2_春雷
警視庁本部庁舎。そこが日本の首都・東京の都道府県警察であり、日本という国そのものを支える警察機関。桜田門駅を最寄り駅にもち、かつては約4万人の警察官が所属していた。そして電脳体が出現してからは、文字通り最後の砦となっている。
今では約100人を
もっとも関東近辺に残っているのは、警察のような公的職業に従事する者か電脳体しか残されていないのだから十分と言えば十分なのだが。
「俺たちはお掃除屋さんだ」
「お掃除屋さん、ですか?」
警視庁本部庁舎に戻る道中、自らをバディだと名乗る東山と申し訳程度に雑談をした。ただ沈黙を埋めるだけの会話。
目を合わせることはなかった。
「街に居る電脳体を掃討する。それだけの汚れ仕事だ」
皮肉のつもりだった。もしくは自虐か。
自分もパンデミック前には、それなりに刑事としての役割をしていたつもりだが今となってはこれは、汚れ仕事以外の何ものでもない。
自分が警察官を目指していたときとは、大違いの役割に自分でも辟易する。捜査もしない、市民を守るでもない。
それを、警察学校卒業したての甘ちゃんが受け入れられるとは思わない。
「――――かっこいいですね!」
「は?」
「かっこいいです」
歯間から息が漏れ出るように笑った。
東山は、はち切れんばかりに笑っていた。
聞き間違いかと思った耳は、どうやら正常に動いているようだ。
「それに、私を追い出そうとしてるなら無駄ですよ」
「別にそんなつもりは」
「嘘だ~。かわいい妹ちゃん独り占めしようとしてるんですよね」
妹、と言われると自然とインカムを付けた耳に熱がこもった。あちら側はミュートになっているのか、声どころかホワイトノイズも聞こえなかった。
なぜこんな奴のバディの申し出に、千春がYESを返したのか。
そんなことを考えていると、東山がどこかに向かって手を振っているのが見えた。その先に視線を動かしていく。
銀髪の少女は、曇天の世界にただ一人ぼっちで佇んでいた。せっかくの綺麗な髪は、陽が出ていないせいでその髪が輝くことはない。
しかし反対にその顔は、ひまわりが咲いたような笑みをたたえていた。加えて、青色の瞳が光彩を放っている。
「噂をすれば! ですね」
こちらを覗き込むように身をかがめた東山と目が合う。その瞬間に笑顔を見せて、すぐに少女の方にその笑顔を向けた。
「千春ちゃん!」
「響ちゃん……っ。兄さん!」
気付けば警視庁についていたらしい。
妹――
北欧の血を引いた妹の腰まである髪が、ハグした瞬間にふわりと揺れた。
「おかえり」
「ただいま~♪」
「いったい、いつから知り合いなんだ……」
千春から目を離した覚えはない。それに初対面の人間に懐くなんて珍しいこともあるものだ。
「「さっき」」
示し合わせたように二人の声が重なる。
黒と青の合計四つの瞳がこちらを見ていた。快活そうな目と控えめな上目遣い。その両方が瀬川を見つめている。
「兄さんのいいとこ、すっ……ごく分かってくれる。響ちゃん……好き♡」
「バディになるためだもん。と~ぜん!」
「頑固だけど笑って許してくれるとこ……も、一回熱中すると一生懸命に取り組むところも、服も髪も興味ないところも、全部分かってくれるんだよ」
最後のは褒められていうのか、ディスられているのか分からんが、ともかく。
千春が東山を好きになった原因は分かった。
「話が合ったってことか?」
「そう!」
妹が
それが、こんなことになって決定的になった。
新しくできた家族――瀬川にとっての肉親は、離れ離れになって未だに見つかっていない。そのせいで妹が自分に執着しているのは分かっていたが、初対面の人間にここまで心を開くほど兄中心の考え方になっているとは思いもしなかった。
「どれだけ俺のこと調べたんだ?」
少し、いやドン引きしながら東山の方を向いた。
言い方は悪いかも知れないが、千春をここまで手名付けられるほど自分の情報を調べ上げているとなると、他の部署への異動も検討したいところではあるが……。
「別に。ちょ~っとだけですよ」
左目を器用に閉じてウインクを作りながら、右手の人差し指と親指を限りなく近付ける。
嘘つけ、と言ってやりたいところだが、逆に具体的に何をどれだけ調べたのか教えられたら、背筋が凍りそうなので止めておこう。
それならそれで、質問を変えるだけだ。
「なんで、俺のバディになったんだ」
バディ不在は事実だが、それは今に始まったことじゃないし、俺だけに限った話でもない。パンデミック以後、人手不足に陥った警視庁内で、バディ不在のまま単独行動を続けている奴は比較的多い。
中堅、ともまだ呼べない瀬川にバディの順番が回ってくるとは、にわかに信じがたい。
「それより……」
東山は、決めポーズのようになっていた姿勢を元に戻し、呟くほどの声量で話し始める。まるでこれから驚くべきことが起こる、とでも言いたげだ。
それよりも質問をはぐらかすな、とは次に耳に入ってきた質問のせいで口に出せなかった。
「千春ちゃん、可愛すぎません?」
「当たり前だろ」
「中学生ってホントですか?」
「当たり前だろ」
千春の銀髪を弄りながら、その手の中に銀色のたまり場を作っていた東山は雷にでも撃たれたように、体をビクリと震わせる。
妹の千春が可愛いのは自然の道理だし、中学生なのは事実年齢がそうなのだ。生まれて十四年目。日本に住んでいれば、それすなわち中学二年生。それだけのことだ。
それなのに、何を驚いて――
「……事案じゃないですか」
東山が呟いたのはそんな言葉だった。
「馬鹿」
「だって、そうじゃないですか! 血の繋がりのない義妹と二人。しかも銀髪の北欧少女なんて、最近流行りのライトノベルですか? って感じですよ!」
「ライトノベルってなんだ?」
「ライトノベル。略してラノベをご存じでない!?」
何か悪い妄想をしていた顔だったのに、次の瞬間にはこの世の絶望をかき集めたかのような顔に変わる。お前は福笑いか。
「ち、千春ちゃんは知ってるよね?」
興奮のあまり、東山はバウンドさせて遊んでいた千春の髪の毛を手放していた。
千春は少し考え込んだ様子を見せた後、「悪役令嬢モノとか……ですか?」
「素質あり! よし!」
「なあ、そのライトノベルってなんなんだ? 小説と何が違うんだ」
「おじさんは無視して、
「兄さんいないと嫌!」
頬を膨らませる千春に一瞬逡巡したあと、東山は渋々納得したように軽く頷いた。
「瀬川さんも、帰りましょう」
言われなくてもそうするつもりだ。
あそこに帰らなくて、どこに帰る。
ふと、脳みその中に異物を感じた。違和感。そんな大層なものではなかったのかもしれない。それでも、年を食ってから感じることが多くなったそれに、自分なりに答えを出す。
そういえば、はぐらかされて結局聞けなかったことがあった。
なぜ二人がバディになることになったのか。
いや、正確には――
「なぜ、俺とのバディを希望した?」
警察学校卒業したてのペーペー。しかも女。こんな戦場に立たせるのが最善とは思えない。
まだ安全な、後方支援部署の空きもあったろうに。特務班だとしても、もっとベテランで泣く泣く単独行動している人間もいる。
だが東山は、瀬川とのバディに配属された。
不自然な人事も本人の希望なら、説明がつく。
なんせ警察は、ホワイトを目指す公務員の一つだ。
俯いたままの東山とは、どう頑張っても目が合わせられない。故に何を考えているのか分からなかった。
言葉につまるほどの何かがあるのだろうか。
それとも、ただの気まぐれか。
あるいは、ただ銃を持ちたいだけ、撃ちたいだけという可能性もある。実際、こういう部署にはそういう奴も少なくはない。
沈黙は今までの人生の中で、最も長く感じた。
それでも、瀬川は沈黙の先にある答えを知りたかった。バディを組むうえで、その相手が何を考え、どう行動するのか知っているのと知らないのとでは戦況は大きく変わり、互いの生き死ににも関わってくる。
故にその静寂に、雷鳴を伴った雨雲が近付いてくるのも厭わなかった。
「だって、……ですから」
やっと口を開いたかと思えば、言葉の最中を雷鳴が穿つ。
その言葉は、波のように砂浜を押し返しては海の中に消えていく。
「なんでもありません! 行きましょう」
その言葉を、ただの強がりでないと誰が決めたのだろう。
灯火は消えそうになってもなお、明るさを増していく。
運命に突き動かされようとも、その手を離したくない。
凪のようだった自分の心に炎が咲いたあの日から、それを忘れることはなく、そして細い銀の糸を辿ってきたのだから。
■ ■ ■
冷たい廊下を歩く。
崩れかけているせいで、エアコンはおろか断熱材も効果を果たしていないため少し肌寒い。ひび割れたガラス窓から外を覗けば、パラパラと雨が降り始めたようだ。
警視庁本部庁舎。その廊下を三人は連れ立って歩いていた。
「ナイスタイミングですね」
雨模様とは正反対の東山の弾んだ声が廊下に響いた。しかしその表情には陰りが見える。
いったいさっきは何を言いたかったのだろうか。
聞こえなかったと言えば、それでいいんですとまた口を閉ざした東山にそれ以上聞いていいものか分からなくなってしまった。
なにせ、その時の彼女の目が吸い込まれるほど黒く澄んでいたから。
まあ、機会があったらまた聞いてみればいい。自分の中ではバディ(仮)のつもりでいたが、千春の中ではすっかりバディになってしまった以上、兄としてはその期待に応えてやりたい気持ちも大きかった。
「そうだな」
「濡れなくて、よかった……ぁ」
パラパラ降っていた雨は、見ている間に豪雨へと移り変わっていった。
まるでバケツの中の水をひっくり返したよう、というのはその通りで、割れたアスファルトの中から剥き出しになった土がぬかるんできている。
「入ってきそうですね」とは、ひび割れたガラス窓のことだろう。東山が心配そうにそのひび割れを見つめている。
「あとで直しとく」
「え、ガラスなんて直せるんですか?」
「馬鹿、ガムテだよ。ガムテ」
他のところも所々それで直されている。頼む業者もいなくなったから、こういうのは自給自足というか、自分たちの手でやらなければならない。
もし割れても段ボールで補強だ。天下の警視庁本部庁舎がどんどん張りぼてになるのは、刑事として少し悲しい。
「あ……そういえば」
急に千春の声がする。思わず身を震わせてしまいながらも、瀬川は後ろを歩いていた千春の方を振り返った。
「呼ばれてたよ。兄さんと響ちゃん」
胸の前で固めていた拳をほどいて、それぞれを指さす。それさまは、何かのホラー映画のようだ。
髪が生え続ける呪いの人形に、指をさされて死刑宣告されているような。廊下の暗さも相まって、自分の妹でなかったら確実に悲鳴を上げていたことだろう。
「誰に」
「はんちょー……」
ぶるり。
震えたのは、ホラーを引きずっているのだろうか。それとも武者震いだろうか。
それとも――文字通りの死刑宣告を、されたからだろうか。
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