第17話

 会社での成功を祝う乾杯が何度も続いた夜、月島舞はいつも以上に飲みすぎてしまっていた。


 ここ最近の仕事が報われて、最初は控えめに飲んでいたつもりだったが、同僚たちが次々と勧めるビールやワインに応じているうちに、気づけばかなりの量を口にしていた。


 取引先の勧めもあったので、断りきれなかった。


「月島さん、今回は本当におめでとうございます! あなたのおかげでプロジェクトが大成功です!」


 同僚たちの笑顔が次第にぼやけて見える。


「ありがとう、でも……もう飲めないわ」


 舞は笑顔でそう答えたものの、頭がぐるぐると回り始めていた。


 ふらふらと立ち上がり、酔いが回っていることを自覚しつつも、舞は「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせた。


「もう帰るわ」

「大丈夫ですか? 足元がふらついてますよ」

「大丈夫、一人で帰れるから!」


 そう言い張り、心配する同僚たちをよそに店を出た。酔った勢いもあって、舞さんは一人で歩き始めたが、やはり足元がふらついている。


 駅までの道のりはそれほど遠くはない。しかし、酔いのせいで視界が定まらず、途中で何度も立ち止まっては、道の端に寄りかかっていた。


「やばい、思ったより酔ってる……」


 駅前にたどり着いた頃には、歩き疲れと酒のせいで、足はもう動かなくなっていた。舞は駅前のベンチに腰を下ろし、次第に瞼が重くなり、そのまま眠ってしまった。


 ◆


 その頃、別の方向から一人の男が歩いていた。蔵之介だ。


 蔵之介は、偽恋人の打ち合わせを終え、少し遅くなってから街を歩いていた。


 ふと駅前のベンチで誰かが寝ているのを目にした。こんな時間に、しかも女性が一人でこんな場所で寝ているなんて、危ないに決まっている。


 彼は少し警戒しながら、女性に近づいた。


「えっ……舞さん?」


 蔵之介は驚いた。この眠っている女性は、なんと舞だったからだ。彼女がこんなところで寝ているなんて、しっかりした彼女からは想像もつかない。


 その時、酔っ払った男たちが近づいてきた。


「おい、そこのお姉さん、大丈夫か?」

「俺たちが送ってやろうか?」


 舞に声をかけてきたのは、数人の酔っ払い。今のところは悪意はないが、酔っ払った舞を見て面白がっているようだった。


 それに、視線はあまり好意的ではなかった。


 蔵之介はすぐに舞の前に立ち、彼女を守るように身を置いた。


「すみません、彼女は僕の知り合いです。ありがとうございますが、もう帰りますので」


 酔っ払いは一瞬戸惑ったが、蔵之介の真剣な顔を見て、諦めたようにその場を去った。


 舞は相変わらずベンチでぐっすりと眠っている。


「全く、こんなところで寝るなんて……」


 蔵之介は少し呆れながらも、彼女を起こさないように隣に座って、スマホを取り出す。タクシーを呼んでいた。


 アプリで呼ぶことも考えたが、女性の運転手の方が良いだろうと思ったので、電話にしたのだ。


 タクシーが来る前に何度か肩を軽く揺らすと、舞はうっすらと目を開けた。


「ん……? 蔵之介……? あはっ、いい夢だな。私ね。仕事で大成功したんだよ」

「そうなんですか? だから、こんなに酔っているんですね」


 彼女はぼんやりと彼の顔を見つめた後、夢現で仕事で成功したことを蔵之介に報告して褒めてもらおうとしていた。


「舞さんは凄いですね。仕事で成功して」

「ふぇっ? ふふ、私凄い?」

「ええ、凄いです」

「ありがとう!」


 舞は酔った勢いで、蔵之介に抱きついた。

 蔵之介は子供をあやすように舞の体を抱き止めて、膝の上に頭を乗せて頭を撫でた。


「舞さんは偉いです。本当に凄い。よくがんばりましたね」

「本当だよ! 私、凄く頑張ったんだから!」


 きっと普段の舞であれば駅前の人通りの多い場所で、こんな恥ずかしいことはできないだろう。だが、酔っている人間は無敵なのだ。


 褒めて欲しいとせがむ舞を、蔵之介は優しく褒め続けて、タクシーが来る前でそれを続けた。


「タクシーが来ましたよ」

「ううん、大丈夫……一人で帰れる……」


 そう言って立ち上がろうとするが、再びふらついてしまう舞を、蔵之介は慌てて抱き止めた。


「無理しないでください。タクシーまで連れて行きます」


 蔵之介は舞を支えながらタクシーの方へと向かう。彼は優しく彼女を後部座席に座らせた。


「舞さん、家の住所は言えますか?」

「ん……うち……」


 舞は少し考えた後、自分の住所をつぶやいた。蔵之介は運転手にその住所を伝え、料金を支払おうとしたが、舞が急に彼の腕を掴んだ。


「……ありがとう、蔵之介君。だけど、夢でも君にお金は出させない!」

「わかりました。お気をつけて。ちゃんと家に着いたら、また連絡くださいね」


 彼はそう言って優しく微笑んだ。タクシーのドアが閉まり、舞を乗せた車は静かに夜の街を走り去っていった。


 蔵之介は、彼女が無事に帰れることを祈りながら、少し安堵の息をついた。


「やれやれ、本当に危なっかしい人だな……」


 彼はそう呟いて、自分の足を再び家に向けた。


 舞は、タクシーに乗り込んだ瞬間、ふと後部座席に沈み込んだ。少し頭がぼんやりしていたが、徐々に現実に引き戻される感覚があった。


 タクシーの運転手が女性だというのを確認して、心のどこかでほっとした自分に気づく。


「よかった……女性で……」


 小さくつぶやくと、自然と頬が緩んだ。


 途中から夢ではなく、蔵之介がしっかりと安全を考えて手配してくれたことを理解していた。彼のそんな配慮に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


「蔵之介君、やっぱり優しいんだな……」


 それと同時に、別の感情が心をよぎる。助けてもらったことが嬉しい反面、どこか恥ずかしさも湧き上がってくる。


 あんな酔った姿を見せてしまったのかと思うと、顔が熱くなる。


 彼の前ではいつも冷静でしっかりした自分を見せたいと思っていたのに、今日は全く逆の姿を見せてしまった。


「はぁ……情けない」


 ため息をついて、窓の外に視線を向ける。


 夜の街がタクシーの窓越しに流れていく中、頭の中はさっきの出来事でいっぱいだ。蔵之介が他の酔っ払いから自分を守ってくれたこと、そして優しくタクシーに乗せてくれたこと。


 彼の姿が何度も頭の中に浮かんでは消えた。


「……ありがとう、蔵之介……」


 今さらながら、心の中で感謝の気持ちが込み上げる。


 それにしても、彼のさりげない優しさが心に刺さる。普段は淡々とした態度で接してくる彼だけど、いざというときには頼りになる姿を見せてくれる。


「なんであんなに優しいんだろう……」


 蔵之介に対して、いつの間にか特別な感情を抱き始めている自分に気づく。酔っているせいかもしれないが、その気持ちは抑えきれなかった。


 ふと、彼が最後に優しく微笑んで「無事に着いたら、連絡くださいね」と言った言葉が頭の中で繰り返される。彼の笑顔を思い出すと、自然と顔が赤くなった。


「連絡……した方がいいよね……」


 そう思いながら、スマートフォンを手に取って、蔵之介にメッセージを送ろうとする。しかし、文章を打とうとすると、何を書けばいいのかわからなくなってしまう。


「……うーん、変に思われたくないし……」


 舞は少し考え込む。気軽に感謝の言葉を送るべきか、それとももっと丁寧にした方がいいのか。どちらにしても、彼にどう思われるのかが気になって仕方なかった。


「何を悩んでるんだろう、私……」


 一人でクスクスと笑いながら、結局、簡単なメッセージを送ることにした。


「ありがとう、無事に帰れそうです。また今度、お礼させてください」


 送信ボタンを押してから、舞は少し緊張しながらスマートフォンの画面を見つめた。蔵之介がどう返してくるのか、少しドキドキしながら待っていた。

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