第6話

 カフェの席に座り、舞は内心のドキドキを必死に隠していた。


 普段、仕事では決して見せない緊張感。初めてのデートなのだから当然なのだが、蔵之介の前ではそれを悟られたくない。


 舞は少し早口で答える。心の中では、「落ち着いて、私」と自分に言い聞かせていた。


 静かに話す舞の表情は冷静に見えたが、内心では、「彼氏とカフェで話すなんて、これが夢にまで見たシチュエーションかも……」と、自分の鼓動の速さに驚いていた。


 少し会話が途切れると、蔵之介は舞の様子を気遣うように優しく言った。


「緊張してる? もし疲れたら無理しないで、ゆっくりしてもいいから」


 その言葉に、舞の頬が少し赤くなった。普段、バリバリと仕事をこなす彼女にとって、こんな風に心配されることはあまりない。


 いつも人に気を遣ってばかりだったから、誰かに気遣われるのがこんなにも暖かいものだとは思ってもみなかった。


「だ、大丈夫よ。ありがとう……でも、あなたも少しは気をつけた方がいいわね」


 急に真剣な表情になる舞に、蔵之介は一瞬驚く。


「気をつける……って、どういうこと?」

「あなた、SNSで永久就職とか書いていたけど、世の中には騙そうとする人もいるのよ。悪い大人はたくさんいるから……だから、少し心配になったの」


 舞の真剣な表情に、蔵之介は少し驚きつつも心が温かくなった。彼女が自分を心配してくれているのがわかるからだ。


「そっか……でも、大丈夫。舞さんみたいに優しい人がいてくれるし、俺、ちゃんと気をつけるから」


 その言葉に、舞はハッとした。彼が自分を優しいと言ってくれたことに、胸の奥が温かくなり、心臓が跳ねるのを感じる。


「それならいいけど……でも、気をつけるのよ? 私も、あなたのこと心配してるんだから」

「ありがとう、舞さん。本当に優しいね」


 蔵之介のその言葉に、舞はつい顔を背けた。


「そ、そんなことないわ……」


 カフェラテが運ばれてきて、二人はお互いのカップを見つめた。気まずい沈黙が漂うかと思ったその瞬間、蔵之介が優しく口を開いた。


「ねぇ、舞さん。これから俺のこと、名前で呼んでくれない?」

「え……名前で……?」


 舞は驚いた顔をしながらも、内心ではとても嬉しかった。距離を縮めようとしてくれる彼の提案に、心が少し温かくなったからだ。


「……わかったわ、蔵之介くん」


 彼女が名前を呼んだ瞬間、蔵之介は嬉しそうに笑った。


「ありがとう、舞さん」


 その言葉に、舞の顔が少し赤くなる。


「そんな風に名前で呼ばれるのって、こんなにもドキドキするんだ……」


 お互いに名前で呼び合ったことで、二人の距離が一歩近づいたように感じた。


 二人はカフェを出た後、街の通りを歩き始めた。


 夕方の光が、歩道に伸びる木々の影を長く引き伸ばしている。


 蔵之介は、周りの雰囲気を気にしながら、少し迷うように次の行き先を考えていた。彼女の気を引きつつ、自然なデートを楽しむために最適な場所を探しているのだ。


「この先に、ちょっと面白い雑貨屋さんがあるんだけど、見に行かない?」


 蔵之介が少し照れたように提案する。


 舞は驚いたように目を見開くが、すぐに微笑んだ。


「ええ、いいわね。雑貨を見るのは好きよ」


 舞自身、仕事ばかりの生活では味わえない小さな楽しみを感じられそうで、心が少し躍っていた。二人はそのまま歩を進め、雑貨屋へと向かう。


 店内は、アンティークな時計や可愛らしいアクセサリー、小さな観葉植物などが所狭しと並んでいる。


 蔵之介は、舞が興味を持つものを探しながら一緒に店内を見回していた。


「これ、どう?」


 蔵之介は小さなガラスのペンダントを手に取る。透明なガラスの中には、小さな花が封入されており、光を受けて優しく輝いている。


「綺麗……」


 舞は目を細めて、それをじっと見つめた。普段はアクセサリーなどほとんど興味を持たない彼女だが、このガラスのペンダントにはなぜか惹かれてしまった。


「舞さんに似合いそうだと思ったんだ」


 蔵之介が少し照れくさそうに言う。


 その言葉に、舞の心臓がドキリと高鳴る。


「そ、そうかしら……ありがとう。でも、今日は見るだけにしておくわ」


 そう言いながらも、舞の視線はまだペンダントに釘付けだった。


 そんな彼女の様子に気づいた蔵之介は、心の中で微笑む。彼女の意外な一面を知ったことで、少しずつ距離が縮まっているように感じていた。


「じゃあ、また今度ね。いつでも付き合うからさ」


 蔵之介は気楽に言いながら、ペンダントをそっと棚に戻した。


 その言葉に舞は少し安堵した。


「こんなに気を遣ってくれるんだ……」


 内心ではそんなことを感じていた。彼の優しさが、少しずつ舞の心を開いていく。


 店を出ると、少し冷たい風が二人の頬を撫でた。日も傾き、街には夜の気配が漂い始めている。


「ねえ、舞さん。どこか行きたいところはある? 1日彼氏の時間はもうすぐ終わるから最後だけど」


 蔵之介が彼女の隣に歩きながら聞いた。舞は少し考え込むように視線を落とした後、微笑んで言った。


「そうね……ベタだけど、夜景が綺麗な場所とか、どうかしら?」

「いいね! じゃあ、少し歩くけど、この先にいい場所があるんだ」


 蔵之介は自信ありげに前を指さし、二人は並んで歩き始めた。


 彼の自然なリードに、舞は少し安心しながらも、胸の高鳴りを感じていた。


 歩きながら、ふと蔵之介が何気なく振り返り微笑んだ。


 舞は不意を突かれたように立ち止まり、彼の顔を見つめた。彼の瞳は真剣で、舞を気遣っているのが伝わってくる。


「舞さん、こっちだよ」


 そう言って蔵之介は舞の手を握った。舞の心は温かくなった。彼の気持ちを感じ、そして自分ももっと彼に近づきたいと思った。


「蔵之介くん」


 手を振り払うこともできたが、舞は彼に身を委ねた。


「ありがとう、舞さん」


 蔵之介は手を握り返してくれたことにお礼を伝える。二人の距離が近づいた気がした。舞は、初めてのデートでここまで自然に振る舞われることに、驚きと嬉しさを感じていた。


 しかし、その瞬間――


「……あ、ごめんなさい」


 急に舞のスマホが鳴り出した。着信画面を見て、彼女は少し焦った表情になる。


「ちょっと、仕事の電話……」


 彼女はスマホを耳に当て、数言話した後に蔵之介の方を向いた。


「ごめんなさい、急な仕事が入っちゃって……今日はここで終わりにしてもいいかしら?」

「うん、もちろん。仕事、大事だもんね」


 蔵之介は優しく微笑んで言った。


「ありがとう……また、次の機会に……」


 舞は少し寂しそうな顔をしながらも、頭を下げて足早に去っていった。

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