第4話

 萌夏の部屋は1Kの六畳一間。一駅分の距離を歩けばターミナル駅と繁華街もあるので、都内の中でも場所も悪くない。この広さでも家賃はそこそこするだろう、なんて推測が立つ。


 パソコンデスクには電子ピアノが置かれているし、ギターもスタンドに立てかけられている。他にもよく分からないツマミが大量についた機械から大量のケーブル類があちこちに繋がっており、音楽をやっている人の部屋という感じだ。


 そんな家賃事情や物よりも気になったのは萌夏のベッド。ボックスシーツがめくれてマットレスが四分の一むき出しになっているし、その上で無造作に丸めて置かれている布団からも生活感が漂う。


「パソコンはこんな感じ」


 萌夏はそう言いながらパソコンの前に向かい、電源ボタンを押した。


 それでうんともすんともいわないので、俺が呼ばれたということなんだろう。


「うーん……なんだろうな……電源が死んでる?」


「買ったのって結構最近なんだよね」


「じゃあ電源ケーブルが刺さってない?」


「ここだよ」


 萌夏がパソコンデスクの下に潜り込んでコンセントを指差す。


 電源ケーブルはちゃんと刺さっているし、萌夏は電源ケーブルを一度引き抜いて同じコンセントに充電器を挿して電気が来ていることをアピールした。


「後は……ケーブルが死んでるか帯電してるかじゃないか?」


「どうしたら――」


 萌夏がそう言いながら机の下からでてこようとしたタイミングでガンッと机に頭をぶつけた。


「ぎゃっ! ったぁ……」


 涙を浮かべながら萌夏が頭を押さえて立ち上がる。


「大丈夫か?」


「ん。血は出てない」


 萌夏は頭を擦っていた手を確認して頷く。


「そりゃ良かった」


「こういう時に咄嗟に頭をナデナデしてくれたらなぁ」


「しないぞ!?」


「からの〜?」


 ニヤニヤしている萌夏に対してデコピンで応戦する。


「うっ……ツン濃い目だ……」


 萌夏の言葉を受けてラーメン屋よろしく「お好みありますか?」と尋ねる。


「デレ濃い目、優しさ強めで――あ……で、パソコンはどうしたらいいの?」


「ラーメンの件は!?」


「や、お腹空いちゃうから」


「ま……確かにな。パソコンの方は、ケーブル起因なら別のケーブルで試してみればいいし、帯電ならケーブルを全部抜いてしばらく放置だな」


「全裸で放置ってこと?」


 萌夏がすっとぼけた表情でそう言う。


「ちょっと何言ってるか分からないな……」


 萌夏は「待っててね」と言い、パソコン本体からありとあらゆるケーブル類を抜いた。


「これ、全裸みたいじゃない?」


 一本もケーブルが生えていないパソコンを指さして萌夏がにやりと笑う。


「確かにな。ちょっとエロく見えてきたわ」


「わ。女の子のパソコンに興奮する変態だ」


「スリーサイズを聞くノリでパソコンのスペック聞いちゃう変態だぞ」


 ケーブルを抜いてしばらく放置をするだけなので、暇を持て余しているため萌夏のジョークに付き合う。


 萌夏は顎に手を当てて真剣に考え込んでから口を開いた。


「上から99、55、88」


「ガチのスリーサイズを答えるなよ!?」


 いやしかし、萌夏の胸がそんなにあるだろうか? と数値と現実を見比べてしまう。緩めの服を着ているので分からないが、もう少し起伏は大人しい気がした。


「匠己さん、今すっごい失礼なこと考えてるよね。私には分かる」


「べっ、別に考えてないぞ!?」


「わかりやすー」


 冷めた目で萌夏が俺を見てくる。


「けど実際、さっき言ったのはどえらい数値だったろ」


「ボン・キュッ・ボンってやつね」


「なんでそんな言葉知ってんだよ……」


「小さい頃、ピアノの先生が三拍子のリズムを取るのに使ってたんだよね。『ボンキュッボン、ボンキュッボン』ってさ」


「教え子が教え子なら先生も先生だな……」


 萌夏は手拍子で三拍子のリズムを取りながら「ボン・キュッ・ボン、ボン・キュッ・ボン」と言って笑う。


「あ、でさ。ケーブルを抜いたら何をするの? 待ち?」


「そうだな。しばらく様子見だな」


 手持ち無沙汰になり、二人で部屋の真ん中に立ってぼーっと見つめ合う。


「お、お茶でも飲む?」


 妙にぎこちない距離感に苦笑しながら萌夏が聞いてくる。


「お願いするわ。後……さっきから気になってたんだけど……ベッドのシーツがズレてるんだよな」


「あー……寝雑が悪くて。壁際で角のセットも面倒だしたまに押し込むんだけどすぐに戻っちゃうんだ」


「暇だから俺が直してもいいか?」


「いいの!?」


「すっげぇ気になるんだよ……次に萌夏ちゃんが店に来た時にこのベッドで寝てたと思うとな……」


「やさしい〜」


「べっ、別に優しくないぞ!? 単に細かいところが気になるってだけで……」


「ついでに掛け布団のやり方も教えてよ。カバーの中で布団が偏っちゃうんだ」


 萌夏はそう言うと、自分の体の前面を隠すように掛け布団を持ち上げる。カバーの中で布団が下半分に偏っているのが分かる。


「カバーの中に紐が付いてるだろ? あれで布団と結びつけてるか?」


「……紐?」


 萌夏はそんなもの見たことがない、と言いたげに首を傾げる。


「一緒に見とくよ……」


「デレ濃い目だね。ありがと」


「人を勝手にツンデレ家政夫扱いするなよ。単に睡眠の質をあげることでスランプ脱却の糸口になればって思ってるだけだからな」


「ん。ありがと」


 萌夏は嬉しそうにニッコリと笑って礼を言う。普段は捻くれている感じを出すくせにこういう時は素直で、そのギャップに少しやられそうになり、顔を逸らしてベッドメイキングを萌夏と2人で始めた。


 ◆


 ベッドメイキングを済ませ、萌夏と二人でベッドに腰掛けてお茶を飲む。


「あ……そういえば初めてだ」


「何がだ?」


「この部屋に男の人が入ったのも、ベッドに男の人が上がったのも」


 そういえば萌夏には彼氏はいないんだろうか。いや、いたらさすがにこんな事はしないか。


「ふぅん……」


「何か私のことを考えてそうだ」


 萌夏が俺の心を見透かしたようにニヤァっと笑ってそう言った。


「んー……いや、彼氏いないのかって思っただけ」


「いるよ」


「ゔぇっ!?」


「嘘〜」


 萌夏はケラケラと笑いながら呆気にとられている俺を指差す。


「からかったな!?」


「ふふっ……匠己さんすぐに引っ掛かるから。ちなみにまだ好きな人もいないよ。今のところは」


「やけに含みのある言い方だな」


「ま、そのうち、ね」


 萌夏は俺の目を見ながらそう言う。まるで相手が俺だと言いたげな視線につい顔を逸らしてしまった。


「べっ、別に好きな人くらい勝手にいればいいんだけど!?」


 萌夏は「ツンデレ〜」と俺をいじりながら立ち上がると、ケーブルをパソコンに挿して電源ボタンを押した。


 すると、カチっと音がしてパソコンの筐体が青色に光り始める。


「青色好きなのか?」


「そこそこ。海中みたいで落ち着くんだ。海、潜ったことないけど」


 萌夏はそう言って部屋の照明を暗くした。青い光と、モニターの白い光が混ざってぼんやりと青白い雰囲気になる。


「ま、多分こんな感じだろうな」


「だよね」


 ニィっと笑い合い萌夏が電気をつける。


 パソコンデスクの前にあるいかついゲーミングチェアに座り、動作確認を始めた。


「ん……よしよし。全部残ってた。おっけー」


 萌夏はそう言いながら途中で顔を俺の方に向けてニッコリと笑った。


 続けて、机の上にある電子ピアノを触り始める。


 シンセサイザーのような電子音がスピーカーから流れ出した。


 だが、その音はぎこちなく、時たま途切れつつ、美しいフレーズを部分的に奏でる。


「手が動かないんだよね。これもストレスなのかな?」


「イップスとかいうよな。さすがに見てもらった方が良いんじゃないのか?」


「だよねぇ……」


 萌夏は椅子をぐるんと回転させて俺の方に手を伸ばす。


「握って」


「なんでだよ……」


「ちょっと良くなるかもしれないから」


「仕方ないな……」


 萌夏は「ツンデレ〜」と言いながら俺が握った手を嬉しそうに見つめる。


 もう一度机の方を向いて弾き始めるが改善した様子はない。


 そりゃそんな簡単に治ったら困ってないだろう。


「あ……ごめんね。パソコンに繋げないと音が出ないから嬉しくて。ありがと、匠己さん」


「あぁ……良かったな」


「もう少し話したいけど……もう遅いか」


 ちらっと時計をみると夜の11時。人の部屋にお邪魔するには少々遅い時間だ。


「そうだな。帰るわ」


「ん。またお店に行くね」


「別に待ってないけど、いつでも来いよ」


「ツンデレだなぁ」


 にっと笑う萌夏に玄関先まで見送られ、家を後にした。


 ◆


 ぱたんと扉が閉まる。匠己さんが帰った後の部屋は何故かちょっと広く感じる。


「帰っちゃった……『もう少し話そ?』のが良かった……?」


 うまくいかなかった感じを引きずるように髪の毛をクシャクシャにして机に戻る。


 もう一度、同じフレーズを弾いてみる。すると、今度はするんと弾けた。この感覚は久しぶりだ。


「お、できた」


 まさか本当に匠己さんの手に効果があったんじゃないか? と思い始める。ただ甘えてみただけなのに。


 更にもう一度弾くと、今度は詰まってしまった。奇跡は一度だけしか起こらなかった。


「たまたまかな……それか……」


 匠己さんのいなくなった部屋の出口。


 誰もいないのだが、嬉しさのあまり、つい後ろを見て微笑んでしまった。

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