第4話 葛藤と選択

UDIラボの一室で、深刻な空気が漂っていた。外の光がカーテンの隙間から差し込み、机に置かれた書類の山を照らしている。全員がその場に集まり、神倉所長が重く話を切り出す前の沈黙に耐えていた。


「厚生省からの圧力が強まっている。補助金の打ち切りどころか、ラボの存在そのものを脅かされかねない。」神倉の声は低く、部屋に響く。


東海林と久部の顔には動揺が走った。東海林は眉を寄せ、久部は手にしていたペンをカタカタと机の上に置く。ミコトと中堂は目線を合わせず、それぞれの思考に没頭している。


「このまま調査を続けるのは、ラボの存続に危険を及ぼすかもしれない。」神倉の視線は真っ直ぐにメンバーたちを見つめた。「だが、それでも真実を追求するかどうか、今決断しなければならない。」


部屋の空気が一瞬で凍りつく。今まで無意識に避けていた決断を、ここで迫られるとは誰もが感じていた。


「所長、補助金がなくなったら、ラボはどうなるんですか?」久部が不安そうに口を開く。「存続なんて、無理なんじゃ……。」


神倉は久部の問いに一度目を閉じ、少しの間を置いてから答えた。「正直なところ、存続は厳しいだろう。しかし、このまま調査を止めれば、28歳の男性、彼の死の真実は闇に葬られることになる。」


久部は顔を伏せた。彼の脳裏には、家庭で待つ家族の姿が浮かぶ。UDIラボがなくなれば、自分の仕事も、生活も、すべてが崩れてしまうのではないかという恐怖が押し寄せていた。


「久部の言うこともわかるわ。」東海林が彼の肩に手を置き、静かに続けた。「私たちの調査がラボ全体の命運を左右するのは事実。だからこそ、冷静に判断しなければならない。」


彼女の言葉には、彼女自身の葛藤もにじみ出ている。UDIラボは彼女にとってもかけがえのない場所だ。ここでの研究は、自分の信念そのもの。しかし、ラボがなくなってしまえば、すべての努力が水の泡になる。


「だからって、引き下がるのか?」中堂が苛立たしげに言った。「俺たちの使命は何だ?ラボの存続を守ることか?それとも、不自然死の真相を究明することだ?」


中堂の目は鋭く、ミコトを見据えている。ミコトは静かに彼の視線を受け止めていた。彼の言葉が正しいことはわかっている。だが、心の奥底で引き止める何かがあった。それは、決して無視できない現実的な恐怖だ。


「中堂、私たち全員が覚悟を持ってここにいる。」ミコトの声は落ち着いていたが、その瞳には揺るぎない光が宿っている。「でも、私たちには守らなければならないものもある。家族、未来、自分の人生……。」


中堂はその言葉に一瞬、言葉を失った。ミコトの声には確かに、人間としての悩みと葛藤が込められていた。彼自身もそれを無視することはできない。


「だからと言って……」中堂は歯を食いしばり、言葉を探した。「だからと言って、このまま調査を止めることが正しいとは思えないんだ。俺たちが見つけた異常は、ただの偶然じゃない。レプコンワクチンには、何かが隠されている。」


部屋の中に再び静寂が訪れた。全員がそれぞれの考えを巡らせている。どちらの選択も、安易には決められない。しかし、彼らの心には一つの共通する思いがあった。それは、28歳の男性の死を無駄にしないということ。


「私は続けるわ。」ミコトが静かに口を開いた。「この死の真相を明らかにしなければ、次の犠牲者が出るかもしれない。それを防ぐことが私たちの仕事でしょ?」


彼女の言葉に、東海林と久部は一瞬、戸惑いの表情を見せた。しかし、ミコトの決意に満ちた目を見て、彼らもまた自分の中にある覚悟を確認する。


「わかった。」久部がゆっくりと口を開く。「怖いのは事実だけど……でも、僕も続けるよ。怖くても、真実を求めることが僕たちの役目だから。」


東海林も続けて頷く。「私たちが止まれば、この先の真実は闇に隠される。それだけは、絶対に許せない。」


「よし、決まりだな。」中堂は口元にわずかな笑みを浮かべる。それは、戦士が戦場に立つ前のような覚悟を秘めたものだった。


神倉はその場に立ち、全員を見渡した。「覚悟はできたな。では、これ以上の中止要請が来ても我々は続ける。その覚悟を持って、各自の任務を遂行してくれ。」


全員が無言で頷き、それぞれの持ち場に散っていった。ミコトは解剖室に向かい、中堂は分析室へ、東海林と久部は新たなデータ収集に取り掛かる。UDIラボは、今まさに戦いの準備を整えたのだ。


部屋に残された神倉は一人、窓の外を見つめた。彼の心には、ラボを存続させることと、真実を追い求めることの狭間で揺れ動く思いが渦巻いていた。だが、彼の背中は真っ直ぐに伸びていた。彼らの選択は、すでに決まったのだ。

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