第19話
蔵之介が自宅でのんびりとテレビを見ていると、スマホが短いバイブ音と共に光った。
手に取って画面を見ると、そこには「会いたい」とだけ書かれたDMが届いていた。
「え……?」
送り主は、最近連絡を取り合うようになった綾瀬美咲さんだった。
だが、その内容のシンプルさに戸惑う。
これまでのDMはどちらかというと軽い雑談程度だった。会話が自然に途切れることも多く、こんな直球で「会いたい」と言われたことは一度もなかった。
「なんだ急に……」蔵之介は軽く眉をひそめた。
綾瀬美咲は、芸能関係の仕事をしていると言っていた。
少し、橘美咲と重なる彼女の仕事を、つい最近知ったばかりの蔵之介は半信半疑であり。とはいえ、彼はそれに対して特別な感情を抱いていなかった。
彼女が有名でも、蔵之介にとってはただの知り合いの一人でしかない。
「どこで?」と短く返信し、送信ボタンを押す。
すぐに返信が返ってきた。「大きな森林公園で、夕方に」
蔵之介はスマホの画面を見つめながら、少しの間考え込んだ。
どうしてわざわざこんな静かな場所で会おうとするのか。彼女の生活が公の場で知られるものだから、目立たない場所を選んだのかもしれないが、それでもわざわざこんなところで会う必要があるのか疑問だった。
「まぁ、行くだけ行くか……」
夕方、蔵之介は適当に選んだカジュアルな服を身にまとい、約束の時間に森林公園へ向かう。
街の喧騒から少し離れた静かな場所で、彼が公園の入り口に立つと、広がる木々の間に差し込む夕日の光が、周囲をほんのりと温かく照らしていた。
その柔らかな光の中、少し先のベンチに、誰かが座っているのが見える。
蔵之介はゆっくりと近づき、その人物が美咲であることを確認した。彼女はシンプルな服装をしているのに、華やかな姿はどこかそこだけスポットライトが当たっているように感じられた。
不思議なものだ。シンプルなカジュアルな服装で、帽子を深くかぶっている。それなのに彼女だと理解できてしまう。
「やぁ、来たんだね」
綾瀬美咲が蔵之介に微笑みかける。蔵之介は軽く手を上げて挨拶した。
「で、どうしたんだ? こんなところで会いたいなんて」
「ただ……ちょっと誰かと話したくて」
美咲の声はどこか寂しげで、いつもの快活な様子とは違っていた。蔵之介を翻弄して、からかってきていたDMの文章とは違う。
その雰囲気に蔵之介は少し驚いたが、言葉を返すことなく、隣のベンチに腰を下ろした。蔵之介は買ってきた二人分の温かいお茶をテーブルに置いて、しばらく二人は黙っていた。
風がそよそよと吹き、木々の葉が軽く揺れている音が耳に心地よい。周囲には他に人影もなく、静かな時間が流れていた。
「何も聞かないんだね」
「何か聞いて欲しいのか?」
「ふふ、本当にあなたは他の人と違うんだね。私が芸能関係っていうと、どんな仕事とか、裏はどうなっているのとか、みんな聞きたがるんだよ」
「そうなんだ。みんな君に興味があるんだね」
「ううん」
「えっ?」
「私にじゃないよ。芸能人である私に興味があるの」
その言葉の違いを蔵之介はわからなかった。
どちらも彼女のことで同じじゃないんだろうか?
「最近……ちょっと疲れてるの」
美咲がぽつりと呟くように話し始めた。蔵之介は彼女の顔を横目で見ながら、静かに耳を傾ける。
「学校もあるし、仕事も忙しくて……。どんどん期待されることが多くなっていくんだけど……本当にこれでいいのかなって、わからなくなる時があるんだ」
彼女の声は弱々しく、どこか頼りなさを感じさせた。
蔵之介はただ目を閉じて、彼女の話に相槌を打った。
「そっか、大変なんだな」
「うん。あなたと話してると、普通の生活が垣間見えるから……。私、普通の高校生みたいな生活を送れないから、時々、普通のことが恋しくなるんだ」
聞く人によれば、嫌味に聞こえるかもしれない。
だけど、誰かが持っている物が、羨ましくなる時がある。
蔵之介は無言のまま、木々の間から差し込む光を見つめた。彼にとっては何気ない日常も、美咲にとっては特別なもののように感じられているのだろう。
それが、どこか不思議に思えた。
「それで……普通に誰かと会って、普通に話がしたかった。だから、こうして来てもらったの」
「そっか、普通っていいよね」
美咲の言葉を聞き、蔵之介は軽く頷いた。
「まぁ、俺で良かったのかどうかはわからないけどね。俺って普通に仕事をするのが嫌で、いつも暇をしているから」
美咲はクスリと笑って、言った。
「ううん、あなたで良かった」
その言葉に、蔵之介は少し驚きながらも、「そっか」とだけ返して、再び沈黙が流れた。
二人は、少しだけゆっくりとした時間を共有しながら、公園の静けさに包まれていた。
「ねぇ、あなたはどうして永久就職希望なんてしているの? 多分、普通に生きる方が簡単なんじゃないかな? 仕事をして、みんなと折り合いをつけて、生活する方が」
「君はどうして芸能界にいるの? 普通に高校に行って、大学に行って、就職をすればいいのに」
美咲の質問に蔵之介は優しい声で同じ質問を返した。
「ふふ、そういうとこだよ。あなたでいいって思ったのは。普通に生活をしている顔をして、普通ではないことをしている。あなたって不思議」
「そうかな? ただ、自分勝手に生きているだけだよ。毎朝、仕事に行って、学校に行く人は本当に偉いと思う。そんな普通ができないから僕は永久就職をしようと思ったからね。僕は君をたくさん甘やかしてあげられる。だけど、君はそれを望むのかな?」
蔵之介の質問に、美咲は微笑んだ。
「ええ、たっぷり甘えさせて!」
美咲はただ自分の本心を見せられる相手が欲しかった。
不思議な蔵之介の雰囲気に、美咲は素直に気持ちを話すことができた。
「わかった。いつでも甘えさせてあげるよ」
そう言って年下の美咲の頭を帽子越しに撫でた。
「頭触っていいなんて言ってないよ」
「俺の方が年上だから一回だけ許して」
「仕方ないなぁ〜。次からは許可した時だけだよ」
「ああ」
二人の時間は、穏やかに流れていく。
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