第37話

 蔵之介は、カフェのテーブル席で落ち着かない様子で座っていた。


 目の前には月島舞が静かに座り、彼の話に耳を傾けている。


 蔵之介は、この場に来るまで何度も自分の言葉を頭の中で組み立ててきたが、実際に話し始めるとその緊張は隠せなかった。


「舞さん、今日は本当に時間を作ってくれてありがとう。どうしても、正直に話さなきゃいけないと思って…」


 蔵之介は、一度深呼吸をしてから、偽彼氏の話を始めた。


「実は…立花麗華さんの偽彼氏として、彼女のご両親に対して演じていました。ご両親のために一時的な偽装だったんです。でも、その後、続ける話が出てきて…。僕は本気で悩んでいます」


 舞は無表情のまま、彼の言葉をじっと聞いていた。蔵之介は続けた。


「それに、今、他にも麗華さん以外にももう一人の女性とDMのやり取りをしていて、舞さんを含めて、三人の中で誰が僕を受け入れてくれたら、僕はその人と永久就職を目指すつもりでいます。僕は本気で安定した生活を望んでいるんです」


 その言葉に、舞の表情が少し変わった。彼女は静かに、しかし鋭く蔵之介を見つめた。


「…つまり、三人の女性を天秤にかけて、その中で一番あなたを受け入れてくれる人を選ぶってこと?」


 舞の声には冷静さがあったが、その裏には怒りが潜んでいることがわかった。蔵之介は、その言葉に戸惑いを隠せなかった。


「はい! 僕は誰かを無理やり選ばせるわけじゃなくて、ちゃんと皆に正直に話して決めてもらいたいだけです」


 舞は蔵之介の言葉をさえぎるように声を強めた。


「でも、結局は女性に選ばせてるんじゃない。自分の意思じゃなくて、女性たちがどう思うかに依存してる。それって、女性を馬鹿にしてると思わないの?」


 その言葉に、蔵之介は息を呑んだ。彼の中では誠実さをもって接しているつもりだったが、舞の目にはそれが違った形で映っていたのだ。


「僕は、決して女性を馬鹿にしているつもりはありません。ただ、僕は今、自分で道を選ぶというより、誰かに支えられたいと思っていて…選ぶ立場ではないと思って……」


 舞は蔵之介の言葉を聞きながら、冷ややかな表情を浮かべた。


「あなたが望んでいるのは、ただ誰かに依存する生活。自分で何かを決断するのじゃなくて、誰かに頼って、都合のいい人生を送りたいってことじゃない?」


 その鋭い言葉が、蔵之介の胸に突き刺さった。彼は自分の本音を正直に話したつもりだったが、舞にはそれが理解されなかった。


「舞さんのいう通りかもしれない。僕は無理やり何かを押し付けるつもりはないんだ。ただ…ただ、自分にはまだその力がないから、誰かに助けてもらいたいだけで…」


 舞は一度深く息をついた。彼女の瞳には、蔵之介への失望が映っていた。


「もういいわ、蔵之介君。あなたが何を言おうと、結局は女性に頼ることでしか自分の未来を見てないんでしょう? そんなあなたとは、もう話すことはないわ」


 舞はそう言って席を立ち、冷たい表情のままカフェを後にした。蔵之介は、彼女が立ち去る姿を見つめながら、ただその場に座り込んでいた。


 ♢


 月島舞は、カフェを出てからも足を止めず、街を歩き続けた。彼女の胸には、先ほど蔵之介にぶつけた言葉が反芻されていた。怒りの感情が冷めることなく、彼に対する失望がじわじわと広がっていた。


(どうしてあんなに依存的なの?)


 蔵之介が永久就職を望んでいることは、彼との付き合いが始まった時からわかっていたことだ。最初にその話を聞いた時、舞は軽く注意したことがあった。


「そんな依存する生き方、うまくいかないわよ。自分の足で立ちなさい」


 その時は、彼が冗談半分に言っているのだと思っていた。彼の本気を感じ取れなかった自分に、今さらながら後悔が募った。


(あの時、もっと真剣に言えばよかったのかもしれない…)


 舞は、蔵之介に対して少し甘かったのかもしれないと思い返していた。彼が本当に支えを求めていると気づいた時、彼女はその願いを軽視していたのだろうか。彼は最初から自分の言う「支え」を必要としていたのだ。しかし、その支えは、彼自身の力で立ち上がるものではなく、他人に依存する形だった。


(でも、あの態度はやっぱり許せない…)


 怒りと失望が交錯する中で、舞は自分が彼に対して怒りをぶつけたことに対する後悔はなかった。彼の態度は、自分で決断する力を持たず、ただ女性たちに頼ろうとするものであった。それが、自分の価値観と相容れないことは明白だった。


(でも…私は彼に何を期待していたの?)


 舞は自分自身にも問いかけていた。彼に本当の成長を望んでいたのか、あるいは、自分が彼を助けてあげたいという感情に囚われていたのか。彼が誰かに支えられることを求めていることは知っていた。それでも、どこかで彼が変わることを期待していたのかもしれない。


(私も結局、彼に何かを求めていたんだわ…)


 舞は、蔵之介の言葉に対する自分の反応が、彼を傷つける結果になったこともわかっていた。彼にとって、彼女の言葉は厳しく響いただろう。だが、彼が本当に永久就職を望むのなら、彼女の言葉は避けて通れないものだった。


(でも、それでも…彼が本気で依存を望んでいるなら、私がいくら言っても変わらなかったのかもしれない)


 舞の心は揺れ動いていた。彼に対する怒りと、彼の本心に対する理解が交錯する中で、彼女は自分自身の気持ちに整理をつけることができなかった。


(もう、終わりなのかもしれない…)


 彼女は、蔵之介との関係が終わりを迎えたことを感じながらも、その決断が本当に正しかったのかを疑問に思い続けていた。彼とのやり取りの中で、何かを見落としていたのではないかという思いが、彼女の中に消えずに残っていた。

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