第12話
安藤蔵之介は午後の紅茶を飲みながら、窓際に腰掛けていた。
古びた一軒家に住み始めてからしばらくが経つが、SNSでの「永久就職希望」の投稿に反響があったとはいえ、彼の生活は何も変わらない。
朝起きれば、自分で家のことをしなくてはいけないので、朝ごはんの用意をして、顔を洗い、掃除をしていく。
昼過ぎには一人静かにお茶をすする。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
蔵之介が玄関の扉を開けると、そこには彼の親友である
大和はやや肩をすくめ、にやりと笑みを浮かべながら、軽く手を挙げる。
「よぉ、久しぶり! 急に連絡もせず悪いな。でもお前の《永久就職希望》ってSNS見てさ。さすがに放っておけなくなった」
蔵之介は引越しのことを親友の大和には伝えていた。
だが、SNSに載せた内容は相談にしていないし、見せるつもりもなかったので、顔をしかめながら苦笑した。
「そりゃ見るだろ、バカ! 何考えてんだよ! で、どうなんだよ、ここでの生活は?」
蔵之介の事情を知っていて、また性格も知っている大和は、スニーカーを脱ぎ捨てると、部屋の中を興味津々に見渡した。
「まあ、悪くはないよ。ちゃんと食事も作ってるし、掃除だってしてる。特に困ってることはないよ」
蔵之介は部屋を手で示しながら答えた。大和が心配するほどの状態ではないと伝えたかったのだ。
「あー、そうか。それならよかった。でも、あんな投稿見たら普通はビビるっての! お前が本気で誰かに養われようとしてるとは思わなかったぞ」
昔から、蔵之介が仕事をしたくないと言っていたのを大和は知っている。
だが、それがまさかこのような形で実現させようとしていると思わなかった。
普通の生活を送れていることに安堵しつつも、呆れたように蔵之介を見た。
「心配かけて悪かったな。でも、俺だって自分なりに考えてるんだよ」
蔵之介は少し照れくさそうに答えた。
一通り家の中を見て回った大和は、思っていたよりも蔵之介がしっかりと生活していることに安心した。
掃除の行き届いた部屋、料理のために揃えられた調理器具、蔵之介の生活力を感じる痕跡があちこちにあったからだ。
「お前って昔からなんでも器用にやるやつだったけど、その能力を他で使えなかったのか? まあ、ちゃんと暮らしてるみたいで安心したよ」
大和はソファに腰を下ろし、しばらくその場の空気を楽しんだ。
一息ついた後、大和が急に話題を変えた。
「ところでさ、最近の流行りって知ってるか? 今、俺の推しの女優がいてさ」
「お前、相変わらずだな」
蔵之介は肩をすくめながら笑った。大和は昔からアイドルや女優の話になると饒舌になるタイプだ。今日も蔵之介の心配をしているようで、自分のオタクは話を聞いてもらいたくてきたのだろう。
「まあ、聞けって! この子、橘美咲って言うんだけど、マジで可愛いんだよ。今ドラマとかCMにも引っ張りだこでさ。ほら、この写真見てみろよ」
大和はスマホを取り出し、画面に表示された画像を蔵之介に見せた。
画面には、あどけない顔で微笑む美咲の姿が映っていた。
キュートな化粧を施した彼女の表情は、まるで天使のように輝いている。
蔵之介は一瞬、数日前に会ったあの女子高生のことを思い浮かべた。
彼女も確かに可愛らしい雰囲気を持っていたが、今見ている写真の美咲とは何かが違う気がする。写真の方が輝いていて、それに可愛いという印象が強い。
ふと、DMを送ってきた相手を思い出したが、彼女は綺麗系で、綾瀬美咲だと名乗っていた。世の中には似ている人が五人はいるというが、三人も同じ名前でいるとは不思議まものだ。
「ふーん、可愛い子だな」
蔵之介は特に興味を示さずにスマホの画面を大和に返した。
「だろ? ほら、これとか最高だぜ。無邪気な笑顔がさ……」
大和はさらにいくつかの画像を見せてきたが、蔵之介は軽く頷くばかりで、そのたびに「へぇ」とか「そうなんだ」と適当に返すだけだった。
そもそも、蔵之介はテレビや芸能人に関心がないので、女優である美咲の名前を聞いてもピンとこないのだ。
(……なんか似てる気もするけど、まあ別人か)と心の中で呟く蔵之介。
「お前、全然興味ないのな。まあ、お前らしいっちゃお前らしいけどさ」
大和は肩をすくめて笑った。親友の変わらない態度に気楽な様子で家でくつろぎ始めた。
「でも、俺はこの子を推すからな。お前もたまにはテレビ見ろよ、世間知らずになるぞ」
「別に世間知らずでもいいよ。自分の世界で生きていくから」
蔵之介は飄々とした表情で答えた。
そのまましばらく、他愛ない話が続いた。
蔵之介と大和が語り合い、気ままに過ごす時間。
だが、頭の片隅に残ったのは、先ほど見せられた美咲の写真。
どこかで見たような気もするが、まさかあの女子高生とは同一人物ではないだろう、と軽く思い流してしまう蔵之介だった。
蔵之介はライトノベルや読書が趣味で、大和はアイドルと女優が大好き。
違う趣味ではあるが、お互いに尊重し合える関係を築いているので、一緒にいて嫌だと思うことなく過ごせていた。
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