隠れ家的喫茶店で閉店まで居座るダウナー系美少女はネットで有名な歌手らしい

剃り残し@コミカライズ連載開始

第1話

 都内の駅前に接続する商店街のメインストリートから一本入ったところにある喫茶店『かるでい』は今日もそこそこの人の入り具合だった。


 5席ほどあるテーブル席と5人用のカウンター席のすべてが老人客で混み合う昼間のピーク時間帯も終わりに差し掛かり、客層がサラリーマンに移り変わり始めた頃、一人の女の子が来店した。


 恐らく歳は大学生くらい。


 そう判断した理由は、平日だというのに、いかにも昼を過ぎて起きたという感じの気だるそうな顔つきをしていたから。


 それと派手な青髪のボブカット、太いデニムにTシャツと会社員では到底出来なさそうなこなれたラフな格好をしていたのも理由の一つ。


 アルバイトの女子高生、星野ほしのともえが「いらっしゃいませ」と近くに行き、静かに挨拶をしてカウンター席に案内した。


 バイトを始めた当初は高校生らしく元気に「っしゃーせー!」と客を出迎えていたのだが、うちはラーメン屋ではなく喫茶店、しかもタバコのヤニが壁の芯にまでしみついているような古いタイプの喫茶店だということを口酸っぱく教えた結果、相手を見て挨拶を変えるようになった。


 曰く、老人には元気な方が受けるから、とのことで元気な挨拶も人を見て継続中。


 そんな彼女がしっとりとした挨拶を選んだのも納得するくらい、青髪の女の子は静かな空間を求めているような雰囲気があった。


 感情がぽっかりと無さそうな無表情な顔は人形のように綺麗な造形をしていた。


 アンニュイな雰囲気でぼーっとした表情でメニュー表を眺め、俺の方に視線を向ける。


 店の中なのでなんとも思わないが、外で目があったらドキッとしてしまいそうなアンニュイな視線と可愛らしい顔をしていた。


 声を出さず手も挙げずにアイコンタクトで呼ぶタイプだと察すると、僅かに笑顔を作ってその人の方へ向かう。


「アイスコーヒー。氷少なめで」


「はい。他にはよろしいですか?」


「大丈夫です」


 パタン、とメニューを閉じた瞬間に風で女の子の前髪が乱れる。


 前髪があろうとなかろうと、人形のように整った顔はびくともしない美しさだった。


 女の子は無表情のまま前髪を直すと、机の上にパソコンや資料を広げ始めた。


 うちの店では同じように勉強をしている主婦やパソコンで仕事をしているサラリーマンもいるので珍しい光景ではない。


 引退した祖父から引き継いだ店なので賃料もなく、ゆるゆるとやっていけるため、回転率もそこまで気にしていない。


 一人でも店は回るし、アルバイトの巴がいればちょっと楽、なんてくらいのもの。


 店を引き継いで1年。慣れた手つきでアイスコーヒーを準備して、コースターとシロップとミルクと一緒に出す。


 蚊の羽音のような小さい声で「ありがとうございます」と呟いて俺が離れる前にブラックのままコーヒーを飲むと、目を大きく開けてこちらを見てきた。


「な……何か?」


「いえ。美味しいです」


「良かったです。ごゆっくり」


 ニッと笑ってその場を離れる。


 その女の子はパソコンの画面とにらめっこしては、時たまリズミカルにキーボードを叩く。打鍵音は小さく、何か音楽を聴いているのか耳にはイヤホンもついているので注意するほどではない。


 店内で流れているUKロックとたまにリズムがリンクする時があり、それを楽しみながら仕事を続けた。


 ◆


「かっ、帰らねぇ……」


 閉店は夜の9時。時計は9時半を指している。とっくに他の客は帰り、俺も閉店の準備をほとんど終えてしまった。バイトの巴も先に上がったため店には俺と青髪の女の子しかいない。


 ものすごい集中力をしているのか、かれこれ1時間くらいは画面とにらめっこをしながらずっとリズミカルにキーボードを叩いている。


 恐らく時間を忘れて作業に没頭しているんだろう。


「あ、あのー……」


 俺が近くによっていって声をかけると女の子はビクッと反応してイヤホンを外した。


「はい」


「実はそろそろ閉店でして……よろしいですか?」


「あ……すっ、すみません」


 女の子はびっくりした様子で荷物を片付け始める。


 先にレジの方へ行き、女の子が来るのを待つと、女の子はリュックを背負いながらすぐにレジの方へやってきた。


「1200円です」


 途中でコーヒーのおかわりを何度もしてくれたので閉店まで居座られてもそこまで悪い気はしない。人によってはコーヒー一杯で朝から晩まで粘る人もいるからだ。


「すみませんでした……」


「大丈夫ですよ。随分集中していたんですね。何か物書きでもされてたんですか?」


「ま、そんな感じです。あ、ペイコインでお願いします」


 閉店時間まで居座ったことに対する罪悪感からか、青髪の女の子は伏し目がちにそう言うと、レジ横に備え付けられたQRコードを読み取って会計を済ませた。


「ありがとうございました。またどうぞ」


 女の子はコクリと頷いて店から出ていく。少し時間を空けて外に出て、後ろ姿が見えなくなったことを確認して入口の鍵を閉める。


 今日も1日が終わった。誰もいない空間で店内のスピーカーから流れているUKロックに身を委ねながら片付けを始める。


 女の子は慌てて片付けをしたからか、書類の入ったクリアファイルを忘れてしまったらしい。


 チラッと目に入った名前は『青山萌夏』。萌夏はモカと読むのかモエカと読むのか、はたまたモナツかもしれない。そもそも彼女の名前なのかすら分からない。


 その書類を持って店を出てみるも、あの女の子が戻って来る気配はない。


 店内へ戻り、興味もないのにまた書類をちらっと見て内容を見てしまった。


 タイトルは『専属マネージメント契約書』。相手先の会社はカリンビアレコード。大手のレコード会社だ。


 その契約相手に書かれているのが青山萌夏なる人物。活動名義は『ヨネ』というらしい。あの女の子が青山萌夏でヨネなのかは分からない。何なら契約書の作成元のレコード会社側の人なのかもしれない。


 何にしても、どうやら俺はかなり重要な書類を手にしてしまっていることに気づく。


 早くあの女の子が取りに戻って来ないだろうか。


 俺は早く帰りたいところをそのまま2時間くらい店で待機していたが、その日女の子は店に戻って来ることはなかった。


 ◆


 翌日、夕方になってもまだ青髪の女の子は書類を取りに来ない。


 客足が途切れたタイミングで巴に話しかける。


「巴ちゃん、ヨネって知ってるか?」


「ヨネ? もしかしてあれですか? 歌手のヨネです? ボカロPもしてる?」


「あー……多分そう」


「多分? というか匠己たくみさんもヨネみたいなアーティスト聞くんですね! メジャーデビューもしてなくて結構マイナーなのに! 今度ライブに行くんですよ〜」


 歌手、ヨネ、インディーズで若者に人気。色々な情報が繋がっていく。


「ちなみに……そのヨネって顔出ししてたりするのか?」


「してないですね。これ、SNSのアカウントです」


 SNSのアイコンは青髪の女の子のイラスト。昨日の女の子に似てなくもないくらいの絵だった。


 他人の空似、ただのファン、関係者、本人。色々な可能性はあれど、忘れていった契約書を渡してしまえばそれでしまいだ。


 そんなことを考えていると、カランカランと来店を告げるベルが鳴った。


 逆光を受けながら入ってきたのは昨日の青髪の女の子。


「いらっしゃいませ。どうぞ」


 巴が静かに声を掛けてテーブル席に誘導する。女の子は書類のことは言わずに椅子に腰掛けた。


 キッチンの奥で書類を探して渡す準備をしていると、注文を取った巴が近づいてくる。


「アイスコーヒー1で〜す。あ、それでそれでぇ……匠己さんってヨネ好きなんですか? 今度のライブ一緒に行きません?」


 今その名前を出すのはマズイんだけど!?


「ぶっ!」と女の子の方から音がする。


 俺は慌てて青髪の女の子の方を見る。


 その席まで巴の声は届いていたようで、水を吹き出した青髪の女の子が顔を拭きながら、俺の方をじっと睨みつけてきていた。


 俺は小刻みに首を横に振り、「何も言ってませんよ?」と意思表示をすることしかできないのだった。

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