3_電脳体

 公安部第零課特務班。

 電脳体の出現により新設されたそこは、園田紫苑そのだしおんを筆頭に警察内部でも優秀な人材を集めた組織だ。

 むろんその班長も優秀すぎるくらい優秀な人間……というか優秀や秀才なんて言葉じゃ語れないほど、完璧人間なのだが――


「――どうしたらここまで部屋汚せるんすか?」

「ち、違う! 時間がなかっただけ! また今度片付けるから!」

「いや、そう言って片付けてるの見たことないですけどね」


 班長室。警察人口が減ったことによりあてがわれたその部屋は、6畳ほどの広さだがその床のすべてに段ボールがうずたかく積まれている。

 捜査資料が入っているものや班長の私物だろう服や衛生用品が入っている。壁際に置かれたラックにも同じように段ボール、すっかり枯れきった観葉植物、倒れかけたガチャガチャの景品だろうフィギュアが置かれている。

 おまけになんか、かび臭いんだが。


「あ~、昨日カーペットにコーヒーこぼしたからそれかも」


 「えへへ~。ごめんね」と言う班長は自分では一つくくりにしたつもりなのだろう後ろ髪を撫でながら言った。不器用すぎて髪を一つにまとめることすらできないなんて、そんなことがあり得るのだろうか。しかし実際、目の前にその人がいるのだから仕方がない。

 怒ったからか、班長は申し訳程度に床に散らばったファイルを手にして、窓付きの戸棚に片付け始める。

 かろうじて無事なソファに腰かける。応接セットらしきキャビネットは無残にも倒れていた。


「えへへじゃないですよ。で? なんで、呼ばれたんですか、俺たちは」

「ああ! そうそう思い出した」


 床に散らばったファイルを拾い上げて、瀬川の向かいに座る。

 顔をあげた班長を見て、瀬川の背筋は凍り付いた。ついでに無意識に体が震えていた。


「瀬川くんさあ」


 そういう班長の顔は先ほどとは打って変わって、笑顔の裏に怒気をはらんでいる。いや、怒りともいえないのかもしれない。もはやそんな短絡的なものではない。

 では何か。

 その答えは、班長と出会ってからすぐに身に染みていた。


「なんでそのままなの?」

「そのまま……ですか?」

「うん、そのまま。今どきそれ使ってる人なんていないよ~?」


 ニューナンブM60。瀬川の愛銃は、もはや過去の遺物と化したらしい。しかし手に馴染みのあるフォルムも小さく取り回しのいいところも気に入っている。

 今更手放せと言われるのは、無理な注文だ。


「これで十分です。俺には」


 そう言うと隣に座っている東山がぼそり、

 

「嘘つき」


 うるさい。

 確かに、これ一つで戦えるなんて詭弁は通用しないのかもしれない。だがそこには瀬川の、警察としての刑事としての。もっといえば誰かを守る者としてのプライドとロマンがつまっているのだ。

 それに、今まで連れ添ったのに新しく魅力的な武器が出たら、はいさよなら。なんてあまりにもこいつが可哀そうすぎる。

 新しい女に目移りしたら怒るくせに、こういうときばかり良いというなんて、一貫性がなさすぎてどうかしている。


「そんなことないでしょう。東山ちゃんがいかなきゃ、どうなってたか」

「そうそう、そうですよ」

「そんなこと……ないです」


 続く東山のセリフは、予想通りというか芸のない「嘘つき」の言葉だった。瀬川がそれを咎めるように睨むと、班長がそれを絡めとるようにため息をついた。

 

「まあともかく。瀬川くんの拳銃の話はおいておくとして……。東山ちゃんとは今後もバディとしてやってもらうつもりだからよろしくね」


 にこり、とほほ笑む班長に瀬川は首肯して返すしかなかった。


■ ■ ■


「それで? 次のお仕事はここですか?」

「そうだ。電脳体三体。倒すだけの簡単なお仕事」


 転げてしまいそうな建造物の上。瓦礫の上でかがむのははじめてではないが、やはりその固さには慣れそうにもない。

 瀬川と東山の二人は、黒いインカムを耳につけて次なる標的を目で追っていた。

 電脳体は移動を繰り返しながら、どこかへと前進しているようだ。気付かれないように追うのは骨が折れるが、あちらもそれなりのスピードで移動しているから、聞こえるのは風切り音くらいのもので数十メートル離れた自分たちの存在に気付くとは思えなかった。


「山道を走ってるみたいです」

「そうだな。……遅れるなよ」


 言い得て妙だ。

 ところどころにコンクリートの破片が落ち、整備されていない道路はアスファルトが割れている。おまけに倒れているビルの上を渡っていくときは、全身が筋肉痛になりそうなほどの運動を強いられる。

 まさに山道。

 もしかすると、整備されていない分こちらの方がキツいかもしれない。


「大丈夫です。慣れてるので」

「そうか」


 これが初対面だと本当かと疑うところだが、顔から笑顔が消えていないところを見ると、本当なのだろう。呼吸音こそ大きく聞こえるが、整った音だ。


「どこ行くんですかね?」


 何度目かのビルの昇降を終えたとき、東山はそう言った。


「さあな。知ってたらこんな息せき切って追いかける必要もない」

「そもそもなんで追いかけてるんでしたっけ?」


 ああ、こいつは。

 班長からの命令を何も聞いてなかったらしい。

 ——時は、数時間前に遡る。


■ ■ ■


 瀬川が首肯し、話はガールズトークへと移行した。

 どこどこのケーキ屋は美味しかったとか、関西の方ではまだやってるみたいですよ、とか。そういうことを話すのは女の性なのか。

 瀬川がさっぱりついていけずに頭を抱えて、そしてせっかくだから部屋の掃除でもするかと立ち上がる。

 キャビネットの中のものを下ろし、資料を閉じる。そしてそれを戸棚に戻す。

そうだ。キャビネットをおこしておかなければ。と、瀬川がキャビネットをおこした瞬間だった。


「あああ!!」


 班長の声が室内に轟いたのは。

 これでもかと目をかっぴらいた班長の顔は、美人が台無しで面白かったが、怒られそうだったので口には出さなかった。

 口に手を添える様子は女性らしいが、脚をもつれさせながらこちらに歩いてくる様は、もはや男性らしい女性らしいをこえて赤ん坊のようだった。


「これ、これ! 探してたんだよね! いやあ、こんなところにあったかあ!」


 班長が手にしたのは一枚の紙だった。透けている文字からは、その内容をうかがい知ることはできない。

 どうやら今おこしたキャビネットの下に滑り込んでいたらしく、班長は感動のあまり紙を持った手をぶんぶんと揺らしている。

 これだから汚部屋は困る。

 せめて、何がどこにあるか把握できているタイプの住人は百歩譲って許せるのだが、こういうタイプは駄目だ。しかも警官。公務員。上司という立場にありながら。


「なんて書いてあるんですか?」

「お! いい質問だね、瀬川くん」


 そういう班長の顔は、どこか悪戯を企てている少年のようだった。

 ああ、嫌な予感。

 もはやそれは予知などではなく、事実であることを確信しながら瀬川は班長の次の言葉を待った。


「これね、特別出動要請書。まあ、つまり上から人を出してくれって紙。すっかり忘れてた」


 えへへ。と、またしても頭を掻きながらそういう班長に瀬川はもはやため息すらつく気になれなかった。この人、なんで班長なんだ。と、いうかこんな人に個室なんて与えたら駄目だろう。


「……で! 瀬川くん。行ってくれない?」

「嫌です」

「ええ~、近いよ。近い! 駅近! 徒歩5分」

「駅もう使えないんで、そんな不動産みたいな営業しても無駄です。ここから1時間も歩かなきゃいけないじゃないですか」

「そう言わずに! ね、今なら東山ちゃんもつけます!」


 なんですか、その深夜のテレビショッピングみたいな言い方は。


「お願い! これ忘れてたって言えないからさあ」

「部屋片づけてないのが悪いでしょ」

「ああ! じゃあ、二人が行ってる間に部屋片づけるから! ね、ね! お願い」


 いつの世に部下に懇願する上司がいるのか。

 班長は人間としての尊厳を忘れたのか、瀬川に縋るように「お願い」を連呼した。よく見れば目元に涙も溜まっている。

 そんな緊急の案件なら、すぐに頼めばよかったのに。


「やります!」

「おい」


 東山はやる気満々で宣言する。


「ほんとに? 本当に? 嘘じゃないよね」

「ああ~、馬鹿が」

「すぐに人に暴言吐くところ直した方がいいと思うんですよね。私」


 ごもっともだが、余計なことを言わないでくれ。


「詳しい場所はここに書いてあるから見て欲しいんだけど、電脳体は三体。どうやら上は電脳体のアジト? 根城? を調べたいみたいだから、追いかけて欲しいみたい。この三体は今までも倒すことができてなくて、徒党を組んでるみたいだから。どうか、性急に! 速やかに! 作戦を実行しておくれよ。頼むよ~」


 東山に抱き着いたまま、計画を伝える班長の口を塞ぐことはできず、瀬川は泣く泣く特別出動要請とやらに向かうことになった。


■ ■ ■


「お前が行くって言いだしたんだろうが」

「あれ? そうでしたっけ?」

「馬鹿」

「また馬鹿って……!」


 頬を膨らませた東山は、他の者が見ればそれなりに可愛いんだろうが瀬川にはそうでもない。

 

「ほら。行くぞ」

「は~い」


 そうしてついたのは、東京スカイ、……ツリー?

 おそらくそうだろう残骸がそこら中に散らばって、大きさこそなくなったものの、かろうじて搭としての恰好を保っていた。


「ここですかね」

「静かにしろ」


 東京スカイツリーの根元のあたりで、三体が集まっている。

 何を話しているのだろうか。会話が聞こえるくらいに近付くのは危険だった。


「千春。モニターついてるか?」

『ごめん。監視カメラ壊れてるみたい』

「分かった」


 パンデミックがおこってからそれを管理する人間がいなくなったせいで、映らない箇所も多い。警視庁付近からだんだんと直してはいるが、ここにまでその手は及んでいないらしい。


「お! 誰か出てきますよ」


 東山の声で、近くの瓦礫に身を隠す。

 三体の電脳体はこちらを向いていないが、東京スカイツリーから出てくるそれは、こちらを向いている。少しでも人影を認識すれば、どうなるかは分からない。

 瀬川は瓦礫に少しだけ開いた亀裂の隙間から、それを見つめた。


「あれ……」


 心臓が潰された気がした。

 誰かに直接掴まれたようなそんな感覚。

 喉元が何度も上下して、うまく息が吸えなかった。


「先輩?」


 そこに出てきた人影は、紛れもなく瀬川のかつての先輩兼バディである伊蘇冬馬いそとうまの姿だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 日曜日 20:00 予定は変更される可能性があります

ゼロの掟~公安部第零課特務班~ さつまいも隼人 @karashi__wasabi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ