第21話

 午後のカフェには、柔らかい陽光が差し込んでいた。街路樹の向こう側にあるビル群が静かに揺れるように見え、カフェの落ち着いたジャズのBGMが、ゆったりとした時間を演出していた。


 蔵之介は、カフェラテのカップを両手で包み込み、目の前の石田大和を見た。大和は、いつもの軽い調子でニヤニヤしながら、彼を見ていた。


「なぁ、永久就職の調子どうなんだよ? 三人と連絡取ってるって聞いたけど」


 大和は、からかうような笑みを浮かべながら、カップを傾ける。彼の目は、興味津々というよりは、からかい半分といった様子だった。


「まぁ、一応三人とDMとか、ちょくちょくやりとりしてるけどな」


 蔵之介は、そう答えるが、その表情はどこか曖昧だった。


 そもそも「永久就職」という話自体が、彼にとってはあまり現実感がなかった。SNSでそういうことを宣言しただけで、実際にどこまで本気だったのか、自分でもよくわからない。


「三人同時進行って……お前、意外にモテるんだな」


 大和は、からかうように言いながらも、どこか羨ましげな表情をしていた。しかし、次の言葉で彼の顔つきが一変した。


「でもさ、お前、本当にそれで大丈夫なのか?」

「何がだよ?」


 蔵之介は、突然の真剣な問いに少し驚いた。大和は、いつもの軽いノリをかなぐり捨て、真剣そのものの表情をしていた。


「いや、だってさ、お前、三人と同時に付き合ってるわけじゃん。それで、もし全員から本気で好意を持たれたら、どうするんだよ? お前、責任取れるのか?」


 大和の言葉に、蔵之介は一瞬答えに詰まった。確かに、それぞれといい関係を築いているつもりだったが、深く考えたことはなかった。


 それぞれの女性は、どこか特別で、でもまだ「本気で付き合う」という意識には至っていない。彼らの関係は、どこか曖昧なものであった。


「いやいや、そんなことあり得ないだろ」


 蔵之介は、軽く笑って否定しようとしたが、大和の目は真剣なままだった。彼の視線は、蔵之介の内面を覗き込むように鋭い。


「お前、そう言ってるけどな……人の気持ちってのはそんなに簡単なもんじゃないぞ。特に女の子たちの気持ちはな。お前が思ってる以上に複雑だって、ちゃんと考えた方がいいんじゃないか?」

「……そんなこと言われてもさ」


 蔵之介は、カップの中のカフェラテをじっと見つめた。


 カフェの静かな音楽が、二人の間の緊張感を和らげるかのように流れている。しかし、彼の頭の中では、大和の言葉が重くのしかかっていた。


「俺にさ、そんな風に好意を持つとか……そんなの考えすぎだよ。だって、俺は別に特別なことしてないし、普通に接してるだけだしさ。そもそも三人と付き合ってるわけじゃないし、連絡取ってるだけだって」


 そう言いながらも、蔵之介の胸の奥には、少しだけ不安が芽生えていた。


 大和の言葉が、彼に対する警鐘のように響いていた。彼がこれまで何気なく過ごしてきた時間が、いつの間にか三人の女性たちに影響を与えている可能性を、今になって初めて考えるようになった。


「でもよ、大和。仮に三人から好意を持たれたとしても、別に問題ないだろ。俺だって、ちゃんと誠実に接してるし、無理に何かしようとしてるわけじゃないんだから」


 蔵之介は、自分を納得させるように言った。しかし、その言葉には自信が欠けていた。大和は、その微妙な変化に気づいていた。


「お前さ、わかってないんだよ。本気になってる女の子ってのは、表面上は普通に見えてても、心の中ではいろんなことを考えてるもんなんだぞ。しかも、お前、三人だろ? 一人でも大変なのに、三人から同時に好意を持たれたら……正直、お前パンクするぞ」

「いや、そんな大げさな……」


 蔵之介がそう言い返そうとした瞬間、彼のスマートフォンが震えた。彼は無意識に画面を確認し、眉をしかめた。


「どうしたんだ?」


 大和が気になって尋ねると、蔵之介は少し困惑した表情でスマートフォンを見せた。そこには、まさにタイミングを計ったかのように三つの通知が並んでいた。麗華、美咲、そして舞からのDMだった。


「マジかよ……」


 蔵之介は思わず呟いた。大和はそれを見て、満足げに頷いた。


「ほらな。俺が言った通りだろ? 三人同時に連絡来てるじゃねえか。」

「いや、たまたまだろ。こんなこと……」


 蔵之介は必死に自分を納得させようとしたが、内心では大和の言葉が正しかったのかもしれないと思い始めていた。


 彼の手元のスマホには、まさに「現実」が映し出されているのだから。


「ほら、なんて言ってるか読んでみろよ」


 大和が促すように言う。蔵之介は少しためらいながら、最初のDMを開いた。最初は麗華からだった。


『今度のパーティーのドレス、どっちがいいと思う? あなたに選んで欲しいんだけど、それにタキシードは私からプレゼントするから、今度サイズを測りに行きましょう』


「パーティー……?」


 大和は首を傾げたが、麗華とパーティーに参加する予定があることを告げる。


 このメッセージは、そのための準備の一環だったのだろう。次に、美咲からのメッセージを開いた。


『次はいつ会える?』


 シンプルで短いメッセージだったが、その分だけ強烈なインパクトがあった。


 蔵之介は思わず息を呑んだ。いつもは少し余裕のある態度だったはずだ。


「美咲、またか……」


 そして、最後に舞からのメッセージを確認する。


『この間はありがとう。またお礼がしたいから、仕事が落ち着いたら、もう一度デートをしたいんだけど? いつならいいかしら?』


 蔵之介は、メッセージを読むたびに胸がざわざわしてくるのを感じた。舞はいつも彼に対して優しく、柔らかな言葉をかけてくれる。しかし、このメッセージは、単なる次のデートの誘いとは違う何かを含んでいるように感じた。


「お前……これ、結構やばい状況なんじゃねえか?」


 大和は、蔵之介の反応を見て呆れたように言った。


「……もしかして、まさか」


 蔵之介は、ようやく現実を直視し始めていた。彼は今、三人の女性たちから好意を寄せられている可能性がある。しかも、三人それぞれが異なる理由で彼に期待をしている。


「お前さ、どうすんだよ? このまま全員と付き合っていくつもりか?」

「いや、それは無理だろ。そんなことできるわけないし……」


 蔵之介は頭を抱えた。彼が軽く考えていた「永久就職」が、思った以上に複雑な状況を生み出していることに気づき始めていた。しかし、それでも彼はまだ、この事態をどう収めるべきかまでは考えが及んでいなかった。


「ま、俺はお前に任せるけどさ。でも、ちゃんと考えとけよ。三人の女の子が本気になってるなら、下手なことすると全員失うかもしれねえぞ」


 大和はそう言い残し、コーヒーを一気に飲み干した。

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