第2話
書類を渡しそびれてしまい、気づけば青髪の女の子は閉店時間まで居座っていた。
店には他に誰もいない。閉店を告げるついでに忘れ物の書類が入った茶封筒を持って席に近づく。
「そろそろ閉店ですのでご準備お願いしますね。それと……これ、昨日お忘れになっていたので……どうぞ」
女の子はちらっと俺を見ると封筒から書類を取り出し、中身を確認して頷いた。
「ありがとうございます。これが無くなったら本当に困ったことになってました」
どこまで困っていたのか分からないくらいに淡々と女の子が言う。
「よ、よかったですね……」
「ちなみに……中って見ました?」
女の子が上目遣いで尋ねてくる。見た、と認めるのも悪い気がして「見てないですよ」と嘘を付く。
「本当に?」
「本当に」
「私の名前、モカって読むんですよ」
「モエカじゃないんだ……」
しまった。これは書類を見ていないと分からないこと。
「書類、見ました?」
女の子がジト目で再度確認してくる。
「み、見ました……」
「そうですか……っていうか普通に見えちゃいますよね。私の落ち度です。気にしないでください」
「いえ……あぁ、そうだ。バイトの子には書類のことも萌夏さんの事も言ってませんよ。単に書かれていたアーティストの名前を知らなかったので聞いてたんです」
「ま、懐メロが流てるくらいだし……そっか」
萌夏は店内に流れている昭和歌謡に耳を澄ます。
「あぁ……これは曜日で変えてるんですよ。先代の祖父のこだわりで。金曜日は懐メロ、木曜日は洋楽、みたいな」
「へぇ……あー、いわれてみれば確かに。だから昨日はザ・フーが流れてたのか……」
「詳しいんですね」
「ま、一応そっち系なので。あ、あれ? 見たんですよね? 書類」
萌夏の口ぶりは自分がヨネだと言いたげだ。顔出しをしていないのに正体を明かすのも気まずいだろうから適当にとぼける。
「見ましたよ。音楽系の会社にお勤めの人なんだろうなって思ってました」
「あー……あっ、あー! そうですそうです。そうなんです」
どうやら会社側の人という方向でいくことにしたらしく、萌夏も全力で乗っかってくる。
萌夏は安心した様子で「ふぅ」とため息をついた。
「悪い人じゃなくて良かったです」
萌夏がニッコリと笑う。普段の人形のような無表情とのギャップに心を撃ち抜かれてしまう。
「べっ、別に普通のことをしただけで……しょっ、書類を無くすのは信用問題に関わるから!」
「ふぅん……あれ? お兄さんってツンデレ? 今日日流行んないと思うけど」
「流行るかどうかで性格は決めてないつもりだよ」
「ま、そうだよね。また来ていい? コーヒー美味しいね、ここ」
「客は選ばない主義だからいつでも」
コーヒーを褒められて嬉しいのだが、それもあまり表に出さずに口を真一文字にして答える。
「うわ、ツンデレ〜」
萌夏は俺を指さしてケラケラと笑いながらそう言った。気づけばタメ口で話すようになっているが、別に悪い気はしない。
「
「
「いちいちツンデレだなぁ。覚えてあげるからさぁ〜」
萌夏がニヤけながら俺の腹をつついてくる。
「いっ、いいから早く帰れよ!?」
「わ、お客様に早く帰れなんて言うんだ」
萌夏はすっとぼけた表情でそう言う。
「閉店時間を過ぎたら客じゃない――」
「一人の女だ、みたいな?」
「こら、勝手にアフレコするな」
萌夏は楽しそうに笑いながら片付けを始めた。
途中で萌夏が手を止めて真顔で呟く。
「けど、好きだよ、私」
「えっ……」
「このお店。レトロな雰囲気なのに小綺麗だし、曲のセンスもいいし、コーヒーは美味しいし、店主はツンデレだし。あ、曲のセンスは昨日の話ね」
「み、店ね……」
「また来るね。明日」
「明日はJPOPの日だな。流行りの」
「ふぅん……そこのリストに入るように頑張らなきゃだなぁ……」
「マネージメントしてるタレントが、だよな」
「ん。そういうこと」
萌夏は真顔で頷く。彼女がヨネであることはほぼ確実だろうけど、とりあえず二人の間で誤魔化す時の設定は固まったみたいだ。
その時、外から急にザーッと物凄い雨音がし始めた。
「うぇっ……雨かぁ……傘ない……」
「ほら、これ使えよ」
俺は店のレジ横にある自分用の置き傘を持ってきて萌夏に手渡す。
「いいの? これがないと匠己さんが帰れなくならない?」
「別になくても帰れるよ。家近いんだ」
「じゃ、相合い傘で帰る? 送ってってよ」
「嫌だ」
「……からの?」
しっとりとした声で、もう一声のツンデレを寄越せと態度で伝えるように萌夏がニヤける。
「べっ、別に相合い傘をしたくて渡したわけじゃないぞ!? 雨が強くならないうちにさっさと帰れよ。雨雲レーダーだと10分後から更に強くなるみたいだから今のうちだぞ」
「わ、ガチでツンデレじゃん」
「はいはい……またな」
「ん。お会計お願いします」
俺をいじるモードから切り替えたのか、シャキッとした表情でリュックを背負いレジの方へ向かって行く。
「傘はいつでもいいから。返しに来てくれたらそれで」
会計用のQRコードを差し出しながらそう言う。
「わ、上手いなぁ。お得意様にされちゃう」
「ま、別に来なくてもいいよ。傘の一本くらいまた買えばいいし、他に予備もあるし」
「そう拗ねないで。また来てあげるから。それじゃ、ご馳走様でした」
最後にニッと微笑んで萌夏が店から出ていく。
だが、すぐに萌夏が戻ってくる。
「どうした?」
「や、さっきのって嘘?」
「さっきの?」
「傘の予備。本当にあるの?」
「どっちでもいいだろ。強くなる前に早く帰れよ」
萌夏は一歩も譲らない雰囲気で「あるか、ないかの二択」と言って立ち塞がる。
「そんな気にすることないだろ。傘の一本くらいで」
「気にするよ。私のせいでびしょ濡れで帰る匠己さんを想像したら……せっ、背中が痒くなるから!」
「居ても立っても居られない時の表現が独特すぎるだろ……」
「で、あるの? ないの? ツンデレマスターさん」
観念した俺は苦笑いをして頷いた。
◆
片付けのほとんどを翌日に回して超特急で閉店作業を終えた俺は一本の傘で萌夏と土砂降りの中を歩いていた。
「匠己さんってヤバいくらいツンデレだよね。普通今から雨が強くなるって分かってるのに、普通自分の傘を人に貸す?」
「近くだから大丈夫なんだよ。それに俺が濡れても困らないけど、萌夏ちゃんは濡れたら困るだろ?」
「下ネタ?」
「鞄だよ! かばん! パソコンが入ってるだろ!?」
「んー? 聞こえなーい」
萌夏は可愛らしく耳に手を当ててすっとぼける。確かに大粒の雨が傘に当たる音がするので聞き取りづらくはあるだろうけど聞こえなくはないだろう。
「絶対に聞こえてるよな……」
俺の言葉を無視して萌夏が俺の肩を指さした。
「あ、匠己さん。肩濡れてるよ」
「一つの傘に二人は狭いからな」
萌夏は笑いながら「バンプの歌にそんなのあったかも」と呟いた。
「傘じゃなくて陽だまりじゃないか?」
「あ、それそれ」
そんな適当な内容で会話が途切れ無言で歩くこと数分。萌夏が「あ、ついちゃった」と言って足を止めた。
到着したのは何の変哲もないワンルームマンション。
「ありがと、匠己さん」
美少女からニッと笑って感謝を伝えられると恥ずかしさが込み上げてくる。
「べっ、別にこのくらい……」
「うはぁ……ツンデレだ〜。ね、匠己さん」
「何だ?」
「ヒゲ、剃った方が好み」
萌夏はニヤりと笑いながら自分の顎を触る。
俺の顎にはそれなりに長い髭がたくわえられている。喫茶店のマスターなのだから髭だろう、という安直な考えに基づいて1年前から伸ばし続けていた。
「にっ、似合わない?」
「や、似合ってるよ。これは単純に私の好みの問題」
「考えとくわ」
萌夏は微笑みながら頷く。
「またね。バイバイじゃなくて、またねだから」
萌夏はそう言って再来店を匂わせてエントランスの奥へ消えていった。
「髭……ダメなのかぁ……」
俺は斜め上からやってきたダメ出しに若干凹みながら顎を撫でた。
◆
萌夏を送って帰宅後、歯磨きをしながらぼーっとSNSを眺める。
昨晩にヨネのことを調べていたからか、ヨネの投稿がオススメとして表示される。
『最近見つけた喫茶店。マスターのツンデレ顎髭丸メガネおじさんが超推せる。ヒゲがなければなお良し』
「俺のことじゃない……よな?」
顎髭もメガネもある。だがおじさんと言われるような歳ではない。
「26だしなぁ……フケ顔って言われるけど……おじさんじゃないぞ……」
色々とダメージを喰らう一日だったな、なんて思いながら布団に入った。
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