覚えてますよ。萌夏ちゃんが帰った後にしてた話ですよね!? えぇ、えぇ。覚えてますとも」


「それで、どうですか?」


 鶴梨が妖艶な目つきで俺を見てくる。ここでコミットさせないでくれぇ……


 萌夏はずっと包丁を研ぐジェスチャーをしながら俺の方を見ている。一応昨日の話なら俺が萌夏にキープされている関係のはずなので、そういう意味では俺が怒られる立場にはないはず。だが、そんな杓子定規な定義の話をしたところで何も前には進まない。


 だが、角を立てずに断る理由がない。「俺、萌夏ちゃんにキープされてるんで」なんて言えるわけもない。こうなったら萌夏を巻き込むしかない。


「あっ、あー……じゃ、じゃあ……さ、3人でどうですか? 萌夏ちゃんも一緒に」


「えっ、私?」


 萌夏は想定外のことに驚きながら自分を指差す。


 鶴梨はどう出てくるのか。恐る恐る彼女の方を見ると、両手をあわせて笑顔で頷いていた。


「はい! 是非! むしろその方がありがたいので!」


「「……え?」」


 俺と萌夏は目を丸くして聞き返した。


 ◆


 鶴梨の食事への誘いは単に絵本のネタを仕入れることが目的だった。


 たまたま昨日あった出版社の編集者との打ち合わせで、キツネがマスターを務める喫茶店を題材にした絵本のアイディアが思いの外刺さったらしく、実際に絵本としてシリーズ化するにあたって、打ち合わせのために企画を何本か書くことになったとのこと。


 俺や萌夏との会話を通して、登場人物のキツネさんとハムスターさんのイメージを膨らませたい、という話だった。


 つまり、男女がどうとか、恋愛だとか、そういう匂いは一切ない、純粋な仕事絡みのお誘いだったわけだ。


 やはり喫茶店のマスターなんてモテるはずがない。


 閉店時間をとっくに過ぎた頃、ナポリタンをフォークで絡め取りながら萌夏が「ね、匠己さん」と話しかけてくる。


「なんだ?」


「残念だったね、鶴梨さん」


「何が残念なんだよ」


「だってさ、あれ絶対そういうお誘いだと思ったもん」


「んなわけないだろ……」


「と、言いながらも期待をしていた人は手を挙げてください。先生、怒らないから」


 俺は「絶対に後で怒るやつだ」と小声で言いながらまっすぐに挙手をする。


「ふふっ。やっぱそうだよね」


 萌夏は笑いながらひたすらナポリタンの麺をフォークに絡ませ続ける。


「ま、私にはとやかく言う権利も何もないんだけどさ」


 不意に萌夏が伏し目がちになり、真顔に戻る。


「萌夏ちゃん……」


「けど、嬉しかった。匠己さん、多分誰からのそういう誘いでも断るんだろうなって思えたから」


「どうだろうな」


「や、私にはわかりますよ。『あっ、えっ、あっ、えっ、あっ、あっあっ』ってすっごい分かりやすくテンパってたし」


「ちょっと誇張してるな!?」


「えっ、あっ、えっえっあっ、えっ、あっ、えっえっあっ」


 萌夏がリズミカルに動きながら俺の真似をする。


「変なとこでリズム感の良さをアピールすんなよ」


「あはは……や、うん、まぁ……言いたかったのはキープされてくれてありがとってことかな」


 萌夏は弱々しく笑いながら俺に頭を下げる。


「べっ……別に俺が勝手にキープされてるだけだからな」


「おぉ〜……いいツンデレだ」


「ま、色々と復活したらだな」


「ん。そうだね」


 先端に塊のようなパスタをぐるぐると巻きつけたフォークを萌夏は一口で食べた。


「ん……美味しい」


「だろ?」


「匠己さんの彼女はこれが無料で食べられるの?」


「そうだな。食後のコーヒー付き」


「最高の特典じゃん」


「しかも入会後3ヶ月は会費がタダ」


「おぉ〜サブスク〜」


 萌夏が真顔で拍手をする。


「しかも基本プレイ無料だ」


「や、それ下ネタだよね」


「チゲぇよ! 『ソシャゲ〜』って言うとこだろ!?」


「それは無理があるなぁ。カップルとプレイの2つの単語が並んだらもうエッチな事しか思いつかないよ」


 萌夏はニヤニヤしながら俺をいじってくる。


「じゃ、逆に萌夏ちゃんの特典はなんだろうな。好きな曲をカバーしてくれるのか?」


「素人のカラオケをカバーって言い出したらなんでもカバーだよね」


「素人なのか?」


「ま、そもそも私は音響のエンジニアですから」


「前はマネージャーって言ってたぞ」


「や、異動になった」


「たった2週間で……慌ただしいところだな……」


 冗談だけで会話をしていると、萌夏は不意に真面目な顔になり「そっか……まだ2週間なんだ」とつぶやいた。


「なんだよ」


「ううん。なんか……良い意味でそんな感じがしなくて。絶対に匠己さんのことだと、知ってる事より知らないことのほうが多いはずなのに、それでも匠己さんのことなら何でも知ってるって思っちゃってる」


「知ってる事の方が上回る時なんて一生来ないんじゃないのか?」


「そうかも。ま、マインドの問題だよ。ね、匠己さんって何か重大な改善ポイントってないの?」


「改善ポイント?」


「悪い言い方をするなら短所、欠点。実は何千万って借金があるとか、性病コンプリートしてるとか、超DV気質とか、ギャンブル依存とか、そういうやつ」


「んー……そうだなぁ……ツンデレ……というか素直ではない?」


「や、それはゴリチョーだよ、ゴリチョー」


「ゴリチョー……?」


「ゴリゴリに長所」


「何だよそれ」


 俺が笑うと萌夏も嬉しそうに笑う。


「……あぁ、けど他にもあるわ。ゴリチョーじゃないやつ」


「……あるの?」


 萌夏が覚悟を決めたように頷いてフォークを置いた。


 俺は前のめりになってカウンターで頬杖をつき、萌夏と視線の高さを合わせて微笑む。


「喫茶店のマスターなのにモテない」


 萌夏は「それもゴリチョー」と言って笑った。

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