第3話 2人の誤解
「えっと、もしかして僕を待ってたんですか?」
「うん、ちょっと話があるからここで待たせてもらったの。お母さんたちのいない場所でどうしても確かめたいことがあったから……」
それならもっと早く出ればよかった。それはそうと、僕に確かめたいこと?
「でも大丈夫なの? もしかしてお腹の調子が悪かった?」
「……あ。いえ、大丈夫です」
「それなら良いのだけど……」
やはり若菜さんは優しい人だなあ。やっぱりこんな人が僕を騙しているようには思えない。
若菜さんは優しい保健室の先生みたいで、その言葉には温かみがこもっていた。その顔が真面目なものになり、少し身構えた。
「単刀直入なんだけど、祐樹くんは私のことが嫌い?」
「えっ……?」
まったく予想していなかったので、呆気に取られてしまった。だけど若菜さんは少し悲しそうな顔で続きを話す。
「だって私のことをまったく見ようとしないし、ずっと警戒されてる気がしたから。もしかして私のことが嫌いなのかなって思ったの」
「そんなことはないです! あれは緊張して見れなかったというか、無粋に見る方がおこがましいというか……」
「……おこがましい? それじゃあ緊張してただけなのね?」
「そりゃそうですよ。とにかく若菜さんを嫌いなんて思ったことは一度も無いので、そこは安心してください!」
「嫌われてないなら良かった」
そう言うと若菜さんはフゥーッと息を吐きだし、安心したような笑顔を見せた。こっちからすると、そんな可愛い顔を間近で見る方がイケない気がする。
「それなら祐樹くんはこの再婚に賛成してくれるの?」
「えっと……」
いけない。
何かここで言わないと怪しまれる。
でも正直、自分でもまだ分からない。そんな迷いがあったせいで、言うタイミングが無くなった。
「反対なのね。良ければ、その理由を教えてくれないかしら?」
だけど若菜さんに怒った様子は無くて、どこまでも落ち着いていた。なぜか若菜さんの前だと、本音まで言えそうな気がする。そんな包容力と安心感があった。
だから正直に、この再婚を疑っていることを話した。
「——麻美さんが父さんのどこを好きになったのか分からないし、言葉は悪いですけど騙されてるんじゃないかと思っちゃって……それだったら嫌だなって……だからまだ分からないというか……内面で好きになる人なんかいないし、それに——」
そんな説明下手な僕の話を静かに聞いくれた。静かにそして馬鹿にすることなく。
最後まで話し終えると、若菜さんは不思議そうな、そしてどこか面白そうな表情で僕を見ている。
「ほんとに祐樹くんはそう思うの? お母さんがお金目当てで再婚すると?」
「だって父さんは僕と同じでモテない人種だし、他に好かれる理由が思いつかないので……」
そう言うと若菜さんおかしそうに笑った。
それは次第に大きくなり、お腹まで抱えて笑い出した。これまでの人生でこんな綺麗な人を笑わかせたことがないので、新鮮な感じがする。
だけどやっぱり笑われている理由が分からない。
「あの、どうしてそんなに笑うんですか? これでも真剣に話したんですけど?」
「ふふっ、うふふっ……そ、そうよね……ごめんなさい。でも祐樹くんは本当にそう見えたの?」
「だからそう言ったじゃないですか!」
訳が分からない。
そう思うと若菜さんは突然、手を握って来た。その手は柔らかくて細い。僕の手と違ってつるつるしている。
そして一瞬にして頭が真っ白になった。
「なっ、あっ、えっ、」
「ちょっと付いてきて。二人の様子を見せるから」
そして言われた通り、僕は若菜さんに引っ張られる形で『楓の間』に戻って来た。少しだけ障子を開けて、中の様子を覗いた。
まさに壁に耳あり、障子に目あり状態だ。
だけど若菜さんとこれでもかと肩が密着するので、そっちの方に気を取られる。
甘くて女性らしい香りがして、匂いだけで好きになりそうだった。
「ほら、中の様子を見て」
おっと、いかんいかん。ついつい意識が若菜さんばっかりに取られてしまう。
なんだかイケないことをしている気分だが、言われた通りに室内の様子を盗み見ることに。
そして——
あっという間に五分が経過した。
「わ、若菜さん、もうこれ以上はやめませんか……」
「えっと、あ……う、うん。そうだね……」
そっと障子の隙間から目を離して、僕は若菜さんに向き直る。その顔は少しだけ赤らんでおり、どこか恥ずかしそうな様子だ。
「ちょっとここじゃアレだし、ば、場所を変えようか」
「そ、そうですね。僕もそれに賛成です」
この和食料理屋は店に入ったすぐの場所に、生きている魚の入った水槽がある。その前に観賞する人用に長椅子が置かれているので、並んで座る事になった。
僕と若菜さんの間には、人一人分が座れるくらいの距離が開いている。だけどこれくらいの距離でも僕からしたらまだ近い。
水槽の中では魚がスイスイと泳いでおり、見ているだけで癒されそうだ。
まださっきの余韻があってか、若菜さんの顔は仄かに赤い。僕も同じかもしれないけど。
少し二人で水槽を見た後、若菜さんが緊張した声で話しかけてきた。
「ゆ、祐樹くん、二人を見てどう思った?」
「えっと、そうですね……。二人ともすっごくイチャイチャしてました」
「うん、だね。私も想像以上にイチャイチャ
してから、ちょっと驚いちゃった」
ちょっとどころではない気がする。
個室だからか手を握り合ったり、近くで身を寄せ合ったりして、付き合いたての高校生カップルみたいにラブラブだった。
そんな様子を若菜さんは目を細めながら見ており、意外とピュアなんだなとその時に思った。
「でもあんなの見せられたら、疑っていた自分が恥ずかしいです」
二人は仲睦まじそうで、父さんを見ていたら内面とか外面とかそんなの関係ないように見えた。あれは演技ではなくて、完全に二人とも愛し合っている。
誰がどう見てもそれは明らかだった。
「祐樹くんの方は分からないけど、浩司さんと付き合ってからお母さんは、毎日が幸せそうだったわ。乙女っていうか、ほんとに可愛かったのよ」
「うちは再婚の話も昨日聞いたばっかりでした。だから余計に疑ったのもあって……」
「そうだったのね……。でもどっちかと言えば、お母さんの方が惚れてる気がするわ。きっとそれだけ浩司さんが素敵な人だったのね」
そう話す若菜さんは、自分事のように嬉しそうだった。
「でも麻美さんも若菜さんも高嶺の花って言うか、僕ら親子と並べば月とすっぽんですよ?」
「ねえ祐樹くん? さっきも思ったんだけど、ほんとにそう思ってるの?」
「はい。だってこれは事実ですし……」
水槽に反射して映った自分の顔は、やはりいつ見てもパッとしない。
そう思っていた直後、若菜さんが僕のほっぺを両手で挟んだ。そして左にくるっと向けられて、僕たちは見つめ合う形になる。
ちょ、ちょっと……。
見る見る顔が熱くなり、目が魚みたいにあちこちに泳ぎまくった。
「にゃ、にゃにしゅるんでしゅか?」
ほっぺを押さえれらてるので喋りにくい。同時にいつまでもこうされていたい、とも思った。
「やっぱり祐樹くんは可愛い顔をしてるわ。私がそう言うんだから間違いない!」
「でも」
「でもは禁止。それと私のことを若菜さんって言うのも禁止ね。これからは姉になるんだから、お姉ちゃんとか、姉さんって呼んで。それか若菜って呼び捨てでも良いわよ」
「そ、それは無理です」
すぐに否定すると、少しだけ残念そうに口をすぼめた。だけどやはりハードルが高すぎるし、第一に呼び捨てなんか出来る立場じゃない。
「じゃ、じゃあ……姉さん……でお願いします」
「うふふ、これからよろしくね。祐樹くん」
どこか悪戯っぽく微笑むと、若菜さん……姉さんはほっぺから手を離してくれた。
まだ頬には熱がこもっていて、なんだか名残惜しい。
「それじゃあお母さんたちも心配してるだろうし、そろそろ戻ろうか?」
「そうですね。まだデザートも食べてないですし……」
僕は姉さんの後を歩くように『楓の間』に戻り、この日の顔合わせは無事に終わった。
○
こうして中三の秋に姉さんと出会って——それから半年が過ぎる。
その間に色々なことが起こった。
お母さん(麻美さん)と父さんは正式に再婚をして、姉さんの苗字は「
それから家族だけの結婚式を挙げて、お母さんは一緒に住むことになった。
姉さんは浅羽高校に近い今の家に住み続けて、週末だけこっちの家に帰って来ることになった。その時、約束通りに僕は姉さんから勉強を教えてもらった。まあ、ほとんど緊張して何も手がつかなかったけど……。
そんなこんながあって三月。
晴れて、僕は第一志望の浅羽高校に合格することが出来た。
そして四月。今日から僕と姉さんとの二人暮らしが始まる——。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます