第4話
デート前夜、月島舞は自宅のリビングでソファに座り、目の前のカレンダーをじっと見つめていた。
赤いペンでしるしをつけた明日の予定が、視界の中で異様に強調されている。
「デートか……」
静かに呟いてみるが、その言葉は自分にとってまだ現実感がない。
仕事以外の予定で、自分のカレンダーが埋まることなんて、いつぶりだろう。
いや、そもそもそんなことがあったかどうかも思い出せないほど、舞はこれまで仕事一筋で生きてきた。
普段はクライアントからのメールや、資料整理で埋め尽くされた平日。
そして、休日だって自分磨きと称して、ビジネス書を読み漁るか、仕事のためのセミナーに参加するのが常だった。
彼氏なんていたことがないし、必要とも思っていなかった。少なくとも、そう自分に言い聞かせていた。
「彼氏なんて、仕事に比べたら優先度は低いし……」
ソファに身体を預けながら、舞はぼんやりと天井を見上げた。
しかし、その視線はすぐにカレンダーに戻る。
そこに記された「デート」という言葉が、彼女の心をざわつかせていた。
きっかけはSNSで見かけた、蔵之介の投稿だった。
「永久就職希望」と書かれたその投稿を見たときは、正直なところ呆れた。
まだ18歳の若者が、仕事をせずに生きていこうなんて、無謀としか思えなかった。だから、最初は心配する気持ちでDMを送ったのだ。
「あなた、変なことはやめなさい」
ところが、返ってきたメッセージには、意外な純粋さが感じられた。
彼は本気で女性に養ってもらう人生を歩もうとしていた。それが自分にとっての幸せだと考えているらしい。それが、舞の興味を引いた。
「養う……か。私には、そんな余裕があるのかしら」
仕事が第一優先の彼女にとって、誰かの面倒を見るという考えは、今まで一度もなかった。
しかし、蔵之介とのやり取りを重ねる中で、彼の真剣さや、家事が得意で誰かのために役立ちたいという気持ちに、少しずつ心が動かされていった。
そして、ついには「一度会って話してみる」という結論に至ったのだ。
舞は自分でも驚くほど自然にデートに誘うことができた。
これまでの人生で、男性をデートに誘うなどしたことはない。
クライアントのご飯ですら、同僚や上司が同席して初めて実現していた。
その結果が、カレンダーの明日に記された《デート》というしるしだ。
だが、舞の心はまだ迷っている。
仕事でもないのに、こんなに緊張している自分が信じられなかった。初めてのデートに、何を着ていけばいいのかすらわからない。
「やっぱり、初めて会うんだものキチンとした服装をするべきよね?」
ふと、玄関の近くに置かれたクローゼットを見つめる。
そこには、彼女の勝負服ともいえる一着のスーツがかかっていた。考えてみれば、スーツ以外の服を着て外出することなんてほとんどない。
デートとはいえ、相手に真剣な自分を見せるには、これしかない気がする。
「でも、これでいいのかしら……?」
スーツを手に取った瞬間、不安が胸に広がった。
SNSで知り合った相手と会うなんて、これまでの自分の人生では考えられない行動だ。だが、何かを変えたくて、少しだけ勇気を出してみたいという気持ちもあった。
「……もう、決めたんだから」
舞は小さく息を吐き、スーツを丁寧にクローゼットから取り出す。
アイロンをかけ、シワ一つないように整えていく。その姿は、まるで仕事に挑むときのような真剣さだ。だが、その表情の奥には、わずかに期待と不安が入り混じった、彼女らしい可愛さが隠れていた。
「明日は、少しだけ自分を出してみようかしら……」
そう呟くと、舞はスーツをハンガーにかけたまま、ベッドに横たわった。
仕事ではない予定に緊張するなんて、自分でもおかしいと思いながら、明日の自分がどうなっているのかを少しだけ想像して、心を落ち着かせていった。
ただ、スーツ以外の部屋を彼女が見渡すことはない。
♢
5月の爽やかな風が心地よく吹き抜ける日、安藤蔵之介は、町田駅前のカフェで落ち着かない様子で立っていた。
カジュアルで少し大人っぽく見えるシャツに着替え、髪も整えた。
今日は蔵之介にとって人生初のデートの日。
自分なりに身だしなみを整えたものの、どこかそわそわと落ち着かない。
駅前の時計を見上げると、待ち合わせの時間よりもまだ10分ほど早い。
だが、いてもたってもいられなかった蔵之介は、さらに手元のスマートフォンで時間を確認してしまう。
「お待たせしました」
声に反応して振り返ると、そこには月島舞の姿があった。スーツ姿だ。
しっかりとしたジャケットに、すらりとしたスラックス。
髪は肩にかかるほどの長さで、風にさらりとなびく。その眼差しはどこか自信に満ちていて、蔵之介は一瞬、圧倒される。
おしゃれなメガネにタイトなスーツなので体のラインがわかり、強調された胸元に整ったボディバランスは彼女の努力が身を結んでいた。
彼女はデートというよりも、まるでビジネスの場に向かうかのようなきちんとした格好で立っている。
「は、はじめまして! 安藤蔵之介です!」
緊張のあまり、声が少し上ずってしまう。慌てて軽く頭を下げた。
こんな堅い雰囲気の女性が、自分のような18歳の青年とデートをしてくれるという事実に、蔵之介は内心驚きと不安を感じていた。
「こちらこそ、初めまして。月島舞です。今日はお時間いただきありがとうございます」
舞は微笑みながら、軽く頭を下げた。
その動作に一切の隙がなく、まさに仕事ができる女性という印象を強く与える。
だが、蔵之介は、その完璧さがかえって少し緊張を和らげるような気がした。
「え、えっと……俺のことは蔵之介と呼んでください。今日はどこに行きますか?」
蔵之介は、できるだけ自然に振る舞おうと努めたが、内心はすでにパニック寸前だ。
舞のスーツ姿が彼の想像を超えて真面目すぎたからだ。
少しだけ砕けた服装で来てくれるのではと期待していたが、目の前の彼女はまさにビジネスモードのままだ。
想像通りではあるが、それはある意味で期待を裏切られてしまった。
「そうですね、安藤さん。まずはカフェでお茶でもしながらお話しましょうか?」
名前では呼んでもらえず。
舞の言葉は、まるでビジネスミーティングの誘いのようだった。
蔵之介は一瞬戸惑ったが、「はい!」と元気よく返事をして、彼女と一緒にカフェへと歩き始める。
カフェに入ると、蔵之介は舞のために椅子を引いて、彼女が座るのを待った。
彼なりに背伸びして大人っぽく振る舞おうとしているが、内心は彼女にどう思われているか不安でいっぱいだ。
「ありがとうございます。あなた、思ったより紳士ですね」
舞が軽く笑って彼を見た。その一言に、蔵之介の心は少しだけ軽くなった。
自分なりに頑張ったことが報われたような気がして、彼は少しだけ自信を持てた。
「いえ、その……今日はせっかくなので、楽しんでいただけたらと思って……」
「そう、楽しむことは大事ですね。でも、あなたが本当に養ってほしいと考えているのなら、少し現実的な話もしなくてはならないかもしれませんね」
舞の真剣な目線に、蔵之介は思わず背筋を伸ばした。
彼女が自分にとって何を求めているのかはわからないが、彼は真面目に答えなければならない気がした。
「はい……あの、正直言って、僕は働くことにすごく抵抗があります。でも、家事は得意で、誰かのために役立てるならって思ったんです」
彼は自分の想いを必死に伝えた。舞は、そんな彼の姿をじっと見つめている。
「家事! そう……なら、私があなたに期待することもあるかもしれませんね。まずは、今日一日、あなたという人を知る時間をもらっていいですか?」
その言葉に、蔵之介の心は少しだけ跳ね上がった。
彼女が自分のことを知ろうとしてくれている。その事実が、彼にとっては何よりも嬉しいものだった。
「はい! 喜んで!」
舞はそれを聞いて、ふっと表情を緩める。スーツに身を包んだ彼女の堅物な印象はまだ強いが、その一瞬の笑顔が、彼女の中にある柔らかさを感じさせた。
こうして、二人の初デートはカフェでの会話から始まり、少しずつお互いを知っていく時間へと進んでいく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あとがき
どうも作者のイコです!
初めての三人称でしたが、たくさんの方が読んでくださり、やる気が湧いてきましたので、ちょっとやる気が湧いてきました!
少し更新を早めようかなって気になりましたw
現金な私ですw
皆さんの応援が力になっております!
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