第13話
懐メロの流れる金曜日、客の入りはまばらで遂には誰もいなくなって巴と二人で雑談をして過ごしていた夕方時。萌夏と鶴梨が相次いで来店した。
「匠己さん、いつもの」
萌夏は気怠そうにカウンター席に座り注文をしてきた。
「はいよ。アイスコーヒーの氷少なめな」
俺達のやり取りを見ていた鶴梨が手を挙げる。
「では私もぉ。いつものでお願いします」
「鶴梨さん、2回目だから好みとか分からないんですけど……お任せで良ければやりますよ。甘いのって好きですか?」
「はい! それでお願いします!」
カフェオレにしよう、と思い立って2人分の準備を始める。目の前で萌夏が頬杖をついて店内を見渡しているところが視界に入る。
「それにしても、よく潰れないよね。ここ」
萌夏が思ったことを素直に口に出した。
「店主の前でよく言うよな……」
「きっと潰れない仕組みがあるんですよぉ。街中の文房具店、畳屋なんかと似たようなものですね」
「単に家賃がかからなくて儲けも重視してないだけだよ」
「ふぅん……宣伝とかしないの? これだけレトロな雰囲気ならSNSでも映えそうだし」
萌夏はキョロキョロと店内を見渡してそう言う。
「ま、忙しすぎるのもな。それに先代の爺さんの時からのポリシーなんだよ。雑誌やテレビの取材なんかも全部断ってたんだ。今更SNSでキラキラした宣伝なんかしだしたら怒られちゃうよ」
「そっか……先代の想い、か。祟られちゃ困るもんね」
萌夏はそう言って想いを馳せるように天井を見上げる。まるで爺さんが死んでいるかのような反応だ。
「ちなみに、まだ生きてるからな」
俺が指摘すると萌夏はチロっと舌を出して誤魔化した。
「あ、桐間さぁん。今日はデートですか?」
今度は鶴梨が話しかけてくる。
「デート……ではないですけど。なんでそう思ったんですか?」
「眉毛、整えましたよね? 髪の毛も昨日よりセットに気合が入ってます。後は……時計を見る回数が昨日よりも多いです。だからお仕事の後に何かあるのかなーって思ったんです」
とんでもない観察眼と記憶力だ。迂闊なことはできないな、と舌を巻く。
「たまたまですよ、たまたま」
俺は手元を見ながら誤魔化す。ちらっと視界に入った萌夏は俺にだけ見えるように顔を伏せて笑っていた。別に萌夏のためじゃないからな。
◆
萌夏は夕食の準備のためなのか早めの帰宅。巴もバイトを終えて帰宅したので店に残ったのは鶴梨と俺だけだ。
鶴梨は相変わらずスケッチブックに絵を描いている。
「鶴梨さん、キリの良いところでお願いしますね」
「あっ……すみませぇん……夢中になってて……」
鶴梨は本当に時間を忘れていたようで、驚きながら頭を下げて慌てて片付けを始める。
「桐間さん、今日ってこの後暇ですか? デート、ないんですよね?」
鶴梨が片付けついでの雑談のように聞いてきた。まだ店にいるつもりだろうか。
「どうしたんですか? 店はもう閉めますよ……」
「あぁ……いえ、その……お食事でもどうかなー……と。桐間さんともっとお話がしたくて」
鶴梨が誘うような上目遣いで俺を見てくる。
まさか……今度こそ本当にモテる説が立証されるのか!?
いや、しかし今日は萌夏との約束がある。断腸の思いで首を横に振る。
「あー……す、すみません。用事があって。デートじゃないんですけどね」
「あらぁ。残念です。また今度行きましょうね」
鶴梨は断ったことに罪悪感を抱かせないように「うふふ」と笑いレジに向かった。
◆
店を閉めて萌夏の家に向かう途中、手土産を買うためにスーパーに立ち寄った。
コーヒーのコーナーを物色しながらSNSを開くとヨネの投稿がオススメに表示される。
『カレーを作ろうとしたのにカレールーを買い忘れました。肉じゃがへの方向転換を模索中ですがみりんがありません。塩だけでも美味しくなりますか?』
何気ない日常の投稿だがいいねは数時間も経たないうちに一万を超えそうな勢い。こんな事でも万バズするのだからヨネ、もとち萌夏の注目され具合はかなりのものなんだろう。
「有名人はすげぇな……」
そんな感想を呟くと同時に気づく。これはカレールーとみりんを買ってこいという俺宛のメッセージなのではないか、と。
「仕方ないな……」
コーヒーの物色もそこそこにカレールーとみりんを探してた店内を彷徨うのだった。
◆
萌夏の家に到着。玄関のベルを押すと萌夏が出迎えてくれた。
「匠己さん、お疲れさま」
「ありがとな。これ、カレールーとみりん」
部屋に入って扉を閉めながら萌夏にスーパーで買ってきたものを手渡す。
「わ、匠己さんってエスパー? ちょうどなくて困ってたんだよね」
萌夏はなぜ俺が気づいたのか分かっているはず。ジョークで言っているとわかるように萌夏はニヤリと笑ってそう言った。
「そうなんだよ。ビビビッと来たんだ」
「ふぅん……ありがと」
萌夏はニッコリと笑う。
「べっ……別に……美味しいものを食べたいだけだよ」
「ま、そこは私の腕を信頼してもらって。メニューなんだと思う?」
「カレーか肉じゃがだろ? 俺はどっちでもいいぞ」
「うーん……片方だけにするにはベースの量が多いんだよね。あ、両方にしよっか」
萌夏は少しだけ悩む素振りを見せて斜め上のアイディアを出してきた。
食べ合わせェ……
◆
「うまっ……」
小さいテーブルで萌夏と二人で並んでカレーと肉じゃがを食べるとつい本音が漏れた。
「や、レシピ通りに作っただけですから」
恥ずかしがりながら萌夏が水を口にする。
「例えるなら譜面通りに演奏したってとこだな」
萌夏がチラッと俺の方を見てくる。
「フランチャイズのマニュアルに沿ってカフェを運営してるって感じだね」
「無理矢理な例えだな……」
「や、難しいんだよ。カフェで例えるの」
萌夏は髪の毛をくしゃくしゃにして悩む。
「守破離で言うところの守だよな」
「敷かれたレールの上を走ってるだけだよね」
「テンプレ通りって感じ」
「補助輪つけて前に進んでるだけだよ」
「さっきから萌夏ちゃんの例えがちょっと悪口っぽいな!?」
俺がツッコむと萌夏はケラケラと笑う。
少し間が開いて、萌夏がスプーンを置いて息を吐き真面目な顔で「ね、匠己さん」と話しかけてきた。
「この数日調子がいいんだ。作業が進むようになったし、ピアノも弾けるようになったし……夜も泣かなくなった」
「そりゃ良かった」
「多分サウナが効いたのかも。整ったんだよ。ね、匠己さん、また行こ」
「前はたまたま会っただけで一緒に行ったわけじゃないけどな」
「確かに」
萌夏は軽く頷くと、手をグーにして俺に向け、顔を傾けて話しかけてきた。
「じゃ、次は一緒に行こ。出発地点は……お店に集合するのが一番効率悪いかな?」
「普通は効率いいとこに集まるけどな」
そう言いながらグータッチに応じると萌夏はニヤリと笑った。
「歩く時間が延びるからタイパはむしろ向上するまである」
萌夏はそう言ってもぞもぞと俺の方に寄ってくる。
密着する距離感で並んで座り、萌夏が俺の肩に頭を載せてきた。
「ちょ……」
「お店では匠己さんに主導権をあげたよね? ここは私の家。だから、私に主導権がある」
萌夏が前を向いたまま囁くような声で言う。
「で……こっ、ここからどうするんだ?」
「わかんない。譜面がないから」
「フランチャイズのマニュアルもないな」
「守破離の守にすらたどり着けてないよ」
「レールも敷かれてない」
「テンプレもないよね」
「あー……」
やばい。最後のやつが思い出せない。隣から萌夏が「ほっほっ」と小さく囁いてくれる。
「ほっ……補助輪つけられないしな!」
最後まで言い切ると、2人で目を見合わせ満足感に包まれながら笑う。
「けど実際問題さ、昔の人ってどうしてたんだろうね。こういう雰囲気になってもセックスのやり方なんて譜面もなければマニュアルもなくて以下略……で、昔だと動画で実例も見られないじゃん?」
萌夏が真面目な表情になって聞いてくる。急にぶっ込んできたな!?
「えっ!? あ、あー……ど、どのくらい昔の人を想定してるかにも寄るな……」
「そっか、確かに。定義は大事だね。じゃ、縄文時代にしよっか。やっぱ長老が教えてくれるのかな。『うむ!
大きくなったじゃろっ! ここに入れるのじゃ!』ってさ」
「ははっ! なんだよそれ」
「や、結構真面目な話だよ。長年、色んなものを見てきたから、こういうときにどうするべきか、テンプレやマニュアル以下略は色々と知ってはいるけどさ」
変に真面目なトーンで萌夏が話すので誘われているのかどうなのか判断がつかない。萌夏はこだわりが強そうなので、ここで俺が主導権を取ろうとすると多分良くないんだろう。
「そうだなぁ……やっぱそういうのは動物というか、本能レベルじゃないのか?」
萌夏は心ここにあらずといった感じで「そうだねえ」と言った。
やがて、萌夏は頭を俺の肩から外し、後ろを向いて背後にあるベッドに顔を埋めた。
「だ、大丈夫か?」
「ん。大丈夫」
萌夏のくぐもった声が聞こえる。
何度か深呼吸を挟んで萌夏がグルンと顔を回転させてベッドに顔をつけたまま俺の方を見てきた。萌夏は泣きそうですごく不安げな表情をしている。
「よく考えたらさ、私って今それどころじゃないんだなって」
「ま、それはそうだな」
まずはスランプを脱出することが最優先。恋愛だのなんだのなんて二の次だし、なんならまだ知り合って一ヶ月も経っていないのだから。
「匠己さんのこと、キープしていい?」
萌夏が恐る恐る尋ねてくる。別に今日この場で関係性やらなんやらを確定させる必要はないことに同意だ。
「別に……まぁ……取り置きは承ってなくもない」
「はぁ……ごめんよぉ……」
萌夏は遠回しな俺の了承を「ツンデレ〜」とイジることもなくまたベッドに顔を埋める。
さすがに可哀想になってきたので目の前にある萌夏の後頭部に手を伸ばし、髪の毛をくしゃくしゃにする。
「わっ……良いぞぉ……」
萌夏がそう言って俺の手を掴んで止めてきた。
「どっちだよ!?」
チラッと萌夏が俺の方を見てくる。
「ここでの主導権は私。ナデナデをさせてやる。させてやろう。させてやった、という事実が大事」
萌夏は冗談めかしてそう言った。
やはり萌夏は主導権にうるさい人だったか。
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