第5話

 日曜日はそれなりの混雑具合。萌夏が来ないまま夜になり、後は一組の客を残すのみとなっていた。


 ラストオーダーまであと5分程度。巴も先に帰らせたので、今日は残っているお客様が帰ったら店じまいだ、なんて思っているとカランカランとドアのベルが鳴った。


 入ってきたのは萌夏。外も真っ暗な夜だというのに相変わらず寝起きのような気だるそうな顔をしていた。


「い、いらっしゃいませ〜」


 萌夏は俺の挨拶に無言でコクリと首を振って挨拶を返してカウンター席に座った。


 他の客に聞き取られないくらいの声量で萌夏に話しかける。


「ラストオーダーまであと3分だぞ」


「じゃあ3分間悩めるね」


「正しいんだけど他の店ではやるなよ……」


「ん。相手は選んでる」


「尚更たちが悪いな!?」


 メニューを開いていた萌夏はすぐにパタンと閉じて「コーヒー」と言った。


「アイスか?」


 萌夏は「うん」と言って頷く。


「氷少なめだな」


 また萌夏が「うん」と言って頷いた。


「何もこんな遅くにコーヒー一杯のためだけに来なくてもさぁ……」


「だけじゃないから来てるんだ」


「へっ、へぇ……」


 まるで俺に会いに来ているとでも言いたげな雰囲気に少し照れてしまう。


「嬉しい?」


「べっ、別に嬉しくなんかないからな」


「今日もいいツンデレだねぇ」


 萌夏はカウンターで頬杖をついてニヤけながら俺を見てくる。顔のふやけ方が寝起きのそれで、どういう生活サイクルなのかが気になるほどだ。


「寝起きなのか?」


「うん。昼寝して起きたらこの時間」


「昼寝って……何時間寝てるんだよ……」


 萌夏が指を折って計算を始める。何度か検算を繰り返した後に「6時間?」と言った。


「15時に昼寝してこの時間に起きたのかよ……すげぇな……」


「私、寝る子だから」


「単に生活リズムが夜型なだけだろ」


「そういう考え方もあるよね」


 萌夏はニィっと笑って水を口に含む。


 萌夏と話していると閉店時刻がズルズルと遅くなりそうなのでコーヒーの準備に取り掛かった。


 ◆


「か、帰らねぇ……」


 店内に残っているのは萌夏一人。当然のように閉店時刻を過ぎているが、萌夏はカウンター席に座ったままスマートフォンをいじっている。


「萌夏ちゃん、ぶぶ漬け食べるか?」


 萌夏が顔をあげる。


「おっ。サービス?」


 萌夏は意味をわかっているだろうにすっとぼけてそう言う。


「はよ帰れってことだぞ!?」


「私のことは気にしなくていいから帰り支度しなよ。あ、会計だけ先に済ませちゃお」


 萌夏が椅子から立ち上がってレジの方へ向かい、QRコードをスキャンして戻って来る。


「ここに泊まるのか?」


「や、お化け出そうだから遠慮しとく。400円だよね?」


「そうだな」


「出るの? お化け」


「金額の方への返事だよ! 『そうだなそうだな』って答えたら良かったのか?」


「そーだなそーだな」


 萌夏は笑いながら残っていたコーヒーを一気に飲み干した。俺はすぐにそれを片付けて「ありがとうございました」と言う。


「わ。早く帰れという圧がすごい」


「萌夏ちゃんには遠慮しなくていいって分かってきたからな」


「親しき仲にも礼儀あり、だよ」


「じゃあ閉店時間は守れよ!?」


「や、それはガチで正論」


 萌夏は飄々とした態度で俺の指摘をかわして店の出口に向かい、外を指さした。


「匠己さん、そこで待ってるね」


「今日も話すのか?」


「ううん。晩ごはん食べてないからお腹空いちゃって。コンビニ行こうよ」


「俺はコンビニに用事はないぞ……ってかうちも食い物あるから今度試してみろよ」


「本当はメニューにあるナポリタンを頼みたかったんだけど時間が時間だから遠慮しといたんだ。親しい仲だから」


「変なところで気遣うんだな……別にラストオーダー前なら頼んでくれても良かったんだぞ。面倒臭いとか思わないし」


「じゃ、やっぱりナポリタン。大盛で」


「もうラストオーダーどころか閉店時間だからな!?」


 萌夏はケラケラと笑いながら扉を開けた。


「嘘嘘。また今度頼んでみるね。あ、匠己さんもコンビニ行く?」


「へぇ……あー……そういえば財布に現金なかったんだよな……下ろさないと……」


 俺がふと思い出してそう言うと萌夏が「ぶふっ」と吹き出した。


「一緒に行きたいならそう言えばいいのに」


「べっ……別に一緒に行きたいわけじゃないからな!?」


「はいはい、ツンデレツンデレ。で、どうするの?」


「外、寒いから中で待ってろよ。後10分くらいで終わるから」


 時は10月。とはいえ夜中に外で待たせるのは忍びない。萌夏は頷いて出入り口の最寄りにあるテーブル席の椅子に座った。


 萌夏は背もたれに肘をついてぼーっと俺の方を見てくる。


「ね、匠己さん」


「なんだ?」


「3Bって言うじゃん? バンドマン、美容師、バーテンダー」


「彼氏にしない方がいい職業な」


「喫茶店のマスターも似たジャンルだよね」


「さらっとディスられてる!?」


「けど実際、結構モテそうじゃない? お客さんから」


「この店は老人と物好きしか来ないからな」


「私は物好き?」


 萌夏がニヤリと笑って尋ねてくる。


「老人だな」


「こりゃモテないわ」


 萌夏は苦笑しながらそう言って続ける。


「ま、けど格好いいと思うよ。洗い物してるだけでも。腕まくりしてるところがポイントだね」


「単に自分の性癖なだけだろ……」


 褒められたのが嬉しくてつい顔が緩む。顔を見られないように後ろを向いて片付けをしているフリをしていると萌夏が「匠己さん、片付けしてるフリしてない?」と鋭い指摘をしてきた。


「なっ、何のことだ?」


「さっきから同じカップを棚から出したり入れたりしてるだけだよね? こっち向いてごらん」


 今、萌夏の方へ振り向くと頬が緩んでいる事がバレてしまう。ぐっと顔に力を込めてゆっくりと振り向くと萌夏がゲラゲラと笑いだした。


「めっちゃ鼻の穴広がってるよ」


「くっ、くしゃみを我慢してたの!」


 萌夏は「はいはい」と言ってニヤけながらスマートフォンをいじり始めた。


「格好いい……ねぇ……」


 そんな言葉をかけられるとむず痒くなる。なるべく顔を見せないようにしながら片付けを進めた。

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