第3話

 土砂降りの中、萌夏を送って帰った翌日。流行りのJPOPを聞きながらコーヒーを淹れていると、またもや萌夏が来店した。


 今日は巴は休みなので俺一人で店を回している。客もいないので暇な時間だったのだが萌夏が来たので仕事をしなければ。


 今日の萌夏も相変わらず気怠そうな雰囲気をまとっていた。


「いらっしゃいませ」


 俺が挨拶をすると萌夏は無言でコクリと頷き、それから自分の顎を触ってニヤけた。俺は今朝、顎髭を剃ったので顎はツルツル。萌夏はそれに気づいてイジりたいんだろう。


 別に萌夏の趣味にハマりにいったわけでもなく、萌夏の指摘に傷ついたわけでもない。単にそういう気分だったからそうしただけ。


 萌夏は俺の案内を待つことなくカウンター席に腰掛けた。


「わ、髭剃ってる……」


「そういう気分だったんだよ」


「ポニテ萌なんだって言われた翌日にポニテにしてくるハルヒみたいだね」


「そんな古いアニメよく知ってるな……まだ20歳かそこらだろ?」


「インターネットがホームだからね。それと今年で21。あ、アイスコーヒーお願い。氷少なめで」


 萌夏が真顔でピースサインを向けながらオーダーをした。水のグラスを出すとそれを横に避けて萌夏が肘をついてカウンターから身を乗り出してきた。


「でさぁ、匠己さん。なんでヒゲ剃ったの?」


「別に萌夏ちゃんに言われたからでも萌夏ちゃんの好みにハマりたいからでもないからな」


「ツンデレ〜」


 萌夏は目がなくなるくらいに細めて笑う。


「言っとけ」


 それを最後に会話が途切れる。他に客の一人でも来てくれればいいのに、誰も来ないので萌夏と二人っきりが続く。


「ね、匠己さん。悩み相談」


「ここは喫茶店で俺はマスター。メンタルクリニックのカウンセラーじゃないぞ」


「でも聞いてくれるんだよね? マスター」


「勝手に話してれば良いよ。ただし他のお客様が来るまでな」


 萌夏は笑いながら「ツンデレだなぁ」と言って話し始める。


「最近さ、『どえれぇ』スランプなんだよね」


「どえれぇのか」


「うん。もう『どえれぇ』としか言えないレベル」


「そりゃ大変だな」


「そ。家で1ミリも曲が書けなくて。あ、ちなみに担当してるアーティストの話ね。私じゃなくて」


「なるほどなぁ……マネージャーも大変だな」


 最早この設定に何の意味があるのか分からないが、一応乗っかっておく。萌夏はニッと笑い「そうなんだ」と話を合わせた。


「で、スランプを抜け出すためにどうしたらいいと思う?」


「うーん……環境を変えるとかじゃないか?」


「環境を変える、か。引っ越しとか?」


「引っ越しもストレスがかかるらしいけどな。結婚とかもそうだし、一見プラスのことも案外ストレスがかかるらしいぞ。だから気分転換くらいのちょっとした変化くらいの方がいいのかもな」


 それこそ、ヨネもとい萌夏に控えているメジャーデビューの話なんておめでたいことではあるけれど、その重圧は半端ではないんだろう。


「じゃ、絶対原因はあれだ」


 ニヤリと笑って萌夏が頷く。


「心当たりがあるのか?」


 メジャーデビューだ。絶対にメジャーデビューだ。


「うん。結婚して引っ越しもして就職もしたんだよね」


「……そうなの!?」


「ううん。嘘」


 俺がずっこけると萌夏はゲラゲラと笑う。


「た、楽しそうだな……」


「まぁ……近々ビッグイベントが控えてて。それで気が休まってないのかも」


 真顔でグラスの水面を見つめながら萌夏が言う。


「それが原因だろうな」


 詳しいことは言わずとも聞かずとも分かる。やっぱりメジャーデビューの事がのしかかっているんだろう。


「ってことでさ。飲みに行こうよ」


「萌夏ちゃん。もう少し文脈ってものを意識してくれるか?」


「私、スランプ。家、作業、ならない。暇。匠己さん、飲む」


「最後で一気に飛躍したな!?」


「断ってこないってことは行ってくれるってことだよね? 環境は簡単に変えられないけど、気分転換はできそうだし」


 萌夏がカウンターに肘をついて身を乗り出し、誘うような目つきで尋ねてくる。


「休みの日ならな――おっと、お客様だ。カウンセリングはここまでだな。いらっしゃいませ〜」


 萌夏にアイスコーヒーを出し、来店した常連客の老夫婦の相手に向かう。


 その途中、背後から「私もお客なのに……」と萌夏の意地悪な声が聞こえた。


 ◆


 萌夏が来店して1時間くらいが経過。萌夏が帰り支度を始める。店内には常連客が数組いるだけなので話し相手には困らないが、今日も閉店まで居座るものだとばかり思っていればいたので驚く。


「帰るのか?」


「帰ってほしくないんだ?」


「べっ、別に寂しいとかじゃないぞ!?」


「や、匠己さんは人間国宝のようなツンデレだねぇ」


「勝手に人の店をツンデレ喫茶にしないでくれるか?」


 萌夏は笑いながら指パッチンをして「それだ」と言う。


「それだじゃねぇよ……」


 萌夏にツッコミを入れながらレジへ移動。


 会計はいつものようにQRコード決済。


 アプリが立ち上がるまでの待ち時間、萌夏が話しかけてくる。


「明日はどんな曲が流れるの?」


「明日はジャズ」


「そうなんだ、月曜日は?」


「無音の日」


「火曜日は?」


「定休日」


「じゃ、月曜の夜か火曜に行こうよ」


「飲みに?」


「そ」


「なんで俺なんかと……」


「仲良くなりたいし」


 萌夏が上目遣いで俺を見てきてニッと笑う。


 不覚にも可愛いと思ってしまって「うっ……」と声が漏れ、照れながら顔を逸らしてしまった。


「わ、匠己さん、ガチで照れてるじゃん」


「あんまりおじさんをからかうもんじゃないぞ」


「ごめんね、。ってか何歳なの?」


「今年で20歳」


「嘘!?」


「嘘」


 萌夏は俺の嘘に驚きすぎてスマートフォンを落としそうになり、恨めしそうにジト目で睨んでくる。


「ま、けど優しいね。飲みに行ける年齢だ」


「本当は未成年なのに背伸びして20歳って言ってる可能性もあるぞ。実は『どえれぇ』老け顔でさ」


「えっ……ガチ?」


『ぺい〜ん』というアプリの決済音と同時に真顔で萌夏が尋ねてくる。


「またどうぞ」


 にっと笑って萌夏をあしらう。


「むぅ……気になる」


 頬を膨らませて萌夏が呟く。


「ありがとうございました〜」


 初めて萌夏にカウンターを食らわせた気がする。


 俺は取ってつけた笑顔で萌夏を見送ると小さくガッツポーズをした。


 ◆


 夜、店を閉めて帰宅しようと出入り口の扉を開けた。


 扉のすぐ近くの店舗の壁に萌夏がもたれかかってスマートフォンをいじっているのを見つける。角度的には絶妙に店内から見つけられない場所だ。


 扉が開くと俺の方に顔を向ける。相変わらず普段は無表情で何を考えているか分からない。


「や、偶然」


「絶対に待ってただろ……」


「今来たところだよ」


「デートの待ち合わせじゃないんだから……で、どうしたんだ?」


「匠己さんの年齢が気になりすぎて眠れなくて」


「なんかごめんな!? 26歳だから! 寝てくれ!」


「っていうのはサブの目的なんだけどね」


 俺がずっこけると萌夏は楽しそうに微笑む。


「別に匠己さんが10歳でも40歳でも気にしないよ。で、お疲れのところ申し訳ないんだけど本題。匠己さんってパソコンに詳しい?」


 ジョークでコーティングされているが、遅くにわざわざ足を運んで待っているのだから、それなりに困っているんだろう。無碍にするのも悪い気がした。


「別に疲れるような仕事はしてないよ。パソコンって中身か?」


 萌夏は真顔のまま首を横に振る。


「ううん。ハード。電源がつかなくなっちゃって。何もしてないのに」


「何もしてないって人に限って何かしてるんだよな」


「見てくれる?」


「ノートパソコンだろ? 店で見るから入るか?」


「ううん。デスクトップ。一応ここに持ってきたんだけど……」


 萌夏が暗くて見えづらい足元を指さしながらそう言う。


「まじで!?」


「嘘」


 俺の反応を見て萌夏はニシシと笑う。


「んだよ……」


「見てくれる?」


「いいぞ……ってここにないんだろ? どこに――」


 安請け合いしてしまったが、デスクトップパソコンがおいてある場所なんて一つしかない。


「家」


 口元だけ笑いながら萌夏が頷いてそう言う。


「それはマズイだろ……」


「そうだよね。私がいきなりスタンガンで攻撃して匠己さんを押し倒すリスクもあるよね。大丈夫だよ、そんなことしないから」


「俺が襲われる側!?」


「匠己さんは大丈夫っしょ」


「もっと警戒しろよ……」


 萌夏は「はーい」と適当な返事をするとプルプルと震えている手を見せてきた。


「どっ、どうしたんだ?」


「パソコンが使えないと思うと禁断症状がでてくるんだ」


 萌夏の余裕のある笑みを見て冗談だと分かる。


「ヤバいな。急ごう」


「ん。急ごう」


 自宅とは反対側、萌夏の家がある方向へ萌夏と並んで2人で細い路地を歩き始めるのだった。

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