かっこよく死にたい

@kaiko2

第1話

 ざわめく木々にせせらぐ細流、それらをお節介にも照らす、天辺からくだり始めたそれに手を翳す。そんなことをしても消えやしないことは分かりきっていた。頬を撫でる快でも不快でもない風。

 思い立ったわけでもなく惰性によって、軽く跳ね下りる。身体の半分ほどが地面に埋まってなお俺の背丈よりも高い岩だ。動作だけは軽快で可笑しい。可笑しくない。




村の簡素な門をくぐり、家に向かう。


「よう!またふらついてたのか?あんま母ちゃん心配させんなよー」



斧を右肩に担ぎ、空いた手で頭を揺らされる。中身が混ざってしまいそうで、顔を顰めるが、俺の顔も碌に見ずに歩き去っていく。


変な人だ



2人暮らしには十分すぎる広さの丸太小屋が我が家である。冬にはただの風除けと化すそれの戸を開く。


「あんたどこいってたの!薪割りもしてないんでしょ!早くやりなさい!次帰ってくるまでにやってなかったら夕ご飯抜きだからね!」


早々にこれだ。ふらつきたくもなる。

俺は渋々、玄関の隅にある木樵のそれより遥かに安価でそれゆえ頼りない斧を手に取り、家の裏手に周る。始めてしまえばなんてことない作業でも、始めるには多大な労力を費やさねばならない。それが俺という人間なのだが、母には全く理解されない。戸が開閉されて、いつも通り畑に向かう旨を伝えられ、軽く手をあげ見送る。薪割りを早々に終わらせた俺は先ほど母が作っていたポタージュと黒パンを無心で流しこむ。母との二人暮らし。平穏で退屈な日々。

 唯一平穏でなかったのは父の死ぐらいのものか。まあ俺は産まれてもないが。

 父は俺が腹の中にいた頃に死んだらしい。その死に様は大層立派だったそうで母も村の人たちもよく俺に言って聞かせた。


「父さんはね、それはそれはかっこいい人だったのよ」

「お前もお前の父ちゃんみたいに何かを守れる男になれよ」

「父を見習え。そんな毎日やることもやらずふらついて。お前の父はな、立派な……」


母とその腹の中にいた俺を魔物から守って死んだ父。立派であることは理解したが、それがどう立派でどうすごいのかは俺にはよくわからなかった。ただ周りがそう言っていたからそう思ってるだけだ。第一、顔も声も知らない人を見習えっていうのも無理のある話だ。それに何より、死んでるではないか。俺と母を残して。死んだら金も稼げず薪も割れず。立派だというなら、今なお生きて金を稼いで、薪を割って、不出来な俺の見本となるぐらいのことはしてほしいもんだ。



陽が落ち、母と夕餉を共にする。父の伝手で母が働かせてもらっている畑で採れた屑野菜と、少々の鶏肉を煮込んだものと黒パン。いつも通りの変わり映えのしない飯を詰め込む。俺にとって食事は薪割りと何ら変わりない、作業である。

母は炉の火を灯りに何事かと手を忙しなく動かす。何をしてるのかは知らないし、興味はない。


暇だ


暇をつぶすものはこの家にはない、仮にあっても興味が向くことはないだろうが。よって寝る。

睡眠はいい。つまらないという感情すら抱かず時が過ぎる。惜しむらくは朝になれば起きてしまうことだ。一生を寝て過ごせたらいいのに。

母に一声かけて寝所につき目を瞑る。寝つきがいいのが俺の少ない長所の一つだ。瞼がじんわりと重みを増し、今日が終わる安堵と明日がやってくる憂鬱ともしばし別れようとしたとき、叫び声にしては意味の乗った大声が聞こえた。


「魔族軍だーっ!魔族軍が攻めてきたぞーっ!!」



これは誰の声であったか。入眠を妨げられ不快なことこの上なかったが事態が事態なら只事ではないので大目に見ることにする。

同じ内容を何度も何度も繰り返し叫んでいた。母は突然の出来事にかなりショックを受けているらしいが、気を取り直したか慌てて立ち上がり、戸を開け「ここにいなさい!」とだけ告げて外に出た。様子を見に行ったのだろう。彼の言を信じるなら魔族が来たらしい。ただそれはかなりおかしなことだ。この村は魔族の住む魔族域との境からかなり距離があるはずであった。それに都市と都市を結ぶ街道から外れた辺鄙な場所にあるこの村に魔族軍が真っ先に攻めてくるとは考えずらい。村長も村の男手たちも魔族軍に対する備えなど大してしていなかったことからも窺える。それほどあり得ないことが起こっていた。

外が騒がしくなってきた。悲鳴のようなものも聞こえた気がした。

するといきなり戸が大きな音を立てて開かれる。母が切羽詰まった顔をして家に飛び込んできた。俺を寝床から引き摺り出して言う、


「逃げるわよ!」


着の身着のまま、ものも持てずに連れ出される。母の焦りは俺を掴む力に表れていた。村のみんなもそれぞれ逃げ出していた。家財を持って行こうと四苦八苦する者、脇目も振らず一心不乱に走る者、人を強引に押しやり前へ前へと急ぐもの。皆一様に必死であった。死にたくないのであろう、生きたいのであろう。そんな彼らを俺はただ無感動に見ていた。あと少しで村から出るというところで背後から甲高い悲鳴が聞こえた。頭だけで振り返るとおばさんが魔物に脚を噛みつかれていた。おばさんはそのまま体勢を崩し転んだ。さらにその魔物の背後から次から次へと魔物たちがおばさんに群がった。俺の腕を掴む力がいっそう強くなった。母の顔を見やるが前を向いていて表情は窺い知れない。母も見たのだろうか。

そして門が見えた。魔族軍がやってきたのとは反対側の門には魔族軍の姿は見えなかった。そのまま門を走り抜け森に入る。皆森に入ったが、走るにつれ見失っていった。まあせっかく見通しの悪い森に入ったんだ、集団で固まっていては見つかりやすくなるだけだ。別れたほうが賢明だろう。


 依然として俺の腕を掴む母の力は強いままだった。そのまましばらく走り息が切れ出した頃、母の足が止まった。俺の背丈では薮が邪魔で母の視線の先を見ることはできなかった。なので母の顔を見上げる。母は苦虫を噛み潰した顔をしたかと思ったら左右を見た。遅れて俺も左右を見る。夜闇に紛れて眼球らしきものがいくつか見えた。魔物だ。正確な数はわからなかったが多い。森の奥から悲鳴が聞こえた。ひとつではなかった。ひとつふたつみっつ。悲鳴はなり続ける。



俺は死を悟った。つまらない人生だった。そんなものを8年以上も続けてこれたんだ。堪え性のない俺にしては頑張っただろう。


母を見上げる。母も俺を見ていて目が合った。母は笑った。そして、徐に俺を抱き上げ自分のシャツの中に俺を押し込めた。


「しっかり捕まってなさい。少し苦しいかもしれないけど我慢しなさい。大丈夫。大丈夫だから」


母は走り出した。すると母の背後から「ヒュッ」という音が無数に、断続的に聞こえた。母は揺れも気にせずがむしゃらに走っているようだった。どれほどの速さかはシャツの中ではわからなかったが、揺れ方からして子供を抱えた女性にしては速かったのだと思う。何度も衝撃があった。躓いたのか、はたまたあのおばさんのように噛みつかれたのか、それ以外か。母は何度も体勢を崩しかけたが、転ぶことはなかった。そして俺に痛みが奔ることもなかった。それだけは避けるかのように母の両手と身体が俺を包み込んでいた。どれくらいかはわからなかったが、きっとかなりの時間が経ったのだろう、ようやく母が立ち止まった。地面に降ろされシャツから解放される。母はその場で膝を付いていた。母の顔が間近にあった。母が変な顔して言った。


「生きて」


母は崩れ落ちた。

母の背中には幾本かの矢が突き刺さっていた。足からは原形を見出すことができなかった。そんな母から滲み出ていた液体は月明かりに照らされ己が鮮やかさを見せつけつつ母を包み込んでいくかのように広がっていった。


俺は抑え切れない感情を吐き出した。




「かっけぇぇっ!!!」



このとき俺は生きがいを見つけた。いや死にがいとでもいうべきか。



「かっこよく死にたい」




音、音、音。野太い音に甲高い音、雑多な音が無数に。ひとつとっても騒がしいそれは重なり、一つの音となり耳朶を打つ。これでも昔よりは落ち着いたらしい。


 城郭都市であるこの街はこの国で王都の次に栄えているらしい。王都や他国、細々した街や村をつなぐ交通の要衝として栄えたとか何とか。


「おい坊主!これ食ってけ!」


差し出された、鶏肉を串に刺して焼いただけのものを受け取り礼のかわりに軽く手を上げる。


しょっぺぇ



 喧しい定期市を抜け、ほっと息をつき、さらに進む。街のガキどもを軽くあしらい、住宅街も抜けると街の外とを繋ぐ門が見えた。門をくぐり街の外を進む。しばらくすると簡素な櫓が見えてくる。櫓の上では1人の兵士が辺りを間断なく見回していた。梯子に手をかけながら男に声をかける。


「ああ、交代か。」


言葉少なに立ち位置を代わる。

男はフーッと息を吐いて緊張を解き「頼んだぞ」と俺の肩を叩いた。男が梯子を降りるのを見届けることなく俺は辺りを注意深く監視しはじめる。

俺は兵士となっていた。城郭都市の防衛を担う部隊だ。今は当直の交代時間だった。

俺の担当するこの櫓は街の北東に面しておりその先には旧人族域、つまり魔族域があるのみで人の街はない。よってやってくるのは逸れ魔物か人懐こい小動物か。

俺は最前線の街の中でもさらに最前線にいるというわけだ。まあ本当の最前線である魔族域との境付近には多くの兵が詰めた砦があるらしいので、正確には最前線ではないのだが気分の問題だ。

ただ最前線といっても魔族との最後の戦争から約8年経っており、その間にこの街に魔族軍が来ることは一度もなかった。街の人たちは、「いつかは来るだろうが明日ではないだろう」そんな根拠のない自信に裏付けられた平和を享受している。呑気なものだ。


母が死んで、生き甲斐を見つけてから8年。村への侵攻は戦争の終わる直前のことであったようだった。それを聞いたとき俺は良かったと思った。村への侵攻の前に戦争が終結していたら少なくとも8年はあの退屈な日々を送っていたのだと思うと、そう考えずにはいられなかった。我ながら酷い話だ。母や村の人々の死を良かったなど常人の思考ではない。死を悼む気持ちがなかったわけではない。ただあまりにも鮮烈に俺の頭にこびりついたそれが、全てを呑み込んでしまったのだ。


あの後なんとか近くの街まで辿り着きそこからまた何度かの避難を経てこの街に着いたのが約7年半前、他の避難民たちと同様に街の雑用や土木工事などの仕事で食いつなぎ兵士の任についたのが2年前だ。この8年間は実に充実していた。日々を無為に過ごしていたあの頃の俺はいない。仕事が終わってからはもちろん、早朝に、仕事の合間に、仕事終わりに、体を鍛えて棒切れを振った。兵士になってからはさらに精を尽くした。





「かっこよく死ぬ」とは具体的にどうすればいいのか。俺は寝る前にいつも考える。そのひとときは、俺の特に好きな時間だ。想像の中では何度だって死ねる。とびきりかっこよく。

何十回、何百回、何千回と死ぬうちに、俺の中で決して譲れない死にかたの条件がはっきりしてきた。

 

 まずひとつ、カッコよくあること。これは当然だ。ダサい死に様なんて死んでもごめんだ。具体的にどうすればいいかというと、守ることだ。誰かを、何かを守る。母や父のように。命を賭して。だが、ただ守るだけじゃない。守り抜くのだ。守る過程で死んでしまったり脅威を残して死ぬのは中途半端だ。俺の一度きりの死をそんな中途半端に消費したくはない。まあそいつの人生の全ての脅威から守り抜く、なんてことは無茶すぎるから言わないが、その場の脅威はできるだけ取り除いてから死ぬ。

 ふたつ、一番大事なことだ。それは、必ず死ぬこと。これは当たり前だ。かっこよく「死にたい」っつってんだ。死ななきゃ意味がない。死ぬからこそかっこよさが映えるのだ。実は生きてました。とか、あんなことやこんなことをして生き返りました。とか。ありえない絶対にあってはならない。俺は確実に死ぬ。


他にも細かい好みはあるが時と場合によって達成するのが難しいものもあるから絶対に譲れない条件はこの二つだけにしてる。あんまり条件が多くてせっかくのチャンスを逃しでもしたら死んでも死に切れないしな。



兵士になったのはもちろん、「かっこよく死ぬ」ためだ。兵士なんて一番うってつけだろう。ましてや人族域の最前線、待ってりゃ勝手に機会がやってくる。普通なら俺のような下民の孤児が兵士になんてなれるわけもないのだが、ちょうど兵士が不足していたらしい。志願した時期がよかった。



魔族軍は強い。魔族軍は大量の魔物を率いてやってくる。魔物一体一体に大した力はない。だが数で押してくる。そして後詰めには魔族だ。魔族は人族に比べて圧倒的に数が少ないらしい。だがそれを補ってあまりある強さを持つ。一般的に魔族1体につき人族の平凡な兵士が5人必要だと言われている。じゃあ5倍の人数がいればいいのかというとそうではない。それは魔物がいるからだ。魔族の弱点である物量を担う低級の魔物は知能こそ低いが人族兵士の足止めぐらいは余裕だ。

足止めされている間に魔族に各個撃破される。シンプルだがそれ故に攻略は困難だ。純粋な能力の差は多少の策では覆せない。

そして個人的な信条により、俺は守り抜かなくてはならない。誰かを。そんな魔族たちを相手にして。


魔族を数体殺して死んで、後は任せたは嫌だ。全ての魔族とはいかずとも街への軍勢を追い返すぐらいはしたい。


ならどうすればいいのか。どうすれば守り抜けるのか。単純だ。強くなればいい。魔族に各個撃破されないのは当然として、数体もの魔族相手であっても勝てるくらいに。だから俺は鍛えた。とにかく鍛えた。来る日も来る日も、雨が降ろうと雪が降ろうと。

そうして今ではこの街でも有数の腕利きとなった。稽古をつけてもらっていた冒険者の男や上司にも勝ち越せるようになった。どうやら彼らは結構な実力者であるようで、そんな彼らにお墨付きをもらった今の俺は数体の魔族にだって勝てるだろう。


さあいつでも来い。死ぬ準備はできてる。






それから幾日か経ち、まさに俺が当直をこなしている夜中のことであった。



来た!



遥か遠方なれどそれらの掲げた灯り、巻き上げられた砂埃が月に照らされ可視化し、軍勢の巨大さを俺に理解させる。

俺は梯子のへりを掴んで滑り降りる。街へ向けて全力で走る。狼煙か何かでも使えばいいのに。非効率極まりないが規則なので諦めて走った。


門が見える。門の脇に立つ2人の兵士が俺を認めて前に出る。本来なら俺が本営へと伝えるべき情報を門兵に伝え、俺は敵軍勢へと走り出した。後ろで叫び声が聞こえるが無視。先程櫓の上で見た奴らは我々の想定以上に速い速度で向かってきていたのだ。それに最前線の砦からの伝令も来ていない。街の偵察により、魔族軍の活発な動き、開戦の予兆と見られるそれを捉えられていたのは不幸中の幸いであった。ある程度の準備はできているが、このままではまずい。大急ぎで招集をかけ、装備を整え、城壁の外に布陣を構える。それだけならなんとか間に合いそうだが市民の避難がある。砦の伝令を受けてから避難させる手筈だったがなんらかの障害が発生したのだろう。仕方がない。

軍勢の前に立つ。まだ距離はある。にもかかわらず地鳴りのような音が耳朶を打つ。俺は高鳴る胸を拳で抑えつける。絶好の機会だ。こういうのを俺は待っていたんだ。状況は十分、条件は侵攻の遅延による人々の避難時間の確保と魔物への大損害。魔族も何体かやれれば重畳。追い返すのは敵の規模、速度的に無理だろう。

きっと兵士たちはかなり死ぬ。彼らを守れないのは面白くないが、これが最良。それに。


それでも十分かっこいいだろ!



息を深く吸って目を見開き笑みを浮かべて叫ぶ。


「来いっ!!」





まだ大した時間も経ってないだろう。俺はすでに肩で息をしていた。低級の魔物は知能が低く、細かい命令は下せない。奴らはより近い獲物に群がる。魔物を囮で誘き寄せるというのは人族が昔からとっていた策だ。しかし、魔物はなんせ数が多いため、囮はほとんどの場合、決死隊となる。こいつらは俺が死ぬまで群がり続けるだろう。


だが、逆にいえば死ななければずっと俺に釘付けだということだ。




俺は斬った。斬って斬って斬りまくった。右足に噛みつかれる。右手で剣を握りなおし、下方に剣を振り下ろす。首が落ちる。左手に噛みつかれる。剣を左へ突き刺し、串刺しになった魔物を力任せに振り払う。次の攻撃に備えようと目線を散らす。しかし、間断なく襲いかかってきた魔物たちが俺から距離をとり、唸るばかりで一向に襲ってこない。


「はは、怖いのか?なら俺から行くぞ!」


群れに飛び込む。距離が詰められ魔物たちも流石に攻撃を再開させる。

楽しい。すごく楽しい。今までの人生でこんなに興奮したことはなかった。

ようやくだ。ようやく夢が叶う。自分の死に様に思いを馳せると自然と口角が上がる。

だがまだ早い。まだ足りない。もっともっと「かっこよく」。



上から人よりも大きな火球が落ちてくる。後方に飛び退くと火球は地面と衝突した瞬間、爆ぜた。魔物が数匹まきこまれる。左方から「ヒュッ」という風切り音と共に矢が襲う。剣で軽く撫でて逸らす。右方から槍が突き出される。顔に向かってくるそれを首を捻って避ける。距離を取るため後方に飛び退く。頬から血が伝う。

魔族だ。数は見えているだけでも5人。

魔物の奥にもまだいるだろう。

人族1人に魔族数人。絶望的な状況だ。俺は生きては帰れないだろう。


ゾクゾクする。血が沸騰したかのように熱をもつ。ここだ。ここが俺の死に場所だ。



剣を握りなおす。血と泥と傷で塗れた身体。

頬を伝う血を、拭うふりをして伸ばす。

死化粧も十分。


「さあ殺してみろ!」





疲労と痛みと出血により身体は悲鳴をあげる。

だが、反対に動きはきれを増す。感覚が研ぎ澄まされる。間違いなく今までで最高の動きができていた。



薙ぎ払われる槍を姿勢を低くして躱わす。

飛んでくる礫を最小限、剣ではらう。肩に鋭い痛みが奔るが気にしない。返される槍を左腕で受け、掴んで引き寄せる。前屈みによろけた魔族の首を突き刺す。背中に衝撃。音を聞けてなかった。が、気にせず向かってくる魔族をまた一体殺す。剣を構えなおす。

だが、攻撃が止んだ。魔族が詰めてこない。見ると、皆一様に立ち竦んでいた。中には後退りするものまでいる。


魔物と同じだな


ただ、今度は笑っている余裕がなかった。

今すぐにでも倒れてしまいそうだった。


多すぎる


当初5人しか見えなかった魔族は今は数える余裕がないくらいには増えていた。負ける気はしなかったが身体がもたない。死ぬのは確定しているが、死に方がまずい。これでは守り抜いたと言い切れるか微妙なところだ。せめて見えている範囲の魔族だけでも殺さないと。

 

脚に力を込めて、一歩踏み込もうとした。が、脚が動かない。

ふと気づく。そういえば、しばらくこの場で動かず戦っていた。脚が動かなかったのか。

これでは怯んで距離をとった魔族を殺しにいけない。

剣を地面に突き刺し体重をかけてみる。これならやれなくはない。そのまま身体を倒れる寸前のところまで後ろに傾け、勢いをつけ、剣を支点に腕の力だけで飛び跳ねた。


空中から斬りつけ一体殺す。これで近づけた。剣を地面に突き刺し、柄にしがみつき着地。足はもはや錘でしかなく、切り落としてしまいたかったが血が惜しい。

さっきの着地を思い出す。側から見れば笑えただろう。そんな不恰好な着地も今は誇らしい。一体でも多くの敵を殺す。それを目指す限りいつ死んでもかっこいいことは揺るがない。

次の敵に備えようと剣を持とうとしたが腕に力が入らない。やってしまった。さっきの跳躍で使い潰してしまったようだ。仕方なく柄に噛み付く。歯が欠けた気がするが問題ない。剣を顎と首の力だけで持ち上げ構える。


次は……





頭の上を見ると手があった。色黒でゴツゴツとしたマメだらけの硬い手が。

次に肩を見ると色は薄く、細っそりとしてるが頭に置かれた手と同じく硬い手。


「連れてけ」


彼らから指示を受け俺を担いで運ぼうとする若い男を身体を捩って振り払う。


待て、待ってくれ。俺はまだ、



言葉にならない。声が出ない。



男2人はそんな俺をみて変な顔をしていた。



だって俺は、俺はここで……

それなのに……


遂に担がれ運ばれる。意識を手放す寸前。

最後だけ言葉にすることができた。


「ずるい」




じめついて狭隘な、鉛色の空がそう見せるのか。街に歩き、転がる彼らを見て「生きている」とは断言できなかった。

この街はちょっと前まで部外者だった。今ではどうしようもなく当事者だ。

2年程前に始まった戦争で人族域は大幅に縮小した。かつて人族国家間で引かれた国境は魔族域との境界に。かつて人族が拓き、創り上げた街は魔族の街に。ただ、人は阿らなかった……逃げたともいうが。

後ろへ後ろへと退がるにつれ倍々に増えていく難民。国や街、村に平原。どこをとっても見当たらない場所の方が少ないほど、人がいた。



初めての挫折を経験したあの城郭都市での戦いが2年前。この2年間、俺は戦場を渡り歩いていた。侵攻の噂を聞けば、北へ南へ駆けずり回り、魔物と魔族の判別もつけないままに斬った。


「ずるい」



あの2人がずるくて仕方がなかった。


本当なら俺だったのに

もう少しで夢が叶ったのに


夢のためは当然として、忘れるためにも斬った。戦いに、自己に浸っている間は忘れられた。だから戦場を渡り、殺してくれるわけでもない敵を殺し、死ぬわけでもなくただ人を守った。



だが駄目だった。忘れるどころか新たに書き加えられる始末。戦場での日々は嫉妬の日々だった。



どいつもこいつもずるい


俺の方が願っているのに

誰よりも強く。

誰よりも誰よりも



死にたいのに。




だが、新たな希望も見えてきていた。

それは魔王だ。


読んで字の如く魔の王。

なんでも人族の王と違い、魔王は実力主義らしい。血筋や財ではなく、より純粋で原始的な「力」でもって王に成ったと。誰に聞いたかはてんで覚えてないが内容は忘れもしない。

当然だ。もしかしたらそいつこそが俺をかっこよく死なせてくれるのかもしれないのだから。


魔王と戦いかっこよく死ぬ。


そうと決まればやることは単純だ。

魔王の元へ行く。

ただ、今まで通りでは問題がある。


この2年で俺は学んだ。多勢でもって行う戦闘の危うさを。

俺は強い。人族の中でも有数の強者だ。それも2年間で学んだことのひとつではあるが。 残念なことに、俺には腕がふたつしかない。脚もふたつで、目もふたつ、頭と心臓はひとつ。

限度があった。それに、俺の夢が雑念をうむ。槍を首筋に振り下ろされるものがいたら槍ごと敵を粉砕し、氷塊でもって押し潰されるものがいたら氷塊ごと敵を粉砕する。

そうして守れればいいがこぼれ落ちる者も多い。

俺は強い。ただ、戦いの中で大勢を守るのは難しい。そして、強いから死ねない。死ぬ前に殺してしまう。こんなことを続けていても夢は叶わない。


そこで思いついたのが、少数精鋭による魔王討伐だ。


少数なら俺の手も脚も目も剣も届く。こぼれ落ちることはない。そして精鋭であること。一見して必要ないように思えるが、今代の魔王は実力はもちろんだが信望も厚いらしい。魔族がこれほどまでに一挙に、統率された侵攻は例にないと言われるほど。あったとしても記録にも記憶にも残っていない大昔か。

そんな魔族が犇く魔族域に単身乗りこみ魔王のもとに辿り着ける程、俺は器用じゃない。

殺し尽くせるほど人外でもない。

よって精鋭。それも俺にはない能力を持った者。

そんな人材を数人も都合よく見つけられるかは分からないが、とにかく探すしかない。俺にない能力を持っているかつ、自殺志願者にしか見えない俺に付き従ってくれる奇特な者を。

ただ、見つけてしまいさえすれば後は簡単だ。


少数なら守りきれる。精鋭なら魔王まで辿り着ける。魔王なら俺を殺せる。


我ながら完璧だ。

早速やるしかない、どれだけかかろうと必ず見つけ出して説得してやる!









というわけで集まった俺含めた4人での、魔王討伐と銘打った壮大な死出の旅路が始まった。




血と碧天とが混合したかのような色に雲が染まる。永遠と続く無機な大地に、生物の気配はなかった。

魔族域に入った当初、この旅がここまで張り合いのないものになるとは思ってもみなかった。魔物が跋扈し、魔族が占住する土地を、焦燥感と狭窄感とともに行くつもりだったのが、平原のど真ん中で火を焚き、肉を焼いて、煙をあげても平気な始末。

そんなことをしても何かが襲ってくることもない。


魔族に占領されたはずの街にも荒らされた形跡こそあるものの、魔族の1人たりとも見当たらなかった。


魔族域は空っぽだった。




失敗した。これじゃあ精鋭を連れてきた意味がない。食料が余分に減るだけだ。

だが、ここまできてしまったから仕方がない。


俺は先を急いだ。



前方から強大な魔力と熱。

各々が飛び退いた。音もなく熱線が過ぎる。さっきまで立っていた所はまるで巨大な蛇が通ったように抉れ消えていた。


前方の中空に穴が空いた。何もかもを飲み込んでしまいそうなその穴から男が現れ、男が通り抜けると穴が萎み消えた。


「ここを出るか死ぬか」





「お前が死ね」

誰かが言った。



上空に無数に空いた穴から熱線が降り注ぐ。

展開された障壁によって熱すらも遮られる。しかし熱線の雨が止む気配はない。


「あと2秒」


女の声に急かされ剣を構える。

割れた音が鳴り響くと同時に跳躍、魔族の首を断たんと振るった剣は薄皮一枚斬って勢いを失う。彼らを振り返る。上空の穴は消えていた。熱戦の雨は堪らず止めたようだ。


後ろに気を取られていたことに気づく。慌てて目線を戻すと、魔族の手に短剣が、その短剣の前に穴があった。魔族がその穴に短剣を突き刺す。背中に痛み。だが、気にせず剣を返し一閃。魔族の脇腹を裂く。魔法の使えない俺を待っているのは当然、落下。堕ちる俺に追撃せんと膨らんだ魔力がなぜか霧散する。魔族に大鉈と氷の礫が飛来する。魔族の二の腕に大鉈の一閃、血が噴き出る。氷の礫は衝突の寸前、開けられた穴に吸い込まれる。

地面に叩きつけられる直前、大槌を放り捨て身軽に成った細身の男が俺を受けとめる。

背中に生温かい魔力が渦を巻くと、痛みを残して刺し傷が塞がれていくのを感じる。

治療が終わり、上空を見ると魔族につけた傷が塞がっているのがわかった。

 こんな調子の戦いが続いていた。互いに傷をつけあい、治し治される。魔族の魔力、体力に尽きる気配はない。一方の俺たちは肩で息をし、重大でない軽い傷が散見される。

じわじわと追い詰められていた。



「魔王様に会おうなど笑止千万!

私程度も殺せぬのでは魔王様には傷ひとつすらつけること能わないでしょう」




「このままじゃジリ貧ですね」


大槌を担いだ男が魔族を無視して言う。

皆一様に苦悶の表情を浮かべていた。

限界が近いのだろう。


そんな彼らを脇目に、俺はため息を吐き、心中でぼやいた。


邪魔だなぁ


俺は治癒術も魔法も剣以外の武器もてんで使えない。出来るのは剣で斬りつけ突き刺す程度。だが、それらは極まっていた。

正直なところ、奴を殺すのは難しくない。

俺が全力で剣を振えば一片すら残さず消し飛ばせる。ただ、俺は器用じゃない。彼らを余波に巻き込まずに、攻撃を流されずに、消し飛ばせる自信はあまりない。穴を開けられ、それを彼らに向けて流されでもしたら、堪らない。下手くそな手加減で斬りつけても裂傷を与える程度で即座に再生され、致命傷には一向に至らない。

おそらく俺が死ぬことは容易だろう。このまま順調にいけば俺は徐々に消耗していき、唯一の治癒能力を持った男の魔力がきれ次第、重傷が治らず死ぬ。それは非常に喜ばしいことなのだが、そうなったら当然俺だけでは済まない。彼らも同様に死ぬ。

俺は死に、彼らを生存させるには、彼らでも仕留められるくらい魔族を弱らせるか、差し違えて死ぬか。弱らせるならじわじわとこのまま敵を消耗させるもしくは、重大な怪我を負わせるか。だが、どちらも難しい。





困ったなぁ、どうしよう





「策がある」


ガタイのいい大鉈を構えたままの男が言う。


詳細を聞こうとして、細身の男が口を開きかけたとき、その後方に穴が開く。穴から魔族の両の腕が伸び、細身の男の首に短剣が突かれようとしていた。俺は男を突き飛ばす。男と向きの違いはあれど位置が入れ替わった俺の首に短剣が突き刺さる。魔族の腕に大鉈が振り下ろされるが、短剣を引き抜き穴が消えるのが先だった。凄まじい量の血が噴き出す。すかさず細身の男が治療にかかろうとするが、再び、今度は男の左方に穴が開き、今度は短剣の代わりに熱線が放たれる。男に直撃したかに見えたそれは障壁に防がれていた。また穴が消える。そして魔族が前方の中空に出現したのと同時、上空に今までにないほど大量の穴が開いた。


女を見やると目線だけは魔族に憎々しげに注がれていたが、杖は取り落とし、膝は地面についていた。障壁はもう期待できそうにない。

仕方がない。一か八か殺される前に殺すしかない。熱線が降り注ぐのが先か、俺の攻撃が届くのが先か。先に剣が届いたとしても穴を開かれ彼らに向けて受け流される可能性もある。逡巡は一瞬、迷いは無意味と切り捨てる。両脚に力を込め跳躍しようとしたとき、大鉈を持った男が俺の首根っこを掴み、片腕だけで俺を上空の穴目掛けて放り投げた。空中で男を一瞥する。男は変な顔をしていた。


穴に吸い込まれて行く。穴の中は暗く、闇が無限に続いているようだった。熱が俺の横を通り抜けて行く。

光があった。穴から臨む光が。

俺は光目掛けて全力で剣を振り抜いた。



闇が晴れる。空中に放り出された俺は、姿勢を整え、着地する。


彼らを探した。


大鉈を掲げて立つ男と彼の足元に膝をつき見上げる2人が見えた。


穴ボコだらけになった地面を駆ける。


男が倒れる寸前、受け止めることができた。


受け止めたそれは体格からは想像できないほどに軽かった。





穴ボコだらけになった彼本来の重さを。彼のことを。

知らない自分がただ腹立たしかった。




変わり映えのしない景色の中を進んだ。俺たちは、それは酷い様相だった。敵のものか自分たちのものかも分からない血や体液に、泥が混ざりザラザラとこびりついたそれに全身を覆われ、心身の疲労から顔、殊更目元は、青黒く染まっていた。

魔族軍の襲撃が続いていた。前線から呼び戻されたのか、後方に控えていたのか知らないが、大群といえたそれは断続的に執念深く俺たちを襲った。

幸いだったのはあの魔族程の強者がいなかったことだ。そして大群のため、俺の広範囲に脅威的な攻撃が有効だった。今はなんとか凌ぎきり、小休止を取ることができているが、今後もこういった襲撃は続くと見たほうがいいだろう。本格的に脅威と見做した俺たちを放っておくわけがない。


応戦、逃走、潜伏。それらの繰り返しは着実に俺たちの心と身体を疲弊させた。


火の前で、二人と膝を突き合わせる。二人の表情は深刻だった。当然だろう。先日までここにはもう一人いたのだ。思い出さずにはいられまい。俺とは違って二人は彼と親しかったのだから。




夜明け前に再び歩き始める。これまでのように平原を突き抜けることはできない。稜線や岩に身を寄せ、隠れながら進む。木々もない開けたこの場所では、それくらいしかできなかった。


小高い丘を越える。目の前に今までの比ではない大群が集結していた。


逃げるのは……無理だろう


剣を構える。

二人に目を向けると、健気にも絶望を振り払い、武器を構えていた。俺の視線に気付き目が合うと、しばし見つめ合ったのち肯首した。



凄惨な戦いだった。斬って斬られて、断って断たれて、灼かれて刺されて抉られて。それら纏めて治されて。痛みで痛みを拭い剣を振るった。

彼女は魔法で敵を殺し俺を補助した。

彼は大槌で殺し、治癒術で補助をした。


三人で戦った。気の遠くなるような時間を戦い抜いた。最後の一体を残し、殺し尽くした。


「すごいな、本当にすごい。だがすまない、殺されてくれ」


槍を構えて突進してきたのだろう。断言できないのは見えなかったからだ。かろうじて構えることができた剣に衝撃。吹き飛ばされそうになるのをなんとか堪えたが体制を崩す。再び消えると、通過したであろう風で傷が沁みる。そんなところに傷なんてあったかと見やると左肩口が抉られていた。再び風、すると左脚が浮いた。違う。抉られたのだ。左膝と足首の間が消えていた。

迅速に二人を引っ張って無理やり伏せさせ、身体をできるだけ大きく広げて剣を横にし、刃を手のひらに食い込ませて固定する。

虚空から困ったような笑いが聞こえた気がした。






風が止んだ。手のひらどころか甲まで達そうかと言うほど食い込んだ剣を剥がす。不思議と痛みはなかった。それになぜか身体が軽かった。

これなら倒せる。剣を構える。


「参った。私の負けだ。殺せ」


変な顔して両手を挙げた魔族を背後の丘陵ごと切断した。






「…ィネ……ジー…………かせた」


全身が生温かい魔力に包まれる。

ぼやけた視界に二人が映る。どうやら俺は倒れているようだ。彼女は泣き、彼は変な顔をしているのが見えた。その光景を最後に視界は暗転した。




目が覚めたら彼女だけだった。




辿り着いたそれには一瞥もせず、後ろの彼女を見る。到底女性の着るものとは思えないほど汚らしくなった服と対照的に、彼女の微笑みは美しかった。前に向き直り進む。

だが、前方には城への侵入を阻むように一体の魔族が立っていた。構わず近づくと膝をつき、口を開いた。



「頼む。どの口で言っていると思うだろうが、魔王に剣を向けないではくれないだろうか。頼む。…いや、お願いします。

俺が出せるものならなんでも出す。命でも尊厳でも。だからお願いします。魔王には手を出さないでください。」


地面に額を擦り付け懇願する男に構わず剣を構える。

姿勢そのままに上げた顔に、悲しみとも諦念ともとれる表情を浮かべた後、男は立ち上がった。




「……当然だな。俺たちが選んだんだ。

 すまない、見苦しいものを見せた」




男はそう言うと魔力を膨らませる。

すぐさま発散された魔力の行く方を見やる。空が翳っていた。

天から岩、否、大地が降ってくる。



「俺たちの選択の是非はまだ決まっちゃいない!殺すか殺されるか!生きるか死ぬか!俺の全てを賭して!お前たちを打ち破る!!」






降ってくるそれに全力で剣を振るう。

大地が割れる。

何度も、何度も振るう。

俺たちに到達する限界まで剣を振るった。


依然として巨大だが、幾分かましな大きさになったそれらの勢いはまだ死んでいない。

半球状に障壁が展開される。二人を包んだそれは降り注ぐ岩から俺たちと、俺たちの立つ僅かな大地を守る。劈くような音が障壁内に響く。障壁に岩が当たり、弾ける度に馬鹿げた振動が起きる。障壁は耐えていた。

そして、彼女も耐えていた。

それらは雨であったら大河が生まれるほどの量と時間をかけ降り注いだ。


生憎の岩石雨が止み、砂埃が落ち着くと城の麓に巨大な谷ができていた。底が見えないほど深い谷が。


障壁が大きな音をたてて割れる。慌てて後ろを見ると息も絶え絶えに脂汗を滲ませた顔で俺を見て微笑んだ。

安心して前方を見やる。男は立っていた。障壁を張っていたのだろうが、今は見る影もなく、全身から血を流し、目は虚だったが、変な顔をしていた。




「誰が終わりだと言った」




男の魔力が膨らむ。すかさず剣を振るい男を両断する。しかし、断たれてなお男の魔力は膨らむ。もう一度断とうとするも、遅かった。

男から発散された魔力の行き先は見るまでもなかった。空が翳る。




再び大地が降ってきていた。








死に物狂いで剣を振った。

大地を割るたび身体も割れてしまいそうだった。限界まで振るったのち、彼女を伏せさせ、剣を頭上に掲げ横にして構える。両膝を軽く曲げ上からの衝撃に備える。


しかしその時、後方から予想外の衝撃があった。衝撃というにはあまりにも弱々しいそれに普段ならびくともしなかっただろう。だが、今回だけは耐えられなかった。前方に情けなく、手をつくこともできずに倒れる。急いで振り返ると彼女は変な顔して言った。



「生きて」



俺を象るように障壁が展開される。


瞬間、衝撃。







音が止んだ。すると程なくして障壁が崩れた。急いで後ろを振り返る。


先程まで彼女がいたはずの場所には谷があった。底の見えないほど深い谷が。




薄らと積もった埃が、一歩進む度に舞う。

天井の隅には蜘蛛の巣が貼られていたが、蜘蛛は見当たらなかった。生物の、そして生活の気配がなかった。

城の中腹ほどまで上がっただろうか。

少し開けた場所に女がいた。

魔族においても珍しいことに、頭頂付近から左右対称に反った角が生えていた。

少女と見紛うほどの体格の女は、俺を見つめていた。


「碌なもてなしもできずすまない。最上部にある玉座の間は手狭だから、ここで闘わせてくれると助かる」


了承の代わりに剣を構える。

女はそんな俺を見て苦笑した後、表情を律し、魔力を膨らませる。今までに相手した誰よりも膨大なそれが渦巻いているのが、今までの誰よりも華奢な少女の身体であるという事実が可笑しい。可笑しくない。



瞬間、激突。



膨大な魔力がそれだけでもって向かってくる。剣で抑えるが、耐えきれずに吹き飛ぶ。激突し、音をたてて崩れる壁。崩れきるのを待たずに、跳ねる。その勢いのままに斬りかかるが、魔王に刃が突き立つ寸前で轟音を立てて、止まった。俺と魔王の間に半透明の障壁が立ち塞がる。障壁を斬りつける。二度、三度と斬りつけるが壊れる気配はない。

と思った束の間、障壁が崩れ、破片の中から槍が伸びる。胸部が少し抉れたところでなんとか止める。掴んだ槍を引き寄せる。魔王は槍を即座に手放し、俺が引き寄せる力を利用し、その身軽さをもって身体をふわりと浮かせて俺の背後に回る。魔力を一瞬で膨らませて氷の槍を生み出し、俺の背中に突き立てんとする。俺はすかさず魔王の槍を、掴んだそのままに背後へ向けて突き刺す。

脇腹から氷の槍が生えてくる。だがこちらにも手応えがあった。身体を捩って氷の槍をへし折り、距離をとる。見ると、体格の差のためか、魔王の肩に槍が突き刺さっていた。



槍を掴み、引き抜く魔王に堪える様子はない。

だが予想とは裏腹に再生する様子もない。


「何を躊躇っている。少女の身体に穴を開けたことに動揺しているのか?」


揶揄うような軽い声色で言う。



応えることなく再び剣を構える。


「つまらん男だ」


呆れと少しの悲しみを感じる声だった。





闘いは終わる気配がなかった。

互いに身体にはいくつかの穴が空き、切り傷はそれ以上の数に及ぶ。出血で、常人ならとっくに意識を手放しているであろう状態でありながら、両者ともに戦意は翳らず。どころか一層滾らせて衝突を繰り返した。

このときには既に、両者が気付いていた。

間違いなく今対面しているこいつが人族の、魔族の、最強であろうことに。




「闘い」それ自体を強く好むわけではない俺が終わりを迎えることを拒んでいた。

不思議な感覚だった。

「闘い」は「かっこよく死ぬ」ために必要だっただけなのに。



負けたくない



そんなふうに思ったのは初めてだった。訓練でも修行でも感じたことのない感情。更に、事ここに至って俺は楽しんでいた。両親の死、恩師の死、仲間の死を経て辿り着いた終着点である魔王との闘い。その最中に楽しむとは全く道理ではない。

それなのに、怨みも怒りも嫉妬も悲しみも。全て忘れて剣を振るった。






負けたくない


ただ願わくば俺に死を











互いに肩で息をし、気力と見栄だけで立っていた。

この永遠にでも続いてほしかった時間の終わりが近いことを、両者ともに察していた。



次が最後だ



剣を、槍を構える。



一瞬にも満たない逡巡の末、跳ねる。

周囲への影響、防御など一切考慮せず、ただ全力をもって敵を討ち果たす。魔王の魔力が膨らむ。




交錯の寸前、魔王がハッとした様な顔を浮かべる。



衝突。




俺の剣が魔王を障壁ごと両断した。


















「なぜ守った」




「……」




「なぜ受けた!!」




「……」




「なんで……どうして……」




「頼みが…ある」




「誰がッ…」



「魔族を……全ての魔族を……殺してくれ」



「何を言って……」



「お前なら……お前の剣でなら……皆も……楽に…………。」














玉座の間は薄暗かった。変な玉のような巨大な機械が中央に鎮座し、周りを囲むように置かれた机には大量の書類が雑然と置かれていた。

魔族の文字だからか、汚くて読めないのかは定かではないが、少なくとも俺には内容を理解することはできなかった。

薄暗い部屋のなかで一箇所だけ灯りが灯っていた。街で見たそれよりも一層眩いそれは透明な硝子の箱を照らしていた。

中には土が敷いてあった。

そして土からは、風が吹けば簡単に飛んでしまいそうな小さな小さな芽が顔を出していた。









変声期前の集団が窓の下段を駆ける。

彼等を笑顔で、また顔を顰めたふりをして見送る、村の人々。窓の上段からは澄み切った青と薄黄色の光が差し込み、俺の寝所を照らす。

 階下から賑やかな音が聞こえる。意味を読みとることはできなかったが、誰かが昼食のおかずを盗み食いでもしたのだろう。ドタドタと追いかけっこの音がする。


魔王が死んでからどれだけ経っただろう。

少なくとも、若い男が、一日中床から立てない程の老人になるには十分な時間が経った。


あれから俺は日々を無為に過ごした。

魔王は俺に完全な諦観を齎した。あの場で死ねなかった俺に、それ以上の機会があるとは思えなかったし、実際なかった。


俺は夢を捨てた。


「具合はどう?」


コンコンとノックされた後、ギィと軋みをあげて内開きのドアが開かれた。俺の顔を覗き込みながら少女が言う。頭の中の彼女の姿とは随分と変わって、大きくなっていることに驚く。


驚いた旨を伝えようと口を動かすが、痰が詰まったのか喉の機能が低下しているのか、うまく声が出なかった。話すのは諦めてただ肯首する。


すると彼女のドアノブを掴む腕とドアの間からゾロゾロと子供たちがくぐって、俺のベッドを取り囲む。


「おじいちゃん、死んじゃうの?」


利発な顔に涙を滲ませる男の子を見る。

声は相変わらず出なかったので、頭を撫でる。男の子は嬉しそうに破顔すると、俺の皺だらけな手を、彼の小さな手で握った。


周りをゆっくりと見渡す。


いつの間にか部屋には子供たちと少女だけでなく、立派な制服を着た壮年の男性や、派手すぎない慎ましいドレスを着た若い女性など、色とりどりで、背丈、性別、年齢、種族など様々な者が入ってきていた。

そう広くない部屋が彼らで埋め尽くされる。かなり窮屈だろうに、彼らは気にせず俺を心配げに見ていた。

そんな状況に耐えきれなかったのか、ちょこまかと大人の足元を動き回る子もいた。


「こらっ!じっとしてなさい!」


首根っこを掴まれて鬱陶しげな顔をして不満を垂れる。



そんな光景を見る皆は、どこか楽しげだった。



人が死にそうだと言うのに。

なぜかと思案するが、すぐに気付いた。




俺は微笑んでいた。




意識が微睡む。終わりが近いのがわかる。




もう大丈夫そうだな




身体を弛緩させる。

しばらく逡巡した後、ゆっくり目を閉じようとするが、ふと気づく。





ああ、そうか。そうだったのか。

だから皆んなあんな顔を……





ずっと不思議だった。なんでそんな顔をするのか。なんでそんな顔をして死んでいったのか。



弛緩していた顔に力が入る。眉間に皺がよる。口が歪みそうになるが無理やり口角を上げ、目尻を下げる。



恐怖を、後悔を、未練を、寂しさを。

幸福を、未来を、信頼を、愛情を。

それらすべてをもって言葉を発する。




「生きなさい」




俺は変な顔してそう言った。


















ーーー魔王を倒した武勇は当然だが、その後の多岐にわたる活躍こそ彼を英雄たらしめる功績と云われる。

瘴気浄化法の研究・確立、融和派の旗手としての活動、人族と魔族を問わず受け入れる孤児院(人魔孤児院)の設立、および人魔共同運営の自治体(人魔市)の設立など。

上記の活動から分かるように、優れた武勇を持ちながら、誰よりも平和を好み、誰よりも戦いを忌避したと云われる。



晩年、加齢により、彼の故郷があった場所に創られたソリナ人魔村(旧ソリナ村)にて余生を過ごした彼には人族、魔族問わず多くの訪問者が集まった。(p17〜「交友関係」参照)

そのなかでも多くを占めたのが彼のファンを名乗る者たち(通称 守られ隊)であった。

そんな彼らに対しても真摯に対応したことが噂となり、訪問者は増加一辺倒で、やってくる者たちを相手にした観光業は村の一大産業としてのちに発達した。(別冊『ソリナ人魔村から学ぶ地方活性化』を参照)

人族、魔族にとっての大英雄に、少しばかり辺境なだけのソリナ人魔村に行きさせすれば確実に会えるとなれば当然の結果といえる。



彼はそういった背景と、歴史上の他の英雄たちが早晩に亡くなることが多いことから、晩年〜没後(現代)にかけてこう呼ばれる。



「生きた英雄」と




『英雄ジーク・フォルストから学ぶ

     かっこいい生き方』から抜粋

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かっこよく死にたい @kaiko2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ