第10話
美咲は自宅に戻り、リビングのソファに深く腰掛けながらスマホを開いた。
今日は思いがけない出会いがあった。
安藤蔵之介、彼は自分を全く知らない様子だったし、接し方も普通の男の子のようだった。
普段の自分を知っている人たちとは違う、不思議な感覚に少しだけ胸が高鳴る。
ふと、美咲の脳裏に浮かんだのは、以前スタイリストたちと話していた。
「永久就職希望」の話題。
「ねぇ、知っている美咲ちゃん?」
「なんですか?」
「最近話題になっているんだけどね。18歳の男の子が永久就職希望ってSNSで女性に交際を求めたんだよ。見た目は普通の男子なんだけど、ちょっと可愛いって思えるんだよね。こういうのって、女心をくすぐってくるって感じなのかな?」
「え〜ちょっと私にはわかんないです」
あの時は笑って聞いていたが、今はその相手が目の前に現れたと思うと、急に面白く感じてきた。
(あなたが“あの人”だったなんてね……)
そう思うと同時に、美咲は早速、彼のSNSアカウントを検索してみた。
すぐに見つかったそのアカウントは、スタイリストさんが言っていた通り。
「永久就職希望」と銘打って堂々と募集をかけていた。
過去の投稿には彼のプロフィールや、真剣に相手を求める内容が並んでいる。
「へえ……やっぱり本気なのね」
美咲はニヤリと笑うと、早速DMを作成し始めた。
普段の彼女なら、自分の名前を出して、人気者としての自分をアピールするところだが、今回は違う。
彼が自分を知らないなら、それを利用して遊んでやろうという気持ちが芽生えていた。
そこで、DMを送ることにした。ただし、芸名ではなく、本名をそのまま使う。
普段の芸能人として知られている橘美咲とは違う一面を見せるため、少し大人っぽいメイクをした際の写真を添付し、メッセージを打ち込む。
「あなたを養いたいです。お金の心配はしなくていいので、まずはお話しできませんか? 名前は綾瀬美咲、17歳です。よろしくお願いします」
メッセージを送信し、画面をじっと見つめる。彼がどんな反応を返してくるのかを想像して、少しワクワクする自分がいるのを感じた。
(さて、どう返ってくるのかしら? 道案内をしてくれたお礼にちょっとぐらい付き合ってあげてもいいかな。芸能活動をしていると自由に恋愛もできないから普通の男のことは付き合えないけど、彼は社会に出るのが嫌なのよね? なら秘密の付き合いとかできちゃうかも)
美咲はスマホをテーブルに置き、しばらく待ってみることにした。
しかし、彼女が予想していたよりも早く、スマホが通知音を鳴らした。
すぐにメッセージが届いたのだ。
『DMありがとうございます。ただ……17歳という年齢で、しかもこんなに綺麗な写真を使っているということは加工ですよね? 正直、冷やかしかなと思ってしまいます。本気で養ってくれる方を探していますので、申し訳ありませんが、今回はお断りさせていただきます。どうぞお元気で』
「なっ?! 冷やかしじゃないわよ!」
美咲はそのメッセージを読み終えると、思わず目を見開いた。
「えっ……!? なんで? どうしてよ。てか、加工じゃないし! 普通に化粧をしてもらって撮った写真だもん。綺麗って言われるのは嫌じゃないけど、信じてもらえないのは悔しい!」
彼のあっさりとした拒絶に、彼女の中で驚きと同時に、熱い何かが込み上げてきた。
(私が……冷やかし?)
自分のことを知らず、しかもその自分が真剣に送ったメッセージを、こんな風に断られるなんて、今まで経験したことがない。
学校でも、仕事でも、誰もが彼女に好意的で、自分の一言で物事が動くのが当たり前だったからだ。
だが、彼は違う。彼女の写真を見ても、名前を聞いても、それに心を動かすことなく冷静に断ってきた。その態度に、美咲の中にある感情が急激に膨れ上がる。
「……これは……面白いじゃない」
気づけば、彼女の唇に微笑みが浮かんでいた。
自分を冷やかしだと思い込んでいる彼を、どうやって振り向かせてやろうかと考えると、胸がドキドキしてくる。
(見てなさい、絶対にあなたを振り向かせてやるんだから)
美咲はスマホを強く握りしめ、蔵之介に再度アプローチすることを心に決めた。
彼がどれほど素直で鈍感でも、自分の本気を見せつければ、きっと振り向かせることができる。
いつもの彼女なら相手を追うことはないが、今はどうしてもその勝負に勝ちたい気分だった。
それは、美咲の中で新しい戦いが始まった瞬間だった。
美咲は、蔵之介が自分を知らないことに少し驚きながらも、なんだか面白くなっていただけだったが、それ以上のやる気が湧いてきた。
直接自分が女優だとは伝えず、少しだけヒントを出す形で彼に興味を持ってもらおうと考えた。
「そうなんですね。テレビをあまり見ないなんて、ちょっと珍しい人ですね。私は芸能関係で働いているから、17歳でもそれなりに収入があるんですよ。だから、あなたに本気で興味を持ってメッセージを送っています」
彼がどんな反応をするのかワクワクしながら送信を押した。数分後、返信が届いたとき、美咲は思わずスマホに顔を近づけた。
「芸能関係ってことは、モデルさんとかですか? 17歳で働いてるなんてすごいですね。でも、本気で興味を持たれるようなこと、僕にあるかな……?」
彼の返事は控えめで謙虚なものだったが、美咲の心には少し引っかかるものがあった。
「僕にあるかな……?」
なんて、思わず彼の肩を叩いて「もっと自信を持ちなさいよ」と言いたくなるくらいだ。
思わず笑いながら、また返信を打つ。
「もちろんありますよ! 安藤さんのこと、まだ全部は知らないけど、永久就職希望って他の人がしないようなことをしているだけでも興味があります。それに普段、私の周りにいないタイプの男の子だなって、だから、私も興味を持ちました」
彼女は、助けてもらったときに彼が自分を知らなかったことをほのめかす文章を書いてみた。
返信が来るまでの時間が、少し長く感じられたのは、きっと彼女の期待が高まっているからだろう。
そして、ついにスマホが鳴り、蔵之介からの返信が表示された。
「そんな風に言ってもらえるなんて……ちょっと照れますね。でも、興味を持ってくれたのは嬉しいです。正直、最初は冷やかしかなと思ったけど、本当に僕に興味を持ってくれてるなら、ちゃんとお話してみたいです」
その返事を見て、美咲は小さくガッツポーズをした。
彼の素直さに、思わず顔がほころぶ。彼が少しずつ自分に心を開いてくれているのを感じ、美咲の胸は高鳴った。
そう、これはただのゲームではなく、彼の気持ちを動かしていく本当の勝負だ。
「私、結構お休みの日は自由に過ごしているの。ただ、芸能関係で過ごしているから、あまり人の目につく場所は困るんだ。だからお忍びでしか会えないんだけど」
少し背伸びした大人っぽい言葉を選びながら、美咲は一歩ずつ彼との距離を詰めていく。今度は彼がどう答えてくるのか、彼女はドキドキしながらいつの間にか返信を楽しみに待っている自分がいた。
「いいんですか? 正直、僕なんかでいいのかなって思うけど……。でも、美咲さんが本気なら、ぜひ会ってみたいです。友達から、ですね! ただ、本当に僕は永久就職を本気で望んでいるので、難しいと考えられたならすぐに振ってくださいね」
その返事を読んで、美咲は思わず笑みを浮かべた。
彼の素直で控えめなところが、余計に興味をそそる。自分を特別扱いしない蔵之介の姿勢が、他の人とは違っていて新鮮だった。
(うふふ、面白いなぁ〜。本当に私のこと知らないんだ。でも、絶対に振り向かせてみせるんだから)
美咲は、そんな思いを胸に秘めながら、次に彼に会うのが楽しみになってきた。
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